- 1二次元好きの匿名さん24/05/05(日) 09:21:01
- 2二次元好きの匿名さん24/05/05(日) 09:22:05
>>日本馬がアメリカで勝ったG1は全て牝馬限定戦
あの…母数が…
- 3二次元好きの匿名さん24/05/05(日) 09:28:50
フジヤマケンザンは1995年に香港国際カップを勝ち日本調教馬としてはハクチカラ以来36年ぶりの平地競争での海外重賞を勝っているが実は前年にも香港国際カップに出ている(4着)
ちなみに鞍上は蛯名正義である - 4二次元好きの匿名さん24/05/05(日) 09:33:41
アメリカGⅠを勝った日本牝馬の血統にはサンデーサイレンスが5代の中に収まっている
- 5二次元好きの匿名さん24/05/05(日) 09:35:02
- 6二次元好きの匿名さん24/05/05(日) 09:41:50
日本調教馬が欧州で初めて勝利したのは障害馬のフジノオーであり、現在でも唯一の海外傷害競争遠征馬であり勝利馬である
- 7二次元好きの匿名さん24/05/05(日) 09:43:51
プリンセスカーラは条件馬ながらフランス遠征しラヌラ賞(op)を勝った
- 8124/05/05(日) 09:43:52
- 9二次元好きの匿名さん24/05/05(日) 09:47:50
天皇賞馬イングランディーレは
ダイオライト記念(船橋ダ2400)
↓
天皇賞春(京都芝3200)
↓
ゴールドカップ(アスコット芝4000)
↓
ブリーダーズゴールドカップ(旭川ダ2300)
という意味不明なローテをしている - 10二次元好きの匿名さん24/05/05(日) 09:49:33
日本調教馬で1番多くの国、地域で出走したのはディアドラ
- 11二次元好きの匿名さん24/05/05(日) 09:57:21
エアトゥーレのモーリス・ド・ゲスト賞(仏G1)では武豊騎乗の見込みだったが
フランスで長期遠征中の武豊に仏馬から優先オファーがあったためデムーロが乗ることになった。
ところが(当時イタリアに本拠を置いていた)デムーロは直前までアメリカで乗っていて、
アメリカからフランスへの飛行機がトラブルで飛ばなくなって騎乗断念。
そうこうするうちに武豊の乗るはずの馬が除外になったので、エアトゥーレ武豊で出走した - 12二次元好きの匿名さん24/05/05(日) 10:20:10
オルフェーヴルが2着に敗れたトレヴとソレミアは
調教師同士が義親子 - 13二次元好きの匿名さん24/05/05(日) 10:25:30
日本で初めて海外勝利したのは1908年の春天馬スイテン
現在で言う7歳時にロシアに遠征して五戦五勝、うち1つは70キロ以上の斤量を背負ったトップハンデでの勝利 - 14二次元好きの匿名さん24/05/05(日) 10:25:55
日本調教馬で初めてマイクロチップ埋め込みが行われたのはディープインパクトだが
これは2006年当時のフランスが既にマイクロチップを出走要件に定めていたため
翌年からは日本でも埋め込みが必須となった