【SS】勝利と友情と夢【オリジナル】

  • 1パルフェ軍曹21/11/27(土) 20:42:03

    ・SSを書きます。
    ・地の文があるタイプの奴です。
    ・オリジナルウマ娘が出るタイプの奴です。
    ・途中までしか書き溜めていません。
    ・最後はハッピーエンドになります。
    ・やったね。

  • 2パルフェ軍曹21/11/27(土) 20:44:13

    多くのウマ娘が、レースでの勝利に憧れる。
    仲の良いあの子よりも、速く。
    仲の悪いあいつよりも、速く。
    世界中の、歴史の中のどのウマ娘よりも、速く駆ける。
    そんな、あらゆるウマ娘が持つ願望……己の速さの証明に、憧れるのだ。

  • 3パルフェ軍曹21/11/27(土) 20:44:58

    ……そして、ここに事実が一つ。
    平均的には九人から、多くは十八人。そんな人数が入り乱れるレースで、たった一人にしか与えられない勝利の栄光。それは簡単に手に入れられる物ではないということ。
    どれだけ足が速くとも、どれだけ力が強くとも。天候やバ場状態、季節、コンディション、他のウマ娘の動向……あらゆる要素が、レースを不確実なものにしてしまう。

  • 4パルフェ軍曹21/11/27(土) 20:45:58

    そして、ここに事実がもう一つ。
    平均的には九人から、多くは十八人。そんな人数が入り乱れるレースで、たった一人にしか与えられない勝利の栄光──

    『一着はルーンライブラリ! アタマ差で差し切っての勝利です!』

    それを手に入れるのは、そう難しくはないということ。

  • 5パルフェ軍曹21/11/27(土) 20:47:22

    ウィニングライブを終えた私は、控室へと帰る途上の地下通路で数人の記者に囲まれた。
    皆『勝者』からの言葉を求めている。お互い慣れたもので、インタビューはスムーズに始まる。
    「今回のレースを振り返って……」
    「自分のペースでレースを運べました。良バ場だったのも幸運でしたね」
    「差し戦法を使われている理由をお聞かせください」
    「コース全体やバ群を観察するのに適した方法だからです」
    「この勝利を誰に伝えたいですか?」
    「まずはファンの皆様、それから故郷にいる両親と妹に」
    通り一遍の受け答えを済ませ、その場を立ち去ろうとする……振り向いた背後から、もう一つ質問が投げられる。

    「これでプレオープンを三連勝という事になりますが、ここからG3などの重賞に挑まれる予定は?」

  • 6パルフェ軍曹21/11/27(土) 20:48:24

    ため息は、心の中だけに押し留めた。予想は出来ていたからだ。記者の方に向き直ることも歩みを止めることも無く、答えだけを置いておく。
    「重賞への挑戦は、現状考えていません」
    「しかし非重賞レースへの参加は今回で八回目ですが、他のウマ娘たちには──」
    「……申し訳ありません! ルーンライブラリのトレーナーです、取材は以上で、他の質問がございましたら学園を通してお願いします!」
    通路の向こう側から駆けてきた男性が、慌てて静止に入る。俄かに騒がしくなった彼らを尻目に、私はトレーナーと共に控室へと進んで行った。

  • 7パルフェ軍曹21/11/27(土) 20:49:04

    「すみません……もっと早く、迎えに行くべきでした」
    「構いません。来てくださってありがとうございました」
    「……」
    トレーナーは何か言いたげな素振りだったが、その前に控室に辿り着いてしまった。
    「では、着替えてきます。すぐに戻ります」
    「あ……はい。僕は選手用通用口まで車を回してきますね……」
    ぎこちない態度のトレーナーを見送って、控室の扉を開ける。
    「よ、お疲れ」
    控室の鏡台の前に、一人のウマ娘が座っていた。夜空のような黒い髪が跳ね、二つの黒い瞳で見据えて笑いかけてくる。

  • 8パルフェ軍曹21/11/27(土) 20:49:45

    「服、そこに畳んどいたから。ちゃちゃっと着替えて帰ろ」
    「ありがとうございます、ネロ」
    「良いって事よ」
    彼女の名前は《ネーロペンティート》。私と同じ中央所属……トレセン学園に通う生徒で、私の唯一のチームメイトである。
    チームを結成してからもうすぐ一年になろうかという付き合いで、それなりに気の置けない相手。言動は軽薄にも思えるが、その実思慮深い性格の持ち主だ。
    「しかしルーン、今回は差し切りギリギリだったねえ。もしかしてヤバかった?」
    「いえ、概ね計算通りでした。今回は逃げが多く差しが少ない、あのタイミングでバ群を抜ければ勝てると」
    「だろーね、言ってみただけ。毎回完璧なタイミングで出てくるんだもんな、私にはとても真似出来ないなあ」
    さして濡れていない体操服を脱ぎ、学友との雑談に耽ることの出来るこのひとときが、私はレースに関わる時間の中で一番好きだ。

  • 9パルフェ軍曹21/11/27(土) 20:51:42

    「ところで、控室まで着くのに随分手間取ったみたいだけど。三連勝の祝辞でも貰ってたのかな」
    「まあ、そんなところです」
    尋ねる彼女も、返す私も、そんなことは在り得ないと分かっている。

    私達のチームは、今まで出場したレースにおいて高い勝率を誇っている。一着を外したのは二、三回、掲示板を外したのは零回。
    そう、レースで勝つことは簡単なこと。考え方の順序を変えてしまえば。
    『出たレースに確実に勝つ』のは難しくとも、『確実に勝てるであろうレースに出る』ことならば、遥かに容易い。
    それが私達、《エンハンブレ》のやり方だった。
    そしてその結果、確かな実績と……それなりの悪評を打ち立てたのだ。

  • 10パルフェ軍曹21/11/27(土) 20:52:03

    「……若駒の時の焦りよう、今思い出しても笑えるな。普段冷静なルーンがあんなことなるなんて」
    「仕方がないでしょう……オープンにあんな人が参加するなんて予想できませんでした」
    「確か……すぐに出走取消、したんですね。あの時は確かにびっくりしました……」
    トレセンに在籍するウマ娘の多くは、トレーナーを付け、デビュー戦または未勝利戦で勝利すると、トゥインクルシリーズへの挑戦を始め、プレオープンやオープンと呼ばれるレースに出場する。
    理由の一つはファンを付けるため。レースとライブは即ち客商売、ファンが付くことは実績になるだけではなく、一部のレースに出走するための条件にもなっている。
    二つ目には実戦経験を積むため。座学やトレーニングも重要だが、本番の空気に呑まれてしまっては実力の半分も発揮できない。非重賞レースはこれらの目的のために走られ……逆に言えば、これらの目的のため以外に走られることは少ない。
    目標とされるのはそれより格上のレース……G3、G2、そしてG1。中央のG1レースとは即ち最高峰、そこでの勝利はその分野での最強の一角に立つことを意味する。多くのウマ娘が憧れるところだ。
    生徒として中央に居られる時間は限られている。だから非重賞レースは早めに切り上げ、重賞路線で更なる経験を積み、目標とするレースで勝利する……これが、たいていの生徒が辿ろうとする道。

  • 11パルフェ軍曹21/11/27(土) 20:52:47

    しかし、非重賞と重賞との間には途方もない差が存在するのだ。実力だけでは勝てない。運だけでも勝てない。多くのウマ娘が、目標とするレース、或いはそれ以前の重賞に勝利できずに選手としての人生を終える……そんな話は余りにありふれている。
    だが逆に言えば、非重賞レースには経験の薄いウマ娘ばかりが集まるということ。つまりある程度の実力があれば、そこで勝つことは容易いのだ。
    「そう言えば、もうすぐですね。あの……新入生が、チームに入り始める頃です」
    「あー、ね。うちには来るかな?」
    「どうでしょうかね」
    答えの分かり切った掛け合いをしながら、チームを乗せた車は高速道路を走る。
    ウマ娘が夢を叶えるための登竜門、非重賞レース……G3で善戦くらいは出来るであろう実力はありながらそこに居座る私たちは、ひいき目に見ても歓迎されてはいない。
    だが、エンハンブレにも、それなりの事情があるのだった。上を目指すよりも確実な勝利を優先するだけの、ちょっとした事情が。

  • 12パルフェ軍曹21/11/27(土) 20:53:14

    トレーニングを終えた昼下がり。ネロは机に身体を投げ出してとろけていた。
    「暇だねえ……」
    普段なら昼食を食べた後トレーニングを再開するのだが、今日は二人、部室での待機。
    理由は、この時期から新入生のチームへの参加が活発になるため……参加か、或いは見学希望か、いずれにせよ新入生がやって来た時に備え、誰かが部室に残っておく必要がある。
    「ポスターは貼ったんだっけ?」
    「一応は。正門前と校内の掲示板に一枚ずつ」
    何もしないわけにもいかなかったので、手書きの宣伝ポスターを用意していた。
    とはいえ、やったのはそれだけ。今も正門の方から聴こえてくる歓声は、多くのチームが勧誘スクラムを組んでいるものだと思われるが、そういう予定は私達には無かった。

  • 13パルフェ軍曹21/11/27(土) 20:54:09

    「まあ、元々私達二人だけでやりたいことやる為に作った場所だしね」
    「そうですね。……トレーナーには、少し申し訳ないですが」
    「ああ……」
    彼だけは、年度引継ぎの手続きやその他の書類仕事で席を外している。
    チームを結成したかったがトレーナーを見つけられなかった私達と、担当ウマ娘の居なかった彼……利害の一致からここまでやって来たが、彼の頑張りがチームの存続という形で報われるのは難しいだろう。
    「メンバー二人、実績は非重賞ばかり。こんなチームにわざわざ入るなんて、よっぽどの変人ウマ娘──」
    「すみませ~~ん!!!!!!」
    ネロは机からずり落ちかけてこけた。

  • 14パルフェ軍曹21/11/27(土) 20:54:34

    戸の開く音。明らかにトレーナーのものではない溌溂とした声。
    「ここ、ここがチーム・エンハンブレの部室だって聞いたんですけど! 合ってますか!」
    「おわ、おわあ……」
    新入生がここにやって来るのがそこまで予想外だったらしく、ネロはよく分からない呻き声を上げながら慌てて立ち上がろうとしていた。
    だが、私の方は声を出すことすら出来なかった。余りの衝撃のため……それも、彼女のものとは性質が違う。
    私達の部室に入ってきた闖入者……そちらに目を向けて、認識して、一瞬何も考えられなくなってしまったのだ。そこに立っていたのは、恐らく先ほどから元気な声を出しているのであろう鹿毛のウマ娘と、その後ろに隠れるように、小さな葦毛のウマ娘……
    「え、えっと、確かにここ、エンハンブレだけど。キミはアレかな、新入生、そんでもってもしかして──」
    「──シール?」
    チームメンバーが必死で組み立てた言葉を遮って、声が口から漏れる。
    それに応えるように、葦毛の少女がその姿を露わにした。

  • 15パルフェ軍曹21/11/27(土) 20:54:47

    「……シール、なんですか?」
    「ルーンお姉ちゃん……やっぱりここに、いたんだ」
    「えっと? はいっ! 私達ここに入らせてもらいたくって」
    「あー、オーケー」
    尻尾をだらりと垂らした黒髪が、大きな声を出してその場を鎮める。
    「一旦、整理させて?」

  • 16パルフェ軍曹21/11/27(土) 20:54:59

    急遽一人分の椅子を新しく用意したのち、私達四人は部室の机を囲んでいた。
    部室に突如現れた二人のウマ娘……そのうち葦毛の少女は、私のよくよく見知った人物。
    「……それじゃ君、妹なの? ルーンの?」
    「はい、わたし……シールライブラリと、言います」
    「……妹です」
    一年前に私がトレセンに入学した際、故郷に置いてきた妹。
    私と同じ銀色の髪、伏し目がちな藍色の瞳、自信なさげに震える声。多少の違いこそあれ、私の記憶にあるシールのもので間違いなかった。

  • 17パルフェ軍曹21/11/27(土) 20:55:18

    「私は……貴方がトレセンに来るなんて、聞いていませんでした」
    「ご、ごめんなさい。手紙出す勇気、無くって……」
    「……取り敢えず、積もる話は後に回してもらおうか。二人きりの方が良い事もあるだろうし……」
    ため息混じりにそう言ったネロは、今度は自分の向かい側に座る鹿毛を見やる。
    彼女は私達三人の話に熱心に耳を傾け、相槌を打っている……訳ではなさそうだった。どう見ても舟を漕いでいる。
    「おーい」
    「……」
    少し近い位置から呼びかけられた彼女は、ゆるゆると目を開くと……
    「はい! 私、エマティノスカタラって言います! エマって呼んで欲しいです! 是非エンハンブレに入れてもらいたいです!」
    「そっこーで切り替えられるのは、中々のメンタルだね」
    皮肉ではなく心の底から感心したように言うネロ。心の底から照れたように笑うエマ。

  • 18パルフェ軍曹21/11/27(土) 20:55:47

    「シールちゃんがうちに来るってのは、まだ分からなくもない……けど、キミはどういう理由で、ここに? その……あえて」
    「あえてなんて、とんでもない。私、色んなチームのデータをしっかり確かめて来たんです」
    首を勢いよく横に振って、断言してのける。それならば尚のこと、何故?
    「このチーム、出るレース出るレース勝ちまくっていたので! 全チームの中で最強だったので!」
    ネロはむせた。私は頭を抱えた。シールも心なしか信じられない物を見る目をしている。その様子を見るに、ここの実績を理解していないのはこの場でエマただ一人のようだった。
    「私も、先輩みたいに強くなりたい……その一心で、ここまで来ました!」
    「意気込みは満点だね……」
    歯切れの悪くなった声色から、彼女の精神に限界が近づいていると察した私は、夢溢れる少女の対応を代わることにする。
    椅子を傾けて彼女に向き合い、尋ねた。
    「強く、と言いますが……具体的な目標などはありますか?」
    「はいっ! 私、どーうしても勝ちたいレースがあるんです!」
    「勝ちたいレース?」
    「ユングヴィステークス! です!」
    ユングヴィステークス。その名を聞いて、部室内の空気が少しだけ引き締まるのを感じた。先程まで純粋な笑顔を浮かべていたエマも、その名前を発すると真剣そのものの表情になっている。

  • 19パルフェ軍曹21/11/27(土) 20:56:11

    「私は絶対中央に行って、絶対ユングヴィステークスに出て、絶対勝つって決めたんです。そのために頑張って来たんです」
    彼女が口にしているのは、そうやって人生の目標に掲げられていても納得できる……そのくらいの重さを持つレースだ。
    中距離芝2000、王道のバ場を採用しているのは勿論、とかく歴史が長いことが特徴。ここでの勝利が、ただの勝利以上の意味を持つ、というウマ娘をそれなりに見かける。
    当然、目標にされやすいという事は、実力のあるウマ娘が集いやすいという事。何より、ユングヴィステークスは……
    「G2、ですか」
    私達が一度も出たことのない、重賞の高みにあるレースの一つなのだ。
    「なるほどねえ……」
    彼女の話を聞いたネロは、難しい顔をして黙り込んでしまった。

  • 20パルフェ軍曹21/11/27(土) 20:56:29

    口では期待していない風に言っていたが、このまま二人きりでいるとエンハンブレは解散してしまうのは明らかだった。入部希望者が来たのなら──例え何もかもを勘違いしていたとしても──歓迎するべき。それは、私にも彼女にも分かっていた。
    しかし、目標が重賞となれば。非重賞レースにしか出たことのない私達のチームに迎え入れて、大丈夫なのか?
    「……そうだ。シールちゃんはさ、どうしてここに?」
    「わたし、わたしは、ただ……お姉ちゃんと、走りたくて。だから、ここに入らせてほしい、です……どんなチームでも」
    「……」
    そう言う妹の眼は、真っ直ぐと私を見据えていた。今まで見たことのないほどの強さを秘めた眼で。

  • 21パルフェ軍曹21/11/27(土) 20:59:06

    私はそれを聞いて尚も悩んでいたが、ネロは「そっか」と短く呟くと、勢いよく椅子に座りなおし、
    「オッケー! 決めた。キミら二人とも、今日からうちのメンバーってことで!」
    「……!」「本当ですか! やったあー!」
    あっさりとそう言ってしまった。二人はそれぞれの方法で喜びを表現する。
    「ネロ」
    「トレーナーは止めやしないでしょ」
    「……」
    「それに……別にここに入ったからって重賞に出られなくなるわけじゃ無い」
    私が何か言おうとするより先に、ネロは言い放つ。喜びのままはしゃぎまわるエマと、彼女に手を掴まれて巻き込まれているシールを横目に見ながら、彼女はいつになく真剣な声色だった。

  • 22パルフェ軍曹21/11/27(土) 20:59:20

    「それに、言っちゃなんだけど私たち二人ともそれなりに実力はある方だし……他のチームには無い経験も、提供できる」
    「……非重賞、ですか」
    非重賞を勝てないようでは、中央でやっていくこと自体が正直言って論外。そしてその『論』の前に、毎年多くのウマ娘が挫折する。最低グレードのレースとはいえ、それは中央という上澄みに準拠した話でしかないのだ。
    そして私たち二人には、ノウハウがあった。普通では考えられない程の、非重賞レースの経験が。
    「ルーンもさ、別にここが無くなって欲しいわけじゃないんでしょ?」
    「……そうですね。出たいレースに出るには、ここが一番ですから。メリットがあります」
    「素直じゃないなあ。本心でもあるんだろうけどさ」
    未だに喜んでいる二人を見ながら、私達は少しだけ、笑った。

    思えば、この日、この時だった。
    私達の人生、その物語が、大きな転換点を迎えたのは……

  • 23パルフェ軍曹21/11/27(土) 21:02:14

    「──3分18秒!」
    コースにトレーナーの声が響いた。
    新たなメンバーを迎え入れてから二週間。新入生二人は、来たるべきデビュー戦に向けてトレーニングに打ち込んでいる。
    現在は王道の中距離、2500mのタイムの計測が終了したところだ。鹿毛の少女が先にゴールし、その後僅かに遅れて葦毛の少女が走り終える。
    「だいぶ仕上がって来たね、二人とも」
    あの時の会話に一人だけ参加していなかったトレーナーも、思いもよらぬ新人の登場を諸手を挙げて歓迎し、恙なくチームに迎え入れることが決まった。

  • 24パルフェ軍曹21/11/27(土) 21:03:00

    その後、道義的責任として二人にはこのチームの『勝利の秘訣』を改めて伝えはしたのだが……理解して入ってきたシールは勿論、エマも特に気にした風は無かった。
    『よく分かんないけど、やっぱりレースで勝ち続けるってのは凄いことだと思います!!』
    本当に理解しているかどうかは怪しい所だが……しかし、彼女の言う事にも理はある。重賞で勝つのが難しいのは当然として、非重賞に出ていれば絶対に勝てる、というわけでも無いからだ。
    私達の実績を支えるのは、デビュー戦から続く非重賞に特化したレース経験。こと非重賞レースを走ることに関して、エンハンブレには確かな知識の蓄積がある……だからこそ、分かることもあった。
    「ですが、このままデビュー戦を通れるかは五分……といったところですね」
    「……まあねえ」
    レースの様子を見て出た私の呟きに、ネロも同意する。
    彼女たちの走りは、中央レベルで見ても中々のものだ。G2であるユングヴィステークスに出ると豪語していたエマだが、このまま才能を磨いて行けばそれも夢ではないかもしれない。
    しかし、足りない。デビュー戦に出場するウマ娘はどれもまだトレーニングを始めたばかりで、その実力はほぼ横並び。そんな中で勝利を掴み取るのは……結局の所、精神性の問題が大きい。どれだけ自分本来の実力を発揮できるか? その%こそが、本来の実力そのものよりもずっと重要なのだ。一番人気のウマ娘すら、出遅れや掛かりなどの要因で容易く掲示板外に転げ落ちるのが普通の世界だ。
    そして一度デビュー戦という機会を失ってしまえば、未勝利戦の世界に放り込まれることになる。そこから抜け出すのは、デビュー戦に勝つより、ずっと難しい。デビュー戦から一年……つまり私達と同学年のウマ娘にも、未だ未勝利戦から抜け出せずにいる者は珍しくない。レース経験というアドバンテージに殆ど差のないデビュー戦を勝ち取らなければ、そこから先には更に深い沼が広がっている。
    「でもこういう時こそ、頼れる先輩の出番! だよね?」
    「ええ……今日から、始めましょうか」
    私達は視線を交わさずに頷きあうと、アップを終えた二人に話しかけた。

  • 25二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 21:06:09

    とても好きです
    保守

  • 26パルフェ軍曹21/11/27(土) 21:07:24

    (書き溜めが尽きたけど、今日を逃すとどうせまた吾輩保守し忘れたりするから書けるだけ書くよ!)
    (あとタイトルにウマ娘ってつけ忘れたよ! 苦情が入ったら即刻建て直します! 入るまでは無罪)

  • 27二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 21:08:17

    おっ頑張ってるじゃん
    告知の時から楽しみにしてたよ

  • 28パルフェ軍曹21/11/27(土) 21:15:27

    「……つまり、ルーン先輩がマンツーマンで指導してくれるって事ですか!」
    「はい。トレーニングや併走で、エマさんの実力をおおよそ把握することが出来ました。その上で、私から色々と伝えておきたいことが──」
    「ありがとうございます!!!!! 本当……私、このチームに入って……良かった……!」
    「──あるので。ええ、そうですね」
    早くも泣きださん勢いのエマに取り敢えず落ち着いてもらって、私は一冊のノートを取り出す。
    デビュー戦の日、或いはそれ以前、トレセンに入学するよりもずっと前から書き続けている、レース研究ノート。今まで走ったレース、トレーニングとその効果……最近では後輩二人の走りについてなど、ありとあらゆる事柄を集めたものだ。
    「でもでも! どうしてシールは別なんですか? それに、ネロ先輩も!」
    「エマさんの得意脚質は追い込み。私の差しと同じ後方の脚質です。対してシールは逃げ、ネロは前めの先行ですから。アドバイスしやすいように振り分けた結果です」
    幸いにして、チームメンバーは全員王道である中距離に苦手意識はない。極端なスプリンターへのアドバイスは、なかなか難しいが……私はマイラー、ネロはステイヤーに近い走者で、距離に関しては問題なく話が通じるようだった。

  • 29パルフェ軍曹21/11/27(土) 21:21:56

    エマのデータが並んだページをめくりながら、私は彼女に話しかける。
    「もうすぐデビュー戦ですが。そもそもエマさんが追い込みを得意とするのは……」
    「レース中ず~っと一定ペースで走るって難しいし、集中力も切れちゃうので! なんかこう、バッと行く方がカッコいいかな、って!」
    「……という事でしたが。まあこの際理由は置いておいて、後方脚質の……"デビュー戦における"走り方。それを覚えてもらいます」
    「か、カッコいい……! よろしくお願いします!!」
    こうして、『レース経験豊富な』先輩から後輩へのレクチャーが始まった……

  • 30パルフェ軍曹21/11/27(土) 21:29:02

    「……という訳です。私達にとって恐れるべきことは、出遅れよりも掛かること。終盤まで温存したスタミナを武器とする私達にとって、スタミナの浪費は大きな痛手です。距離やバ群の時点で大きなハンディを負っている以上、レースでは絶対に必要以上に前に出ないこと。ラップタイムを意識し、最終コーナーの場所を把握することです。そしてデビュー戦に出場するウマ娘の多くは、焦って内ラチの経済コースを取りたがるので、むしろ外側を回った方が早いケースも多いということ。これは当然その時の状況に依りますが……」
    「成程……なるほど!」
    案外というかなんというか、エマは寝たり集中を途切れさせたりすることなく、私の話をしっかりと聞き終えた。
    「……理解出来ましたか? 後方脚質は序盤で横に動きやすい分、型番などに影響されない、運の要素の少ない走り方といえます。それを確実な勝利へとつなげるために、レース状況の把握、スタミナの管理。いいですね?」
    「はい! エマ……完璧に! 理解しました!」
    セリフだけ聞くと怪しくも思えるが、少なくとも私の話をバ耳東風と受け流しているわけでは無いらしいのは確かだった。

  • 31パルフェ軍曹21/11/27(土) 21:41:45

    「こんな強い先輩から直々にレースを教えてもらえるなんて……幸せだよ~!」
    「……」
    講義を終えて片付けをしている私の向こう側で、エマは感動しながら熱心にノートを取っていた。彼女のレースにかける情熱は本物だ。その根源は恐らく、ユングヴィステークス。
    「……やはり、ユングヴィステークスに出たいのですか?」
    「え? えっと……はい! 出ます! ユングヴィステークスに出ます!」
    手を止めて問いかけると、彼女は無邪気にそう返してきた。身体を使って大げさな身振りをするたびに、短く切り揃えられた栗毛が跳ねた。
    そんな彼女にこれ以上の言葉をかけるのは、残酷にも思えたが……私はずっと気になっていた疑問を口にする。
    「……ユングヴィステークスはG2、重賞レースです」
    「はい! 私の夢! サイッコーの舞台!」
    「もしも、負けたら」
    ガタン、という大きな音。少女が座っていた椅子から立ち上がり、椅子が壁と激突した音。
    私は続けようとしていた言葉を封じられてしまう。
    「ルーン先輩! 私ず~っと言ってるじゃないですか!」
    「……」
    「私は、絶対勝ちます! 勝つんですから!」
    その声色に怒りは無かった。戸惑いも無かった。ただ、希望だけがあった。
    「……そうですか」
    「はい! あ、椅子倒しちゃった……」
    私は顔を下ろし、片付けを再開する。エマは慌てて椅子を回収に向かった。
    ……勝敗の話をするのは、まだ早かったかもしれない。まずはデビュー戦で、レースというものを知ってからだ。
    そう、自分に言い聞かせながら。少しだけ感じた得体のしれない感情は、気付かなかったことにして。

  • 32パルフェ軍曹21/11/27(土) 21:57:54

    「……とゆー、訳で。私達前方脚質は、良くも悪くもレースを引っ張っていく立ち位置になる訳。私は先行だからマシだけど、シールちゃんは逃げでしょ? まず同じ逃げの中で先頭取るのはほぼ前提条件。
    その上で、こっちからは誰がどこにいるか殆ど見えないのに、他の人たちは先行も差しも追込も、みーんなシールちゃんを追い抜くことを目標に走る。情報アドって面では最悪だね」
    「……」
    私とシールちゃんのマンツーマンレッスンは、恙なく進んでいた。脚質で分けたからこうなった訳だけど、ルーン大丈夫かな? なんてことをちょっと考えながらも、取り敢えずやるべきことに集中。
    受講態度は百点満点のシールちゃんだが、脅迫じみた私の言葉にちょっと青くなっている。……今からそんな姿を見せられると、こっちとしては不安だ。
    「んで結局、"デビュー戦の"逃げ方は何なんだーってとこなんだけど……もう、速く走る。ひたすら。これしかないね」
    「ええ、っと……?」
    「その辺は多分、ルーンの方が詳しいんだけどさ……結局の所、後方脚質が"終盤に"勝負を付けに来るなら、私達は"序盤に"勝負をつけるしかないんだ。ようするように、勝ち確、ってやつ」
    いえい、とピースサインを出してみる。……シールちゃんはピンと来ていないようで、ノートとにらめっこして私の方を見ていなかった。ちょっと悲しいなあ。

  • 33パルフェ軍曹21/11/27(土) 22:09:40

    「序盤で先頭を取る以上、どう頑張ってもスタミナ勝負では差しや追い込みに分がある。終盤にスパートをかけられて、一旦追い抜かれたら……まあ無理だね」
    一部には、"逃げて差す"……そんなことをやってのけるウマ娘もいるらしい。だけど、私達と私達の戦う舞台、『非重賞レース』の世界においては、そんなことを気にしても仕方がない。
    「だから私達は、序盤の段階で、勝つ。後ろがスパートをかけたタイミングで、その差が私達に追いつくのに十分か、そうじゃないか。それで勝つか負けるか決まるんだよ」
    「あ、……分かり、ました。でも、結局それって……序盤からただ速く走る、ってことに、なるんですか?」
    「ち、ち、ち。違うんだよ、これが。さっきも言った通り、逃げはみんなから目標にされる。その不利をアドバンテージにする、って事。後ろの奴らのアドバンテージがスタミナなら……私達の走りで、それを無くしてやれば良いんだよ」
    「……あえて序盤にスパートをかけて、このままでは追い付けない、そう思わせて……スタミナを、序盤のうちに浪費させる?」
    「エッザート! その通りだよ、シールちゃん」
    呑み込みの早い生徒に教えるのは、とっても楽しい。トレーナーが人気職業な理由が分かった気がした。

  • 34パルフェ軍曹21/11/27(土) 22:18:09

    「言った通り、私達の勝負は序盤で決まる。最終コーナーが、実質的にはゴールラインだ。だからスパートもその手前、後ろのメンツがスパートをかけるのに最適な……その一歩手前で、独走する姿を見せつけてやるの。そして自分は、一人で走る。レースじゃなくて、まるで一人でタイムを計るみたいな感じで。後ろから何かが来るなんて、考えるだけメンタルの無駄。だって目の前には誰も居ないんだから! だから緊張しちゃ駄目だぞ?」
    「……でも、もし……後方脚質の皆さんが、それを分かって……冷静にレースをしてきたら?」
    「まあ、そういう子もいるよ。ラップタイムを計って、コーナーを見極めて。完璧なタイミングでスパートして、逃げを追い抜く」
    そう言いながら私が思い出していたのは、相方のことだった。シールちゃんの姉でもある。姉妹だってのに、見た目以外は色々と似てないよね。
    「でも、これ"非重賞レース"の話だから」
    そういう場所には、そういう子は、居ない。レース経験ゼロ、未来への希望だけで胸がいっぱい。
    そんな飛び立ったことのない雛鳥たちを、いかにして殺すか。私達はそういう知識に関して、他のウマ娘よりも良~く熟知しているのだった。

  • 35パルフェ軍曹21/11/27(土) 22:37:24

    「という訳で。分かったかな? 優しい先輩としては、可愛い後輩には是非、デビュー戦を一着で終えて欲しいんだよね」
    「……はい。分かりました。ありがとう、ございました」
    ショック療法じみた脅しが効いたのか、講義が終わった時にはシールちゃんは随分落ち着いていた。おどおどしてるのは、まあデフォルトとして目を瞑る。この分なら大丈夫そう。
    「でもさあ、私達のチーム……エンハンブレがどういうとこか、知って入って来るなんて。ルーン"お姉ちゃん"のこと、本当に好きなんだね?」
    私は後輩をちょっとからかってみた。……しかし、半分は本気。というか、ずっと気になっていたことを確かめようとして。
    案の定、シールちゃんはそんな言葉に、いつもみたいに慌てる事はしなかった。むしろ毅然とした意思を秘めた眼で、私を見つめ返す。
    「はい。お姉ちゃんは、憧れで……恩人なんです。お姉ちゃんに会うために、頑張ったんです。ここに入るための試験も……」
    憧れで恩人の、クールビューティ系お姉ちゃん。それで済んだら、まあ麗しき姉妹愛、そんな感じでしか無かっただろうけど。
    「それだけじゃないよね」
    相方に良く似た葦毛の少女が、ごくりと唾を飲んだ。

  • 36パルフェ軍曹21/11/27(土) 22:50:28

    シールちゃんは似ている。よく似ている。姉のルーンライブラリではなく、私、ネーロペンティートに、よく似た眼をしている。
    宿敵を倒さんとする、挑戦者の眼だ。
    「……先輩は、聞いていますか。……お姉ちゃんが、重賞レースに出ない理由を」
    「"絶対に勝つため"って聞いてる。それが何故か、って所までは~……教えて貰ってないな」
    「それは、私の……私のせい、なんです」
    シールちゃんは吐き出すようにそう言うと、目を伏せてしまった。
    「まあ、ルーンが話さないことをシールちゃんから聞き出すつもりはないけど……結局、シールちゃんがしたいことって?」
    「……」
    几帳面に取っていたノートを、ゆっくりと閉じて。
    「お姉ちゃんに……勝つことです」
    顔を下ろしていても、その蒼い目がどんな色を帯びているのか、手に取るように分かった。
    どうやら私が一年間連れ添ってきた相棒には、私の知らない身の上話があったらしい。
    「……ま! それなら取り敢えず、デビュー戦に勝たないと! あいつ、それなりに強いからね」
    「あ……は、はい!」
    張り詰めた空気を壊すと同時に、私達のマンツーマンレッスンは終わりを告げた。
    どっちに肩入れするつもりもない。多分なるようになるだろう。
    最終的に二人とも幸せなのが、私としても一番嬉しくはあるけどね。

  • 37パルフェ軍曹21/11/27(土) 23:07:21

    後輩二人が迎えた、デビュー戦の日……
    「一着おめでとー!」
    その、レース後。
    「いやあ、無事に二人とも勝てて良かったよ。先輩としては鼻が高いね」
    「ええ。最適なレース運びが出来ていましたよ」
    「はい先輩! 私も鼻が高いです! あれ?」
    「先輩のお陰です……ありがとう、ございます」
    部室ではスナックやジュースを集めて、戦勝会が開かれていた。二人は同日に行われた別々のレース……エマは中距離、シールはマイルのレースを走り、無事一着を取った。
    こうなる可能性の方が高いだろう、とは思っていた。二人とも基礎能力に問題は無かった上、他にはない非重賞のノウハウもあったのだから。
    私達の経験則である『非重賞の走り方』が有効だったかそうでないかは、この際関係ない。大きいのは、プラシーボ効果。他のウマ娘にはない物を持っている、という意識が、精神を落ち着ける手伝いをしてくれる。そしてそのメンタル面の問題こそ、デビュー戦のような舞台では最も重要な要素と言っても過言ではないのだ。

  • 38パルフェ軍曹21/11/27(土) 23:20:32

    そうして始まろうとしていた宴の最中、トレーナーが突然声を上げた。
    「そうだ、皆さん……チームトレーナーに、通達があったんです。トレセン学園が、新たなレースを開催……というより、復活させる、と」
    「新しいレース?」
    「……そう言えば、理事長が言っていたような。最近は代理の方が来たようですが」
    「はい。アオハル杯、というもので……学園のチーム対抗で戦う、トーナメント方式のレースだそうです。話によると、かなり有力なウマ娘も参加を表明してチームを結成しているらしく……あの、エンハンブレも、アオハル杯に」
    「勝敗が不確定なので私は参加しません」
    「チームレースにはあんま興味ないかな」
    「ユングヴィステークスには関係ないんですか? じゃあ、別に良いです!」
    「あ、あの、えっと……」
    「……そうですか」
    ほぼ全員からの反対を食らって、トレーナーは引き下がった。気の毒な気はしたが、何十とあるチームの中から一つの勝者を決めるトーナメント戦は、私にとっては慮外。
    勝てなくとも、挑戦することに意義がある。或いはそう言う人もいるかもしれないが。その程度の『意義』は、勝利が持つ『価値』に遠く及ばないのだ。
    「まあとにかく! これから重賞に出るでも出らんでもそれは本人の選択次第として……今は後輩二人の勝利と門出を祝おうじゃん!」
    「そうですね」
    私達はネロの号令に合わせて、おのおのジュースの入った杯を掲げる。
    「「チーム・エンハンブレへようこそ!」」
    「「よろしくお願いします!」」
    ぶつかり合ったグラスが、澄んだ音を立てた。

  • 39パルフェ軍曹21/11/27(土) 23:23:46

    (ちょっと休憩するけどルーンライブラリ編だけでも終わらせたい所存)

  • 40二次元好きの匿名さん21/11/27(土) 23:25:29

    アプリのルートを悉く断ってる……

  • 41パルフェ軍曹21/11/27(土) 23:52:47

    ウマ娘の種族的特徴として真っ先に挙げられる事柄と言えば、やはり『足の速さ』に尽きるだろう。
    多くのウマ娘が、己の走力に自信を持ち、それをアイデンティティとしている。速ければ速いほど『良い』。そして遅いほど、『悪い』。そんな単純極まりない分野に、価値判断基準の一つを置いているのだ。
    とはいえレースを専門とするウマ娘でもなければ、そんな子供じみた価値観はいずれ捨て去られるものだ。……逆に言えば。
    『お姉ちゃん……私……私って……ウマ娘じゃ、無いのかな……?』
    子供の世界では、それはほぼ絶対の価値基準と言ってもいい。
    眼を閉じれば今も鮮明に思い出せるほど強烈な、小学校の記憶。私の胸に縋りついて、泣きじゃくる妹。
    家に帰って来るなり、そう言って泣き出してしまったシールから、詳しい事情を聴き出すのは困難だった。しかしそんなことをしなくても、何が起こったかは想像がついた。
    彼女に心無い言葉を投げつけたのは、四年生のウマ娘……当時の私が三年生、シールが二年生だったことを考えると、二歳も年下に対して。とはいえあの時期の人間に、『大人げなく』などという言葉は通じない。
    シールは昔から、他より足が遅かった。本人もそれをコンプレックスにしていたし、周りからも『遅いウマ娘』として認識されていた。その認識が最悪な形で結実してしまったのが、あの日。

  • 42パルフェ軍曹21/11/27(土) 23:54:35

    次の日、私は下手人のいる教室に一人で乗り込んで行った。妹を嘲った四年生……彼女はどうも、シールの同級生数人から『先輩』として慕われていたらしかった。それに向かって、私は挑戦状を叩き付けた。
    『私が勝ったら、あの言葉を取り消して!』
    四年生は半笑いでその無謀な挑戦を引き受け……私は勝った。作戦など頭にないとばかりに全力でグラウンドを飛ばす四年生を冷静に観察し、ゴール手前で差し切って、倒した。
    元より、私は他よりも少し……小学生にとっての一年分の差を埋めるには十分な程度の、走りの才能があった。或いはあの日を境にそれが開花したのかもしれない。
    まあ結果として私は勝ったのだった。四年生は約束通り言葉を取り消す……などということはなく、恥辱のままふらふらとどこかに走り去って行って、二度と私達の前に姿を現そうとはしなかった。
    彼女を慕っていたシールの同級生たちは、その後心を入れ替えて、彼女を揶揄う様なことなく、普通の学校生活を過ごしてくれたらしい。……当然、かつての先輩とつるむことは、二度となかった。
    あの経験が、私にとっての原風景の多くを形作っている。一つはシールの笑顔。私は姉として、妹のために走って、勝たなければならないという使命の源。
    そしてもう一つは、レースが終わってどこかへと逃げ去った、あの四年生の姿。
    単純明快な世界の真理……負けた人間には、誰も付いてきてはくれない。

  • 43パルフェ軍曹21/11/28(日) 00:07:34

    「『新流記念』に、出ます」
    チームの定期ミーティングでその言葉を聞いた時、私は思わず持っていたノートを取り落としそうになった。
    その声が、間違いなく私の目の前……シールから発せられたものであるという事も、私の衝撃に拍車をかけた。
    「それってユングヴィステークス?」
    「……ううん」
    「なら良かった!」
    エマはそのやり取りだけで納得したようだったが、他のメンバーは、トレーナーですら、この状況に驚きを隠せないでいた。ネロはジュースに口を付けた姿勢のまま、視線をシールと私との間で往復させている。トレーニング計画について話そうとしていたトレーナーは、完全に静止してしまっている。
    「なので、それに向けたトレーニングを……よろしくお願いします」
    「え、ええっと、シールさん、新流記念って、つまり……」
    「……芝2200の中距離、右回り、……G3。その、新流記念です」
    トレーナーが何とかひねり出した言葉をシールが引き継ぎ、淀みなく言い上げる。
    そう。新流記念は、デビュー戦から一か月後、今から半月後という早い時期に行われる……重賞レースだ。

  • 44パルフェ軍曹21/11/28(日) 00:29:56

    「シール、何を……何を、言っているんですか」
    「……」
    ようやく言葉を発せるようになった私の問いかけにも、彼女はじっと私の顔を見据えて黙っていた。
    「オープンどころか、プレオープンにも出ていないんですよ! まだデビューしたばかりの、それで、いきなり重賞なんて」
    「でも、新流記念はジュニア限定レース……デビュー直後という点では、みんな同じです。ファン数とかの制限も、問題は無い……きちんと、調べてきました」
    「そういう問題じゃありません! シール、貴方では──」「ルーン!」
    飛び出しかけてしまった言葉に、ネロが大きな声を出した。
    遅れて自分が何を言おうとしていたか認識した私は、慌てて口を噤む……しかし、その言葉自体が間違っているとは思えなかった。
    シールでは、勝てない。まず間違いなく。入着すら遠いだろう。
    そもそも、シールは元々同学年のウマ娘の中でも足が遅い方だった。だからこそかつてのような事態が起こってしまったし、トレセン学園で出会ったときに私が驚いたのも、半分はそれが理由だ。
    彼女の実力を支えているのは、ひとえに不断の努力……同じチームになった後、私は妹のトレーニング量に驚かされた。オーバーワークとすら思えたが、シールは断固としてトレーニング量を減らそうとはしなかった。その点に関してはプロフェッショナルであるトレーナーに任せられたが、それにしても彼女は人一倍の努力をし……エマに大差を付けられないることはない、程度の実力を得ていた。

  • 45パルフェ軍曹21/11/28(日) 00:42:11

    私達が非重賞レースにしか出ないとはいえ、重賞に関して全くの無知という訳ではない。新流記念は確かにジュニア限定だ。しかし、デビュー戦とは話が違う。そこに集まるのは、G1を目標とした、それ相応の実力を持ったウマ娘たち……彼女らにとっての、ファンへのアピールの場。事実として新流記念に勝利してからG1を制したウマ娘は数多い、そんなレースなのだ。
    そんな、言うなれば上澄みの中の上澄みが集まるレースで、生まれ持っての足の速さをトレーニングで何とか平均レベルにまで押し上げているシールがまともに走れるはずが無いのだった。
    「戦勝会の時言ったよね? 重賞に出るにせよ出ないにせよ、って」
    「そうは、言いましたが、しかし……」
    困り果てた私は、視線をトレーナーに向ける。
    私の視線とその意味に気が付いてかそうではないのか、彼は暫く押し黙っていたが、やがてゆっくりと口を開いた。
    「本当に、出るんですね?」
    「はい」
    「……分かりました」
    その言葉は、案外あっさりとしていた。
    「予約をしておきます。それから、新流記念を想定したトレーニングメニューを、明日までに」
    「トレーナー!」
    「……私はこのチームのトレーナーとして、メンバーの希望するレースを可能な限り叶えます」
    私はもはやこの決定が覆らないことを理解した。ノートの表紙に視線を落とし、荒れる心を必死に押さえつけるので精いっぱいだった。

  • 46パルフェ軍曹21/11/28(日) 00:58:23

    「それじゃシール、重賞出るの!? 凄いじゃん! 頑張って!」
    「う、うん。頑張る」
    二人の会話が、遠くに聞こえた。そのままミーティングは終わり、私達は各自のトレーニングに入った。
    その日のトレーニングには、余り身が入らなかった。シールが重賞に出る。新流記念に出る。出て……負けるだろう。バ場状態や枠番で何とかなる次元の問題ではない。重賞は格が違う。
    どうしてあの子はそんな道を選んだ?
    いくら思考を巡らせても、考えは纏まらなかった。

  • 47パルフェ軍曹21/11/28(日) 00:58:34

    「ルーン」
    トレーニングと後片付けを終えて一人寮へと帰ろうとしたところを、聞き馴染んだ声に呼び止められた。
    振り返ると、そこに立っていたのは黒髪のウマ娘。口には相変わらず、どこか人を食ったような微笑みを浮かべていた。
    「妹ちゃんのことが心配?」
    「心配というか……意味が、分かりません」
    私達はすぐ近くにあったベンチに腰掛け、会話を続けた。私は地面を見つめて吐き出すようにして言葉を綴る。
    「ネロも分かっているでしょう、それにトレーナーも……シールだって、分かっているはずなんです。新流記念で、重賞で、あの子は勝てない。少なくとも、今は絶対に……勝てないと。それなのに、どうして」
    「……まあ、そうだろうね」
    シールは今も、過酷なトレーニングをこなしているのだろう。新流記念に向けて。負ける戦いに出るために。
    「だからさルーン、ここは単純に考えてみなよ。シールちゃんが何考えてるのか」
    「単純に……?」
    「そう。新流記念で勝つことは出来ないけど、新流記念に出る理由は?」
    「……分かりません」
    「重症だねえ」
    これくらいのやり取りなら、私達は遠慮せずにやり合うことが出来た。これ以上言葉を並べても答えには近づけないと分かった私は、相方の言葉を待つことにする。

  • 48パルフェ軍曹21/11/28(日) 01:05:08

    これくらいのやり取りなら、私達は遠慮せずにやり合うことが出来た。これ以上言葉を並べても答えには近づけないと分かった私は、相方の言葉を待つことにする。
    「要するにさ、単純に! 勝てないレースに、そうと分かって出るのは、そのレースに出ること自体に意味があるってことでしょ! 少なくとも、シールちゃんにとっては」
    「……」
    レースに出ること自体の、意味。勝つ以外の、意味。
    考えてみても思い当たらなかったが、何も言わないことにした。
    「まあ、こうなった以上見守るしかないでしょ。私達には」
    「……ええ、それは分かっている、分かっているんです」
    「……それじゃ一回、自分のことについて考えてみたら?」
    突然話題がシールから私へと向いた。私は顔を上げ、疑問の意味を込めてネロを見つめる。

  • 49パルフェ軍曹21/11/28(日) 01:11:28

    「ルーンがレースに出るのは、勝つためでしょ? それじゃ勝つこと自体の意味って、ルーンにとっては何?」
    「それは……シール、シールの為です」
    私にとっての勝利は、他のウマ娘が思うそれとは少し性質が違うだろう。義務に近いとも言える。何故なら勝利しなければ、シールが。
    「そう、シールが……悲しむから。勝てなければ。あの時みたいに」
    「……」
    「それに、私が負けたら。シールが私の元から居なく──」
    その言葉を完成させる直前で、ふと疑問が頭をよぎった。
    これは何だ? 私が勝利を責務としているのはシールのため、シールだけの為の筈。
    それなのに、今口から漏れようとしたそれは。どう考えても、シールの為ではない。これは……
    「……まあ、今日一日とか明日だけで解決するような問題でもないよ」
    そう言うと、ネロは勢いよくベンチから立ち上がった。それに引っ張られるようにして、私もゆっくりと腰を浮かす。
    シールの新流記念への出走。勝利の意味。様々な疑問が重なり合ったまま、解けないでいた。
    そんな私の心情に時間は頓着することなく、やがて半月が過ぎ……新流記念の日が訪れる。

  • 50パルフェ軍曹21/11/28(日) 01:33:53

    「シ~ル~! 頑張ってね~!」
    「応援してるよー」
    「……ベストを尽くしてくださいね、シールさん」
    選手関係者向けの通用口の手前で、私達はシールを見送っていた。
    エンハンブレ初の、重賞参加を祝って、総出で応援に出ている……仮に初でなかったとしても、そうするのが普通だろうが。私以外の三人は、それぞれの言葉でシールの健闘を祈って送り出そうとしていた……勝てない戦いへと。
    「……」
    一人私だけが、彼女にかけるべき声を見つけられずにいた。何か言わなければと思う気持ちだけが積み重なり、それは結局言葉になってはくれない。まるで言語を忘れてしまったみたいに、ただシールとその周囲に視線を彷徨わせることしかできなかった。
    「……お姉ちゃん」
    いっそこのまま去ってくれれば気も楽になったろうに、シールはそんな私の元に歩み寄り、低い背丈から私の顔を真っ直ぐ見据えて来た。
    「……はい」
    「私……お姉ちゃんに恥じない走りを、するから。だから……だから絶対に、最後まで見てて」
    それに返事をするより早く、彼女は踵を返し、ドアを潜ってその姿を消してしまった。
    後に残ったのは、感情と言葉に整理を付けられない私だけ。
    あの子は、あんな眼をする子だったろうか。

  • 51パルフェ軍曹21/11/28(日) 01:48:17

    『一番人気、クーロンズナイト』
    『パドックでも注目を集める、素晴らしい仕上がりです──』
    私達が観客席に入ってから程なくして、選手の入場と紹介が始まる。
    今回のレースは十二人。一番人気は逃げ脚質でステイヤー並みのスタミナの持ち主。二番人気は差し脚質でデビュー戦を大差で勝利した実力者。三番人気はこれまで様々な脚質で結果を残している、それ以下、いずれも劣らぬ精鋭揃い……
    何故私がここまで把握しているかと言えば、事前に新流記念に出そうなウマ娘を片端からチェックし、その作戦や実績を纏めていたからだ。シールが負けるのを黙って見ている訳にはいかない。一人一人を分析し、個人個人に対応したマーク作戦を立てれば或いは、と考えた。
    だが、そんな情報を纏めた私のノートを、シールは受け取らなかった。
    『私は、ただ走って来る……だからお姉ちゃんは、ただ、見てて欲しいの』
    そう言って、唯一の勝ちの可能性すら拒んだ。
    もはや何も分からなかった。だから私は、分からないなりに、シールが見せようとしているものが何かをただ確かめようという心持ちになっていた。それ以外に選択肢が無かったとも言える。

  • 52パルフェ軍曹21/11/28(日) 01:59:50

    『──十一番人気、シールライブラリ……』
    あの子の名が呼ばれた。トレーニングの甲斐あって、スピードもスタミナも向上はしている。このバ場の模擬レースも何度か経験した。その上での、十一番人気。その事実が、私の胸に重くのしかかる。
    スターティングゲートは少し遠かったが、それでもシールの姿はすぐに見極められた。デビュー戦の時着ていた体操服ではない、黒色の衣装。
    私達ウマ娘がレースを行う際、特にここ一番のレースで着用する、勝負服。トレセンは入学次第、それぞれの希望に沿って勝負服を仕立ててくれる。
    シールの勝負服を見たのは初めてだったが、私はその色、風体に見覚えがあった。明らかに走りには不適切に思えるほど長い裾を持った、ローブに似た衣装。アレは私の勝負服だ。あちこちに散りばめられた銀色の幾何学模様の形だけが違っているが、それ以外は概ね同じ。
    トレセンに入学したばかりのころ、仕立てた勝負服の写真をあの子に送ってやったのを思い出した。結局、あれから今まで私があの勝負服を出してきたことは一度も無い……思いがけないところで、思いがけない物を見た気がした。

  • 53パルフェ軍曹21/11/28(日) 02:04:59

    彼女は緊張はしていないようだった。特段高揚も無いように見えた。ただじっと、身体の前で手を組んで、レースが始まるのを待っていた。
    「シールさん……」
    トレーナーが声を漏らす。教え子が走る場としては、彼にとっても初めての重賞の舞台だ。
    出走の時間が近づく。私はノートを開いて、今まで纏めた情報に再び目を通す。何度も、何度も目を通し、分析し、あの子の勝ち筋を探し求め……
    『スタートです!』
    何度も出したのと同じ結論が出ると同時に、レースは始まってしまった。

  • 54パルフェ軍曹21/11/28(日) 02:24:16

    『好スタートを見せた、一番人気クーロンズナイト』
    出走直後のシールの順位は三位。今レースの逃げ脚質は、シール含めて三人。それが何を意味するか、この場の誰もが分かっていた。
    第一コーナーを曲がっても順位に大きな変動は無し。しかし今回はペースの遅い展開になっていた。ハナを進むのは一番人気だったが、このままレースが進めば彼女も差し切られるかもしれない。その後ろに付けている、シールもろとも。
    先頭集団はスローペースを維持しながら緩やかにスパートをかけ、やがて私達の前を横切る……
    「シール~!」
    エマの歓声が聞こえているのか、いないのか。その一瞬の表情を私は捉えることが出来ず、彼女は私の目の前を通り過ぎた。
    やがて、最終コーナーがやって来る。この時点で先頭集団と先行との距離はおよそ二バ身から三バ身……さらにそのすぐ後ろから、早くも後方脚質の集団がスパートを仕掛けようとしていた。
    私はもはやレースを直視できなかった。ノートを見つめ、耳に入り込んでくる実況の情報だけを処理して、暗澹たる思いをただ募らせるしかできなかった。シールにとってのレースは、もう終わった。逃げ脚質のあの子に、ここから差し切りを防ぐ手段は無い。簡単に予測できる結果のうちの一つが、予測した通りに訪れるだろう──

  • 55パルフェ軍曹21/11/28(日) 02:39:28

    『さあ最終コーナーを曲がって最後の直線……』
    「──違う」
    観客の声援と実況の中にあっても、その声は酷く澄んで聴こえた。今まで沈黙を貫いていたネロのものだった。私は思わず顔を上げる。
    「何が──」
    『ここで抜け出したのはシールライブラリ!』
    実況の言葉に耳を疑った。慌てて視線をレースに戻してみれば……先ほどまで先頭集団の最後方に控えていた黒い勝負服が、ゴール手前の最終直線のハナを進んでいた。
    シールだ。
    「あ……」
    『ハナを進むシールライブラリ! 外から上がって来るのはラジオアーカイヴ──』
    「り、えない」
    思わず、そんな言葉が漏れた。スリップストリームを利用したのか? それにしてもシールのスピードとスタミナでこのタイミングに再スパートは不可能だ。不可能なはずだ。そう何度も結論が出た。
    だが、現実の彼女は先程まで追い付けないでいた逃げ集団を突き放し、先頭を切り開いている。

  • 56パルフェ軍曹21/11/28(日) 02:44:30

    「あり得ない……あり得ない」
    うわ言の様に呟いても、目に映る景色も、実況の音声も変わりはしない。あの子は尚も先頭をキープする。後方脚質が詰め寄って来るが、それでも先頭を維持している。もうすぐゴールがやって来る。
    「や……」
    その光景を見るうち、胸の奥に、今まで感じたことのない感情が去来した。先ほどまでは彼女の敗北を苦々しく思う一方、自分の予測したレース展開になったからか、どこか安心してもいた。今は違う。興奮、困惑、感動、それら全てを覆い隠す、純な感情。それは、
    「やめて……!」
    それは、恐怖に似ていた。

    『──今、一着でゴール!』

  • 57パルフェ軍曹21/11/28(日) 03:05:57

    ……ウィニングライブが終わった後。私は一人地下バ道を走っていた。
    『行ってあげて欲しいんです。シールさんは……話したいことがある、と』
    レース中に起こった様々な出来事には未だに整理を付けられていなかったが、トレーナーから促されるまま、シールの元に急いでいた。
    今回のレースに参加したウマ娘数人とすれ違うが、あの子の姿はない……コースへの出口にほど近い位置まで来てやっと、記者の一団とその中心にいるシールを見つけることが出来た。
    「十一番人気の中、見事入着を勝ち取ったお気持ちは!」
    ……四着。それが最終的なシールの順位だ。
    最終直線で考えられない抜け出しを見せた彼女だったが、やはり今まで想定通りにレースを運んでいた後方脚質から逃れることは出来なかった。しかし、一着との差はおよそ二バ身。三着とはほぼハナ差。事前評価を考えると、大健闘と言える。
    「はい……トレーニングを手伝ってくれた、チームのみんな……それと、それと、誰よりも大事な……ルーンお姉ちゃんに……」
    彼女が記者に囲まれている理由は、恐らくもう一つ……シールライブラリが、あのルーンライブラリの妹であるということ。オープンに居座る姉に対し、デビュー後即座に重賞に出走、十一番人気をはねのけての好走。中々の物語なのだろう……
    そうして出来上がった記者スクラムの渦中にどう話しかけて良い物か手をこまねいていると、向こうが先に私を見つけた。
    「あ……お姉ちゃん!」

  • 58パルフェ軍曹21/11/28(日) 03:16:40

    記者たちの視線が、一斉にこちらを向く。勝者を見るものではない目。ここまで来たは良いが用件を知らなかったので、私は戸惑いつつ小さく礼をした。
    シールは記者をかき分けて私の元にやって来た。寸前で転びそうになるのを、私がとっさに受け止める。乾いていた手に汗がにじむ。
    記者の注目を一身に集める中、真っ赤な顔で息切れしたシールは、小さな背丈で私を真っ直ぐ見つめ……レースとライブで疲れ切った後ながら、精いっぱいの大声を出す。
    「私、次は一か月後の……G3の、『氷輪賞』に、出ます」
    氷輪賞。重賞なのは言うまでもないとして、それはシールの最も得意とする中距離ではなく、マイルのレース。だがその距離を主戦場とする人間が、エンハンブレには一人だけいる。
    首筋に刃を当てられたような、嫌な予感がした。
    「そこで、私と……戦って、下さい……!」

  • 59二次元好きの匿名さん21/11/28(日) 03:18:55

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  • 60パルフェ軍曹21/11/28(日) 03:23:43

    おお、という記者のどよめき。焚かれるフラッシュ。手は震えていても、目に宿った信念は一切揺らがない、私の妹。
    私の嫌な予感は……レースでシールが抜け出した瞬間から感じていた嫌な予感は……ここに最悪の形で結実する。
    「……分かり、ました」
    もはや、逃げ場は残されていなかった。

  • 61パルフェ軍曹21/11/28(日) 03:45:12

    レース場からの帰路、車中。
    「あそこで抜け出したとき絶対勝てると思った! そのままゴールできる感じだったもん! 本当惜しかったってアレ!」
    「あはは……やっぱり、まだ実力が足りないな、って……」
    「いえ、シールさんは100%……それ以上の力を出し切ったと思います」
    入着は叶ったとはいえ、シールは負けた。一着にはなれなかった。
    にもかかわらず、その顔には結果に対する後悔や、或いは自分に対しての怒りは無かった。いつものように柔らかに笑いながら、受け答えをしていた。
    或いは、これがネロの言っていた『走ること自体に意味がある』ということなのだろうか?
    「シール……あそこで、どうやって。どうやって抜け出せたんですか?」
    私はずっと抱えていた疑問を、長い時間をかけてようやく言語化することが出来た。
    一番人気の逃げウマすら掛けられなかった再スパート。シールの力でそれを成し遂げるのは……どう考えても理に適っていないのだった。

  • 62二次元好きの匿名さん21/11/28(日) 03:59:45

    このレスは削除されています

  • 63パルフェ軍曹21/11/28(日) 04:04:50

    「正直、私も気になる。中距離にしては長い距離だったし……スタミナも持たないと思ってたけど」
    「あ、あの時……あの時は……」
    私の隣に座ったシールは、しばらく下を向いて逡巡している風だったが。すぐに顔を上げた。
    「良く、分からないです」
    「良く分からない、って……」
    「本当に……無我夢中で。だけど、お姉ちゃんと約束、したから。走り切るって……そのことを思い出して、頑張った……かな」
    「はあ~……」
    背後のネロが目を丸くしている気配がした。次にエマが会話に入って来る。
    「よく分かんないけど、それってラブパワーってこと?」
    「え……ええ!」
    「ああ、なるほどね、なるほどね。ラブかあ」
    「ち、違います! 違います、そういうのじゃ、なくて!」
    俄かに騒がしくなった車内。その賑やかさを保ったまま、車は進んだ。
    そんな中にあって私は一人、会話に入ることも出来ず、ただただ考えを煮詰まらせていた。

  • 64パルフェ軍曹21/11/28(日) 04:50:09

    『改めて、二人で話したい』。
    トレセンに帰った後、そんなシールの願いを受けて、私達は二人トレセンの周囲をぶらついていた。
    夕日が沈もうとする商店街は、外食をしようとしている親子や材料の買い出しに来た母親で賑わっている。そんな中、私たち二人は何を言うでもなく、ただ手を繋いで歩いていた。
    手を繋ぐ……昔は手を繋いで歩いたことは無かった。外を二人で出歩く時は、もっぱら私がシールの『手を引いて』いた。そんな些細な変化すら敏感に感じ取られ、私の胸がさらに苦しくなる。
    暫く……十五分程度、そんな時間が続いた後。シールは歩くのを止めないまま、おもむろに口を開いた。
    「お姉ちゃん……レースは、楽しい?」
    てっきり氷輪賞の話を切り出されるものだと思っていた私は、少し面食らってしまった。しかし動揺は可能な限り抑え、努めて素早い返答を心掛ける。
    「ええ、勿論。レースで勝つことが出来るのは、至上の──」
    「そうじゃ、なくて」
    私の声は、柔らかな、それでいて力強い声に遮られる。
    「レースで、走ることは……楽しいと思って、走っているの?」
    「……」
    私は、素早い返答を……出来なかった。

  • 65パルフェ軍曹21/11/28(日) 04:50:21

    私が走っているのは、勝つためだ。勝つべき理由があるからだ。だから答えは、走ること自体に意味は無い……そういえば良い筈だ。
    だが、歩幅を合わせて歩く妹の手の温かさが、その言葉を喉元に押し込めてしまった。
    「……お姉ちゃんは、昔から……小学校のあの日から、ずっと、ずっと……私の為に、走ってくれてたんだと、思うよ。私はのろまで、弱くて、泣き虫だったから」
    無言を貫き通すうちに、シールは拙い言葉を一つ、また一つと紡いでゆく。公園でボール遊びをする子供の声が遠くなり、シールの言葉しか聞こえなくなる。
    彼女の唇が動く度、私が今まで立っていた陸地が削り取られるような感覚に陥る。しかし、それを止める言葉を私は持っていない。心の中で、何かに祈るしかない。
    お願いだから。
    「だけど……ううん、だから。このトレセンに来て、私は、お姉ちゃんと走りたい……」
    お願いだから、それ以上は。
    「お姉ちゃんに守られてばかりの私じゃなくて、ひと──!」

  • 66パルフェ軍曹21/11/28(日) 04:51:33

    前方に付ける脚質のウマ娘……特にシールのような逃げウマには、瞬発力が求められる。
    ゲートが開いた直後、コンマ何秒、コンマゼロ何秒で飛び出せるか。バ群を乗り越えることを想定していない逃げウマにとっては、それが死活問題だからだ。
    反対に、私のような差しウマなど後方脚質の持ち主にはあまり重要視されない。瞬時に体を動かす力より、瞬時に判断する思考力こそが求められる。
    だからこそかもしれないが。
    例えば、こういう状況……ボール遊びをしていた子供が、思いがけない方向へと跳ねたボールを追いかけて、うっかり道路に飛び出して。
    その道路を丁度、法定速度を守ってはいる乗用車が、スピードを落とさず走って来た、そんな時。
    つないでいた手を振り払って瞬時に道路に飛び出すのは、シールだ。
    そして私はそれを冷静に観察することが出来る。何が起こっているかを把握し、これからどうなるかを予測できる。
    このまま行けば、十中八九、シールが子供を突き飛ばしたタイミングで、その胴体がタイヤに巻き込まれるだろう、と。
    ただ、それを防ぐのは容易だ。さっき離された手を、強引に掴み直せばいい。それくらいなら瞬発力が無くても可能だ。
    私は極めて冷静だった。これだけのことを読み取れた。その上で自分が取るべき行動も、当たり前すぎるくらいに理解していた。

    そしてそれらの観察と分析が実現した結果として。
    救急車に運び込まれる妹の躰を、今呆然と眺めている。

  • 67パルフェ軍曹21/11/28(日) 04:51:57

    (寝る 寝ーるペンティート)

  • 68二次元好きの匿名さん21/11/28(日) 10:55:58

    保守

  • 69パルフェ軍曹21/11/28(日) 11:31:50

    「手術とリハビリをしたとして、まともに歩けるようになるのは少なく見積もっても三年後。それも歩行補助があっての話です」
    「……では、レースは……」
    医者は黙って顔を伏せ、首を横に振った。私の横に座るトレーナーは、これ以上ないほど悲痛な表情を浮かべたが……正直、私にはもはや感情をどこかに動かす余裕すら無かった。
    結果として、シールは生きていた。あのスピードでは絶対に間に合わない、そう分析したのだが、胴体ごと撥ねられるような事態にはならなかった。……しかし、脚だけは無事では済まなかった。
    命に別状はなくとも、少なくとも競技者としてのシールライブラリは、死んだのだった。
    診察室から出ると、どこから聞きつけていたのか、耳聡い記者が数人ロビーで待機しているのが分かった。病室に突撃したりしないのは道徳的な問題だろうが、今回の件について取材しようとしているようだ。
    「私は記者の相手をしてくるので……ルーンさんは、病室に行ってあげてください」
    「……はい」
    歯切れの悪い返事を残してトレーナーと別れた私は、重い足を引きずってエレベーターに乗り込む。

  • 70パルフェ軍曹21/11/28(日) 11:32:35

    緩やかに上昇し始めるエレベーターの壁にもたれて、私はあの時のことを思い出していた。
    私には分かっていた。このまま放置すればシールが車に轢かれるだろうことと、その手を引けばそんな未来は訪れないだろうことを。よく分かっていたはずだ。
    私は危ないと叫んだ。飛び出すシールの方に向けて手を差し出した。そして、振り払われた手を……
    掴まなかった。
    「ああ……ああ」
    言葉にならない呻き声が喉の奥から漏れる。何もかもが分かっていたが故に、何も理解することが出来ない困惑の声。
    「一体……どうして。どうして、私は」
    エレベーターの速度が緩やかに落ち、扉が開いた──

  • 71パルフェ軍曹21/11/28(日) 13:19:28

    (対抗戦が始まるまでにルーンライブラリ編終わらせます。終わらせろ。終わらせられろ。)

  • 72パルフェ軍曹21/11/28(日) 15:37:52

    「シール……入ります」
    消え入りそうな声で病室に話しかけると、「うん」と返事があった。
    恐る恐る、白い扉を開く。すっかり暗くなった外の景色と対照的な、輝く葦毛……顔は窓の方を向いていて、その表情を伺う事は出来ない。
    「シール、……シール、その、私は」
    「良いの、お姉ちゃん。何も……何も言わないで。お姉ちゃんじゃなくて、私のせい、だから」
    感情によって上下するところのない平板な言葉の列が、台詞を探し求める私の試みを打ち止めた。シールは一切顔を動かすことなく、淡々と話を続ける。
    「私……私、昔から、ずっとこうだったね。ずっと……お姉ちゃんに、迷惑かけて……迷惑、かけてばかりで……!」
    「……」
    「私っ、やっと……トレセンに入って、やっとっ、お姉ちゃんに、恥ずかしくないウマ娘になれるって、なれるって、思ったのに、思ったのに!」
    「シール」
    徐々に感情的になり始めた妹の言葉を、私は遮った。
    それ以上を言って欲しくは無かったし、それ以上を聞きたくは無かった。

  • 73パルフェ軍曹21/11/28(日) 15:49:38

    「私はシールのことを……恥ずかしいだなんて思ったことは、一度もありません。私の、大切な、たった一人の妹です」
    「……」
    「それ以上に、私も……私自身も、シールにとって恥じる事のない、立派なウマ娘でありたいんです」
    私はゆっくりとベッドに近づき、ほっそりとした白い腕を取る。シールは顔を私の方に向けた……涙で一杯になった眼で、私を見つめた。
    「次のレース……氷輪賞で。私は、答えを見つけます。見失ってしまった、私の走る意味を」
    「……」
    「だから、シール……見守っていて、ください。私の……走りを。その答えを……」
    慎重に選んだ言葉も、胸の奥からこみ上げる感情の濁流に流され、口に出すのがやっとだ。
    それでも私はなんとか、それだけのことを言い切った。言い切って、シールの手を両手でぎゅっと包み込んだ。
    「……お姉ちゃん。約束……指切りして、約束」
    「はい……約束、です」
    私達は、かつてそうしたように、右手の小指をぎこちなく絡め合い……約束をした。
    氷輪賞を、走ると。

  • 74パルフェ軍曹21/11/28(日) 16:05:19

    「これ、1996年の資料……97と8は、どこにも無かった。URAの人に聞けばあるかもしれないけど」
    「いえ、大丈夫です……手伝ってくれるだけで、ありがたいですから」
    「まあ……チームメイトだし、ね。このくらいは」
    私は氷輪賞に向けたトレーニングと、情報収集に専念することにした。
    シールと約束した以上、みっともない走りを見せるわけには……負けるわけには、いかない。徹底的に対策を立て、絶対に勝たなければならない。
    そう意気込んだは良いのだが……
    「で……どうよ」
    「……厳しい、ですね」
    情報収集を手伝ってくれているネロと、何度目か分からないやり取りを交わす。

  • 75パルフェ軍曹21/11/28(日) 16:15:17

    氷輪賞。マイルの重賞。マイルは中距離に比べるとメジャーな分野ではない。その為、マイラーと呼ばれるウマ娘たちの多くは、貴重な自分の活躍する場を逃すまいと考えている。
    結果として、G3である氷輪賞にも、G2、或いはG1クラスのウマ娘が出走してくることは、例年珍しくは無いのだった。
    勿論、毎年そこまでハイレベルな戦いになるという訳でも無いが……私よりも一年長く走っている、シニア級と呼ばれるウマ娘の参戦も、計算に入れなければならない。
    そんな中で、私がどれだけの走りが出来るのか。今まで非重賞レースにばかり出ていた対価として、重賞における自分の立ち位置を掴めなくなっていた。これでは確実な勝利を得ることは出来ない。
    「あの子に……約束したのに!」
    進捗の無いノートに八つ当たりのように消しゴムをかけ、頭を抱える。相方は黙って私の肩に手を置いた。

  • 76パルフェ軍曹21/11/28(日) 16:16:48

    「シールちゃんの為、って。結構前からずっと言ってるけどさ」
    「……?」
    「一回くらい……自分の為に走ってみたら?」
    そんなことを言った。何を言うのかと思って顔を上げると、ネロは床を見つめていて、視線が合う事は無かった。
    「あの子は、それを望んでるのよ」
    「な……貴方に、シールの何が……!」
    「そう言ってた」
    怒りのままに吐き出しかけた言葉を、ネロは視線を合わさないまま制した。
    あの子がそう言っていた?
    「あの後、お見舞いに行った時……そう言ってた。ルーンに、自分の為に走って欲しい、って」
    「……どういう、意味ですか」
    「分かんないよ。私はシールちゃんじゃないし……でも、取り敢えず、伝えたから」
    彼女は珍しくぎこちない台詞を言い終わった後、肩に置いていた手を下ろし、部屋を出て行った。
    一人残された私は、彼女から伝えられた言葉の意味……自分の為に走るというのが、どういうことか。静かな部屋で、じっと思案に耽ったのだった。

  • 77パルフェ軍曹21/11/28(日) 16:33:30

    『さあ始まりました、氷輪賞! マイル路線の王道距離を走り抜けるのは、どのウマ娘か!?』
    スターティングゲートへと向かう、地下バ道。
    私は出口の光に向かいながら、目を瞑って今日の出来事を思い返していた。
    私を見送った、チームメンバーたち。
    「ルーン先輩……が、頑張ってください!」
    「……信じています。ベストを尽くせば、きっと勝てると」
    ネロだけは、私の顔をただじっと見つめ、何も言わなかった。彼女にしては珍しく、自ら無言を選んだのではなく、かける言葉が見つからなような、困惑を孕んだ表情だった。
    「……行って来ます」
    シールは、来られなかった。彼女は病室のテレビで、このレースの中継を見ているだろう。
    控室で、事前に持ち込まれた衣装箱を開く……中には一着の、真っ黒な衣装。魔法使いのローブに似た長い裾と袖。あちこちにあしらわれた銀色の幾何学模様は、ルーン文字……象られた文字の意味は知恵、旅、愛情、そして勝利。
    レースで着る事は、今まで一度も無かった勝負服。小さい頃、シールと一緒に毎週欠かさず見ていた、魔法使いのアニメの主人公をモチーフとしたものだ。
    主人公は、毎回のように事件に巻き込まれ、苦境に陥り、そして……知恵と魔法の力で、最後には勝利する。
    そんな意味が込められた勝負服の裾をたなびかせ、私は……スターティングゲートに入った。

  • 78二次元好きの匿名さん21/11/28(日) 16:40:02

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  • 79パルフェ軍曹21/11/28(日) 16:40:17

    『八番、ルーンライブラリ。七番人気です』『ライバルたちは強力ですが、好走を期待したいですね』
    出走枠は十四人。その内七番人気。実力よりも、むしろ今までの件が広まったせいで、良くも悪くも注目を集めているところが大きいだろう。
    非重賞にしか出なかったウマ娘。好走した妹との約束と、事故。そして一人で立つことになった、初めての重賞の舞台……まるで一編の演劇のようだ。
    出走は近い。私は一つ深呼吸をしたが、胸の動悸は鳴り止まない。まるで非重賞レースに初めて出走する、ジュニア期のウマ娘のようだ。すぐに自己嫌悪に陥りかける精神を、落ち着かせるので精いっぱいだった。
    『各ウマ娘、ゲートに入って出走の準備が整いました』
    勝てるか、勝てないか。氷輪賞というこのレースで、たった一人にしか与えられない勝利の栄光。それは簡単に手に入れられる物ではない。
    そして、負けたら、私がこのレースに負けてしまったら……一体どうなるのか、私には分からない。だって。
    『スタートです!』
    今まで負けたことなんて、無かったから。

  • 80パルフェ軍曹21/11/28(日) 17:01:09

    マイルは短距離に次いで短い距離。私のようなマイラーは勿論、中距離を得意とする準ステイヤーから、スタミナを捨ててスピードに特化したスプリンターまで、様々なウマ娘が走る。
    私にとって、特に注意しなければならないのはスプリンター。スタミナをアドバンテージとして差し切るのが私の戦い方だが、スパート勝負に持ち込むよりも先にゴールされてしまっては元も子もない。そして、今日のレースは……
    『前方から後方まで大きく開いて、縦長の展開だ』
    考え得る限り、最悪。逃げウマにスプリンターが二人、先行に一人。彼女たちがほぼゲートから出ると同時にスパートをかけ、それに引っ張られる形でレースが進んでいる。
    前に出たくなる。このまま差を詰める前にゴールがやって来るのではないかという恐怖が、脚を無駄に進ませようとする。必死に感情を殺そうとしても、先を行くシルエットは容赦なく小さくなる。
    (ラップタイムは……!)
    悪い予感は的中した。第一コーナーを曲がるのが、練習より明らかに早い……掛かっている。その事実が、私の精神を更に追い詰める。
    周囲の差しウマたちも、或いは前に出て、或いは後方で息を潜め、縦長の集団を形成し始めた。今までは、問題は無かった。先頭と差を付けられても、差し切れる距離を測ることが出来たし、何よりも……他のスピードやスタミナが、明らかに私より劣っていた。
    一歩足を出すたびに、張り子の栄光が崩れる音が聞こえる。

  • 81パルフェ軍曹21/11/28(日) 17:13:27

    (勝てない)
    それを理解してしまった。可能性が無いわけではなかった。運が良ければ、レース展開を予測できれば、或いは、もっと重賞の経験があれば……勝てていたかもしれなかった。
    しかし、現実。最終コーナーを曲がった時点で、先頭集団と大差。ここからどれだけ末脚を使っても、この差を埋める事は理論的に不可能。私の敗北は、確定している。今まで経験したことのない、未知の状況に、頭が真っ白に……
    『ここで抜け出したのは──』
    なりかけたところで、ふと。とある記憶が頭をよぎった。
    この状況、これにとてもよく似た状況。経験したことが無いのではない、私は知っている。一つだけ知っている。レースも、走っている人間も、脚質も違うが、こんな絶望的な状況を、そう遠くない過去に間近で見たことがある。
    新流記念だ。
    『ハナを進むシールライブラリ!』
    スピード、スタミナ、その他あらゆる面でこれ以上は走れなかったシールが、走ったレース。様々な要素が異なっていながら、よく似ている、そう感じた。

  • 82パルフェ軍曹21/11/28(日) 17:33:13

    視界がぼやけ始める。レースの終わりが近い。一刻の猶予も無い状況だが、私はあの子のことを思い出していた。
    レースで好走を見せた日の、戸惑ったような声を思い出した。
    『あ、あの時……あの時は……』
    『良く、分からないです』
    親友から伝えられた、あの子の言葉を思い出した。
    『一回くらい……自分の為に走ってみたら?』
    『ルーンに、自分の為に走って欲しい、って』
    あの日……全ての運命が変わったあの日、交わした約束を思い出した。
    『私は、答えを見つけます。見失ってしまった、私の走る意味を』

  • 83パルフェ軍曹21/11/28(日) 17:33:22

    私は顔を上げる。レースは続いている……筈なのに、レースの様子が視界にない。代わりにおかしなものが見える。
    視界の一面に広がる、本の山だ。一冊一冊が分厚く、丁寧に装丁されており、まるで世界の真理が書いてあるかのようだ。それがうず高く積まれている、図書館の光景だ。
    見える筈もない物を見ているのに、私の心は不思議と冷静だった。まるでそれが当然であるかのように、目の前にあった一冊の本を手に取る。ずっしりとした確かな重みが、私の腕に伝わる。
    それを開ければ、そこには答えが書いてある。このレースを走るための、答えが。そう思った。しかしまだ開くわけにはいかない。
    私はなぜ走るのか。あの子が言っていたこと。私が知っていること。それを自分の手で見つけ出さなければ、知識は答えてくれない。

  • 84パルフェ軍曹21/11/28(日) 17:37:25

    私の走りの原風景は、小学校の、あの日のこと……私はシールを揶揄った上級生をレースで打ち破った。そして、シールが喜ぶのを見て……
    『私、お姉ちゃんの妹で、良かった、って……!』
    私が、心の底から、嬉しかった。

    トレセンにシールが入学し、新流記念に出場して、最終コーナーからの立ち上がり、その後の氷輪賞での挑戦状……
    『そこで、私と……戦って、下さい……!』
    『やめて……!』
    私が、心の底から、恐ろしいと思った。

  • 85パルフェ軍曹21/11/28(日) 17:46:41

    シールが喜んでいて嬉しかったのは、私だ。シールが私に挑戦し、或いは勝つかもしれないという予感に、恐怖を感じたのは、私だ。全ては私の損得に基づいて導き出された感情だ。
    『ルーンに、自分の為に走って欲しい、って』
    違う。私は初めから、あの子の為に走っていたのではない。
    あの子に頼られる、姉としての私を守るため。私の為に、走っていた。
    抱えた本が、私の感情の高揚に呼応するかのように熱を帯びる。ページがゆっくりと開くにつれ、もう一歩も動けないと思われた脚に、力が籠る。
    だから勝った。勝てばあの子は私を慕ってくれるから。
    だから負けられなかった。負ければあの子が、かつての上級生がそうなったように、私を見捨てるかもしれないから。

  • 86パルフェ軍曹21/11/28(日) 17:50:16

    小学校のレースを走ったのも、その為だ……
    トレセンに入学したのも、その為だ。
    非重賞レースばかりを走ったのも、その為だ!
    そして、

    『守られてばかりの私じゃなくて、ひと──!』

    あの時シールを見殺しにしたのも。
    その為だ。
    「……え」
    抜け出そうとしていた脚を、何かが掴んだ。
    ような気がした。

  • 87パルフェ軍曹21/11/28(日) 17:50:38

    『──今、一着でゴール!』
    我に返ってみれば、先頭集団はとっくにゴールラインを切っていた。幻覚は消え、レースは終わった。
    どこか拍子抜けしたような感情を抱えた私を、後ろから来たウマ娘が追い抜いて行った。

  • 88パルフェ軍曹21/11/28(日) 17:53:48

    ライブ終了後、さっさと控室に戻ってみると、そこにはネロとエマが待っていた。
    「先輩……その、結果は残念だったけど! 私、良かったと……」
    「ありがとうございます、エマさん」
    「え? あ、うん……」
    「……ルーン、大丈夫?」
    「大丈夫に決まってますよ、ネロ」
    どこか怪訝な表情の相方に、私は微笑んで見せた。
    「私、自分の走る意味、見つけましたから」

  • 89パルフェ軍曹21/11/28(日) 17:58:47

    蛍光灯が照らす病室に、私と、シールが居た。
    シールはベットに横たわったまま、じっと私の顔を見つめている。その眼は……懐かしさを覚えるような色。

  • 90パルフェ軍曹21/11/28(日) 17:59:09

    「お姉、ちゃん……」
    「はい」
    「走る意味、見つけた?」
    「ええ」
    私は微笑んで答えた。
    「レース、楽し、かった……?」
    「ええ」
    私は微笑んで答えた。
    「……後悔は……してない?」
    「ええ」
    私は微笑んで答えた。
    シールはそれきり黙ってしまう。その右手を両手で包み込んで、私は優しく言う。
    「お姉ちゃんは、シールがどうなっても、ずっと、ずーっと、シールのお姉ちゃんですから。安心して下さい、ね?」
    心の底からの笑みを浮かべて、言う。
    シールは……頷いた。

  • 91パルフェ軍曹21/11/28(日) 17:59:40

    緩やかに下降し始めるエレベーターの壁にもたれて、私は先程の会話を思い出していた。
    『後悔は……してない?』
    後悔。彼女は後悔を問うた。
    それに対する私の回答は、一切の嘘偽りない本心……後悔など、ある筈がない。
    氷輪賞の結果は関係ない。いや、そもそもあんなレースに意味は無い。私は開きそうになった本を閉じ、全力で走らなかったのだから、負けるのは当然のことであって、勝敗は無効だ。当然のことだ。ギリギリでそれを選択できたのは、あることに気が付いたからだ。
    私は『勝った』、それ以前の段階でとっくに『勝っていた』ということ。そう、事故の起こった日に、勝負はついていた。私と、あの子の勝負は。

    私は『姉』で、これからも走り続ける『勝者』。
    あの子は『妹』で、二度とは走れない『敗者』。

    私がこれからも勝ち続ける限り、もはやこの関係が覆ることは無い。もはや勝負の土台に立つことすら出来ず、私を打ち負かそうなどと考えることも出来ず、勝者に依存することでしか生きることの出来ない、永遠の敗者として……シールが私の元から居なくなることは無いだろう。これこそが『勝ち取る』ということ。

  • 92パルフェ軍曹21/11/28(日) 17:59:48

    破裂するような情動が胸の内からこみ上げてきた。ああ、これこそ勝利の歓び。ただ勝ち、征服し。望むものを得た時に得られる快感!
    「……ッフフ」
    両手で顔を覆っても、抑えきれない笑いが漏れる。
    「私の、勝ち」
    エレベーターの速度が緩やかに落ち、扉が開いた──

  • 93パルフェ軍曹21/11/28(日) 18:00:23

    【勝利の栄光】ルーンライブラリ編 完

  • 94パルフェ軍曹21/11/28(日) 18:02:24

    (間に合った~~~! 対抗戦間に合った マジで一安心 みなさんいいねとコメントよろしくお願いします。スマホの方は一番下の投稿欄から、パソコンからご覧の方は一番下の投稿欄からどうぞ)

  • 95パルフェ軍曹21/11/28(日) 18:06:54

    (なお、このSSは実在のレース並びに競走馬への誹謗中傷の意図は一切ありません。)
    (エンハンブレという競走馬は実在されるようですが、そちらも一切の関連はありません。ウマ娘の方はいないかしっかりチェックしてたけどチーム名の方は考えが及びませんでした。許してください。)

  • 96パルフェ軍曹21/11/28(日) 19:46:09

    (対抗戦は今日ではありませんでした上げ保守)

  • 97二次元好きの匿名さん21/11/28(日) 20:43:06

    すげー力作だ…軍曹ってこっちの方だと真面目なのか…

  • 98二次元好きの匿名さん21/11/28(日) 20:46:19

    これハッピーエンドか!?ハッピーエンドかこれ!?

  • 99二次元好きの匿名さん21/11/28(日) 23:31:11

    保守

  • 100パルフェ軍曹21/11/29(月) 07:55:56

    モーニング・保守
    こっちの方だと真面目ってどういう意味???

  • 101二次元好きの匿名さん21/11/29(月) 17:03:05

    保守あげ

  • 102二次元好きの匿名さん21/11/29(月) 21:50:30

    保守

  • 103パルフェ軍曹21/11/29(月) 22:14:54

    ウマ娘のレースは、基本的には個人競技だ。
    当然の話だ。全員の中で自分が何番目に早いか、ってのが一番重要な要素だから。基本的に、周りにいるのは全員敵。
    一応、チームレースというものも存在はする。一チームは大抵三人。そっちにもなんか冗談みたいな名前のトーナメントがあって、まあそれなりには盛り上がっている。
    でもまあそっちにしたって、結局問われるのはチームの中で一番速かったウマ娘が何着だったか、って部分だ。チームの殆どが着外でも、一人が一着を取っていれば、そのチームの勝ち。脚質被りとか、ある程度作戦を立てる余地はあるかもしれないけど、基本的にはやることは変わらない。誰よりも早くゴールすること。出来れば一着を取ること。
    だから、"強いチーム"というのが存在するとしたら、それは全員がまあまあハイレベルなチームなんかではなく……

    『一着オメルタ! 一着オメルタ! 敵も味方も抜き切って、今大差で圧倒的勝利!』

    最強の個が存在するチーム、ということになるんだろうね。

  • 104二次元好きの匿名さん21/11/30(火) 08:27:55

    保守

  • 105二次元好きの匿名さん21/11/30(火) 19:59:21

    保守

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