【閲覧注意】尾形「主よ、願わくは」 【囚人尾形 SS】

  • 1あんこうなべ22/07/08(金) 23:12:31

    ≪注意≫


    このスレは、囚人尾形スレのネタを基にしたSSです。


    偉大なる元スレ

    【閲覧注意】勇作殿が Part6【囚人尾形】|あにまん掲示板囚人尾形概念について語るスレです変態ギャグとして語るのもアリですbbs.animanch.com

    囚人尾形と、勇作さんの親友であった男が再会したところから始まるホラー風SSです。


    どんな展開でも受け入れられる方向けです。

  • 2あんこうなべ22/07/08(金) 23:14:54
  • 3二次元好きの匿名さん22/07/08(金) 23:16:13

    新作だ…!

  • 4二次元好きの匿名さん22/07/08(金) 23:17:06

    新作だやったー!

  • 5二次元好きの匿名さん22/07/08(金) 23:17:39

    わーい新作だ

  • 6あんこうなべ22/07/08(金) 23:21:18

    「愛に狂うとは、言葉が重複している。愛とはすでに狂気なのだ」

    ――ハインリッヒ・ハイネ――

  • 7二次元好きの匿名さん22/07/08(金) 23:22:04

    あんこうなべ氏の囚人尾形SS!!!新作嬉しい!!!

  • 8二次元好きの匿名さん22/07/08(金) 23:27:57

    新作嬉しい保守

  • 9二次元好きの匿名さん22/07/08(金) 23:28:38

    これは期待が膨らむしかない保守

  • 10二次元好きの匿名さん22/07/08(金) 23:29:11

    囚人尾形バース
    原作とifの可能性の配合が奇跡のバランスで好き

  • 11あんこうなべ22/07/08(金) 23:30:44

    ………あの忌まわしい事件から、3年が過ぎた頃、私は○○村にある民家を訪れていた。

    この家の主とは格別に親しいと言うのではない。しかし彼は、あの辛すぎる事件の思い出を共有できる数少ない人間であり、それは相手にとっても同様だっただろうと思っている。

    私はがらりと戸を開け、挨拶をしながら中へ入った。向こうは返事もしなかったが、いつものことだったので私も気にしなかった。

    ぽつりぽつりと近況を話し、今まで通り「彼」との思い出を語ろうとした時だった。

    この家の主は、想いもかけぬ言葉を口にしたのだ。

  • 12あんこうなべ22/07/08(金) 23:31:41

    尾形「昨日の夕べ、勇作さんにお会いした」

  • 13あんこうなべ22/07/08(金) 23:34:50

    これには返す言葉が見つからなかった。

    一体どう返せばいいと言うのだ?

    この男が上等兵だった頃は何度か同じ言葉を聞かされてきたが、あの時はそれが自然な言葉だった。


    この時も自然な話のはずだった。ただ一つの点を除いて。

    つまり、勇作殿は




    3年前に亡くなっているのだ。

  • 14あんこうなべ22/07/08(金) 23:37:09

    尾形「……どうした?俺の頭がイカレていると思ってるんだろう?」

    尾形「だが、事実だ。昨日の夕べ、俺はあの人に会った」


    尾形「………少なくとも、あの人の影に」

  • 15あんこうなべ22/07/08(金) 23:42:37

    尾形「あの人は家の中に入って来て、俺の上に屈みこんだ」

    尾形「『あの時』から俺がずっと眠れないという話は、もうしたよな?俺はとにかく布団の上に仰向けになって、じっと天井を見ていた」

    尾形「……月が明るすぎる晩だった。戸を全部閉め切ってしまおうとして、玄関の方に寝返りを打った」

    尾形「そこに、勇作さんがいた」

    尾形「あそこに、立ってたんだよ」

  • 16あんこうなべ22/07/08(金) 23:47:17

    この家の主―― 尾形百之助は、玄関の戸の方を指さして言った。

    私が話していた時は無関心そうなぼんやりとした表情だったのに、今の尾形は爛々と光る眼でそっちの方を見つめていた。

    それに、彼が「あの人」と言うたびに、声は柔らかくなったのだった。

  • 17二次元好きの匿名さん22/07/08(金) 23:50:25

    (尾形のこういう台詞運びというか…粛々とした?雰囲気が本当に好きだ…)

  • 18あんこうなべ22/07/08(金) 23:50:37

    尾形「ああ。お前の言いたいことくらいは分かるさ」

    尾形「月明かりが反射して、それが何かに当たって影ができて、俺が錯覚を起こした……とでも言いたいんだろう?」

    尾形「あるいは寝ていないせいで幻覚を見たとか、な」

    尾形「でも俺には分かってる。あれは勇作さんだった」

    尾形「ああ。俺はあの人がどこに居ても分かる」



    尾形「たとえ影であろうとしても」

  • 19あんこうなべ22/07/08(金) 23:52:59

    私はしばらくもごもごと口を動かしていたのだと思う。

    しかし喉がカラカラに乾いていて、然るべき言葉が出てこなかった。一度深呼吸をしてようやく、どうにか相応しいと思える言葉を見つけた

    「その……勇作殿の影は、何をしていたんだ?」

  • 20あんこうなべ22/07/08(金) 23:55:18

    尾形「いいや。何も。ただそこに立っていらっしゃっただけだ。腕を差し伸べて、何かを待つように」

    「何を待っていたんだ?」

    彼は一瞬私の顔を見つめたが、すぐに顔を伏せて床を見つめた。

  • 21あんこうなべ22/07/08(金) 23:59:46

    尾形「そうだな……。それが一番説明しにくいんだ」

    彼は小さな声でぶつぶつ呟いていた。

    尾形「あの人は……。俺の前ではよくこういう仕草をしていたんだ」

    尾形「二人きりで話をしたり、作業をするときなんかは、普段からしていることだった」

    尾形「こっちに来て欲しいという意味の仕草だってことは分かってる」

    尾形「……だからあの人の影を抱きしめた」

    尾形「まあ、笑いたきゃ笑えよ。俺は起き上がって、ずっとあの人の影を抱きしめていた」

  • 22あんこうなべ22/07/09(土) 00:04:35

    私は笑わなかった。笑えるはずもなかった。ただじっと、彼が続けるのを待った。

    それなのに彼は何も言おうとしないので、私が話の接ぎ穂を作った。

    「それで、勇作殿を抱きしめて、何が起こった?」

    尾形「何も。あの人は帰って行った」

    「消えたのか?」

    尾形「いいや。出て行ったんだ。影は俺を話すと、戸から出て行ったんだ」

    「……その影から解放されたのか?」

  • 23あんこうなべ22/07/09(土) 00:09:18

    彼は頷いた。

    私は納得できたわけではなかった。でも彼の態度に押しつけがましさはなく、信じてもらえまいと最初から諦めているようだった。

    尾形「そうだ。俺が抱きしめた時、向こうも腕を巻き付けてきた。この目で見たし、確かに感じた。影を抱きしめるなんて妙な話だが、事実だ。狂ってると思われるだろうがな」

    彼は水を入れた茶碗をちらりと見た。

    尾形「……水を抱いているようだった」

  • 24あんこうなべ22/07/09(土) 00:13:19

    この喩えは妙だと思ったが、既にこの話が妙だ。

    ガス灯があちこちに灯り、汽車で国中どこへでも行けるようになった今の時代に、幽霊の話を聞こうとは思わなかった。戦争前の頃であれば、子供の頃にこういう類の話は嫌と言うほど聞かされたのだが。

    それに、尾形も妙だった。この男に、そんなに迷信深い所があるとは思っていなかった。


    もちろん、勇作殿のことが尾を引いているのだろうが。

  • 25あんこうなべ22/07/09(土) 00:18:23

    尾形「分かってる」

    彼はため息を吐きながら話した。

    尾形「お前がどれほど呆れているかってことがな。分かるから争う気もない。……『あの時』俺は死にかけていた。その傷が今も俺に影響を与えているのかもしれん」

    尾形「だが一周忌の頃には俺が立ち直っていたのはお前も認めるだろう?」

    今度は私が頷いた。

  • 26あんこうなべ22/07/09(土) 00:20:05

    尾形「あの日からすっかり良くなったんだ。……俺に何か、おかしい所があるか?」

    「……いいや」

    尾形「だからあれが幻覚なんてことはありえない」

    「なら、お前はどう思うんだ?」

  • 27あんこうなべ22/07/09(土) 00:22:46

    尾形「…………」

    尾形「いいや。答えなんかねえよ」

    尾形「ただ……。話したかっただけだ。俺一人では、抱えきれんから。お前はむやみに噂を広める奴じゃあない」

    尾形「お前はあの人の親友だった」


    尾形「そのうち、お前の所にも来られるかもなあ?」

  • 28あんこうなべ22/07/09(土) 00:24:49

    尾形「………ああ。もう日が暮れるな」

    尾形「引き留めたか?」

    「いいや……。会えてよかったよ」

    「だが、尾形、お前は平気なのか?」

    尾形「ああ。よく眠れない以外は」

  • 29あんこうなべ22/07/09(土) 00:26:58

    「お前さえよければ……医者に薬を貰ってこようか?」

    尾形「必要ない」

    「なあ、本当に大丈」

    尾形「何度も言わせるなよ」

    彼は私の言葉を遮るように言った。

    その日はそのまま帰るしかなかった。

  • 30二次元好きの匿名さん22/07/09(土) 00:27:53

    新作嬉しい
    もうドキドキする展開だ…

  • 31あんこうなべ22/07/09(土) 00:29:16

    ……家に帰りついてからも、まだわだかまりが残っていた。

    あいつの話は何かがおかしかった。あいつは間違いなく、おかしくなっている。

    一体何故なのか、答えを知りたいと思った。


    『そのうち、お前の所にも来られるかもなあ?』

  • 32あんこうなべ22/07/09(土) 00:31:42

    私は布団をかぶると、今夜も月明かりが照っていることに気づいた。

    だがすぐに目を閉じて、勇作殿が来ることを考えた。

    だが、そんなことはあり得るはずはなかった。


    彼はもう、墓の中に眠っているのに。

  • 33あんこうなべ22/07/09(土) 00:33:39

    (本日はここまでとさせてください。コメントくださってありがとうございます!本当に嬉しいです。いつも励みになっています)

    (宜しければ保守、コメントお願いします)

  • 34二次元好きの匿名さん22/07/09(土) 00:37:54

    今度は死んじゃってる世界線か……楽しみです!保守

  • 35二次元好きの匿名さん22/07/09(土) 00:41:38

    >………あの忌まわしい事件から、3年が過ぎた頃、

    冒頭からとっても不穏!!だしホラー風という事で楽しみ&覚悟…!という感情です新作嬉しい~…!

  • 36二次元好きの匿名さん22/07/09(土) 00:43:02

    乙です面白いなあ
    勇作殿が死に、尾形は村で暮らしている…
    『3年前の勇作の死』『尾形が死にかけたあの時』『勇作殿の影』
    段々明かされていくだろう謎が楽しみすぎる

  • 37二次元好きの匿名さん22/07/09(土) 05:56:07

    楽しみ保守

  • 38二次元好きの匿名さん22/07/09(土) 11:49:58

    保守

  • 39二次元好きの匿名さん22/07/09(土) 18:47:55

    元スレからの共通概念の面もあるけど
    囚人尾形は勇作殿のこと「勇作さん」って呼ぶのわりと徹底してて好き
    ちょっとした違いなのに独特の湿度を感じ取ってしまう素敵な概念だ…

  • 40あんこうなべ22/07/09(土) 21:50:06

    私はその晩、尾形の不可解な話と、勇作殿のことについてずっと考えていた。

    そのせいで目は冴え、『あの時』の光景を鮮明に思いだしてしまい、眠れなくなった。

    そして同時に、勇作殿がまだ元気で、あの尾形を「兄様」と呼んで慕っていた日々のことも、私の脳裏に蘇ってきたのだった。

  • 41あんこうなべ22/07/09(土) 21:55:21

    尾形と勇作殿が初めて出会ったのはいつなのだろう。だが、私が思いだせる限りでは、あの2人は尾形が入営してすぐの頃から共にいたような気がする。

    尾形は陰気な男だった。そのうえ皮肉屋で、銃の腕前だけはピカイチなところも余計に周りから煙たがられる要因だったと思う。新兵が集まると大抵尾形上等兵の陰口になる。そんな奴だったのだ。

    だからこそ、そんな男にあの勇作殿が自ら話しかけるのを見て、私たちの驚きがどれほどだったことか。

  • 42あんこうなべ22/07/09(土) 22:01:27

    最初の頃は尾形も勇作殿に対して冷笑的だった。

    「ボンボンの慈善活動だ」と言って陰で笑っていたという。いずれ化けの皮が剥がれるだろう、とも。

    そんな男を勇作殿が徐々に、だが明らかに変えていったのだ。

    勇作殿が忍耐強く話しかけ続けた結果、あの男の表情から僅かずつでも生気というものが宿っていくのが見て分かった。

  • 43あんこうなべ22/07/09(土) 22:07:35

    その次は表情が穏やかになっていったのが分かった。

    これはごく稀だったが、微笑むときも最初の頃のような人を見下し切った笑みとは違う、人間らしい笑顔を見せる瞬間さえあったのだ。

    私たちはみんなで、尾形を真人間にさせた勇作殿には勲章が渡されるべきだろうと冗談を言い合ったものだった。

    「俺を兄だなどと、ふざけたごっこ遊びはすぐに飽きるだろう」とうそぶいていた昔の尾形のことを、皆忘れかけていたほどだった。

  • 44あんこうなべ22/07/09(土) 22:15:05

    勇作殿の功績を私を含めたみんなが認めていた。

    あの人は自分の望みを決して譲らず、努力し続けた。頑固と言ってしまえばそうでもあるが、これだけははっきり言えた。

    勇作殿は小細工など何もしていない。尾形を兄として愛しただけだ。

    そうして、愛したまま『あの時』に死んだ。

    この点だけが、私に分かることだ。

  • 45あんこうなべ22/07/09(土) 22:21:07

    あの人の亡骸を最初に見つけたのが私だった。周囲の警察や仲間の兵士たちが青ざめた顔で勇作殿の亡骸を運ぶのをこの目で見た。

    死んでいるのは疑いようがなかった。腹を縦に、真一文字に切り裂かれていたのだから。

    その姿を思い出したくなかった。

    『あの時』以来、私は一度も教会に足を運んでいない。


    勇作殿の亡骸は、何故か町はずれの小さな教会の中で見つかったからだ。

  • 46あんこうなべ22/07/09(土) 22:28:00

    この凄惨な事件があった時、尾形は自分の最愛の弟が死んだことを知りもしなかっただろう。

    勇作殿の亡骸が発見された時、軍の宿舎で喉を切られ、血に染まっている彼が発見されたからだ。

  • 47あんこうなべ22/07/09(土) 22:32:55

    最初は自殺を図ったのかと思われたが、刀やナイフなどは遂に見つからなかった。

    首をやられたので尾形も助からないかと思われたが、こちらは発見が早かったためか、どうにか一命はとりとめたのだ。

    庶子とは言え、花沢中将殿の息子2人の命が狙われたのだ。中将殿に強い恨みを抱く者の犯行ではないかということで捜査が進められたが、遂に下手人の目星はつかないままだった。

    証拠になるような凶器はどこにもなく、唯一の証言者となる尾形も長い間昏睡状態であったし、意識が戻ってからも錯乱した状態が続いていたからだった。

  • 48あんこうなべ22/07/09(土) 22:41:40

    だが彼の言った通り、勇作殿の一周忌の日に、彼は正気を取り戻したのだった。

    その日のことを今もちゃんと覚えている。彼の出自の問題から一族の式にこそ出席できなかったが、こっそりと勇作殿の菩提寺に花を供えに行ったのを私は見た。

    尾形はとっくに軍を除隊していたが、未練気もなく実家のあった田舎に引っ越して、猟師として細々と生計を立てていると風のうわさで聞き、彼の家を訪れたのがきっかけで今のような関係になったのだ。

  • 49あんこうなべ22/07/09(土) 22:49:09

    それから3年経った頃になって、尾形は「勇作さんに会った」と言ったのだ。

    あの方が死んでから、すっかり生気を失って元の陰気ではあるが合理的で冷笑的な男に戻っていたあの尾形が、影を抱きしめたと言う。

    勇作殿は腕を差し伸べて、それを自分も受け入れたと言うのだ。

    ……暗闇の中、じっと天井を見つめていると、私も彼の話を信じそうになった。

    薄暗い中で私は、勇作殿が訪れに来るのを息を殺して待っていた。

    だが遂に、夜明けまで勇作殿が私の前に現れることはなかった。

  • 50あんこうなべ22/07/09(土) 22:51:55

    (短くて済みませんが、今日はここまでとさせてください)

    (コメント本当にありがとうございます!よければ保守もお願いします)

  • 51二次元好きの匿名さん22/07/09(土) 22:58:22

    うわ〜気になる何で一年で復活したんだろう…自分が殺したって自覚はあるのかな…

  • 52二次元好きの匿名さん22/07/09(土) 23:09:36

    軍内部から見た生前の異母兄弟良すぎるな…
    (これ絶対無理心中だよ!って思ったのにひとまず凶器はないようで決めつけてごめんね尾形…)

  • 53二次元好きの匿名さん22/07/10(日) 00:53:34

    勇作殿を殺した後に上手くいかなかったことに気付いて自殺…?
    と思ったけど状況的にそういうわけでもなさそうなのが謎でワクワクする

  • 54二次元好きの匿名さん22/07/10(日) 06:15:26

    うわ〜…じわじわと不穏だ…でも好きだこの雰囲気
    尾形は"中身"は見て失敗したと絶望して自殺…にしてはタイムラグがある?し刃物の類いか無いのは妙だな…
    どうなるんだろう楽しみ

  • 55二次元好きの匿名さん22/07/10(日) 15:24:10

    保守

  • 56あんこうなべ22/07/10(日) 20:53:49

    その日から一週間後、私はまた尾形の家を訪れた。彼の様子が気がかりだったからだ。

    そしてその晩の話もした。

    「勇作殿は現れなかったよ」

    尾形は顔を上げて答えた。

    「だろうな。現れるはずがない。あの人は俺のところにいたからな」

  • 57あんこうなべ22/07/10(日) 20:56:13

    私はしばらく唖然としていたが、ようやく口を開いた。

    「またなのか?」

    「一週間前もだし、昨日もだ」

    「同じように?」

    「ああ」そこで少し考え込んでから続けた。「でも今度はもっと長くいた」

    「どのくらい?」

    「一晩中」

  • 58あんこうなべ22/07/10(日) 20:59:58

    そう答えてから尾形は口ごもり、長い間沈黙が続いた。

    しばらく私のことなど忘れたようにしていた尾形だったが、ようやくかすれた声で話し始めた。

    「勇作さんだ。影だ。最初に俺が何と言ったか覚えてるか?水を抱いているようだった?」

    尾形はこちらに身を乗り出した。

    「今となってはもうそんなもんじゃない。きっと影は一度、障害を突破した途端に強くなるんだ。そう思わんか?道を見つけて、力を増すんだ」

  • 59あんこうなべ22/07/10(日) 21:06:12

    あまりにも顔を近づけてきたから、彼の息が顔に掛かった。酒は飲んでいない。

    そう、彼は会う時はずっと、酒を飲んではいなかった。もしも飲んでいたならば、この言葉を言わずに済んだのに。

    「……あの日から、医者に診てもらったことはあるか?」

  • 60あんこうなべ22/07/10(日) 21:14:10

    しばらく沈黙が支配した。

    尾形は昔の頃のままの、冷たい眼をこちらに向けた。

    「医者?医者がなんになる?あいつらの言うことはみんな決まってるんだ。鎮静剤を飲め、運動をしろ、それが効かなかったらまた来い、とな」

    そう呟くように言ってから目を伏せて、またしばらく黙っていた。

    私はもう、話し合うのが怖くなった。彼がまだ辛うじて理性を保っていると言える状態なのはよかったが。

  • 61あんこうなべ22/07/10(日) 21:21:10

    「……だが、確かめることはできるかもしれないだろう。勇作殿が本当に現れたのか、それとも君の心が見せる幻なのか」

    尾形は黙ったままだった。

    「とにかく、一度だけでも行くべきだ。東京のまともな医者を教えてやるから」

    顔を上げた尾形の表情は曇っていたが、髪の毛を撫でつけるように頭を撫でてから、微かに頷いた。

  • 62あんこうなべ22/07/10(日) 21:23:21

    「……そうだな」

    彼が呟いた声はあまりにもか細かったが、辛うじて聞き取れた。

    「勇作さんだ。勇作さんのはずなのに……あの人でない気がする」

  • 63二次元好きの匿名さん22/07/10(日) 21:24:45

    (すっげえツダケンvoiceで再生される…!)

  • 64あんこうなべ22/07/10(日) 21:30:13

    それからは2人とも黙ってしまって、とにかく医者の診療を受けるということだけを約束させて、私は家に帰った。

    それから数日、私は尾形のことを気にしていられなくなった。急な仕事が降ってわいて、自分のみで手一杯だったのだ。

    そんな訳で手紙のやり取りさえせず、また会えたのは私が任務で東京を出立する前の僅かな間だけだった。彼の方から見送りに来たのだった。

  • 65あんこうなべ22/07/10(日) 21:43:45

    「随分お忙しいようだな?」と尾形は言った。

    「お前は元気そうだな」

    「ああ。」

    「医者に診てもらったのか?」

    尾形は口角を釣りあげた。

    「少し違う。お前の言った医者に行ったら、お決まりの手順も踏まずにさっさと別の医者の所にお払い箱だ。帝国大学の藤井とか言う医者だとさ」

    確かに名前を聞いたことのある医者だった。

  • 66あんこうなべ22/07/10(日) 21:49:52

    「あの人は良い医者だろう」

    「ああ、そうだな」尾形は素直に頷いた。

    「大丈夫なんだな?」私はしつこいくらいに念を押した。

    「ああ。問題ない。医者の言うことは大体理にかなっているさ。思っていた以上に俺も混乱していたらしい。どれくらい続くかは知らんが、しばらくはあの医者の厄介になることにした。思ってたほどいんちきでもない。俺の聞いていた精神科治療というのとは違うな。確かに効果という奴があった」

    ここで尾形は言葉をきった。次の言葉を言う時、表情が少し曇っていた。

    「つまり、2回あの医者に会っただけで勇作さんが来なくなったんだ」

  • 67あんこうなべ22/07/10(日) 21:53:36

    「あの影か?」

    「医者が言うには、『罪悪感』の影だとさ。」尾形はにやりと笑った。

    「ああ、もう意味不明なことを俺は口走ってるな。お前が帰ってくる頃には俺が医者の看板を出してるかもしれない。……じゃあな。」

    「ああ」

    出発の時間が迫り、話を打ち切った。私は結局台湾にまで派遣されることになり、そこからは怒涛のような日々だった。

  • 68あんこうなべ22/07/10(日) 21:59:30

    多忙の日々が半年にわたって続いた後、ようやく暇を貰って日本に戻って来てから、また尾形のことを思い出した。

    そこで尾形の家を訪れると、私は彼の変貌に驚かされた。

    着ている着物も薄汚れていて、髪も乱れていた。会っていた頃よりも痩せているように見えた。

    「教えてくれ。何があったんだ?」

    「いいや、何も」

    「誤魔化すな。医者は何と言っているんだ?」

    尾形はにやりと笑った。

  • 69あんこうなべ22/07/10(日) 22:01:39

    「医者か」尾形は繰り返した。

    「まあ入ってきて座れよ。酒がある」

    「分かった。だが話してくれ。医者は何と言ったんだ?」

  • 70あんこうなべ22/07/10(日) 22:02:33

    尾形は私に酒を注いだ。彼自身は酒瓶に直接口をつけてそれを置いた。

    「あの医者はもう何も言わない」



    「死んだからな」

  • 71あんこうなべ22/07/10(日) 22:06:01

    「……嘘だろう」

    「本当だ」

    「いつ?」

    「ひと月くらい前」

    「何故他の医者に診てもらわないんだ?」

    「他の医者?そいつをまた窓から飛び降りさせるのか?」

  • 72あんこうなべ22/07/10(日) 22:08:22

    「……何の話だ?」

    私はほとんど喘ぐように言った。

    尾形は酒瓶を持ち上げてゴクリと呑み込んだ。

    「俺も聞きたいな」

    「あの医者が自分から飛び降りたか、突き落とされたかどうかは分からん。……多分突き落とされたんだろうな」

  • 73あんこうなべ22/07/10(日) 22:12:55

    「……お前、一体何を言おうとしている?」

    「いいや、何も。俺の家まで押しかけて来た警察に話した以外のことは何も無い。お前だってあんな話は誰にもできんだろう。自分の胸に収めておくしかない」

    「だが、お前は良くなったんだろう?そういうふうに聞こえたぞ」

    「ああ。良くなっていた。ある時点まではな」

    「どの時点だ?」

    「勇作さんが俺を訪れなくなった理由が分かった時点」

    尾形は開けた障子の外を見つめていた。彼自身はずっと遠くへ行ってしまって声だけが残っているようだった。それでもはっきりと明快に話す声が聞こえた。

  • 74あんこうなべ22/07/10(日) 22:16:37

    「勇作さんはな、医者の所に向かっていたから来られなくなったんだ」

    「来る夜も、来る夜も。俺に会いに来た時のように愛情深く腕を差し伸べるのじゃなくて、憎しみからあの医者の所へ行った」

    「あの医者が自分を排除しようとしていることに気づいたから。つまりあの医者は悪魔払いのようなことをしていたんだ」

    「あの人を悪魔同然に語ったんだ。……あの死に方も当然か」

  • 75あんこうなべ22/07/10(日) 22:22:40

    「尾形、もうやめるんだ。しっかりしろ!」

    尾形は笑っていた。

    「やめろ?まだ話は始まってもないぞ。それにこれは嘘でもない。医者本人が言ったんだからな」

    「俺が勇作さんに会わなくなってから、医者が苦しみだしたんだ。状況が分かるか?あいつが俺に助けてくれと言いだした。だが俺に何ができる?勇作さんを侮辱するなと怒鳴りさえした」

    「それで病院を出て行った次の日に、医者が死んだという知らせを聞いた」

    「医者の言う通り、勇作さんが押したのかもな。『邪魔をするな』と」

  • 76二次元好きの匿名さん22/07/10(日) 22:25:56

    このレスは削除されています

  • 77あんこうなべ22/07/10(日) 22:26:18

    「馬鹿なことを!」

    今度は私が酒瓶に手を伸ばした。

    「考えてもみろ。勇作さんが哀れな医者を殺した?お前はあの人がそんなことをすると本気で思うのか?お前はそんな風にあの人を見ていたのか?」

    尾形は酒を飲み干した私をじっと見つめていた。

  • 78あんこうなべ22/07/10(日) 22:29:08

    「……それでも、医者が死んでからあの人は帰って来た」

    「それからもう毎晩この家を訪れる。俺には何もできない」

    「俺に嬉しそうに縋るあの人を振り払えるわけがない」

    「どうせお前は信じないだろうな。……俺が最初にこの話をした時もお前はそんな顔をしてた」

    「今ではあの人は話すようになった」

    「『もうすぐ私たちの望みが叶いますよ』と……」

  • 79あんこうなべ22/07/10(日) 22:32:15

    尾形の言葉尻が消えた。急に倒れた彼を私は慌てて支えた。

    彼は気を失っていた。腕の中のその体はぐったりとして軽かった。軽すぎるほどに。もう随分痩せてしまったに違いなかった。

    尾形は多くのものを失ったのだろう。

    私は彼の体をしばらく抱きかかえたまま、呆然としていた。



    一体、何が起こっている?

  • 80あんこうなべ22/07/10(日) 22:36:03

    彼を正気付かせてやることもできただろうが、布団に寝かせてやった方がいいと思い、敷きっぱなしになっていた布団に彼を横たえてから、私は出て行った。

    彼は寝ている。影の影響なく寝ている。

    必ず何か答えがあるはずだ。ああ、医者が生きてくれていたら!

    この半年の間、きっと何かの核心に触れたのだろう。それが分かれば……。

    そんなことを考えながら、私は帰路に着いた。

  • 81あんこうなべ22/07/10(日) 22:37:05

    (本日はここまでにさせてください)

    (コメントありがとうございます! よろしければ保守お願いします!)

  • 82二次元好きの匿名さん22/07/10(日) 22:59:01

    影?の勇作さんと尾形の邂逅は不可思議だけど甘やかなものも感じる…対して医者の死が不気味で怖い……!

  • 83二次元好きの匿名さん22/07/11(月) 03:27:16

    めちゃくちゃホラーで良いな…
    囚人尾形スレだと怨霊勇作殿に祟り殺されるルートもあったし、本当に幽霊の可能性も全然あるんだよな…
    先が読めなくて楽しみ

  • 84二次元好きの匿名さん22/07/11(月) 10:59:15

    保守

  • 85二次元好きの匿名さん22/07/11(月) 13:53:34

    先が読めねえ〜!!!
    尾形と医者の見た勇作さんは一体何なのか
    医者が死んだのは尾形の言うように勇作さんの手によるものなのか
    それとも語る内容の殆どが囚人尾形の妄想なのか
    楽しみ保守

  • 86あんこうなべ22/07/11(月) 18:24:39

    私は次の日の朝、新聞社に例の医者の自殺に関する記事を全て閲覧できないか問い合わせた。

    こちらが軍人だと分かると、向こうはすぐに記事を送ってくれた。

    全てに目を通し、検死報告書も読んだ。

    警察や記者には込み入った質問はしなかったし、突飛な結論に飛びつくこともでなかった。

    すべての記事が、藤井医師が錯乱状態であったことを認めていたからだ。

  • 87あんこうなべ22/07/11(月) 18:29:05

    しかし、調べが進んでも尾形の話を一笑に付す気にはなれなかった。

    あの医者はやはり突き落とされたのではないか。

    確固たる証拠は何もない。事件にまつわる証拠も。

    しかし、ここで一つの可能性に突き当たった。

    精神科医なら、患者の記録を必ず保管している。藤井医師の尾形に関する記録も残されているはずだ。

    当然赤の他人では読むことは出来ない。だが、尾形も元々は第七師団所属だ。軍部にとって必要な資料だと訴えれば、閲覧できないだろうか……。

  • 88あんこうなべ22/07/11(月) 18:32:12

    そう思い付いてからはいても立ってもいられず、すぐに精神病院まで向かい、こちらが軍人であることを殊更に強調して診断書の提示を求めた。

    院長も随分抵抗していたが、対象の尾形も元軍人であり、過去の事件に関わっている可能性もあると伝えると、渋々という様子でようやく手渡してくれた。

    私はすぐさま尾形の記録を読み進めた。

  • 89あんこうなべ22/07/11(月) 18:40:00

    『尾形百之助

    元第七師団所属。精神の異常を理由に除隊。

    花沢中将の庶子であることは伏せられている。

    受け答えに錯乱したところはなし。

    しかし、異母弟にあたる花沢勇作の話をさせると、記憶に異常が生じる。

    彼が殺された当時の記憶を話させようとしても、筋の通った説明にならない。『あの方は清らかだった』と言ったきり、声が出なくなった。

    勇作についての記憶が彼の精神に深く影響を与えていることは間違いない』

  • 90あんこうなべ22/07/11(月) 18:46:07

    『事件が起こる前の勇作の話は、問題なく話せている。

    自分のような者を嫌がらずに兄と慕ってくれたと何度も繰り返す。

    彼がこのように自尊心が低いのは、自らの出自がその元凶であると見てよい。

    花沢幸次郎は庶子である患者を認知せず、母のトメも発狂し、己を顧みなかったという。

    異母弟に見られる過剰な執着も、唯一愛情を示してくれた人間だからであろう』

  • 91あんこうなべ22/07/11(月) 18:55:12

    『自分を愛されない人間であると見做している』

    『社会性についての発達の遅れが見られる』

    『異母弟からの愛情を優先し、自己の欲求を二次的なものにしている』

    『こういった傾向から、勇作の死を自らが招いたと感じ、罪悪感から精神に異常をきたしていると考えられる』

  • 92あんこうなべ22/07/11(月) 18:57:36

    これが診断当初の内容であった。

    恐らく尾形が落ち着いていた頃の診断だ。

    だが、しばらく診断書をめくっていくと、様子が変わった。

  • 93二次元好きの匿名さん22/07/11(月) 18:58:00

    >>91

    精神科医の分析は客観的だから残酷だわ…おいしいですl

  • 94あんこうなべ22/07/11(月) 19:02:57

    『家庭願望を持っていることを仄めかすと同時に、自分が子供を持つことを恐れる様子を見せる。しかし彼に伴侶はいない。情人がいるのかと訊ねると、強い拒否感を見せる』

    『性的な関係への恐れ、嫌悪を強く抱いている』

    『異常性は遺伝すると固く信じている』

    『自分が芸者の子であるということが彼の悩みの一因である』

  • 95あんこうなべ22/07/11(月) 19:18:27

    『キリスト教の知識が豊富である。しかしその知識も偏っており、誤りも散見される。とくに聖母マリアの伝承に強い関心を持っている』

    『自らの出自故であろうか、処女性への執着が見られる。勇作が旗手兵であったこととも、この幻覚と関係しているだろう』

  • 96あんこうなべ22/07/11(月) 19:20:43

    『落ち着きを見せていたが、最近になって錯乱の兆候を見せている』



    『私が勇作の魂を追い払おうとしているという妄想に囚われている』

  • 97あんこうなべ22/07/11(月) 19:23:12

    ここで私が診断書をめくる手が止まった。

    恐らくここの時点で、私が見たような錯乱を見せたのだろう。私は慎重に診断書に目を通し


    ある一文に目が釘付けになった。

  • 98あんこうなべ22/07/11(月) 19:24:04

    『自分が勇作を殺したということを仄めかし始めている』

  • 99あんこうなべ22/07/11(月) 19:30:48

    私は咄嗟に自分の口を手で覆った。

    ありえないと、脳に浮かんですぐに消した可能性が、もう一度浮かび上がってきた。

    そして、ここで診断書が途絶えている。



    この後に、医者は窓から落ちて亡くなったのだ。

  • 100あんこうなべ22/07/11(月) 19:33:36

    私は病院を出てすぐに、検視官のもとに向かった。

    医者の事についてではない。勇作殿を検死した者に話を聞きたかった。

    幸い彼とは付き合いがあったため、すぐに話をすることができた。

    私は、当時の勇作さんの死体の状態について詳しく教えてほしいと頼んだ。

  • 101あんこうなべ22/07/11(月) 19:39:59

    「ああ、あの時か……。君は勇作殿と親しかったからあえて詳細を伏せたんだが……」

    「勇作殿の腹が割かれていたのはもう分かっているだろう?だが、それだけでは無かった。あれの下手人は狂人だ」



    「腹に頭蓋骨を詰めてあった」

  • 102二次元好きの匿名さん22/07/11(月) 19:45:34

    なんで頭蓋骨用意できてんだよ怖いよ…怖いよ!
    改めて文句なしに狂人すぎる……

  • 103あんこうなべ22/07/11(月) 19:45:56

    …………この話を聞いた後、自分がどうやって家に帰ったかを思い出せない。

    もう誰と会うべきか、自分がどうするべきか分からなかった。

    これ以上医者や警察には頼れない。何も証拠がないからだ。

    そして、謎が2つ残っている。何故凶器が無いのか、そして、勇作殿の影。

    きっと彼は今夜も尾形を訪れるのだろう。

    だが、これ以上待つわけにはいかない。

  • 104あんこうなべ22/07/11(月) 19:56:15

    もう遅い時間だったが、私は尾形の家へと向かった。もう彼は寝ているだろう。それでも、今もう一度、彼に会わなくてはいけない。

    ゆっくりと戸に近づいてからも、私は逡巡していた。もうこのまま寝かせたおいたほうがいいのか、無理にでも戸を開けるべきか。

    どちらとも決着がつかなかった。

    尾形が、自ら戸を開けたからだ。

  • 105あんこうなべ22/07/11(月) 19:58:19

    「……ああ。お前か。入れよ」

    尾形は私に向かってこう言ったが、目の焦点が合っていなかった。

    「今から出掛けようとしていたんだ」

  • 106あんこうなべ22/07/11(月) 20:00:24

    「……寝間着のままでか?」

    「用があって」

    「少しなら延ばせるだろう」

    「そうだな」

    尾形は私を中に入れてから、戸を閉めた。

    「座れよ。来てくれてよかった」

  • 107あんこうなべ22/07/11(月) 20:03:36

    私は腰を下ろしたが、万が一の時にすぐに立てるようにあぐらをかいていた。そして尾形も腰を下ろすのを辛抱強く待ってから、口を開いた。

    「きっと、私の意見を聞くのは面白くないだろうな」

    「言えよ。構わんから」

    「いや、真剣に聞いてくれ。大事なことだ」

    「大事な事なんかねえよ」

    「聞けば分かるさ」

  • 108あんこうなべ22/07/11(月) 20:08:06

    「……今日、少し調べてみた。特に検視官の資料を読んでな。今はお前の意見に同意する。やはり藤井医師は窓から突き落とされたんだ」

    尾形はぴくりと片眉を上げた。

    「だから俺が正しかっただろう?勇作さんが突き落としたんだ。……証拠は見つかったか?」

  • 109あんこうなべ22/07/11(月) 20:10:57

    私は首を横に振った。

    「証拠はない。新しいものは何も。私はただ事実を調べ、自分の推測とぴったり当てはまるかどうか確かめていった」

    私はわざとゆっくりと話した。

    「尾形。私はあの医者が飛び降りた日に、病院を出てからのお前の行動の記述を読んだ」

  • 110あんこうなべ22/07/11(月) 20:14:54

    「お前はあの時、階段で下に降りて、家に帰ろうとしていた。だが帽子を忘れたことを思い出して、また上に取りに戻った」

    「医者が飛び降り、みんながその窓から顔を出している時にちょうど戻ったと言うわけだ」

    「すべて読んだんだよ、尾形。医師との最後の面談の記述も読んだ。彼がいかに動揺していたかも分かった。私だけは、他の人と視点が違ったというだけだ」

  • 111あんこうなべ22/07/11(月) 20:18:54

    尾形は興味を惹かれたようだったが、まだ警戒していた。

    「なあ、警察は必死にお前の証言を崩そうとしたんじゃないのか?それが出来なかったのは、何も証拠がないからだ。お前の話は筋が通っていた」

    「藤井医師がどれほど神経質に窓の外を見遣っていたか、ここ数週間、どれほど彼が緊張していたか。警察を黙らせるには十分だろうが、私は違うぞ」

  • 112あんこうなべ22/07/11(月) 20:25:38

    「警察の前では、影の話は一度もしなかった。だから誤魔化せたんだ。お前は全く違う話を供述した」

    尾形はじっとこっちを見つめた。

    「……当たり前だ。お前に話したことを話したところで、狂人扱いされるのがおちだ」

    「お前は狂人なんだ、尾形」

    「だからこそお前の話は筋が通っている。医者は確かに飛び降りていない。突き落とされたんだ」

    「お前が突き落としたんだな?」

  • 113あんこうなべ22/07/11(月) 20:33:41

    しばらくの間、重苦しい沈黙が部屋を支配していた。

    「何故?」尾形の口から出た言葉は、ほとんどかすれていた。

    「私はそれを聞きに来た。真実をな。私は推測しかできない。私の推測は医師が影を恐れていたという話と関係がない。恐れていたのはお前だ」

    「医師と話せば話すほど、お前が知られたくないことに近づいたからだ。熟練した医者ならすぐに気づく。それに気づいたお前は恐ろしくなって、彼を殺した」

    「……戯言だな」

  • 114あんこうなべ22/07/11(月) 20:36:37

    「なんでもいいさ。尾形、お前はある意味では確かに正常だ。重大な理由がない限り、お前は人を殺さない。医師が見つけたことは、お前にとっては絶対に認めるわけにはいかない致命的なことだった」

    「どんな?」

    「お前が勇作殿を殺したということ」

  • 115あんこうなべ22/07/11(月) 20:39:15

    その言葉が、彼の顔を殴ったかのようだった。

    彼は歪んだ笑みを浮かべて、痙攣したようにひくひくと口を震わせた。

    「分かったよ。お前はそう思うんだな?」

  • 116あんこうなべ22/07/11(月) 20:44:58

    「それが真実だ」私は言った。

    「ああ。もちろん真実だ。だが理由は分からんだろう。分かるはずもない。勇作さんの親友のお前が分からないなら、他の誰が分かる?」

    「俺がどれほどあの人を愛していたかを。どれほどあの人を崇拝していたかを。だから、どれほど生まれ変わりたかったかを」

  • 117二次元好きの匿名さん22/07/11(月) 20:50:26

    このレスは削除されています

  • 118あんこうなべ22/07/11(月) 20:53:36

    「あの人は確かに俺を愛してくれた。愛される術をあの人は分かっていたし、俺にも辛抱強くそうした。腕を差し伸べるのもそうした一つだ」

    「だが俺にはそれでも十分じゃなかった」

    「俺はすべてを、あの人に相応しいものにしたかった。あらゆる瞬間、あらゆる動き、あらゆる思想までも。俺は俺の罪をすべて贖って、俺がなれる訳のないと信じていた者になろうとした」

    「そうしなければ、ならなかった」

  • 119あんこうなべ22/07/11(月) 22:16:55

    尾形が言葉を切ったので、私は聞いた。

    「何故満足できなかったんだ?どうしてあの人を自由にさせてやれなかった?」

    「満足しようとしたさ。しなかったとでも?それでも駄目だった。どうすることもできない。あの人といるときはそれ以上の何も望まないという気持ちになれた」

    「それでも独りになれば、恐ろしくなる。自分は必ず、見捨てられる。今のままで許されるなど、ありえない」

    「あの時も、そうだった」

  • 120あんこうなべ22/07/11(月) 22:24:49

    「あの日俺は、具合が悪くなった。肉体的な意味じゃない、もっと始末に負えないものだ」

    しばらく間を置いて息を吐くと、尾形は一気に畳みかけた。

    「難しくはなかった。俺はあの人を教会へと呼んだ。あの人は何も疑わずに来てくれた」

    「俺たちはしばらくいつものように語り合った。そこで俺は聞いたんだ。俺を本当に愛してくれるか、俺を許してくれるかと」

    「あの人は頷いた」

  • 121二次元好きの匿名さん22/07/11(月) 22:27:32

    このレスは削除されています

  • 122あんこうなべ22/07/11(月) 22:27:58

    「それで十分だった」

    「俺は用意していた薬をあの人に嗅がせて、眠らせた」

    「俺を愛してくれるなら、信じてくれるなら」

    「証があるはずだ」

  • 123二次元好きの匿名さん22/07/11(月) 22:33:00

    杉元の殺人スイッチ並みに囚人尾形の狂人スイッチ軽く入っちゃうから怖いよ…

  • 124あんこうなべ22/07/11(月) 22:33:37

    私は、尾形の方に膝を寄せた。

    「医師も、その真実にたどり着いたんだな?影は全て、彼がお前に言ったように罪悪感の幻だ。お前は罪悪感から私に吐かずにはいられないかったが、医者には妄想の原因を知られるわけにいかなかった。調べを続けて核心に触れられそうになったから、お前の安全は揺らいだ。……それでお前はまた殺人を犯した」

    「違う」

    「何故否定する?もう既に殺人を認めただろう。なら……」

    「あの人を死なせたのは殺したんじゃない」

    「おっ母を産んでもらうためだ」

  • 125二次元好きの匿名さん22/07/11(月) 22:39:37

    ここから先は常人にはさらに理解し難い…から…
    どうなってしまう……

  • 126あんこうなべ22/07/11(月) 22:42:15

    「俺はおっ母の遺骨をあの方のお腹に収めて、待っていた。一晩中待った。……『証』はなかった。俺の罪が深すぎるせいで……。その後は思いだせない。気づくと俺は兵舎に居た。自殺しようとしたのかもな。勇作さんの腹を切ったメスを握って……」

    「だがメスも刃物も、俺の手には無かったと言うじゃないか。どうなったか、俺も分からん。……あの人が、俺の首を切ったのか?自分の許に呼ぼうとして……」

    「俺はあの医者を殺してない。お前がどう思おうと、あれは勇作さんがやった」

    「夜な夜な、勇作さんは医者を責めたてて、企みを止めようとして、遂には飛び降りるところにまで追い込んだ。……そう言ったよな?」

  • 127二次元好きの匿名さん22/07/11(月) 22:44:57

    そうだった自殺を図ったにしろその手段がわからなくなってるのはなぜだ…?

  • 128あんこうなべ22/07/11(月) 22:47:42

    「あの日、病院で医者にすべて話そうとした。影について。自分のしたことについて」

    「あの光景を思い出すよ。医者は俺の方へかがみこんであの事件のことを聞いた。すると不意に体を起こして、何かを見つめていた。俺にはそこに勇作さんが居ることが分かった」

    「影が、俺たちのすぐ後ろであの医者の手を引いて窓まで引きずって行った。床の上を足が擦るような音がして、あいつは必死で窓枠に捕まろうとしたが、影の方が力が強かった。あいつは叫ぼうとしたが、その黒い手が口を塞いだ」

    「影の笑い声が下へ下へ落ちていく医者の叫び声にかぶさるように聞こえた」

  • 129あんこうなべ22/07/11(月) 22:52:28

    突然、尾形は私の眼を正面から見た。

    「……もう少し早く来ればよかったのになあ?勇作さんに会えば俺の話を信じただろう。お前が来る前に、あの人が起こしてくれたよ。出て見たら驚くことがあると言っていた」

    「最初は分からんかったが、今は分かる。俺が一つ一つ説明したって、お前は笑うだけだ。それで」

    「笑ってなどいないよ、尾形」

    「ああ。笑うんじゃない。あの人は邪魔されたくないんだ。勇作さんは力を増している……。もうそれを証明しているからな。俺はあの人に従うさ。あの人は俺に命令をする権利があって、俺はそれに従うだけだ」

  • 130あんこうなべ22/07/11(月) 22:57:06

    私は立ち上がった。

    「だが勇作殿を止められる。何か方法があるはずだ」

    「悪魔払いでもする気か?」

    「尾形」私は無我夢中で言いつのった。

    「お前は既に悪魔を追い払おうとしているだろう。私に告白することで、幽霊の力を取り除いたんじゃないのか。医者にすべて打ち明けていれば、お前は自首して永遠に勇作殿から解放されたかもしれない。それが答えだ」

    「なあ、尾形。自首するべきだ。そうすれば罪悪感の幻想は消える。お前は医者に何が起こったか分かっているんだろう?状況を説明すれば、お前は嘆願書も出せる……」

  • 131あんこうなべ22/07/11(月) 23:00:10

    尾形はすっと立ち上がった。

    「分かったよ」小声で言った。

    「俺が狂っていると言うことで全部片づけたいから調子を合わせてるんだな?お前も勇作さんに会うのが怖いんだろう。……心配するなよ」

    「あの人が呼んでいるのは俺一人だ。お前が邪魔をしようとしても、親友まで手に掛けるつもりはないらしい。俺はあの人の許へ行く。……会いたいんだ」

  • 132あんこうなべ22/07/11(月) 23:03:52

    「頼む、聞いてくれ、尾形」

    だが彼は何も聞いてはいなかった。

    突然壁に立てかけてあった猟銃を構え、私に向けた。全てが一瞬で、私は黙り込むしかなかった。

    「話の途中で済まんな」尾形は言った。

    「もう行け。さもなきゃ本当に撃たないといけない」

    私は一歩前に踏み出したが、尾形がまたにやりと笑ったので、すぐに後ろに下がった。

    「勇作さんは俺に会いたがっている。止めることはできんぞ。警察に行く気はない。警察も俺を止められない」

    「勇作さんがそうさせないからだ」

  • 133あんこうなべ22/07/11(月) 23:07:28

    飛び掛かってでも止めるべきだったのだろう。今でもそう思う時がある。例え狂人であったとしても。

    だが私は何もしなかった。

    踵を返して走り出し、ひたすらに鋼板のある方角を目指した。その間、恐ろしくて逃げるのではないと自分に言い聞かせていた。

    助けを求めなくては。これはもう、1人でどうにかできることではない。

    交番に飛び込んで、警官を引きずるようにしてまた家の方に向かった。10分以上はかかっていないはずだ。

    だがそれで十分だった。尾形はいなかった。

  • 134あんこうなべ22/07/11(月) 23:13:53

    警官は応援を呼ぼうとしたが、私はそれを制止して、尾形が向かうと思われる場所を伝えて、近所で馬を借りて、勇作殿が眠っている墓地へと走らせた。

    徒歩でたどり着けるわけがない。馬が盗まれたという話もなく、そこでも見つからなかったが、彼はどこかで馬を盗んだに違いない。

    尾形は墓に居たからだ。

    勇作殿の墓の上に倒れていた。

    爪で堅い土を4寸(約15センチ)も掘っていた。

    随分体も弱っていたのに、無理をして馬を駆ったせいで発作を起こしたのだ。

    私はそう思い込もうとした。

  • 135あんこうなべ22/07/11(月) 23:16:12

    ………私は警察たちの質問に答えなくてはならなかった。

    できるだけのことはした。

    質問には答えたが、幽霊だの悪魔だのと言った話は全て伏せた。警察は「死を越えた愛」という言葉を持ち出したが、これは彼らの意見で、もちろん尾形が弟の許へ行こうとしたと考えただけだった。

    私は殺人の真実も伏せた。今となってはもう意味のないことだからだ。

  • 136あんこうなべ22/07/11(月) 23:18:07

    しかし、警察はとことんまで仕事をやろうとした。更にこの事件にメスを入れようとしたのだ。

    つまり真相を、墓を掘り返したのだ。

    これがただの事件なら、自分の胸にしまえると思った。私の話として。

    だが警察が墓を暴くというのは、あまりにも酷だった。

  • 137あんこうなべ22/07/11(月) 23:19:50

    堅い土を穿ち、乱されることのなかった墓をさらに深く掘り進んだ。

    勇作殿はそこにいた。

    見つかったものは、どう説明をすればいいのか分からなかった。

  • 138あんこうなべ22/07/11(月) 23:23:56

    勇作殿の手つかずの墓に、彼の無惨に切り裂かれた腹と思しき部分の骨の上に

    小さな骨が見つかった。

    赤ん坊の骨だった。

    勇作殿と同じように、死の眠りについていた。いやそれとも、勇作殿と共に生きているのか。

    もはや何も分からなかった。

    勇作殿の右手に、もう錆び切ったメスが握られていたことも。

  • 139あんこうなべ22/07/11(月) 23:28:02

    何もかも、私には分からなかった。当然警官たちは矢継ぎ早に質問を浴びせてきたが、答えなどあるはずもない。信じられる答えなどない。

    たとえ死んでも、勇作殿が尾形を狂おしく呼んでいたことなど話せない。

    いや、それとも悪霊が恨みを果たそうと祟り殺したのか?あるいは勇作殿とは関係ない、物の怪の類が幻想を見せていたのか?

    それに、勇作殿が子供に会いに来るように嬉しそうに呼びかけたのだと………話せるはずもなかった。

  • 140あんこうなべ22/07/11(月) 23:30:50

    幽霊など存在しない。それに影が話しかけたり、動いたり、腕を差し伸べることもない。

    ましてや、赤子が生まれることなどない。

    それともするのだろうか。

    自分を殺した人間をそれでも愛し、憎しみではなく、ただただ会いたさに命を奪いかけ、それも叶わなければ影となり呼び続けるなど……。

  • 141あんこうなべ22/07/11(月) 23:32:34

    私には分からない。

    夜、布団の上に横になって天井を見上げ、待っている。

    恐らく影に会えるかもしれない。

    あるいは、2つの影に………。




  • 142あんこうなべ22/07/11(月) 23:37:12

    (これにてお終いです。楽しんでいただけたでしょうか?長い間お付き合いくださり、ありがとうございます!)

    (毎日暑いので怪談話を読みふけっていたら『牡丹灯籠』を見つけ、そこからこの話を思い付きました)

    (怪談と思いきやサイコホラー……と思いきや怪談、というのをしたかったのですが……。どうでしょう?)

    (ちょっと詰めの甘い所もあるかもしれませんが、コメント頂けてとても嬉しかったです。また懲りずにSSを書くかもしれません。その時はまたお願いいたします)

  • 143二次元好きの匿名さん22/07/11(月) 23:44:31

    予測から二転三転していってこの上なくホラーな結末を見届けてしまった気がする……
    ある意味尾形の望みが完璧に叶えられてしまった形というか……『もうすぐ私たちの望みが叶いますよ』とかいかにも尾形が勇作さんに言わせそうなセリフなのにさぁ…赤ちゃんいたよ何なの怖いよぉ…!!

  • 144二次元好きの匿名さん22/07/11(月) 23:46:24

    産みなおしが果たされたパターン…赤子の骨が男だったのか女だったのかでまた見る目が変わるね
    凄く面白かったし楽しかったです!ありがとう

  • 145二次元好きの匿名さん22/07/11(月) 23:48:40

    物事の影が幾重にも重なってどこまでが真実でどこまでが異界と繋がってるのか解らない怖さがよかった~
    赤ん坊の骨の所でゾクゾクしてしまいました

  • 146二次元好きの匿名さん22/07/12(火) 07:21:52

    尾形の話す内容よりも診断書の記述や語り手の推理の方が現実的なのにそれだけじゃ説明のつかない事も確かにあって…ヒン…
    「影の笑い声が下へ下へ落ちていく医者の叫び声にかぶさるように聞こえた」
    ここ原作で列車から尾形と落ちてった時の勇作殿のイメージと重なって恐ろしくて好き
    死に際の尾形は微笑んでいたかな…
    ゾワゾワくる良き囚人尾形のお話をありがとうございました

  • 147二次元好きの匿名さん22/07/12(火) 08:20:18

    診断書の記述すごく良かった…こわいぃ…第三者が分析することでただ狂気に飲まれてるだけじゃないのが浮き彫りになるの良いね…誰も救われねぇ

  • 148二次元好きの匿名さん22/07/12(火) 18:35:21

    『怪談と思いきやサイコホラー……と思いきや怪談』
    まさにそのコンセプト通り二転三転なにが真実なのか狂気と怪異に揺らぐ世界観が凄かった
    面白かったな…またSS書かれたら追わせてほしい

  • 149二次元好きの匿名さん22/07/12(火) 18:37:50

    囚人尾形の穏やかな口調に癒される…精神分析も的確で好き…

  • 150二次元好きの匿名さん22/07/13(水) 02:00:56

    このレスは削除されています

  • 151二次元好きの匿名さん22/07/13(水) 12:42:30

    この勇作さん、おっ母を産んでほしいって囚人尾形の願いも叶えてるし
    勇作殿が殺すのを見てみたいっていう原作尾形の望みも医者を突き落として果たしてるんだな…(少なくとも尾形の中では)
    シンプルに尾形大勝利のようにも見えるし、やつれ具合や語り手への告白を思うと、本当は尾形も喜びとともに罪悪感や恐怖や解釈違いを感じていたのかもしれないとか色々考えてしまって楽しい
    やっぱり囚人尾形概念…好き!ってなりました良きSSをありがとうございます!

  • 152二次元好きの匿名さん22/07/13(水) 12:46:27

    最後まで全然展開が読めなかったけど赤子のところでリアルにヒェ…………って声出たわ面白かった!
    悪霊のような概念の勇作さんはなかなか拝めないので興奮しました

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