【SS】カフェとタキオンが怪奇事件の相談を受けて温泉に入る話【ウマ娘×ミステリ】

  • 11◆I1615Zagtc21/12/26(日) 11:08:00

    ※ 事件編 / 解決編 に分けて時間差投稿します。

    ※ 9,000字 / 6000字 くらいありますがよろしければお付き合い下さい。


  • 21◆I1615Zagtc21/12/26(日) 11:08:27

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     「ごらんよ、まさに『トンネルを抜けると雪国であった』だねえ!」
     「……意外と、はしゃぎますよね」
     青鹿毛のウマ娘、マンハッタンカフェは、その漆黒の髪と同じ色をした長いまつげを伏せてため息をついた。今までアイマスクの下に匿っていた瞳に、銀世界がまぶしい。
     暖房の効いたバスの車内にはカフェの他に2人。運転手と、カフェの隣で窓の外を見つめる栗毛のウマ娘、アグネスタキオンだけである。
     「ふむ……君は自分の置かれた状況にピッタリの文言を見つけた時、嬉しいとは思わないのかい?」
     「……すみません。よくわかりません」
     タキオンはカフェのそっけない応対にため息を漏らすと、今度は眼下の川を指差した。
     「例えば……ほら、あそこで漁をしている船、アウトリガー船だよ。知っているかい?もし知らないのなら、君は『隣の舟には誰が乗るんだい?』とトンチンカンな質問をしてしまうだろう。見たもの感じたものを言語化できるというのはそれだけ──」
     額に上げていたアイマスクを目に戻し、視界と無駄話をシャットアウトする。
     カフェが商店街の福引で温泉旅行券を引き当てたのは年明けのこと。
     慰労も兼ねてトレーナーさんと、と思っていたところに現れたのは、同じく温泉旅行券を手にしたタキオンだった。話はあれよあれよと彼女と彼女のトレーナーも含めた4人で……という流れになり、加えて、突如発された理事長の招集。トレーナーさんたちの1日遅れの合流が決まって、往路はこの厄介な友人との二人旅となった。
     目的地は人里離れた小さな村、電車とバスに揺られて5時間の旅である。
     「──このあたりは流れが早いし、岩も多いみたいだね。それで復元力が高く、喫水も浅い双胴船に近い形状のアウトリガー船を……」
     「タキオンさん」
     「どうしたんだい?」
     「……私は、寝ています」
     「起きてるじゃないか」
     「……寝ているんです」

  • 31◆I1615Zagtc21/12/26(日) 11:08:38

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     2人はチェックインを済ませると、荷物から必要なものだけを取り出して露天風呂へと向かった。
     この村唯一のウリである、川と隣接した天然石の露天風呂。
     温泉の熱が届かない脱衣所周辺には雪が積もってしまっていて、湯船へと向かうにはビーチサンダルを必要とした。
     大小の岩石を並べて階段状に分けられた湯船は、川の水を取り込んで上流が最も冷たく、下るにつれて暖かくなるように並んでおり、2人は雪に震えながらちょうどいい温度の場所を探して腰を下ろした。

     先程までは積雪に吸収されていた水流の音が、ここではダイレクトに伝わってくる。他には誰も居ない。貸切状態だ。
     「ううーん、開放的で結構!」
     タキオンが湯船の中で手足を伸ばす。カフェも真似をして長時間のバス移動ですっかり固くなってしまった体をほぐした。
     硫黄の香りに紛れて緑と木の香りがしている。頭上は雪山に切り取られたライトグレーの冬空が広がり、ちらつく雪に加えて立ち上る湯煙も濃い。好天とは言えないが、身体と心を休めるには丁度良い景色だ。
     「水着着用の義務があるのは少し残念かな」
     「……構造上、仕方ないです。視界を遮るものがありませんから」
     この話題は脱衣所でも口頭に上った。貸し切り状態なのだからタオルで隠せばそれでいいんじゃないか、などと言い出すタキオンの尻を引っ叩き、トレセン指定の水着に包むという一悶着を演じた疲れは、今しがた湯に溶けていったところだ。思い出させないで欲しい。

  • 41◆I1615Zagtc21/12/26(日) 11:08:51

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     「……ここを紹介してくれた乙名史君には感謝だね」
     乙名史悦子女史は「月刊トゥインクル」の記者であり、カフェにとっても顔馴染みだ。タキオンの分の旅行券を提供してくれた人物でもある。なんでも、友人の故郷であるらしい。
     「……ええ、お土産でも、買って帰りましょう」
     そういえば、この村に到着してから、商店らしいものを旅館の中でしか見かけていない。お土産や間食を買うには困らないだろうが、ここの人たちはどやって生活しているんだろうか?そんなことを考えながら、息を止めて鼻まで湯に浸かる。

     その視界の先、湯煙の奥に、異様なものが写った。
     カフェの耳が警戒を顕したのに気づいたタキオンも、その視線を追って同じものを捉える。
     温泉として岩に囲われた、その向こう側。川岸の流れが停滞したエリア──水制や湾処と呼ばれる地形だ──何かが浮かんで揺れている。
     いつの間にか肩が触れあう距離まで来ていたタキオンと目配せをすると、立ち上がって湯船の中をゆっくりと歩き始めた。次第に自分たちと漂着物を隔てていた湯けむりのベールが薄くなっていく。同時に足元の湯の温度は徐々に上がっていたが、2人の感覚は前方だけを向いていた。

     それは、「人形」だった。そう形容するしかない。

     大小の野菜と果物がネットと荒縄で繋ぎ留められ、不恰好な人型を取っている。
     それが水面に揺られながら、滑稽なポージングを続けていた。

  • 51◆I1615Zagtc21/12/26(日) 11:09:02

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     「あれは先週末でしたか……」
     カフェとタキオンから人形のことを聞いた女将さんには心当たりがあったようで、お茶菓子を前にゆっくりと語り始める。
     場所は2人の宿泊先である旅館のミーティングスペース。旅館を取り仕切る彼女は、露天風呂の管理責任者でもある。
     「……村の観光地化の一環として、上流にあります、廃村に手を入れることになりまして、そこにある土地神を祀った祠で地鎮祭が執り行われました。その際、供物として使用されたのが、あの人形です」
     「地鎮祭で……供物、ですか……」
     「ええ……土地神は元々妖怪やもののけの類い、荒ぶる神と言われていますから、そういったものを捧げるのです」
     伝統的に人柱の代わりとして人形を使うというのは珍しいことではない。野菜や果物は血肉の代わりということなのだろう。
     「通常は、春になるころ回収するのですが……それまでの間に供物が無傷で流れ着くのは、土地神の健在な証、隆盛の証……すなわち、凶兆や祟りとされているんです」
     「無傷……確かに目立った傷は無かったね」
     言われてみれば川岸に座礁し、ぶつかった痕はあれど、大きな引っかき傷や割れは無かった。どれも水からあげれば食べられそうに見えたほどだ。心証はともかくとして。
     「祠からここまでの間には岩肌の露出した急流が続いています。ここまで流れついて無傷というのは……通常は考えられません」
     「なるほど……」
     つまり、人形を運んだのは急流ではなく、怪異の類、あるいは……
     「誰かが陸路を運んだんじゃないかい?」
     そういうことになる。
     しかし、タキオンの言葉に女将さんはゆっくりと頭を横に振って答えた。
     「現場は私どもの露天風呂がある川岸ですから、監視カメラがございます。風呂場の監視は営業時間外のみですが、周囲は24時間」
     「ありがたい話だよ、まったく」

  • 61◆I1615Zagtc21/12/26(日) 11:09:16

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     妙な事になった。
     2人のウマ娘は無言で部屋に戻ると、これまた無言で風呂上がりのあれこれを済ませ、旅館の浴衣に袖を通してからテーブルを挟んで座った。
     あんまり考えたくない。今は休養なのだ。明日にはトレーナーさんたちも合流する。
     しかし、どうしても頭の中は先ほど見た光景を反芻していた。
     「……カフェー、あのとき、霊的な感じは?」
     それはタキオンも同じのようだ。
     「……ありませんでした」
     「そうか……」
     いっそ、妖怪の仕業だと言い切れてしまった方が良かったかも知れない。そうすれば、少なくともタキオンだけは「それじゃあ、任せるよ」と、厄介ごとを投げ出して残りの休養を楽しめただろう。
     しかし、そうではない。これは誰かが何らかの目的を持って起こした「事件」だ。

     ふと、扉が叩かれて、2人は自分たちが随分長い間沈黙していた事に気づいた。
     カフェが返事をして立ち上がる。
     「あの、お疲れのところ失礼します。こちら、観光地化の指揮をとってらっしゃる……」
     「こういうものです」
     女将さんの背後から進み出たのは、気の強そうな女性だった。イヤーマフを首にかけ、肩にはうっすらと雪が積もっている。この村の出身で女将さんの幼馴染、今は起業して故郷の活性化を掲げる社長さんだそうだ。
     シンプルなモノクロ印刷の名刺に、「代表取締役社長」の文字が重たく光っている。
     普段、こういったビジネスマナーを要求されるやり取りをトレーナーさんに任せっきりにしているカフェは、ドギマギしながらも両手でそれを受け取ると、しまい込む場所に困って、様子を伺っていたタキオンに手渡すことで誤魔化した。
     「それで……私たちに何かご用でしょうか?」
     「不躾だけど、お願いがあるの。霊視のお願いよ。悦子ちゃ……乙名史記者から活躍は聞き及んでいるわ」
     「できれば、レースでの活躍だけをお耳に入れたいところだよ」
     つぶやくようなタキオンの言葉に、カフェも心の中で深く頷いた。
     乙名史記者へのお土産は、無しにしよう。

  • 71◆I1615Zagtc21/12/26(日) 11:09:28

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     祠のある廃村は、かつてこの村が林業で栄えた際に居住地を広げようと上流に拓かれた。当初は川を利用して木材を運搬する目論見だったらしいが、どうやっても急流により木材がひどく傷つくことが分かり、その後は細々と薪の生産拠点として続いていた。
     昭和初期には何処かから都合のいい噂を聞きつけた富豪が再び林業を興そうとしたものの、いくつかの施設を残して頓挫し、彼らの撤退が決定打となって廃村となった。
     「それ以来、祠だけが町内会の持ち回りで整備、管理されています」
     そして、観光地化の計画、地鎮祭へとつながるらしい。
     社長さんが貸してくれた黒いケースのタブレットには、開発計画のイメージ画像が映し出されていた。スキー場にロッジ、温泉。そこにやや不釣り合いな民俗資料館と祠の文字が並んでいる。
     「あの……霊視といいますが、本格的な事はできません。……私より、地鎮祭を執り行った宮司様を頼ってはいかがでしょうか?」
     「実は、もう下山してしまっていて……加えて、この天気でしょう?」
     社長が天気予報アプリを立ち上げる。表示箇所を埋め尽くすように雪だるまが並んでいた。
     「おっと、これは……出発前に見たのよりも悪化しているねえ」
     トレーナーさんたちは大丈夫だろうか?
     「積雪の少ないうちなら、廃村まではクローラー付きの雪上車を出せますが、寒波の予報です。今を逃しては雪解けの春まで待つことになるでしょう……ですから、どうかお力添えを……」
    「私からも、お願いします」
    女将さんも頭を下げる。
     時間制限付きというわけだ。
     タキオンと目が合う。その赤褐色の瞳の奥には、わずかな好奇心の炎が揺れていた。
     「……わかりました。この相談、引き受けます」

  • 81◆I1615Zagtc21/12/26(日) 11:09:41

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     扉が閉められると、カフェはいそいそと座椅子に戻った。
     去り際に、一応、共同の依頼主だからと社長に促されるまま渡された女将さんの名刺をタキオンに押し付け、自分のスマートフォンを取り出す。通知が数件。温泉に人形騒ぎにと全く気づかなかった。慌てて着信履歴から折り返しの電話をかける。
     日本家屋然とした旅館の見かけによらず、フリーwi-fi完備であることが天の恵みにも思えた。

     「──もう引き受けてしまったからね。良きに計らうとするよ。それじゃあ」
     カフェがトレーナーさんから、寒波と積雪の予報でバスが運行見合わせとなっている旨の連絡を受けている間、タキオンは乙名史記者に事の次第を問い質していた。その通話も今、ややぶっきらぼうに閉じられたところだ。
     「……トレーナーさんたち、予定より遅れるそうです」
     「乙名史女史は一応、悪気は無かったようだ。友人──先程の社長が、地元の活性化に力を入れているから、PRになれば、と紹介しただけらしい。私たちの“活躍”もそこで話していたそうだ」
     どちらからともなく、深い溜息をつく。
     元々身体を休めるため温泉以外に何もないような場所を選んだ休養だ。他にすることもない。とはいえ、寒波が過ぎ去って合流を果すまでにはこの奇妙な依頼を解決してしまいたかった。
     「ところでカフェ、もし、祠に祀られるような……神様くずれや、神格化した怪異が相手でもなんとかなるものなのかい?」
     「……私と、トレーナーさんの身を守るくらいでしたら」
     もっとも、そういった存在が残り香の1つも感じさせないということは考えにくい。
     明日は依頼主の意向通り祠を見てみるつもりだが、現場検証の意味合いが強くなるだろう。そこまで考えたところで、向かいに座ったタキオンから「いやいやいや、私も守っておくれよ!」とツッコミが飛んでくるのが聞こえた。

  • 91◆I1615Zagtc21/12/26(日) 11:09:52

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     予報通りの雪は夜の内から降りはじめ、カフェとタキオンは旅館の雪下ろしの音で目覚めた。この宿では女将さんの仕事なのだ、とは、昨晩食事の際に聞いた話である。
     登山用のインナーを着込み、ニットと撥水機能のあるパーカーで寒さ対策を整える。耳を守ってくれるニット帽は同室のユキノビジンが贈ってくれたものだ。
     一方のタキオンはカイロの物量作戦を選択したようで、時折あくびをしながら、服のあちこちに貼り付けたり、挟んだりしていた。
     気がつけばスマートフォンには雪上車手配完了のメッセージが届いている。
     窓越しの冷気で冷たくなったカーテンを開けると、風こそ弱いものの、風景を染め上げるほどの降雪。殆どが白の景色で明るいのか暗いのかも判然としない有様だった。これで予定を中止にしないあたり、ここの人たちにとっては慣れっこなのであろう。

     雪上車は普通のハイエースのタイヤにブーツを履かせるようにクローラーを取り付けたものだった。興味深そうに観察するタキオンの袖を引いて後部ドアからに乗り込む。内部は通常の座席が取り外され、車体に沿った対面座席、真ん中にオイルヒーターという構造になっていた。
     「社長さんは昼から電話会議だと……そこにあるタブレットは自由に使っていいってさ」
     運転手さんが不機嫌そうに言う。出発前に女将さんとの話を傍聞きしたところによると、彼は社長さんの部下ではなく、町内会の所属らしい。運転席背面のポケットには、昨日見たのと同じ、黒いケースのタブレットが半分顔を出していた。
     「……運転、よろしくおねがいします」
     「あいよー、揺れるしシートベルトも無えから気をつけてな」

  • 101◆I1615Zagtc21/12/26(日) 11:10:04

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     時折大きく揺れながらも、車が雪道を進んでゆく。運転手さんの話によると、積雪が無ければ現場まで20分程度。今回は新雪の中、クローラーで制限されていることもあり、往路はその3倍程度の時間がかかるとのことだ。なるほど、社長も同行したくはないだろう。
     タキオンは油断すると車酔いしそうだと言って、出発直後からずっと進行方向を見つめている。
     「……そういえば、祠に祀られている土地神とは……どういった言い伝えがあるのですか?」
     「あァ?そうだな……」

     かつて、この地には瘴気が立ち込め、その根源たる大蛇の姿をした荒神が棲んでいた。
     そこへ天から神馬が遣わされ、神馬が大地を強く蹴ると大蛇の身体からは血が吹き出して川となり、横たえた身体は山の峰へと変わった。

     運転手さんの話を要約すると、だいたいそんな感じだ。
     「うーん、どうだろう?治水や天災を置き換えたような感じに見えるね」
     「ええ、ですが……そこに土地神という器を与えたことで、流動的だったイメージが凝り固まって像を結ぶことも……」
     車が一際大きく跳ねて、カフェは舌を噛まないよう言葉を切った。

  • 111◆I1615Zagtc21/12/26(日) 11:10:16

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     廃屋は一様に雪の重みで押しつぶされるか、屋根が抜けるかしており、そのどれもが昨晩からの雪で白く凍てついていた。その中で一軒、例外的に無事な家屋が民俗資料館として改装予定の造船所だという。
     「こんな山の中に造船所とはねえ」
     「……昭和初期に建造……木材を現地利用し、下流で販売する目論見だったそうです」
     タブレットの資料を確認しながら、カフェはなんだか間の抜けた話だと思った。木材でも渡れない急流なのになぜ、舟なら大丈夫だと思ってしまったのだろう。
     車外の寒さに下車するのを渋るタキオンの手を引き、膝の高さまで積もった新雪の上に降り立つ。
     「少し、歩きづらいですね……アイゼン……かんじき、ありませんか?」
     「アー……旅館にはあったがなぁ。祠は造船所の裏手だし、今回のところは中を突っ切って、その後はこれだな」
     運転手さんが蛍光色の雪かきスコップを掲げる。
     造船所は屋根に熱を通しているらしく、蛇口を捻ったような勢いで落ちる水滴を急いで抜けながら、屋内へと入った。造船所だけあって全面が壁というわけではなく、川に面した方角ではほとんど取り払われており、全体がそこに向かって下り坂になっている。入り口が施錠されていないのも、この開口部があっては無駄だからだろう。
     民俗資料館の展示物と見られる舟が一艘、ビニールシートを被り、ワイヤーで固定されて坂の中心に置かれていた。
     「おっと、坂の先へは出るなよ。広場に見えるが、湾になってる。氷の上に雪だ」
     「ほらカフェ、運転手さんも言ってることだし、そんなところでフェレンゲってないで」
     今度はタキオンがカフェの手を引いてその場から離れる。
     「薪とおがくずがあるね。長引くようなら焚き火にしないかい?」
     タキオンが2階への階段の脇に置かれた薪の山を指差す。
     「……この雪では難しいですね……焚き火台がないと」
     それに、形成されていないおがくずを着火剤にするには天気も悪い。
     運転手さんが裏口を開けて、カフェは再び雪の中へ出た。屋根からばたばたと落ちる水滴の音にまじり、急流のごうごうという音が近い。

  • 121◆I1615Zagtc21/12/26(日) 11:10:27

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     ウマ娘の自分たちのほうが適任だから、と、運転手さんから雪かきスコップを借り受け、雪を押しのけながら進む。
     針葉樹が数本立ち並ぶその先、雪に閉ざされた道の終点に、その祠はぽつんと立っていた。銀世界で判然としないが、周囲も含めて手入れされているようだ。
     地鎮祭で供えられたと思わしき玉串が寒々と揺れていた。

     カフェはスコップをその場に立てて1人祠の前に進み出ると、意識を集中させて見えない気配を探った。

     急流の音が雪に吸収されて遠のき、吐く息が濃く空中を漂う。
     雪の結晶が長いまつげに絡め取られ、少し残ってから水滴に変わった。


     「……悪い気配はしません」

     地鎮祭で収まってくれているのか、長い年月の間に力が弱まったのか、もともと存在しなかったのか
     定かではないが、事実として現在、祠の祭神の気配は薄弱と言えた。
     悪意ある神格に対処する自信は無かったので、その点だけは安心できる。
     「そうか。寒くてかなわないよ。引き返そう!」
     タキオンはずっと背中を丸めている。カイロの無い末端の冷えがつらいのだろう。雪かきの終わった道をいそいそと引き返していく。
     「なぁ、」
     先程までは静かにカフェの動向を見つめていた運転手さんが、今は祠に顔を向けていた。
     成果としては十分だと感じていたカフェは、雰囲気の変化に首をかしげる。
     「社長さんには、何か適当な事を言って開発計画を思いとどまらせてくれねえか?」
     「え……」
     言葉に詰まっていると、運転手さんは「なんでも無い」と手を振って歩き出した。
     しばしの間、カフェは雪の中、その背中を見つめていた。

  • 131◆I1615Zagtc21/12/26(日) 11:10:36

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     「少し確認したいんだが、この辺りから人形を流して露天風呂脇の湾処に流れ着く、というのはどのくらい再現性があるんだろうか?」
     一足先に造船所に戻ったタキオンは、相変わらず背中を丸くして斜面のその先を見つめていた。
     「……さあ?確かなことは言えんが、現場はそれなりに漂着物のある場所だ」
     運転手さんが言いよどむ。その手の実験を行ったことは無くても当然だろう。タキオンはそっけない返事をしてからしばらく考え込んだふうだったが、吹き込んできた風に身震いすると、今度は車に戻ろうと言い始めた。
     「と、その前に......ときにカフェ、社長さんへの報告はこのあとすぐだったね?」
     「ええ、そのつもりです」
     「返却の前に、タブレットを見せてもらっていいかい?」
     車中では揺れで見られないから今、なのだろう。
     「長居するなら、2階にストーブがあるが?」
     2人が同時にすぐ終わると答えたので、運転手さんは先に車に戻って温めておくと言い残して造船所を後にした。

     「よし、見つけた。あの川岸はここが林業の拠点となったとき、木材が流れ着く係留所だったそうだ。つまり、再現性がある」
     タキオンがアーカイブから30年前の古い新聞記事の記述を見つけて笑顔を浮かべる。
     「……では、戻りましょうか。運転手さんを待たせています」
     「ああ、行こう。この事件、だんだん分かってきた気がするよ」
     このとき、タキオンの笑みに質問されるのを待ち構えているような悪戯っぽさが含まれていることに気づいたカフェは、何が分かったのか問い質すのを思いとどまった。
     はぐらかされるか揶揄われるのが目に見えている。
     しかし、この決断を後々になって後悔することになるのだった。

  • 141◆I1615Zagtc21/12/26(日) 11:10:47

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     タキオンが宿の部屋に戻ると、畳の下に隠れていたらしい掘りごたつが出現していた。
     のそのそと潜り込み、旅館の売店で買ったあずきバーの袋を開ける。大型のハイビジョンテレビの中では、記録的寒波の接近で警戒色の報せが踊っている。
     社長さんへの対応をカフェに押し付けてから30分。そろそろ報告も終わるだろうか。
     上体を横たえ、こたつの中の熱気を顔に当てる。これには、べらぼうに硬いあずきバーを溶かす狙いもあった。そういえば、このアイスは風呂上がりに食べようと買ったのではなかったか?
     「うーん、」
     脳内に存在している、霞のような部分の言語化を試みて、唸り声が出力される。
     トリックについてはこれという確信が持てている。しかし、動機に関しては取っ掛かりすら掴めていない。
     スマートフォンを開き、こっそり社長のタブレットからコピーしておいた新聞記事を開く。30年ほど前に起きた類似例、それも痛ましい事故だ。

     ──■■ちゃん(5)の遺体に外傷はなく、地元では祟りとの噂も──

     人形でなく、人間の遺体が流れ着いたことがあるのなら、運転手が言いよどんだり、社長が不安がるのも判る気がした。
     しかし、時代柄とはいえ、あんまりな書き方である。続く家族への質問も面白おかしく書こうとした形跡が見られ、容赦がない。

     そのとき、ふと閃くものがあって、タキオンは財布を探した。
     カフェに渡された後、しまう場所に困ってカード用ポケットに入れたはずだ。

  • 151◆I1615Zagtc21/12/26(日) 11:10:59

    14 / 24

     ──ドン!

     背中を強く叩かれた感覚で目が醒める。
     まずは「目が醒めた」という事実に困惑した。私は、いつの間に眠っていたのだろう?まだ頭がぼーっとする。
     髪の毛をかき分けようとして、カフェは自分が後ろ手に縛られていることに気づいた。さらなる困惑とともに記憶が蘇る。
     社長さんへの報告の前に……解った事、動機だけでも……昼間見たものの報告もしようと思って……眠気に襲われて……あの振動は雪上車だった。では、今居るここは……
     薪ストーブの火がちらちらと揺らめいている。
     木造の家屋におがくずの匂い。急流と屋根から落ちる水滴の音。
     造船所だ。
     昼間には見なかった二階の部屋だろう。薪ストーブの他には机がひとつ、明り取りの窓がひとつ。両手両足を縛っているのは感触からしてプラスチック製の結束バンドだろう。肌や血管に入るダメージを無視すれば引きちぎれないことはないはずだが、今は力が入らない。
     カフェは薪ストーブににじり寄った。とにかく寒い。
     窓の外は暗く、目が覚めるまでにどれくらいの時間が経過したのかは不明だが、手足がかなり冷えている。
     そのとき、ごうと風が唸ったかと思うと、破壊音と共にガラスが降り注いだ。咄嗟に目を瞑ったその上から、凍りつくような冷気が襲う。
     「……うそ」
     明り取りの窓が、つららに突き破られていた。
     熱に負けず屋根に積もった雪が弧を描きながら成長し、風が吹いた拍子に滑り落ちて軒下のつららを窓へと叩きつけたのだ。記録的寒波のせいも幾分かはあるだろうが、構造上の欠陥にほかならない。
     薪ストーブの炎が揺らぐ。燃焼は熱反応、冷やせば止まるさ。と、あの栗毛の友人が言ったのはいつだったか。今は思い出したくない理屈だ。
     足先が冷たい。なんとかして温めなければ。凍傷にでもなったら選手生命に関わる。
     脳裏に浮かんだのはトレーナーさんと、タキオンの悲しそうな顔だった。

  • 161◆I1615Zagtc21/12/26(日) 11:12:48

    以降、解決編になります。

    実のところ解決編のトップ絵のタキオンがまだ描けてないので、描き上げるまでちょっと時間をいただきます。

  • 17二次元好きの匿名さん21/12/26(日) 11:25:07

    期待

  • 18二次元好きの匿名さん21/12/26(日) 11:26:52

    さっぱり分からん…凍った水面で何かしたんかな

  • 19二次元好きの匿名さん21/12/26(日) 11:51:17

    死んだ子供と女将さんが親類縁者だったとか?
    続きが気になって仕方ない

  • 20二次元好きの匿名さん21/12/26(日) 17:36:00

    あげ

  • 21二次元好きの匿名さん21/12/26(日) 17:40:24

    続き気になる

  • 221◆I1615Zagtc21/12/26(日) 18:02:54

    intermission:タキオンの音声メモ

     「(ザッピング)……記録開始、──さて、今回の記録は実験用でなく、私の考えを整理するための……いわば仮出力だ。聞き返すことは無いのかも知れないね。
     人形が──過去には遺体が──無傷で急流を渡った事件。トリック自体は造船所を見た時に気づけた……はむ……(咀嚼音)……まあ、刷り込みというか、考えすぎというか、気づいたら関連するものを買ってしまっていたよ。犯人も……この村に来てから、私たちを除いては彼女しか候補が居ないからね。
     動機は……(20秒以上の沈黙)……ほぼ残りは本人の心次第というか、推測の域を出ない……カフェならまた“十戒”を破って把握しているかな?聞いてみるか……そろそろ戻ってくるころだが、社長との話が長引いているみたいだ……待つのも飽きたな……仕方ない。向かうとしよう……(布擦れの音)……記録終了(クリック音)」

  • 231◆I1615Zagtc21/12/26(日) 20:07:23

    解決編、始まります。

  • 241◆I1615Zagtc21/12/26(日) 20:07:44

    15 / 24

     最後にカフェと分かれたのは旅館のロビーだった。日本家屋を改装した温泉旅館だが、ロビーだけはホテルのような造りで、ミーティングスペースが確保されている。そこで社長さんと会うことになっていたはずだ。
     しかし、覗き込んでみると社長さんだけがノートパソコンに向かい合っていた。
     「ああ、アグネスタキオンさん。……マンハッタンカフェさんが待っていると伺っていたのだけど?」
     「来て……ない?」
     背筋どころか内臓まで冷え込むのを感じた。
     慌てて電話を掛けるが、つながらない。
     「……このタイミングでカフェが居なくなったということは、おそらく、犯人の説得を試みたんだ」
     「犯人?やっぱり、誰かの仕業なの?」
     「それを確定させるためにも、少し、私に昔話を聞かせてもらえるかい?」

  • 251◆I1615Zagtc21/12/26(日) 20:07:54

    16 / 24

     何度か結束バンドを千切ろうと力を込めてみたものの、やはり力が入らない。急に意識が遠のいたことも踏まえると、何かの薬品を飲まされたのだろう。いや、低体温症かもしれない。せめて手足の自由が利けば階段下から追加の薪を持ってこられるのだが……
     油断すると意識を手放してしまいそうになる。
     薪ストーブはどんどん熱を失い、今や直接触れても火傷せずに済む程度だった。もっと早いうちに、怪我を覚悟で熱を使い焼き切ってしまうべきだったと気づいて、さらに気が一段落ち込む。

     ふと、気配がして顔を上げた。
     いつのまにかまた意識が少し飛んでいたようで、頬に床の感触がひっついてくる。
     子供だ。男の子が階段から顔だけを覗かせ、心配そうにこちらを見つめている。
     「……だいじょうぶ、です。きっと事件は」
     あの栗毛の友人が解いてくれるだろう。私にはどうしても分からなかったが、彼女なら。
     あるいは、昼間に彼女がここを訪れた時に気づいた事を問い質していれば、もっと良い対応が取れていたのかもしれない。

     もう、首を持ち上げていられない。
     カフェは自分の意識がゆっくりと深いところへ沈んでいくのを感じていた。

  • 261◆I1615Zagtc21/12/26(日) 20:08:02

    17 / 24

     「大丈夫かい?」
     暑い。
     カフェは身を捩ったが、肩を掴まれてその動きは制された。
     「今の君は軽度の低体温症だ。少しおとなしく温まってくれたまえよ」
     その髪の色とおそろいの、深い朱。赤褐色の瞳。
     「目が醒めたのならこれをお食べ。チョコレートだよ」
     返事より先に唇の隙間にチョコが押し当てられ、カフェはそれをゆっくりと口内に運んだ。舌も冷え切っているのか、なかなか溶けないし、味もしない。
     そうこうしているうち、ようやく視界がハッキリとしてきた。互いの呼吸がぶつかるほど近くにタキオンの顔がある。向き合う体制で同じ1枚の毛布にくるまれ、両手とつま先はそれぞれタキオンの脇や腿の間に挟まれ固定されていた。凍傷のケアとしては正しい対応なのだが、意識がハッキリとしてくるにつれて気恥ずかしさがこみ上げてくる。
     「あの……」
     「ああ、気になっているだろうね。事件は解決だよ。君をここへ閉じ込めたのは、明日、社長さんが帰るまでの時間稼ぎで、氷漬けにするつもりは無かったそうだ……寒波を計算に入れてないのは、裁判だとこちらに有利に働くだろうけどね」
     解決。
     なんだか実感が湧かない。
     「人形を流したのは……女将さん、ですよね」
     「ああ」
     「……どうやって、無傷で漂着させたのか……私にはわかりませんでした」
     「時間はあるし、少しばかり身動きも取れない。暇つぶしに話そうじゃないか」

  • 271◆I1615Zagtc21/12/26(日) 20:08:13

    18 / 24

     やはり30年前の事件は頭にあったらしく、記事を見た瞬間から社長の顔は暗くなり始めた。
     「この亡くなった男の子、どちらが上かはわからないが、女将さんのご兄弟だね?」
     個人情報保護の影も形もなかった当時の新聞には、男の子の家族の名前までフルネームで載っていた。カフェに渡された名刺で見た名前もそこにあった。
     「ええ、弟です」
     「おそらくだが、今回の事件にも関わってくる……女将さんは今どこに?」
     「さっき見かけて……少し離れた場所に集会所があるわ。そこへ出かけると」
     亡くなった弟さんが、どう関係しているのかは判らない。しかし、だからこそ、本人に聞いてしまうのが一番だろう。
     タキオンは少し考えてから頷くと、社長の手を取った。
     「一緒に来てくれるかい?答えを導き出そうじゃないか」

     集会所は騒然としていた。
     寒波は予想以上で、長年ここに住んでいる者たちでも経験が無いほどだった。
     それなのに、廃村にあの子を置いてきたのだという。
     「だけどよう、取り敢えず黙っててもらえば、社長さん諦めそうだし」
     「……それで人死が出るのはリスクに見合っていません」
     この積雪ではもう雪上車は出せない。薪ストーブと燃料があるとはいえ、両手足を縛ったままでは満足に薪を焚べることもできないではないか。
     「ウマ娘の筋力なら大丈夫だろ?」
     「きちんと目を覚ませば、ね……朝まで眠ったままの可能性だってあるわ」
     ウマ娘には毒と薬剤に対する耐性もあるが、今回使ったのは私に処方されたものだ。もはや彼女の運と生命力に頼るしかないだろう。もし凍死したら……また「祟り」を起こすしかないのだろうか。
     深いため息が吹雪に揺れる集会所を支配した。
     「仕方ありません、今日のところは……」
     「ごめんくださーい!」
     不意に戸が叩かれ、誰かが返事をする前に勢いよく開けられた。
     吹雪の中に、暗い栗毛のウマ娘が立っている。その背後では社長が風に背を丸めていた。

  • 281◆I1615Zagtc21/12/26(日) 20:08:23

    19 / 24

     「やあやあ、お揃いで。こんばんは」
     10名あまりと2台の石油ストーブで、やや酸素が薄く感じられる。これでは脳に酸素が足りていない会話しか行われていなかっただろう。ドアは開放したままが良いかな?と思ったが、背後で社長が寒い寒いと悲鳴を上げながら閉めてしまった。
     「──さて、今回の事件」
     「ちょっとまってください、ここは村の者以外立ち入り禁止です」
     話の腰を折られたことよりも、あまりに村社会的な発言にため息が出る。これほど状況が切迫していなければ吹き出していたかもしれない。
     「悪いね。急いでいるんだ」
     一瞬だけ、さらに話を遮る者が居ないか確認したが、当事者たちも部外者がどうのと言ったところで、変わる流れでないことは分かっているようだった。
     「──今回の事件、祟りなんかじゃない。立証可能なトリックだ」
     集会所がざわつく。
     そう。集会に集まった者たちは人形が無傷で急流を渡りきったのが、祟りの類いであると信じているのだ。犯人を除いて。
     なんとも、呆れた話だ。
     「簡単に説明すると、これが答えさ」
     ポケットの中からアイスの包装を取り出す。中身はこたつに入りながら頂いたので、本当に包装だけだ。
     「アイス……?」
     「あんた、人形を氷漬けにしたってのかい?だけど、あの急流じゃそんなもん、砕けちまうよ」
     事実、造船所で見られた氷塊が露天風呂まで流れてきたりはしていなかった。まあ、それは温泉の熱で溶けたという説明もできるが、地元民の彼らが言うのなら事実だろう。
     だが、推理はもう一歩先だ。
     「社長くん、君は食べたことがあるかい?あずきバー」
     「え?ええ、まあ……」
     「では、すごく硬いのも知っているね?ひっかきに対するモース硬度も、圧力に対するロックウェル硬さも非常に大きく、難溶性すら持っている。かつて、この素材で航空母艦を作ろうとした国があってね……ああ、あずきバーそのものではないよ、念のため……その素材は開発者の名前からこう名付けられた」

    「【パイクリート】と」

  • 291◆I1615Zagtc21/12/26(日) 20:08:34

    20 / 24

     「……何です?それ」
     カフェが問うと、タキオンはがっくりと肩を落とした。どうやら、集会所でも同じ説明をすることになったらしい。
     簡単に説明すると、水に混ぜものをして凍らせると、より硬く、溶けにくい氷ができるのだそうだ。
     そして、その素材の配合率は86%の水と、14%のおがくず
     「それを、造船所にあった舟を型にして流し込む。アウトリガー船、覚えているかい?」
     「……バスの中で見ましたね」
     「下の階に展示されているのもそれなんだよ。土地柄なんだろうね……その大きいほうの舟に張った水に、アウトリガーの方を浮かべる。マトリョシカのようにね。外は流れが遅ければ川すら凍る寒さだ」
     こうしてできたパイクリートの舟に、人形を乗せる。流れ着く先は温泉混じりの川岸だ、いくら氷より溶けにくいとはいえ、朝までにはすっかり消え去ったことだろう。
     こうして、無傷の人形だけが残った。
     「……すごい」
     本心からのつぶやきだった。カフェにはどうしても分からなかった点だ。目の前でタキオンがふふんと得意げに鼻を鳴らす。
     「ここに全部あった、ということですか……」
     「いや、実はここに来る前から予想はできてた」
     「……?」
     「思い出してごらん?露天風呂のことを」
     カフェは必死に記憶を探ろうとしたが、なんだか遠い昔に思える。
     何か言う前にタキオンが言葉を続けた。
     「あの時、木の香りがしていた。石造りの露天風呂だったのにね……おがくずの匂いだったんだよ。人形と一緒に流れ着いて溶け出たものが、まだ残っていたんだ」

  • 301◆I1615Zagtc21/12/26(日) 20:08:45

    21 / 24

     タキオンが言葉を切っても、誰も声を上げなかった。集会所に響くのは、吹雪が窓を叩く音と、石油ストーブの燃える音、わずかな呼吸音だけである。
     やっぱりどこか開け放って空気の入れ替えが必要かもしれないな、と、タキオンは思った。
     「……と、まあ。解ったのはここまでだ。わからないのは動機だよ。女将さん、話してもらえるかな?」
     皆の視線が一斉に女将さんに集まる。
     「なぜ……」
     「なぜ貴女だと思ったのかは、まあ、消去法だね。いいじゃないか。ホームズくんもお勧めの推理方法だよ」
     もっとも、彼の言葉選びはもう少し気が利いている。
     まだ説明が要りそうなので、タキオンは再びため息をついた。
     「……いいかい?氷の舟だよ?舟の形にしたのは軽量化の意味もあっただろうけど、それでも何キログラムになる?単独でこのトリックを成立させるには、重機でなければウマ娘のフィジカルが必要不可欠なのさ……女将さん、我々がこの村に来てから貴女以外にウマ娘を見かけてないんだ。他に居るなら謝るよ」
     女将さんの頭頂でピクリと耳が揺れる。
     もっとも、他に知らないウマ娘が現れたとしても、この集会に参加してないのなら容疑からは外していいだろう。

  • 311◆I1615Zagtc21/12/26(日) 20:08:56

    22 / 24

     「──30年前、私と弟は廃村の、造船工場で遊んでいました」
     女将さんがようやく口を開く。
     「寒い日でした。かんじきを履いた私がおぶって、廃村まで……よく探検していたんです。その日は、川に氷が張っていて、弟は喜んで駆けていきました」
     昼間廃村を訪れた時にも見た光景だ。こどもであれば、氷の強度を見誤ってもおかしくない。
     「かんじきを脱ごうと目を離した、ほんのわずかな隙でした。気づいた時には、弟は氷の下を流されて……」
     当時はまだ、造船工場時代のおがくずが吹き溜まりに残っていたらしい。その冬、屋根の一部が壊れたことでそれが流出していたことは、運命の悪戯というほかない。
     「父より、弟より、力の強い私でした。かんじきで蹴っても砕けない氷があるなんて、思いもしなかった……弟は氷の下で動かなくなって……恐ろしくなった私は、あろうことか弟を置いて逃げたのです。両親には山で見失ったと言って……」
     そして、周りより溶けにくかったパイクリートの氷塊はその部分だけが離れて、流れた。幼い子どもの身体を包んだままに。
     「私は……開発であの場所が、私の罪が、弟の死の真相が、覆い隠されてしまうのが嫌だったんです……純粋に地域の風情を守りたいから、という皆さんの意見も利用して……」
     思えば、旅館のロビーが近代的だったのも、開発そのものに反対しているからではないのだろう。
     「パイクリートの製法は、あの時砕けなかった氷の正体を知りたくて学びました。似たような事件を起こしたのは……あなたのような、全てを暴いてくれる人を待っていたからかもしれません」
     もちろん、表面上は開発反対のための脅しである。
     動機については相手が口を割るのに任せたタキオンは、内心その締りの悪さを少し反省した。
     「ごめん、私、故郷に錦を飾ってやるぞ!って……先走って……」
     振り返れば、社長が涙を流していた。カフェや、トレーナーくんなら何か気の利いた言葉を掛けてやれるのだろうが、私では役者が不足している。
     「……で、カフェはどこに居るんだい?」

  • 321◆I1615Zagtc21/12/26(日) 20:09:19

    23 / 24

     雪上車では走破できない新雪の山道を、女将さんから借り受けたかんじき1つで登り切るのは、彼女にとっても遭難に片足を踏み込んだまま突っ走る暴走、危険行為だ。
     話を聞き終えたとき、思わず脇に挟まれたままの両手に力を入れてしまったため、タキオンは間抜けな悲鳴を上げた。
     「……あ、すみません」
     「まったく、少し温まってきたかな?」
     手指はまだ冷たいが、感覚が無かった先ほどまでと比べると大分マシになってきている。口の中にはチョコレートの甘い香りが満ちていた。
     「薪ストーブがあるから、と、あてにしていたのだけど……」
     タキオンの背後を見遣ると、すっかり暗くなった薪ストーブがぽつねんと鎮座していた。よく見れば火種の復活を試みたのか、大量のおがくずが半ば袋のまま、黒く燃えきらなかった炭の上に突っ込まれている。
     「明日の昼過ぎには救助が来るだろうが、カイロはもうもたない。今朝開けたものだしね……このままでは2人とも体温を失ってしまう」
     「……どうするんですか?」
     「考えがある……少しの間、君をここに置いていくが、我慢できるかい?」
     それよりもタキオンのほうが心配である。何をしようというのか。だいたい、世話を焼くのはいつもなら私の役割だ。
     「……おともだちに、あなたについて行くよう……お願いしてみます」
     「それは心強いね……念のため訊くが、『ついて』を漢字で書くと?どの『ついて』だい?」

  • 331◆I1615Zagtc21/12/26(日) 20:09:39

    24 / 24

     ──夜明けとともにバタバタと風を叩く音が響き始め、カフェは目を覚ました。
     肩に寄りかかって寝ているんだか起きているんだかという表情をしている友人を揺する。
     「タキオンさん、」
     「んん?……ああ、モルモットくんは派手好きだねえ」
     「好きで派手な登場をしているんではないと思いますが」
     ついでに付け加えるなら、普段派手なのも主にタキオンの調合した薬品のせいだ。
     金色の朝焼けに輝く空から、ヘリコプターの羽音が聞こえてくる。
     「ここじゃ見えないだろう。上がろうか」
     開発計画のイメージ図では、民俗資料館の隣に温泉施設が描かれていた。タキオンはそれを覚えていたらしい。造船所の屋根を温めていた熱の正体を温泉の熱気だと予想し、裏手の通気ダクトを追って古井戸から沸き立つ温泉を見つけると、それを一晩中展示物の舟の中に移していた。残念ながら体を拭くものがハンドタオル1枚だけだったので、全身浴は断念して足湯だ。
     それで十分だった。足さえ無事なら、私たちはどこまでも走っていける。
     「……タキオンさん」
     「なんだい?」
     「お礼を……言いそびれていました」
     「ま、後でたっぷり聞くさ」
     ダクトを破壊したことで天井裏の熱を失い、雪の重みで半壊した壁の隙間から、雪解け水が滴っている。
     2人は丁寧に健康な血色の足を拭いて靴を履くと、手をつないで金色の光の中へと踏み出した。
     そうして、心配しているはずのトレーナーたちにも見えるよう、大きく手を振り続けるのだった。



    ──File:4「氷(ひ)よりいでて氷よりも寒し」おわり

  • 341◆I1615Zagtc21/12/26(日) 20:12:13
  • 35二次元好きの匿名さん21/12/26(日) 20:20:43

    船をどうやって運ぶか考え付かなくて投げたけどそれがあったか…!参りました

  • 36二次元好きの匿名さん21/12/26(日) 20:22:17


    今回も面白かった

  • 37二次元好きの匿名さん21/12/26(日) 21:20:44

    面白かったです!

  • 381◆I1615Zagtc21/12/26(日) 23:04:20

    感想レスありがとうございます。


    今回はすごいTRPGっぽくなったというか、多分ちょっと変えればTRPG用のシナリオにコンバートできる……

    動機にかなり迫れた>19と、トリックあと1歩だった>35あたりがPLに居ればクリアも見込めそうだ。


    考えてもらえるのもミステリ書き冥利に尽きるというか、うれしいもんです。

  • 39二次元好きの匿名さん21/12/27(月) 10:18:09
  • 40二次元好きの匿名さん21/12/27(月) 10:30:46

    >>39

    うわっ物凄い質と量…これがタダとかほんとですか?

    こんなスレあったのに気づかなかったの悔しい…

    いいもの見させて頂いてありがとうございました

  • 41二次元好きの匿名さん21/12/27(月) 15:56:06

    あげ

  • 42二次元好きの匿名さん21/12/27(月) 23:18:35

    お勧めSSレス返し企画は大変だったけど楽しかった……半年ぐらい経ったらまたやってもいいかもしれないとは思うものの、同一スレ主の2回目は「自SS推されたい」って主旨の部分のゲーム性みたいなものが確保できないのよね

    そしてこれは応援隊スレに貼ろうと思ってたもの(7.5完走後次が立ってなかった)
    ロゴはもうちょい変えるつもり

オススメ

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