- 1◆SbXzuGhlwpak25/10/12(日) 13:23:26
机の向かいには呆れた様子のウオッカが座っている。
相談に乗ってくれないかと頼んで来てもらったのだが、いくらなんでも単刀直入すぎただろうか。
「そう言わないでくれ。
このコトを相談しようにも、スカーレットの素に気づいているっぽい子はいても、確実に知っているのは君しかいないんだよ」
「ああ、アイツの外面たまーにはがれっけど、取り繕うのもうまいからな」
同室で、さらにライバル。
ウオッカのコトを最もよく知るのがスカーレットならば、逆もまたしかり。
スカーレットについての相談で彼女以上に適した相手はいなかった。
「で、アイツの何が怖いって? 俺とアンタ相手には気が短いのは今さらだろ」
素の自分をさらけ出せるからだろう。
気が短いというより、気が許せる相手にはじゃれつくように声を荒げてしまう。
「そういう声を荒げる怖さじゃなくて、真綿で首を絞めつけられるような怖さなんだよ」
「……何言ってんだアンタ?」
最初は呆れた様子だったが、今度は心配そうな目で見られてしまう。
元より全て相談するつもりではあったが、ためらいが無いわけではなかった。
そのせいで婉曲的な物言いになってしまったけど、それで相談になるわけがない。
時間がかかっても最初から話すべきだろう。
「休日のトレーナー寮でのコトなんだけど──」 - 2◆SbXzuGhlwpak25/10/12(日) 13:24:53
※ ※ ※
ピンポーン♪
玄関でチャイムが鳴るのを、ベッドの上でまどろみながら耳にする。
人を呼んだ覚えはないし、宅配を頼んだ覚えもなかった。
なんとか目を開いてみると、時計は16時を指している。
15時に目覚ましをかけて昼寝に入ったのだが、いつの間にか止めてしまったようだ。
「んぁ……」
起き上がろうとしたが指先がピクリと動いただけ。
やがて開いていた目も段々と閉じていき──再び意識が戻った時は一時間以上がたっていた。
「誰だったんだろう……」
眠りすぎて気怠い頭が、ぼんやりと就寝中のコトを思い出す。
ここは寮なので、訪問販売や宗教の勧誘は入ってこれないので違うだろう。
もしかしたら夢だったのかと、小気味よくまな板を叩く音を聞きながら考える。
背伸びしながら大きく息を吸えば、食欲を誘う匂いが鼻孔を満たしてきた。
今日は10時くらいに適当にあるモノを食べただけなので、まだ夕方だというのにずいぶんと腹が減っている。
ああ、今日はあったかいモノを食べたいなあ──
「…………………………待てよ」 - 3◆SbXzuGhlwpak25/10/12(日) 13:26:31
まな板の音も、食欲を誘う匂いも別の部屋からではない。
窓を開けてもないのに聞こえたり匂ったりするほどトレーナー寮はボロくはない。
独り身で住むには文句がない1Kの造りだ。
それなのに何故、こんなにもハッキリとわかってしまうのか。
寝ぼけていた頭が急速に覚醒する。
視線は自然とドアに向けられた。
その先にあるキッチンから、音と匂いがしてきている。
慣れ親しんだ自宅が、途端に異界へと変貌したかのような恐怖を覚える。
つばを飲み込み、恐る恐るドアをスライドさせると、そこには──
「あら、ようやく目が覚めたの」
「……スカーレット?」
見慣れた相手が、見慣れた場所で、さも当然と言わんばかりの顔をしてそこにいた。
「色々と持ってきてよかったわ。
冷蔵庫の中を見たらほとんど物が無かったんだから」
呆れたように笑いながら、まだ学生だというのに慣れた手つきで菜箸を操っている。
見覚えのないエプロンを着けているが、それもわざわざ持参してきたのだろうか。 - 4◆SbXzuGhlwpak25/10/12(日) 13:27:43
「これは……いったい?」
「夕飯には早いけど、どうせ今日一日まともに食べてないんでしょ?
そろそろできあがるから、テーブルの用意しておいて」
「……ウス」
色々と問い詰めたいコトはあった。
しかしさも当然のような口調で言われれば、混乱した頭では押し切られるしかない。
テーブルを部屋の中央に動かし、一つしかない椅子はスカーレットのために用意した。
「はい、できたから運んで」
「……この手狭なキッチンで、料理ってできるもんなんだな」
「なにバカなコト言ってんのよ」
別にここで料理をしたコトがないわけじゃない。
しかし勝手を知らないはずの広くもないキッチンで、こうもマトモな料理をお出しされると困惑よりも感心がまさる。
豚の生姜焼きにはキャベツの千切りとミニトマトが添えられており、豚汁には豚肉のほかにジャガイモと大根、ニンジンにゴボウと具沢山だ。さらにナスのおひたしまである。
空腹の状態でこんなモノを出されたら、ごはん茶碗2杯はいけてしまう。
こんなに浮足立つような気持ちでお盆を持つのは久しぶりだった。
……これが未成年の教え子が不法侵入して作ったものでなければ、手放しで喜べたのだけど。 - 5◆SbXzuGhlwpak25/10/12(日) 13:30:12
「どうしたの? さっさと座りなさいよ」
「いや……そっちに座るんだなと思って」
不法侵入した未成年の教え子を見れば、悪びれるコトなく先に座っている。
用意した椅子にではなくベッドの方にだ。
……わからない。
座る場所が椅子とベッドの二択ならば、普通は家主がベッドだろう。
先に俺が座ればよかったのだが、先手必勝・盤石の構え・誰より前へ!が発動していたので勝ち目が無かった。
『いただきます』
色々と物申したいコトはあるが、それでは出来立ての料理が冷めてしまう。
まずは頂くとしよう。
「これは……っ」
「どう?」
最初に口にしたのは豚汁だった。
味噌は自分が好きな濃さで、大根とニンジンは箸でほぐせるほど火が通っている。
ゴボウの食感は小気味よく、ふんだんに入れられた豚肉が良い味を出していた。
「こんなに美味しい豚汁を食べたのは久しぶりだ」
「……ふふん。アタシが作ったんだから当たり前じゃない!」 - 6◆SbXzuGhlwpak25/10/12(日) 13:32:59
平静を装い切れずにそわそわしていたスカーレットだが、感想を聞くと当たり前といいつつ満面の笑みを浮かべた。
料理に自信はあっても、誰かに食べてもらうのは緊張したのだろう。
「人の手料理っていいもんだなぁ」
しみじみと呟いてしまう。
自分のためだけの手料理は、どうしても適当になりがちだ。
しかし人の手料理というものは、今のスカーレットの様に緊張を覚えるほど一生懸命になれて、だからこそ温かみを感じる。
「なによ欲しがっちゃって。
これからもちゃんと作ってあげるから」
「……スカーレット、そのコトなんだけど」
細かく、そしてキレイに切られたキャベツの千切りに箸を伸ばしつつ、ついに核心に触れるコトにした。
「どうやって部屋に入ったんだ?
ちゃんとカギはかけておいたと思うんだけど……」
「どうやってって……この間、合鍵を作ったじゃない」
恐る恐る口にした質問に、スカーレットは平然と機知の事実のように返答した。 - 7◆SbXzuGhlwpak25/10/12(日) 13:35:26
「合鍵って……この部屋の?」
「この部屋以外の合鍵を作って、どうやってこの部屋に入るのよ」
スカーレットの言う通りではあるけど、そもそも合鍵を作った覚えがなければ、合鍵をスカーレットに渡した記憶だってない。
「まあアンタ、あの時適当に返事してるなってアタシも薄々感じてたはいたけど……。
覚えてない? 10日ぐらい前だけど、パソコンと書類しか見てないアンタの前にキーケースを突き出して、ちょっと作るから借りるわよって」
「…………………………あ」
確か提出書類にかかりつけになっていた頃だったはず。
突然作業の邪魔をするようにスカーレットが目の前にキーケースを突き出してきた。
てっきり「少しは休みなさい」「アタシを見るのがアンタの仕事でしょ!」と怒られるのかと身構えていたら、スカーレットが変なコトを言い出した。
その時は(何かを)作る(のにアンタの車に置きっぱなしの物が必要だ)から(車のカギを)借りるわよと受け取ったんだ。
「いや……まさか、合鍵を作るために借りるとは思ってなくて」
「説得が必要だと思ってたから拍子抜けしたわ」
くすくす笑うスカーレットを見ていると、嬉しそうだしカギはこのままでいいんじゃないかと思えてきた。
合鍵を持っていても、スカーレットが悪さをするはずがないのだから。 - 8◆SbXzuGhlwpak25/10/12(日) 13:38:23
「しかしスカーレット。
どうして合鍵なんて作ったんだ?」
とはいえ、それは動機しだいだ。
ちゃんとした理由がないのなら取り上げなければと、やや語気を強くして詰問する。
スカーレットの反応はというと──
「は?」
本当に不機嫌で、怒っている時のモノであった。
「ねえ、トレーナー。
今朝は何時に起きて、何を食べたか教えてくれる?」
「く、9時ぐらいに起きて、バナナと牛乳……」
「9時起きはいいわ。日曜日なんだもの。
朝食を軽く済ませたのもいいわ。
……で、今こうして早めの夕食をとっているけど、どうせそれまで何も食べてないんでしょ?」
「……まあ、うん」
料理をしたというコトは、冷蔵庫とゴミ箱の中を見られたというわけなので隠しようがない。
改めて中学生の教え子に指摘されると、休日とはいえマズいように思えてきた。 - 9◆SbXzuGhlwpak25/10/12(日) 13:40:11
「そのうえ夕方まで昼寝? 体内時計が狂っちゃうじゃない。
そんなコトがわからないトレーナーじゃないのにそんなコトをしたのは、どうしようもなく普段の仕事で疲れがたまってたからでしょ」
きっと前々から俺の体調を心配していたのだろう。
その心配がスカーレットに合鍵を作らせ、予想通りかそれ以上であった俺の醜態を目撃したわけだ。
「すまない。スカーレットのために頑張っていたけど、それで君に心配をかけるようじゃ本末転倒だった」
「わかればよろしい」
気がつけば詰問していた俺が頭を下げ、スカーレットはそれを見て機嫌を直していた。
「アンタが自分よりも私のコンディションを優先してくれるのは、正直言って嬉しいけど──それ以上に腹立たしいの。
だからアタシの精神衛生のために、いつでもアンタの様子を見れるカギはこのままね♪」
そう言いながらスカーレットは、合鍵のついたキーホルダーを楽しそうに、そして自慢げに指で回して見せるのであった── - 10◆SbXzuGhlwpak25/10/12(日) 13:42:32
※ ※ ※
「──というコトがあったんだ。
それからというもの、スカーレットは週1のペースでやってきて、夕食と翌朝の作り置きをするようになってしまった」
「へえ、アイツが俺に料理を教えてって何事かと思ったら、トレーナーのためだったんだ」
「スカーレットはまだ学生なのに、こんな……かよ」
「ん、かよ?」
「……何でもない」
思わず通い妻と言いかけて、あんまりな表現だと思いとどまる。
「とにかく、こういうコトがあったんだ。
ウオッカも怖いって思わないか?」
こんな悩みは、なかなか相談できるモノではない。
同僚に相談すれば、まだ中学生の教え子に手を出したと勘違いされ通報されかねない。
そこまではいかなくても、あの優等生スカーレットの優しさに甘えてしまっていると軽蔑は避けられないだろう。
だから俺は縋るような気持ちで、スカーレットの押しの強さを知っているウオッカに悩みを打ち明けた。
「怖いって……いや、ビックリはしただろうけど、怖いは言いすぎだろ」
そんな良くて軽蔑、悪ければ通報ものの内容を聞いたウオッカの反応はというと、信じがたいモノであった。
事の深刻さが伝わっていないのだろうか? - 11◆SbXzuGhlwpak25/10/12(日) 13:44:28
「……ウオッカ。年頃の女の子が男の家の合鍵を作り、定期的に通っているんだよ?」
「あー、そう言われたらマズいのはわかるし、アンタの態度もわかるけどさ……それってトレーナーから見たらの話だろ?」
ウオッカは一定の理解を示しながらも、話はそれだけでは終わらないという。
「俺の相棒もそういう所あるけどさ……アンタたちトレーナーは自分のコトは二の次で、俺たち担当のコトばかり考えてるから傍で見ていて心配になったりするんだよ。
スカーレットがいつの間にか合鍵作って部屋に入り込んだのは……まあちょっとやり過ぎかもしんないけど、アイツだってやり過ぎる前に口でアンタの生活を改めさせようとしたんじゃないのか?」
「それは……」
思い当たる節はある。
スカーレットにはよく小言を言われるけど、それはアタシのトレーナーなんだからしっかりしなさいというモノであると同時に、俺を気遣うモノが多い。
合鍵を作るためキーケースを突き出された時に、真っ先に思い浮かんだのは仕事のやり過ぎだと注意されるコトであった。
そのぐらい日常的に働き過ぎだと注意されていたんだ。
スカーレットの行動はやり過ぎではあるけど、それは俺が生活を改めなかったのが原因じゃないか? - 12◆SbXzuGhlwpak25/10/12(日) 13:46:50
「アンタの体調を心配して、家での様子を見つつ栄養たっぷりの食事を用意してるだけじゃないか。
最初はビックリしただろうけど、怖がる必要なんかないって」
「そうかな……そうだな」
面と向かってそう断言されると、ビックリしたのは当然としても怖がるのは失礼なように思えてきた。
「うん、硬派なウオッカがそう言うのなら、間違いないな!」
「ああ、硬派な俺が言うんだから間違いないぜ!」
力強い復唱に、恐怖が消えていくのがわかる。
しかし──
「……でもなウオッカ。怖いコトは他にもあって──」 - 13◆SbXzuGhlwpak25/10/12(日) 13:49:14
※ ※ ※
「前回から気になってたんだけど……このマグカップ」
それは合鍵を認めた翌週のコトだった。
スカーレットは食器棚の一番左上を指さしている。
「…………そのマグカップがどうかしたか?」
スカーレットは不思議そうな──というよりも、極めて確信に近い疑惑を抱いているような様子だったため、ついうわずった声で応じてしまった。
そんな不自然な俺の態度にスカーレットは目を細める。
「不思議だなと思って。この場所には食器が一つだけしか置いてないの。
他のコップは全部右上に置いてあるのに、ここに、マグカップが一つだけ」
「……実用じゃなくて、飾りなんだ」
「ふちが少し欠けてるわよ」
「え、マジか?」
とっさに反応してしまい、スカーレットの勝ち誇った顔を見てハメられたコトに気がつく。
「このピンクの使い古されたマグカップは……昔の女?」
「……悪いかよ」 - 14◆SbXzuGhlwpak25/10/12(日) 13:51:42
既に感づかれていたとはいえ、こうも手玉に取られてはふて腐れるしかなかった。
「悪くないって言ってあげたいけど……これはちょっと未練たらたらじゃない? 振られたの?」
それは形こそ疑問形であったが、既に断定しているかのような口調だった。
彼女とのコトは俺にも言い分があったが──未成年の教え子になんで恋バナをしなきゃならん。
「黙秘権を行使します」
「黙秘権を行使した場合、情けなく振られたモノだと認定します」
「それは横暴だと抗議します」
「元カノの私物を、こんなにも大事に保存しているため証拠は十分だと検察は判断します」
「ぐぬぬ」
「ふふん」
恋バナをするつもりはないが、かといって振られた元カノの私物を未練たらたらで飾っている男だと認定されるのも問題だ。
こちらを哀れむスカーレットの目も腹立たしいし、少しだけ語ってやろう。
「別に振られたわけでも振ったわけでもない。
大学卒業を機に道が分かれてしまって別れる──よくある話だ」 - 15◆SbXzuGhlwpak25/10/12(日) 13:54:29
俺はトレーナー養成機関へ、アイツも地元を離れて県外に就職。
大学で知り合ってから3年近く付き合った関係だった。
周りの友人たちと比べれば長続きした方で、別れるコトになったと二人で説明した時はずいぶんと驚かれた。
「私物は全部引き渡すはずだったのに、そのマグカップだけは『なんかいいや』とか言い出しやがって。
ケンカ別れしたわけでもないから、捨てるのもしまうのもためらってな……ずっとそこに置いている」
「……そうなんだ」
話しているうちに当時の気持ちが蘇り、しんみりとしてしまう。
スカーレットもこんな話を聞かされ、神妙な態度になってしまった。
やっぱり教え子にこんな話は──
「アンタ、まともに恋愛できたのね」
「おいコラ」
やっぱり教え子にこんな話はするもんじゃねえな!! - 16◆SbXzuGhlwpak25/10/12(日) 13:56:15
「デリカシーの欠片もないアンタと3年近く付き合うなんて、きっと聖女みたいな人だったのね。
未練を覚えるのも仕方ないわ」
スカーレットは腕組みをしながらしみじみと頷き始めた。
それは俺の話で重くなった空気を壊すためなんだろうが、本音でもあると俺のスカーレットセンサーが受信している。
「ちなみにね」
「ああ、なんだぁ?」
冷蔵庫から食材を取り出すために俺に背を向けながら、スカーレットはこの話題についてしめた。
「アタシは3年近くで終わる気なんてないからね」 - 17◆SbXzuGhlwpak25/10/12(日) 13:58:33
※ ※ ※
「──というコトがあったんだ。
その1週間後、ピンクのマグカップは左上の手前から奥に位置を変え、元あった場所には真っ赤なマグカップが置かれていたんだ」
「それは……確かに怖えな」
「だろう!? わかってくれるか!」
「だってスカーレットの担当になってもう2年だろ?
トレーナー養成機関も2年だから、4年ぐらい前に別れた彼女の私物をずっと飾ってるのは怖えよ」
「おっと、そっちか」
他人に打ち明けづらいこの恐怖を共有できたと喜べたのは束の間のコト。
指摘されると痛いコトを年下の女の子に真顔で言われちゃったぜ、ハハッ。
「違うんだよウオッカ。
飾ってるんじゃなくて思い出を大切にしてるだけなんだ。
初めて付き合った相手で、楽しいコトも悲しいコトも多すぎるから、下手に触れられずにそのまま棚に置いていただけなんだ」
「怖さに拍車かけんのはやめてくんねーか」 - 18◆SbXzuGhlwpak25/10/12(日) 14:00:51
交際はおろか恋もまだな少女にはこの話は早すぎたのか、ウオッカには珍しくジト目になっている。
ん、でも……改めて思い返すと、ウオッカが同僚を見る目は──
「あれ? 大学卒業してトレーナー養成機関に入る時に引っ越したんじゃねえのか?
その時は元カノのマグカップどうしたんだ?」
「………………………梱包して、引っ越しが終わってから棚の定位置に戻しました」
「うわぁぁぁっ! アウト! 完全にアウトだろそれ!」
脳が警鐘を鳴らしたような気がしたが、ウオッカの悲鳴が遮ってきた。
「と、当時はまだ別れて数週間だったんだ。
仕方ないだろ」
「養成機関の寮からトレセン学園の寮への引っ越しもあっただろ! アウトだアウト!
……たく、そりゃあスカーレットの奴が心配してマグカップ動かすわけだ」
「……心配して?」
考えもしなかったコトを言われて、思わずそのまま口にした。
「元カノがどういう人かは聞いてないけど、良い人だったってのは伝わってくるんだよ。
さらにアンタはその良い人について、大切な思い出として美化までしてる節がある。
で、その良い人が、4年たった今でもフリーだと思うのかよ?」 - 19◆SbXzuGhlwpak25/10/12(日) 14:02:34
それは──極力考えないようにしていたコトだった。
きっともう、他の男と付き合っているはずだ。
それどころか……
「結婚するっていう知らせがいつ来るかわかったもんじゃない。
その時、元カノの私物を後生大事に飾ったままのアンタがどれだけショックを受けるか。
担当ウマ娘としては、そんな目に見えた地雷は処理しとかないと」
「そうかな……そうだな」
いつかは気持ちに整理をつけなければならないと、わかってはいた。
わかっていながら、ずっとマグカップを目に見える場所に置いたままにしていた。
スカーレットはそんな俺を見て、マグカップを壊すでもしまうでもなく、見えづらい場所へと置きなおした。
さらに視線が移らぬようにと、鮮烈な緋色のマグカップを前に置いてくれた。
これは怖がるようなコトではなく、思いやりに感謝するべきコトのように思えてくる。
「うん、硬派なウオッカがそう言うのなら、間違いないな!」
「ああ、硬派な俺が言うんだから間違いないぜ!」
力強い復唱に、恐怖が消えていくのがわかる。
しかし──
「……でもなウオッカ。怖いコトは他にもあって──」 - 20◆SbXzuGhlwpak25/10/12(日) 14:04:31
※ ※ ※
『アンタ、今度の年末は帰ってこれるのね?』
久々にかかってきた母からの電話は、大方予想通りのモノだった。
『夏合宿で盆は帰ってこれないのなら、せめて年末ぐらいは帰んなさいよ』
今年と去年の盆は夏合宿で帰省できず、加えて去年の年末も帰省できなかったコトに相当お冠なようだ。
「まだ年末の話はできないよ」
『有馬記念が終わってひと段落する頃でしょ』
「有馬記念が終わったばかりだからだよ」
順調に行けばスカーレットは有馬記念に出走できる。
問題は出走した後だ。
スカーレットは頑丈とはいえ、負傷しないとは限らない。
出走直後は問題ないように見えても、少し時間がたってから痛みや不調の兆しが見られる可能性もある。
兆しに気がつくのが早ければ早いほど、リカバリーも早くなる。 - 21◆SbXzuGhlwpak25/10/12(日) 14:06:49
──というコトを、そこまでレースに詳しくない母につい熱弁していた時だった。
『ならスカーレットちゃんと一緒に帰省すればいいじゃない』
「はあ?」
生みの親が、狂人の妄言を口にした。
『スカーレットちゃんのご両親、忙しくてなかなか会えないんでしょ?
年末年始も帰省できずに寮にいるなんて可哀想よねえ。
だからアンタが家に連れてきてあげれば、出走後の体調管理もできるし、メンタル面だって寂しくなくて元気いっぱいよ!』
「何言ってんだよ母さん……」
実の息子に、未成年の女子を連れて帰省しろと言い出し始めた。
はて、親戚に司法関係者はいただろうか。
未成年誘拐を教唆する意味を母に教えてもらわなければ。 - 22◆SbXzuGhlwpak25/10/12(日) 14:09:10
「だいたいスカーレットが年末に両親に会えるかどうか、まだ決まってないっての」
嘘である。
スカーレットのスケジュールは数カ月先まで共有している。
有馬記念から年末年始にかけては寮にいる予定だ。
『今のところ無理そうですってあの子言ってたわよ』
「……言ってた?」
『あ』
聞き捨てならないコトを言い出したので確認すると、母はしまったと言わんばかりの反応をする。
「ちょっと母さ──」
『とにかく! 年末はスカーレットちゃんと帰省するように!
お布団はちゃんと用意しておくから心配しないでね、それじゃあ!』
いつの間にスカーレットと連絡を取り合っていたのか。
問い質そうとしたものの、母は一気にまくしたてると電話を切ってしまったのだった── - 23◆SbXzuGhlwpak25/10/12(日) 14:11:01
※ ※ ※
「──というコトがあったんだ。
俺が知らない間に、何で母さんと連絡を……それもけっこう親密になってんだよ」
これは昨日のコトである。
色々とスカーレットに恐怖を覚えてはいたが、相談しようと決心した主な理由はこの電話だ。
あの様子だと電話どころか直接会っている可能性すらある。
「へえ、知らない間に親とねえ」
ふむふむと頷くウオッカ。
今度こそは、今回こそは、それは流石におかしいとウオッカも同意してくれるはずだ!!
「負けず嫌いなアイツらしいなあ」
……何故そこで負けず嫌い? - 24◆SbXzuGhlwpak25/10/12(日) 14:13:37
「……ウオッカ? スカーレットの負けず嫌いと今の話、何か関係あったか?」
「え? だってさ、ウマ娘とトレーナーによっては契約の際に親と面会したりするだろ?」
それは多くはないが、決して少なくもない事例だ。
寮生活で普段会えない娘と、教師や教官以上に近い立場で接するのがトレーナーである。
娘を任せても問題ない相手なのかと心配になり、面会を希望する親は一定数いる。
「トレーナーと会った両親が気に入ってくれたって嬉しそうに話すウマ娘もいるし、アタシもって思ったんじゃないか?
でもアイツの両親は忙しくて面会なんてできないから、だったらアタシがアイツの両親と会って気に入られたらいいじゃない!
……っていう姿が容易に思い浮かぶんだよ」
スカーレットの身振り手振りまでの真似までしながら、ウオッカは説明する。
意外と長い髪と同室だからこそ気づく所作の再現も相まって、一瞬スカーレットが重なって見えた。
確かにスカーレットが展開しそうなロジックと言い方だ。
「流石だなウオッカ。
スカーレット検定1級なだけはある」
「ホメながら貶すんじゃねえよ」 - 25◆SbXzuGhlwpak25/10/12(日) 14:15:34
目を逸らされてしまったけど、その頬は微かに赤くなっている。
やはりスカーレットのコトは、親友であるウオッカに相談して正解だった。
ここ最近の不安と恐怖が、自分の考え過ぎであるコトがわか──
「それで、年末に帰省する時はアイツを連れて帰んのか?」
「……何を言ってるんだウオッカ?」
頼りなるはずの相談相手が、とんでもないコトを言い出した。
こちらをからかっている様子はなく、ちょっと気になったから訊いてみたという軽い感じだ。
「別に口には出さないし、そんな態度も見せねーけどさ。
ただでさえ家族とはあまり会えてないのに、年末年始で人が減った寮にいるってのは結構寂しいモノがあるんじゃないか?
アイツ強情だから絶対認めねーけど」
「そこは俺が──」
「そのためにアンタが帰省せずにトレセンに残るのなら、アイツ喜ぶけどそれ以上に怒るぜ?」
確かにスカーレットは怒りそうだ。
その怒りも、口に出して抗議してくれるのならいい。
もしかすると、自分のせいだと怒りを自分自身に向けかねない。 - 26◆SbXzuGhlwpak25/10/12(日) 14:17:50
「スカーレットを連れてこいって言ってんだから、連れて行きゃいいじゃん。
アイツ外面は良いから親戚から可愛がられるぜ、きっと」
「それだけで済まないんだよ」
スカーレットは内面こそ年相応だが、見た目は女子大生と変わらない。
そんな女の子を実家に連れ帰ったとなると、親戚と近所にどんな誤解を与えるコトか。
「また何か不安に思ってるみてーだけど、さっきまでの不安は全部気のせいだったじゃねーか」
「そうかな……そうだな」
確かにスカーレットが勝手に合鍵を作って俺の部屋に出入りするのも、元カノとの思い出の品をどかして自分専用のマグカップを置いたのも、いつの間にか母と仲良くなっていたのも、全部俺が勝手に怖がっていただけの話だ。
スカーレットを実家に連れて帰れば誤解を招くかもしれないけど、説明すれば解ける程度の誤解にすぎないのでは?
燎原の火のように燃え盛る誤解を警戒したけど、ウオッカが言う通り気のせいなんだろう。 - 27◆SbXzuGhlwpak25/10/12(日) 14:19:21
「うん、硬派なウオッカがそう言うのなら、間違いないな!」
「ああ、硬派な俺が言うんだから間違いないぜ!」
力強い復唱に、恐怖が消えていくのがわかる。
「年末の帰省について、スカーレットと相談してみないと。
ああ、それと色々と誤解したコトも謝りたいな」
「スカーレットなら……確かマーチャンと用事があったはずだから、また今度にした方がいいと思うぜ」
「そうか、色々と相談に乗ってくれてありがとうウオッカ。
今度何かお礼をさせてもらうよ。それじゃあ!」 - 28◆SbXzuGhlwpak25/10/12(日) 14:21:19
一方その頃──
「そうかな……そうだな。
うん、優等生のスカーレットがそう言うのなら、間違いないな!」
「ふふ、優等生は言い過ぎですよ」
謙虚な、しかし確かな自信が込められた微笑みを見て、恐怖が消えていくのがわかる。
「年末の帰省について、ウオッカと相談してみないと。
ああ、それと色々と誤解したコトも謝りたいな」
「ウオッカなら……確かマーチャンと用事があったはずなので、また別の機会にした方がいいかもしれません」
「そうか、色々と相談に乗ってくれてありがとうスカーレット。
今度何かお礼をさせてもらうよ。それじゃあ!」
こうしてスカーレットとウオッカは、年末年始にお義母様とお義父様に挨拶できるコトになったのです。
演技が苦手なウオッカの読み合わせに付き合ったかいがありました。
……え、マーちゃんですか?
ふふ、マーちゃんはトレーナーさんに怖がられたりしないので、必要ないのです。
だってトレーナーさんは、わたし専用のレンズですから♪
~おしまい~ - 29◆SbXzuGhlwpak25/10/12(日) 14:22:39
最後まで読んでいただきありがとうございました。
最近がっつりスティルに浮気していたので、初心に帰ってダスカメインを書きました。
次に書くかもしれないSS
①アルヴ「間違った愛は!」ブラザー仮面(童貞)「俺たちが正す!」
②坊が童貞だと知って怒り狂うイナリワン
③ブルボンに社会的に殺される黒沼トレーナー
④ネイチャへの恋心を自覚したネイトレが、この想いを墓場まで持っていこうとする話
【SSの動画化について】
先月投稿したSSがYouTubeで改ざんされた状態で動画化されました。
【SS】スティルトレ「俺が巨乳好きだったせいで……スティルが……っ!」|あにまん掲示板 どうして俺は巨乳好きなんだろう。思わずそう自問自答する。 続いて俺が巨乳好きでさえなければ、こんな事態にはならなかったのにと頭を抱える。 その一方で、巨乳が好きで何が悪いのかという反発心も無くはなか…bbs.animanch.com動画についてはYouTubeが著作権を認めてくれたため削除済みです。
動画化を希望する場合は事前にpixivで連絡してください。
おきてがみ(黒歴史)これまで◆SbXzuGhlwpakのトリップで某SS投稿掲示板に投稿していました。投稿した内容はモバマス中心に、たまにシンフォギアとオリジナル。
今後はpixivでも活動します。
よろしくお願いいたします。www.pixiv.netpixivのアカウントが無い方は、該当SSのスレッドが落ちる前に「〇〇チャンネルで動画化を検討中」と書き込んでください。
動画化されたらpixivからリンクを貼って自慢させてもらいます。
- 30◆SbXzuGhlwpak25/10/12(日) 14:24:12
あにまんでのおきてがみ(黒歴史)
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あのウオッカがそんな丸め込むようなこと言うか...?と思ったら共謀だったのかぁ!!!
そして安定のマートレよ - 32二次元好きの匿名さん25/10/12(日) 14:44:24
マートレはSAN値0だから必要ないもんな
- 33二次元好きの匿名さん25/10/12(日) 16:13:43
俺はウオダスマーの三人がこわいよ
- 34二次元好きの匿名さん25/10/12(日) 16:19:23
誰かもう一人位中和できそうな同世代を生やさないと…
え。この濃さを薄められるのってどんなのだ - 35二次元好きの匿名さん25/10/12(日) 17:36:26
ドリジャとフリオーソ何とかしてくれ…
- 36二次元好きの匿名さん25/10/12(日) 18:36:47
ドリジャが加わったらさらに綿密な陰謀になっちゃうだろ!
- 37二次元好きの匿名さん25/10/12(日) 19:18:42
ダメだトレーナーを囲い込んだやつと物語開始時点でトレウマがスタートダッシュ決め込むやつしかいねぇ
- 38二次元好きの匿名さん25/10/12(日) 19:49:01
そういやウマ娘世界の拍車ってどんなだ…?
- 39二次元好きの匿名さん25/10/12(日) 20:48:49
拍車:乗馬靴のかかとに取り付ける金具。馬の腹に刺激を与えて速度を加減する。ふつう歯車付きで馬体を傷めないようになっている。
うまぴょいグッズだこれ!? - 40二次元好きの匿名さん25/10/12(日) 21:21:30
これが策士の07世代ですか…
- 41二次元好きの匿名さん25/10/12(日) 21:55:02
面白かった、「ああ、硬派な俺が言うんだから間違いないぜ!」が最初に出た >>12 辺りから何となく察してしまってまだ笑うな…みたいな気持ちで読んだわ
これはある程度互いのエミュが出来るうえでそれっぽい説得論を付けられるこの2人だからできた作戦ですね
- 42二次元好きの匿名さん25/10/12(日) 22:26:29
共同戦線というか共謀してるのか
巧妙と言えば巧妙だけど、ダスカトレが桐生院とかに相談したらまぁまぁ破綻しそうな策なのが学生らしい詰めの甘さな気がする - 43二次元好きの匿名さん25/10/13(月) 02:26:34
ウマ娘的にはだいぶ叡智な体位じゃない?