SS 閲覧注意 疱瘡婆と盛岡冷麺

  • 1二次元好きの匿名さん24/11/17(日) 15:12:26

    盛岡藩主・南部利済(としなり)は数を少なめに減らした燭台の下、帳簿を睨みつけていた。ここ数年、冷夏が続いた影響か、年貢の嵩がだだ減りしている。
    本格的な飢饉は未だ訪れていないとはいえ、大飢饉という名の招かれざる客の到来は明らかな存在感をもっている。おそらくは避けられないだろう。

    しかし、蔵の中に十分な貯蓄があるわけでもない。隠し畑の摘発なども徹底した。

    どうも手詰まりの感が否めないが、藩主である彼の苦悩の大本はもう一つあった。主要産業の一つである南部鉄。その原料となる鉄鉱石の採掘場で働く人夫たちがこぞって怠けに駆られているのである。

    聞けば、数日布団から出なくなった者もいるとか。謹厳を地で行く利済にはその惰性が理解できなかった。そのときは知らなかったのである。
    疱瘡の魔の手が彼らの喉元を締め付けているということを。

    数日もしない内に、町の中でも同様の症状が出ているとの報が老中たちの耳に入って来た。当然、藩主である利済にもまた然り。

    緊急会議が開かれるも、議題は一つのみ。決して長引きはしない。
    財政再建のための一里塚として、鉄鋼生産の正常化および軍馬供給の正常化を挙げ、これらのために前提となる労働力の回復が急務であることが藩上層部の中で共通認識となった。

  • 2二次元好きの匿名さん24/11/17(日) 15:12:48

    老中らが城にこもって方策を練っている頃、盛岡西部の黒松林を歩く青年の姿があった。
    青年は医者であり、疱瘡によって肉親と師を失っていた。唯一残った妹はとうの昔に嫁ぎ出て会っていない。便りは届くため生きてはいるようだが、文によればやはり疱瘡の影に怯えざるを得ない暮らしにいるらしい。

    黒松の林を行く医者の青年。その鼻先を小さな雪の花がかすめる。ふと視線を挙げると遠くに村と人の気配が感じられる。少なくとも視界に収まるような小ささではない。大き目の村である。
    貧しい者たちの中にも医者の用があるかもしれない。

    疱瘡を憎み、民を愛する。青年はつくづく医者であった。

  • 3二次元好きの匿名さん24/11/17(日) 15:13:17

    村の規模の割りに厳重な関所を通り、村の中へと入る青年。正面には大路が走り、脇にいくつかの小路が入り組んでいるように見える。風通りがいいとは言えない作りだが、この寒風吹きすさぶ雪国で暖をとるための知恵なのだろう。

    人が生きるための知恵と工夫を、今は病魔が利用している。それが青年には見て分かった。

    「おめさん、薬師(くすし)かえ?」
    「ん?ええ、本道の薬も扱いますが、蘭学の方を少々やりました。」
    (本道:漢方のこと。蘭学:西洋医学のこと)
    青年は肩に積もった雪を払いながら、大路の小さなそば屋に入った。よそ者であるが、店員の老婆は歓待してくれた。

    「元々は江戸で学んでいたのですが、修行の旅に出ました。以前は八戸の方で。」
    そこまでいってそば汁をかき込む。そば粉も少なくなってきたのだろうか、松の実や枸杞の実が多めに混ざった混ぜ物汁であった。それでももてなしを受けられるだけでもありがたい。

    「そら、えんれえ医家さまだべな。んだば、ひとつ聞かせちゃる」
    快闊に笑う老婆であったが、その目は急激に鋭い、真剣なものになった。

  • 4二次元好きの匿名さん24/11/17(日) 15:13:43

    「疱瘡婆いうてよ」
    ぼそりとつぶやく老婆の目は老いた馬のように暗いが慈しみもたたえている。
    「ほうそうがみ?」
    聞かない名であった。”かみ”と名の付くものだから、何らかのご利益でもあるのかと思ったが、字を聞けばそのような縁起のいいものではないことはすぐに分かった。といっても、老婆は文字の読み書きを知らないため、どこまで本当かは分からないが。

    「わの小っちぇときから言うとるもんでよ。あばたさ放っとくと疱瘡婆がさらいに来っから、治すためにも子供はよう食って早よ寝やれ・・・言うてな。」
    いつの間にか、そば屋の客は自分一人になっていた。混ぜ物によって歯切れの悪くなったそばだったが、味と見た目はともかく、香りは悪くない。
    両手で鉢をもって汁を飲み干す。温かい汁が食道を通るのを青年は心地よく感じていた。

    「その、疱瘡婆、ですか、なんでまたその話を私に・・・?」
    「そら、おめ様が医家せんせ言うもんだで、こん辺りにゃあばた持ちがたまに出っから、気さ揉んでやってくんろ。わもそうなったら、おめ様にかかるでな」

  • 5二次元好きの匿名さん24/11/17(日) 15:14:08

    「はは、それはもちろん。でも疱瘡などかからないのが一番ですから。ご自愛ください」

    青年が礼を告げてそば屋を出ようとしたところ、老婆は後ろから呼び止め、奥に向かって誰か人を呼ぶような仕草をした。

    「医家せんせ、わの孫娘じゃ。これもあばたさなったら、診てくれよな」

    そこには気立ての良さそうな若い娘が立っていた。そば粉のついた前掛けを見るに恐らくは炊事場で働いていたのだろう。食糧事情のせいか相当に痩せていたものの、絶世の美女という訳ではないが、芯の強そうな眼差しは、医者の青年をして素直に美しい娘だと感じさせる。

    「ど、どうも・・・」
    「あ、いや。こちらこそ」

    娘の方もまた、この青年を精悍な美丈夫であるととらえ、頬を染めるが、少々こけた頬に紅が差そうと青年には違いが分からなかった。
    老婆は何かを察したようだが、それを口に出すような無粋はしない。




    その夜、大路の端で一人の男が重い咳を繰り返し、果てには血を吐いて倒れた。誰の目にもつかなかったが、その顔には無数の痘痕が浮かんでいた。

  • 6二次元好きの匿名さん24/11/17(日) 15:14:38

    この文体、タイトル・・・宿儺おじさんSSの人か!

  • 7二次元好きの匿名さん24/11/17(日) 15:16:14

    翌朝、城では年老いた藩医が城主である南部利済に説明をしていた。議題は単純明快。今朝発見されたあばた持ちの男の死体について。
    そして、この頼りなさげな老藩医がおずおずと出した結論もまた、単純。


    「領内に疱瘡の翳りあり」


    利済のみでなく、老中たちもまた皆一様に恐れ、慄き、震えがちに頭を抱える。冷害続きで減収しているところに疱瘡まで。
    古来より国すらを亡ぼしてきた疱瘡。遺体の尊厳すら守ること叶わず、そうなれば当然一揆の危険も増す。蔵の備蓄すら頼りないこの状況では、藩がまるごと滅ぶことも覚悟しなくてはならない。

    今、彼らは為政者として最も苦しいところに居ると言える。

  • 8二次元好きの匿名さん24/11/17(日) 15:16:42

    「せんせ!おらんとこさ来てけろ!」
    「帰って来たがや!せんせ、おらのかかあ診てくんろ!」
    「ああ、おった!医家せんせ!わのところにも来てつかあせえ!」

    村の中には医者が少ないのだろう。青年が医者であることを聞きつけた村人たちは近隣縁者を診てほしいと押し寄せて、ある時は強引に拉っして、またある時は泣き頼んで青年を患者のところまで連れて来ていた。

    いつしか件のそば屋に居つくようになった青年の元に、列をなしてやってくる村人たち。いや、正しくは町人というべきなのだろう。うらぶれているとはいえ、盛岡藩の城下町の一角なのだから。
    病の軽重にもよるが、順番待ちをしている者たちがそばを注文するため、そば屋の老婆としてもうれしいこと。元来働くことが好きだった炊事場の娘は、部屋の簾の隙間から青年の顔を覗き見ては頬を染める。

    決して煌びやかな幸せではないし、穏やかでもない。病と薬の匂いがそばの香りに混ざった不思議な日々。しかし、青年も娘も存外この数日間を得も言われぬ充実感とともに過ごしていた。

  • 9二次元好きの匿名さん24/11/17(日) 15:17:14

    娘は生来余人の目には映らぬものが見えた。まだ親が生きていた頃、それは良くないものだと教わって以来、努めて視界に入れないようにしてきた。長雨や干ばつが極端に続くと自然と増える不気味なものたち。それが呪霊というのだと、娘は知らない。
    民衆の中には何人か背に不気味なものをべったりと貼り付けた者たちがいる。娘の目には日に日にそれが増えてきていると感じられた。

    ただ、それをわざわざ言うことはない。良くないものを口に出せば、それはたちまち現実となる。自らの祖母であるそば屋の老婆にも、想い人である青年にも決して告げはしない。

    ふと、客と患者の切れ目が重なったとき、老婆は娘と青年に松林を散歩でもして気をほぐして来いと告げた。極端な繁盛ではないにしろ、気骨をすり減らしていく若者を見るのは堪えたのだろうが、それだけではなさそうであった。

    黒松の林の中、薄く積もった雪道に若者二人の足跡がついていく。二人の間に会話は少ない。それでも娘の方はこのささやかな時間ができる限り長く続くことを望んでいたし、青年の方もこのひと時を安らぎを以て過ごしていった。

  • 10二次元好きの匿名さん24/11/17(日) 15:18:12

    雪は足元の脅威を隠す。娘の足が突然沈んだかと思えば、数尺ほどとはいえ、急な斜面に滑落してしまった。
    ケガはないようだが、嫁入り前の娘が青年の前で大きく足を拡げて登ることはできず、青年は当然引っ張り上げるために手を貸す。

    「いきますよ、参・弐・壱!」

    斜面を登り切った娘だったが、青年の力が思ったより強かったのか、後ろに倒れ込んだ青年の上に覆いかぶさるようになってしまった。娘の頬には青年の胸板の体温が伝わる。薬の匂いとわずかな汗の匂いと、そして自分が打っているそばの香り・・・。

    「・・・・・・・・・////」
    「・・・・・・・・・////」

    二人はそれから居もしないはずのエナガを見たと嘘をついて、見えもしない小鳥を可愛いだのと、気まずさを紛らわせながら村へと戻っていった。

  • 11二次元好きの匿名さん24/11/17(日) 15:20:35

    疱瘡婆の悲しき過去かな

  • 12二次元好きの匿名さん24/11/17(日) 18:08:08

    新ジャンル来たな

  • 13二次元好きの匿名さん24/11/17(日) 22:03:34

    このレスは削除されています

  • 14二次元好きの匿名さん24/11/18(月) 09:26:16

    期待

  • 15二次元好きの匿名さん24/11/18(月) 09:33:04

    城の方では、腕のいい若い町医者が町人の支持を集めているとの噂が老中たちの耳に入り、これを疱瘡防疫に利用できないかと画策する者たちがすでに出始めている。藩医として当然面白くないことである。どこの馬の骨かも知れぬ余所者の若造が、長年尽くしてきた自分よりも支持を受けることが気に食わない。
    藩医は町人を診ることなどないため、当然といえばそれまでだが、それでも心情的には我慢ならないことであった。

    余談ではあるが、藩医は幼少の頃より余人をして見えぬものが見える才があった。ほかの誰の目にも映らぬものが見えることは、彼に傲慢さをもたらし、過分な傲慢さは医者としての腕をさび付かせるには十分。
    旅の高僧に“呪霊”という存在を聞きはしたものの、いまいちピンと来ない。このとき彼が呪いについてもっと学びを深めていたら、もっと別の結末があったのかもしれない。

    藩医の目にはこのところ、明らかに呪霊が増えているように見えていた。ちょうど件の舞知者の青年がこの町に来たとされる辺りから。藩医としては青年が病を連れてきたかのように感じられる。顔を見たこともない青年に対して苦々しい表情を隠すことはできなかった。


    吹けば崩れる砂上の幸せであった。それでも娘は確かに幸せであったし、青年もまた民を治し、疱瘡を遠ざけ、そばをすするその日々を、確かに幸せであると感じていた。

  • 16二次元好きの匿名さん24/11/18(月) 10:08:11

    青年の医者としての本分は、昨今の患者の様子からひとつの結論にたどり着こうとしていた。
    つまり、疱瘡の蔓延が始まったということである。

    青年が持っていた疱瘡の防疫指南書「疱瘡一覧」では、疱瘡を遠ざけるには隔離しかなく、また、患者が使っていたものはすべて焼却する必要があるとのことだった。
    念のため、黒松の林を歩き、薪になる木を確保しようとしたが、皮を剝がされた松の数が妙に増えているのに気づく。

    古来、松皮は飢饉の際には煮て食われることがある。

    食糧事情の逼迫は、すでに目の前にまで迫っていた。これこそ後の世で聞く、「天明の飢饉」の前触れであったこと、当時の青年が知る由もない。

  • 17二次元好きの匿名さん24/11/18(月) 10:22:32

    日に日に増していく患者たち、もはやそば粉よりも混ぜ物の方が多くなったそば屋・・・
    眼前にせまった飢饉の中で食い物処など成立するはずもない。幸い湯を沸かす道具には事欠かないため、そば屋はそのまま青年の医院として機能するようになる。

    人に憑いていただけの呪詛が独り歩きを始めているのが、娘の目には見えていたが、それをどうこうする知識も力もない。娘はひたすらに青年を支えるのみであった。

    青年の医院に、あばた持ちの患者が運び込まれては村はずれの隔離所まで送られる。その数がまだ片手で収まる内に、青年は村人たちに明言した。

    痘瘡が流れ始めている、と。

    藩医たちは領内の騒乱を危惧して控えていた痘瘡蔓延の報だが、実際に市井で治療に当たっている青年には隠蔽する理由もない。村人たちの力も借りるために報を出した青年の判断は英断であったが、藩の上層部にとっては苦々しいものであった。

    いつの世も、呪詛を産むのは、人の膿

    上層部の嫌悪、藩医の妬み、民衆の恐怖、青年の無力感・・・そして、村娘の恋心。人の負の感情が形を成すのに最後の決め手となったのは、何より美しい恋の心であった。呪力の源泉となる人の呪詛。そして核となる藩医と村娘の呪力。

    微弱で、自我のない、呪胎のかけらのような何かが生まれ落ちたのを、知る者はまだいない。

    いまはまだ。

  • 18二次元好きの匿名さん24/11/18(月) 18:04:05

    この言い回しを推しているよ。

  • 19二次元好きの匿名さん24/11/19(火) 02:37:21

    保守

  • 20二次元好きの匿名さん24/11/19(火) 11:27:51

    連日押しかけて来る患者。
    病床はすぐに満たされる。

    しかし、空きができるのも早かった。そのたびに青年の顔に険が差していくのを、娘は見ていることしかできない。
    それでもなおと、青年は自分にできることを励むばかり。命尽きるまで医療に専念するのが、彼の本懐であった。

    そんな折に不幸は列をなしてやってきた。
    冷害の連続、飛蝗の発生、痘瘡の蔓延、軍馬の連続病死・・・

    天明の大飢饉である。

  • 21二次元好きの匿名さん24/11/19(火) 11:55:45

    黒松の林はむざんに剥げあがっている。松皮を煮だして食べようとする民衆が押し掛けたのだろう。
    その凄惨極まる状況の中で、青年は実直に痘瘡と戦っていた。
    医療行為は専門性を過分にはらむ。しかし、娘は青年の支えとして常に共に居続けた。

    それが良くなかったのかもしれない。

    青年が倒れるのに、そう時間は要らなかった。それが疱瘡によるものなのか、過労によるものなのか、それとも娘から漏れ出す呪力にあてられたのかは分からない。
    もしかすると、娘の呪力が何か良くないものを引き寄せたのかもしれないが、確かなことは青年が臥せり、もはや恢復の目がないことだけ。

    そのあたりから、噂が立ち始めた。

  • 22二次元好きの匿名さん24/11/19(火) 12:06:00

    病を持ってきたのは青年なのではないか、という噂である。

    噂を流したのは一揆の矛先を逸らしたい一部の者たち。疫病の恐怖と飢餓の絶望に駆られた民衆の中には暴走する者もいた。
    その悪意の受け止め先が青年であった。

    娘は懸命に擁護するも、味方してくれた老婆すら倒れた今、彼女と青年を守れるものはなにもなかった。
    結局黒松林の小屋に逃げるように移り住むようになった彼らだが、当然、長くは続かない。

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