星屑の流れに願いを込めて

  • 1二次元好きの匿名さん22/07/10(日) 20:30:57

     ファインモーションとの三度目の夏合宿が始まって間もなく。秋川理事長の計らいで笹が用意されたと聞いて、生徒たちは一斉に色めき立つ。夕食を終えるや否や、各々は短冊に願いを握りしめて飛び出していった。その波を眺めていると、自分も色々な夢を託したなあ、と幼い頃が思い起こされた。
     がらんとした宿舎を歩く。日中も人はほとんど出払っているのだろうが、夜の静かな建物というのはなかなかに趣深い。そんなことを思っていると、談話室から漏れ出る光に気がついた。残っている子も居るものなのか。声をかけてみようと思い扉を開くと、見慣れた鹿毛と対の耳飾りが目に入ってきた。

    「あれ、ファイン?」
    「まあ、トレーナー。ごきげんよう」

     顔を上げて応えるファイン。その手では折り紙と格闘しているようで。

    「それは……七夕飾りかな?」
    「ご名答! さっき上手に折れたものもあるんだ~」

     テーブルを見ると、色とりどりの作品が転がっていた。鶴に提灯、吹き流しまで、ずいぶんとたくさん作ったものだ。

    「全部一人で折ったの?」
    「ええ。楽しくてつい、ね」

     えへへ、とにこにこしながらも、その手を休めることはない。ちらり、と目配せをされて、彼女の隣に腰かけた。

    「今年の合宿も楽しめてる?」
    「もちろん! それに、オフの日の計画も立ててあるんだ~」
    「ラーメン屋は去年に全部巡ったけど?」
    「それがね、なんと新作を発売したみたいなの!」

     食べる機会があってよかったな~、と楽しげな様子の彼女。日本に戻ってくることがなければ、口にする機会は無かっただろう。
     今でも鮮明に思い起こされる別れと再会。あまり考えないようにはしていたが、いつか彼女の大使の任も解かれる日がやってくる。その時、自分はまた笑顔で彼女を送り出すことができるのだろうか。
     二人きりの一室。ファインの鼻歌と、遠くには生徒たちの楽しそうな声が薄っすらと聞こえてくる。これまでの思考を切り替えるように首を振り、そうだ、と声をかけた。

    「七夕といえば、織姫と彦星の伝説は知ってる?」
    「ええ。出会ってから仲睦まじく暮らしていた二人だけれど、神様の怒りを買って天の川を挟んだ離れ離れになってしまったのでしょう?」
    「そうそう。それで、神様は落ち込んでいる二人を見て不憫に思って、年に一度だけ橋を架けて逢えるようにした、ってお話ね」

  • 2二次元好きの匿名さん22/07/10(日) 20:31:48

     ファインは手を休めて、あごに指を当てて首をひねる。話が十分伝わっていなかったのだろうか。と、彼女は顔の傾きを戻して、普段の柔らかな表情のまま、一方でどこか達観したような口ぶりで問いかける。

    「……そのお話はさ、ほとんどの人は悲しいお話として認識しているんだよね」
    「まあ、そうだね」
    「うーん…… 私はあまり、そうは受け取れないかな」

     彼女の手は再び折り紙へと向かう。端を揃えて、折り目をつけて、まっすぐに折り畳む。機械のような正確さが見て取れた。

    「だって、二人は責務を忘れてしまったのでしょう? 牛飼いのお仕事も、機織りも二の次にして、二人の時間に現を抜かしていたのだから」

     ファインは手元を向いたまま、感情が乗っているのか不確かな声で語る。おとぎ話を前向きに受け取る彼女なのだから、この伝説にも心を寄り添わせるものかと思っていた。

    「……手厳しい意見だね」
    「あら、そうかしら。為すべきことを放り出してしまったのだから、裁きに遭っても仕方のないことだと思うのだけれど」

     さも当然かのように発せられる言葉の節々からは、彼女の立場を感じずにはいられなかった。

    「……ファインからしたら、そう考えるのも無理はないか」
    「私はいつか国を背負うお姫さまですもの。……いつだって使命と責務を忘れることはありません」

     彼女は自身に流れる血の重さを理解し、それに殉じることを望んでいる。使命を天秤の片方に載せたのなら、その他全てを反対に載せたとしても釣り合うのかはわからない。

    「短冊にはね、民の安寧と祖国の繁栄を願ったの」
    「ファインらしいね」
    「お友達にも言われたの。『ファインちゃんはいつもファインちゃんだね』って」

     ここでの“らしさ”は、お姫さまとしての一面。しかし、それ以前に彼女はまだ年端もいかない少女なのに。次にかける言葉に悩んでいると、ファインの手元では一羽が折り上がっていた。お手製の鶴をつまんで、彼女は立ち上がった。これまでに拵えた飾りの数々を袋にまとめて、手渡してくる。

    「さあ、せっかく用意したんですもの。飾りに行きましょうか」

  • 3二次元好きの匿名さん22/07/10(日) 20:32:56

     都会よりはましに感じるものの、夏は夏。海辺とはいえ夜になっても肌に張り付くような暑さは残っている。隣を歩くファインは涼しげにしていて、思わず横顔を眺めていると、微笑んで目線を返してきた。
     設置場所にたどり着くと、既に人々は去った後だった。笹には所狭しと短冊がひしめいている。『G1制覇』、『怪我なく走りきる』、『ライバルには負けない』。それぞれの願いがなびいている。
     預かった袋を差し出すと、ファインは用意した飾りをてきぱきと吊るしていく。金銀に紅白と、短冊に彩られた枝がいっそう華やかになっていく。そして、彼女が願いを書いた長方形が吊るされた。
     彼女はその短冊を眺めると、指先でそれを撫でた。

    『祖国の繁栄、民は安らかに』

     “ファインモーション”の願いが星の光を弾く。彼女は光の元へと――宙へと頭を向けた。

    「……さっきは織姫と彦星に少し冷たいようなことを言ったけれど、一人の女の子としてはかわいそうに思ったりもするよ」

     ファインにつられて同じように天を見上げた。遮るものは何ひとつなく、深い深い夜空。星屑のうねりが一団となって流れを形作っている。川を挟んでいるのはベガとアルタイル。改めて星空を眺めるのは久しぶりで、一段と輝いて見えた。

    「……愛する人と年に一度しか会えないなんて、やっぱり寂しいもの」

     ファインの声色に弱さを感じて首を横に向けると、いつの間にか視線はこちらへ向けられていた。見上げてくる両目に意識を捉えられる。

    「……キミは私がいつか祖国に帰ってしまっても、会いに来てくれる?」

  • 4二次元好きの匿名さん22/07/10(日) 20:34:04

     双眸の裏に彼女は何を思うのだろうか。射すくめるような眼差しに、喉の奥が詰まる。先刻の悩みが顔を出す。今度こそ国へ帰ってしまったら、日本を訪れる機会はほとんど無くなるのだろう。いま、目の前に居るアイルランドのお姫さまは新聞やニュース上での存在になる。それが本来のあるべき姿であり、あるべき場所に戻るということなのだ。
     それでも、それでも。決意をもって拳を握る。覚悟なんてとうに決めたではないか。どれだけの責任が肩にのしかかっても、「新たな使命を共に果たしたい」とまで伝えてくれた彼女に応えるのは、これしかない。

    「当然だよ。たった9000kmしか離れていないんだから、年に一度と言わず何度だって」

     天の川に比べたら、同じ星の上なのだからわずかな距離。それに――

    「――それに、君こそがアイルランドと日本を繋ぐ橋そのものなんだから、いつでも会えるじゃないか」

     向けられた瞳の奥がきらめいた気がした。鹿毛の耳がピンと立てられて、表情が緩んでいく。彼女の両手が腕に絡められた。

    「……ええ! 使命はキミと一緒に果たすのだから、私とキミで二国を繋ぐ架け橋だねっ」

     抱かれた腕に頬が擦り付けられる。空いた手で頭を撫でると、ファインは伸びをするように目を閉じた。切り揃えられたしっぽが、足に巻き付けられた。
     やがてファインは腕から離れると、何かを求めるように手のひらをなぞってきた。それに応えて、指先を捕まえて握りしめた。

    「さあ、戻りましょうか。明日も朝は早いのでしょう?」
    「ああ。そろそろ体も慣れてきただろうし、負荷を上げていこうと思ってるよ」
    「ビシバシご指導のほど、よろしくお願いいたします♪」

     満天の星空の下、宿舎へ戻るわずかな時間。お互いに手を結んで、いつもよりゆっくり歩いていく。時折顔を見合わせながら、かけがえのない時間を噛み締める。

     皆の願いが夜風に揺れる。一筋、光が流れていった。

  • 5二次元好きの匿名さん22/07/10(日) 21:06:53

    しっとりしてる…
    良いもん見たわ

  • 6二次元好きの匿名さん22/07/10(日) 21:07:27

    前作

    ――きっと、これは夢。|あにまん掲示板 目を開いた瞬間、現実に引き戻されたかのような感覚に包まれた。 正面にあるのは鏡。そこに映る私は、きっとこれまでのどの瞬間よりも幸せに満ちた顔をしている。 レースの耳飾り、ケルティック・ノットのベール…bbs.animanch.com

    織姫と天の川と聞いたら書かなければならないと思い立って急いで書きました(遅刻)

    一番書きたかったのは「ファインは織姫と彦星に対して手放しで同情はしないだろう」ということです

    しかしまあトレーナー視点で書くのが本当に難しい

  • 7二次元好きの匿名さん22/07/10(日) 21:08:45

    美しい…

  • 8二次元好きの匿名さん22/07/10(日) 21:11:40

    しっとりして美しいSSはいくらあっても良いものだ…
    やっぱりファインはそういうのが似合う

  • 9122/07/10(日) 22:10:08

    あ、あともうひとつだけ
    9000kmというのは東京―ダブリン間の直線距離です
    この表現どこかで使いたいなーって温めてたけど腐りそうだったので今使っちゃいました

  • 10二次元好きの匿名さん22/07/10(日) 22:58:43

    ラーメン大好きファインちゃんもいいけど、こういう何とも心に来る殿下も良いものだ…

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