【SS】かみうま

  • 1二次元好きの匿名さん22/11/24(木) 21:12:03

    SSを投稿します
    オリウマに属すると思います。したがって、ご注意ください
    以下、6レス使います

  • 2二次元好きの匿名さん22/11/24(木) 21:12:42

     故郷は山のふもとにあった。この山は神社を頂いている。由緒ある宮だと聞くが、幼い頃から親しんだ身としては実感がない。社格に気負わず足を運んだ。
     不敬をおそれず言うなら、祭神にしてからがよくわからない。記紀にその姿は見えず、比較的新しい神ではないか。大陸に起源を持つともいう。歴史の上では、たびたび戦の要所とされた。ゆえに武家が厚く奉った。縁結びの神と見なされ、勝利縁にそれこそ結びつけられている。
     私が子どもの頃、この神社にはひとりのウマ娘がいた。美しい白毛のウマ娘だった。巫女服とはやや異なる清廉とした衣装に身を包んでおり、普段は境内の掃除をしたり、参拝客の案内をしている。彼女が何者であるのか、神仏を問わず信心深かった祖母に訊ねると、
    「神様のお手伝いさんや」
     そう短い説明がある。

     熱心な野球少年であった私は、大事な試合の前になると、願掛けとして山をのぼった。
     きまって、舗装されていない山道を駆けた。自動車が走ることのできる、コンクリートで塗り固められた参道もあったが、そちらは選ばなかった。理由はよくわからない。単に好みと言える。木の根が太くうねり、這い、拳ほどの大きさもある石が転がる道を、私はむしろ好んでいたのだろう。一歩ずつ踏みしめるごとに漂う腐葉土のかおりは、今でもはっきり思い出せる。
     境内にはクスノキが多く植えられていた。特に成長し、枝葉が濃く重なる場所などは、昼間でも少々薄暗く感じられたものだ。生い茂る大木の下を潜るように歩きながら、正門を抜け、本殿の前で鈴を鳴らす。続けて二度頭を下げ、パンパンと柏手を打ち、最後に一礼する。沈黙し、「次こそは勝ちます」と心に誓う。あるいは「次も勝ってみせます」と宣う。私にとり、そこは祈りを捧げる場ではなく、決意を明らかにする場だった。勝敗とは頼むものではなく、決するものである。
     そのような習慣の中で、私は彼女と交流する機会を得た。それは片手で数えることができるほどに乏しいかかわりであったが、幼少期の思い出として心に刻み込まれている。今でもクスノキが大きく育っているのを見ると、ふいに彼女を思い出すことがある。

  • 3二次元好きの匿名さん22/11/24(木) 21:13:33

     彼女はきわめて穏やかだった。
     神に仕える身としては、当然の態度だったのかもしれない。しかしながら、当時の私が思い浮かべるウマ娘とは、テレビの向こうでレースに臨む競走ウマ娘のことだった。愛想よくファンサービスに勤しむかたわら、ゴール前の競り合いでは、恐ろしささえ感じる形相で勝利を納めようとする。レースが終わってみたところで、ウイニングライブでは笑顔を振り撒き競走とは異なるパフォーマンスを発揮するのが常で、ここに気性の激しさを見出だすなという方が無理な話だ。アスリートは例外なく苛烈な精神性を抱えているのだろうが、ウマ娘はそうした態度が顕著に思えた。つまり、彼女もまたウマ娘であるのだから、御霊が二面を持つように、きっと和ばかりでなく荒の顔も持つはずだと考えたのだが──この理解は、おそらく誤りである。繰り返すが、彼女はきわめて穏やかだった。怒っている姿など、ついに見ることがかなわなかった。その気性は生来のもので、だからこそ彼女は競走ウマ娘として大成しなかったのかもしれない。
    「トレーニングに励んだこともありましたが、ついに芽が出ませんでした」
     と、彼女は静かに語ったものだ。
     社務所の近くには庵が設えてあり、聞けば彼女はここで寝泊まりしているという。神社に奉られたウマ娘は、そのように暮らすのが常であるとのことだ。「まあ、社員寮みたいなものです」そう説かれるも、不便ではないかと幼い私は不躾に訊く。
    「お休みは当然ありますし、山を下りて買い物に行ったり、友だちと出掛けたりもしますよ」
     回答があり、そういう仕事なのかと続ける私に、
    「そうですね。私のつとめはこれなんです」
     ひらりと袖をひるがえしてみたりする。

  • 4二次元好きの匿名さん22/11/24(木) 21:14:16

     彼女のようなウマ娘は、各地の神社の歴史の中に、数多く登場する。白毛が一般的だが、古い資料では黒毛も正統とされ、栗毛の記録も残されている。いわく、先に記したような「お手伝いさん」であるという。またいわく、神を導く案内役を務めるのだともいう。またまたいわく、人びとの願いを伝えるメッセンジャーであるともいい、ちょっとはっきりしない。私としては二番目の案内役説が気に入っており、天地を賑わす天津神が地上に降った際、それに副った最古の踊り子などにも関連付けられそうだと思っている。
     もっとも、実情は素直な信仰心から生まれた習わしだろう。荒ぶる神を鎮めるため、人びとは価値あるものを捧げようとした。百人力のウマ娘が古代社会でどの程度の価値を持っていたのか、想像に難くない。あるいは口減らしの意味もあったのではないかとする流派もあり、ウマ娘はみな美貌の持ち主だから、神話や古典にありがちな下がかった論説もあるようだが、門外漢なのでここでは措く。神々の伴侶と見なされ、その一生を境内で過ごしたウマ娘もあったということだが、定かではない。
     共通しているのは、彼女たちはいつも神と人のあわいに立っていたという点だろう。

  • 5二次元好きの匿名さん22/11/24(木) 21:15:15

     ひとくちにウマ娘と言っても、すべてが競走ウマ娘となるわけではない。トゥインクル・シリーズで走るウマ娘は、実のところほんの一握りで、ほとんどは競うことさえ叶わない。プロフェッショナルを志した野球少年が、ついに自分の限界を悟るように、勝負の世界はそこに立つべき者を残酷に選ぶ。
     私は高校に進学する際、よりレベルの高い環境を求め、越境し生家を離れ寮生活に入った。結論から言うと、このときの決断は実を結ぶなかったことになる。三年間、努力を惜しむ日はなかったが、才能が致命的に欠けていた。それでも無理を続けた挙げ句、大学で故障が本格化し、夢にまで見た舞台で活躍する機会は、永久に失われた。
     彼女もまた、そうであったのではなかろうか──退部し、時間を持て余した私は考える。レーサーとしての本望があり、そのために努力を重ね、挑戦し続けた。しかしながら、結果はどうだろう。神社の庵で参拝客を迎え、柔らかに微笑んでいる。その心の機微をはかり知ることなどできるはずもない。それでもなお言わせてもらうなら、彼女は乗り越えたのだ。才能がないという事実を踏まえ、人生は続いていくという現実を認めた上で、自らの役目をつとめた。──「かみうま」という在り方は、彼女の歩みのすべてを表している。それが望むものであったかどうかはともかく、そうなっており、それを受け入れている。
     ならば、と志半ばに折れてしまった私は結んだ。自分にできることを、精一杯成し遂げよう。樹齢を重ねたクスノキの下、私の夢を笑わず、きっと神に届けてみせると約束した彼女に、恥じることのない自分であろうと誓った。勉学に励み、目標に届かなくてもなお、至れる道があるのだということを、証すために日々を過ごしていった。

  • 6二次元好きの匿名さん22/11/24(木) 21:16:04

     就職を機に、私は故郷へ戻ることになる。
     何を決するわけでもなかったが、私は山をのぼった。腐葉土を踏みしめ、クスノキを見上げながら──彼女の待つ境内へと、足を進めていく。中学を出てから、実に七年ぶりの帰郷だった。
     しかしながら、彼女の姿は見られない。庵に人気はなかった。掃除か案内に出向いているのかと思い、本殿に向けて歩いていると、たまたま宮司の姿がある。声をかけ、挨拶し、何気なさを装って彼女について訊ねた。すると、
    「『かみうま』は、去られました」
     恭しい一礼がある。
     私は呆然と立ちすくんだ。

  • 7二次元好きの匿名さん22/11/24(木) 21:16:41

     実家に帰り、私は宮司とのやり取りを母に話した。あの美しい白毛のウマ娘は、亡くなってしまったようだ。そう伝えると、母は私の好物を配膳しながら、信じられないものを見たといったような表情で言う。
    「あのお姉さんやったら、結婚して家庭に入らはったで」
     は、と酒杯を傾けながら私は声を漏らす。
    「あんたがここ出て、少ししてからやな。近くに住んでるみたいで、たまにスーパーで会うわ。ぼちぼち子どももできるみたいで、幸せそうやったよ」
     私と彼女のかかわりの顛末は、そのあたりに落ち着くことになる。
     去ったというのは、あくまで神に仕えるウマ娘がというような意味であるらしく──山を下りたひとりのウマ娘は、家族を見つけ今日も生きている。彼女が言う「つとめ」とは、正しく仕事の意味だったのだろう。神と人のかかわり方も変わり、近代化が進んでいる。
     生きているのならば、きっといつかどこかで、ふたたび見える日が来るだろう。私は素ぼくにそう考えた。もしその機会が与えられるのなら、道のりはきっと腐葉土におおわれている方がいい。青々と茂るクスノキの葉が、強い日差しを遮る。私は今日までの人生を語り、彼女は縦に伸びたその耳を、こちらに傾けてくれるに違いない。私がここに在るように、彼女もまた、そこに在る。

  • 8二次元好きの匿名さん22/11/24(木) 21:18:36

    神馬(じんめ、しんめ、かみうま)という存在があります
    神社に奉納された馬のことです。奉納とは、「価値あるものを神に捧げる」ことを意味します
    生家の最寄りの神社には、白い毛の馬が飼われていました。穏やかで、美しい馬でした。幼いころ、人参をあげた覚えがあります
    少し調べてみると、サラブレッドであるようでした。しかしながら、競走の記録は見当たりません
    さらに調べてみると、すでに亡くなっているようでした
    それぞれ、さまざまな馬生があるのだと思い、書きました
    『おもいより、おもいかけ』を交えたかったのですが、難しいものです。そろそろ年が明けますね

  • 9二次元好きの匿名さん22/11/24(木) 21:23:22

    お伊勢さんの外宮に居たのはたしかアラブとサラブレッド種の混血の皇室御用達の御料牧場で育てられたお馬さんだったなあ

  • 10二次元好きの匿名さん22/11/24(木) 21:57:04

    この文化風習や地域とウマ娘の関わりシリーズすき

  • 11二次元好きの匿名さん22/11/24(木) 22:04:09

    全編を通じた等身大で飾りけのない雰囲気が、聖域とウマ娘とのかかわりに自然な重みと迫力を持たせているようで、「ああ自分が知らないだけで確かにこんな世界が存在するのだろう」と納得させてしまう不思議な力がありました。
    面白かったです。ありがとうございます。

  • 12二次元好きの匿名さん22/11/24(木) 22:21:58

    読んでくださってありがとうございます

    >>9

    それは興味深いですね。少し調べてみることにします

    >>10

    馬との身近な関わりや風習を、ウマ娘的に解釈しようとするのは楽しいですよね。わかります

    >>11

    境内ってちょっと言葉にしづらい雰囲気があって

    そこを犬や猫ではなく、馬が歩いていたのですから、非日常の光景として、今も心に残ってます

    「ああ自分が知らないだけで確かにこんな世界が存在するのだろう」という言葉は、とても嬉しいです。まさしくわたしがフィクションに求める感情のひとつでもありますから


    それではおやすみなさい

  • 13二次元好きの匿名さん22/11/24(木) 23:36:43

    あげ

  • 14二次元好きの匿名さん22/11/24(木) 23:51:47

    なんか上手い事感想言いたいけど感情に追いつかないな…大変面白かったです!

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