- 11/4予定25/02/24(月) 12:38:06
アスリートとして活動できる期間は限られており、それはウマ娘とて例外ではない。
すべてをレースへの愛に捧げた者であっても、宿命からは逃れられない。
レースに焦がれ、走ることを夢見た幼少の頃にはそんな日が来るとは思いつきもしなかった。
トゥインクルシリーズに挑み始めた頃にはいずれくるその日から必死に目を逸らした。
そして今日、最後のセレモニーをもって現役を引退する。
「その日」を迎えた気分は…目を逸らしたくなるほど悪いものではなかった。
すべての式次第を無事に終えたが、現役として袖を通す最後の勝負服はすぐに着替えるには名残惜しい。
幾多のレースで積み上げた逢瀬の残り香に抱かれ、控室で静かに目を閉じる。
「お疲れ様、ラモーヌ…セレモニーも、現役も」
しばらくして取材対応を終え部屋に入ってきたトレーナーの声色はあくまで優しい。
その声に答えずにいると気配が近づき、正面から抱きしめられる。
「今日はレースがあったわけでもないのに、何の余韻を味わっているの?」
「これまでのレースへ捧げた愛の数々…今日でお別れですもの」
「…ラモーヌが控室でこうしてレースの余韻に浸るのはメイクデビューの頃から変わらないね」
「…変わらない?あの頃、愛は一人で反芻するものだと思っていたのに…」
…良いワインは長く余韻を残すという。年齢上まだワインを嗜む事はできないが、こういうことなのだろうとわかる。
レース後の控室で、一人昂った感情と向き合うように静かに目を閉じてレースを回顧する。
それは振り返りや修正点の洗い出しといった野暮なものではない。
ターフの風を、芝の感触を、ライバルの熱を思い返して余韻に味わう、甘美な一時。
それは誰にも邪魔されない、絶対不可侵の営みだった…あの時までは。
「いつしかこうして二人で語らうようになったのはなぜだったかしら?」
「いつしかって言うのは優しさかい?君が愛にまつわることを忘れるはずはないのに」
気恥ずかしさと戸惑いの色を含んだ声に思わず頬が緩むのを感じ、彼に懺悔を促す。
「あら…何かご存知のようね?教えてくださる?」
その声色は思いのほか悪戯をする少女のような響きを含んでいた。
「参ったね…あれは3年目の秋…」
忘れるはずもない。彼の口から悔悛の言葉を聞きながら記憶を紐解いていく。 - 22/4予定25/02/24(月) 12:38:27
♢♢♢
パリ郊外、ロンシャン競馬場。
欧州を中心に各国から優駿が集い、闘志と意地と誇りをかけて競い、観客はその姿に熱狂する。
最高の舞台でも捧げる愛は変わらない。そしてその結果は供物に相応しいものだった。
日本勢初の凱旋門賞制覇。その偉業に興奮する記者たちをURA職員がなだめる声は伴奏に過ぎない。
絶対不可侵の愛の営み。いつものように一人目を閉じ、レースの感触を反芻する。
しかし、世界最高峰のレースはもう一人の愛を捧げる者を狂わせるには十分だった。
「ラモーヌ……!」
後ろから抱きしめ、レースと向き合う時間を遮る者に問いかける。
「どうしたのかしら……?」
理解者であったはずのトレーナーへの問いは思わず怒気を孕む。
「最高のレースだった。天気こそ雨だが力のためされるタフな芝。世界の強豪に悲願を目指す日本勢。未熟な俺には興奮が抑えられない…だから今だけは思いを聞いてくれ」
心の内を残らず吐露するような切実な声色に思わず冷静さを取り戻し、続きを促す。 - 33/4予定25/02/24(月) 12:38:51
「君がレースを愛するように、俺もレースを愛している。けれど俺は君と違ってターフの雨粒も芝の匂いもライバルの気迫も直接感じることはできない。それでも君は俺の分まで含めてレースへの愛を表現してくれる。それでいいと思っていた。でも今日の…最高のレースを目の当たりにして、少しだけ欲が出たんだ。」
それはまるで子供の我儘。けれどその思いには覚えがあった。
幼少の頃、レースへの愛に身を焼かれながら自ら走ることは叶わず、己の情熱を向ける先を見失う。
あの頃覚えた歯痒さをこの人は今抱えているのだ。私の担当トレーナーとして誰より近くでレースを見届けながら。
「俺も愛するレースの熱を感じたい…君の体に残る熱を通じて…」
私よりも大きな身体で、太い腕で抱きしめる彼の心はしかし、あの頃の私に通じている。
「あら、それだけでよろしいの?欲がないのね」
「…ラモーヌ?」
彼の言葉を言葉を遮って向き直り、彼の顔を正面から捉える。
そこにいるのがレースを愛し、愛を捧げるのにご褒美がもらえず寂しさを抱えたあの頃の私が欲しかった言葉。
愛に応えてほしい。この気持ちに寄り添ってほしい。指導者の学生という規範など知ったことではない。
「この体に残る熱も、体を伝う汗も、私とあなたが作り上げたレースの残り香…一緒に味わってくださる?」
メイクデビューから2年余りの間、渇望していたもの。あの頃の私が欲しかったもの。
彼に強く抱きしめられ、頬が寄せられる。この熱も、残り香も、一欠片も逃さないように。 - 44/425/02/24(月) 12:40:46
♢♢♢
「…満足してもらえたかな?」
「そうだったわね」
「けど、その後もレース後の大事な時間に同席させてくれたね」
気恥ずかしさに耐えられなかったか話題を変える彼。
「あなたの姿が可愛らしいからよ」
凱旋門賞を契機に、彼の腕に抱かれてレースの余韻を共に味わうのが恒例となった。
彼はあくまで傍聴人の立場を崩さず、その一端を覗き見させてもらうだけで幸せだという。
一方で一度満たされた欲求はより強くなる。より大きなご褒美を求めてしまうものだ。
彼を通して向き合うかつての私は不満の声を上げる。まだ足りない、もっと欲しい。
徐々に一人レースの余韻に浸りながら交わす言葉は増え、彼と愛を語らう時間に変わった。
控室での愛の営みはいつしか私の愛するレースの一部となった。
「ハハハ…最後まで君の掌の上だったね」
現役として走った最後のレースまでを振り返ったところで彼は言う。
おどけているが、私の愛が彼だけでなく過去の私に向けられていることを知っているだろう。
それでも彼は私と愛を語らうことを止めなかった。
「最後…ね」
そう。これが現役として勝負服を纏う最後の日。専属トレーナーと担当ウマ娘で過ごす最後の日。私がレースへの愛をターフで示す最後の日。
けれど愛の本質は変わらない。そう教えてくれた彼に問う。
「そういえばあなた、これからどうするの?専属契約していた担当が引退したら、無職になるのかしら?」
そんなはずはない。日本に初の凱旋門賞を齎したトレーナーならオファーを断られることはないだろう。
「これまではラモーヌの事で頭が一杯だったから、具体的なことは何も考えてないよ。…でもこの前模擬レースで気になる子がいたな。シンボリルドルフに似た鹿毛のストレートヘアの子」
少し気になる名前が聞こえたけれど、彼は気付かないのか饒舌に続ける。
「直線のスピードは良いものを持ってるし、何より君みたいに楽しそうに走るんだ。きっと力を付けるよ…流石に君ほどの偉業を残せるかはわからないどね」
楽しそうに未来のレースへ思いを馳せる様子に確信する。
これまで私が彼に運んだレースの残り香。これからは反対に彼が運んでくれるだろう。
ターフで直接愛を示す以外にも愛の形があることを教えてくれた彼だから。寄り添い、包み込む愛もあると示してくれた彼だから。
「あなたの愛の物語…次はいつ聞かせてくださるの?」 - 5たてたひと25/02/24(月) 12:51:38
おしまい。
ここからは謝辞です。
※以下ラブハピSSスレと仮称しますオススメのトレウマラブラブハッピーエンドSS教えてくれ|あにまん掲示板メンタル落ち込んでてつらい俺を慰めると思ってトレウマラブラブハッピーエンドSS教えてくれ…過去スレでも外部リンクでもいいんだ…スレ立て規約違反だったら削除するから指摘してくださいスレ画はお気に入り娘な…bbs.animanch.com投稿主が勢いで↑のスレを立てたときに支えてくださった皆様
&読むより書けとSS書くきっかけをくれた皆様
&初稿を読んでくれた皆様、特にラモーヌにフォーカスして再解釈する視点をくれた方
(アルダン…ほ、本当に後ろからラモーヌを抱きしめていいのか!?)|あにまん掲示板bbs.animanch.com特に「実際レース終わった直後にあすなろ抱き」という天啓を送ってくれた方
本作は上記ラブハピSSスレに投稿したSSの改稿版です。
初稿版(ラモトレ目線)
残り香 | Writeningその日、ロンシャンレース場は興奮の坩堝となった。 欧州を中心に各国から優駿が集い、闘志と意地と誇りをかけて競う。 最高の舞台で栄光を掴んだのは、極東から来た青鹿毛のウマ娘だった。 -----------------…writening.net人生初SSの改稿版なので実質初投稿です。
- 6二次元好きの匿名さん25/02/24(月) 12:57:49
- 7たてたひと25/02/24(月) 14:57:29
ありがとうございます!