歴史の心温まる•笑えるエピソードを教えてほしい

  • 1二次元好きの匿名さん23/12/05(火) 11:02:50

    偉人に限らず歴史の中でこういったことがあったんだよ〜ってエピソードでも良い
    昔の話になると血生臭いイメージがどうにも離れないから払拭したい

  • 2二次元好きの匿名さん23/12/05(火) 11:18:03

    ほっこりするような面白いエピソードなら



    カナダとデンマークはおよそ半世紀にわたって北極圏の無人島であるハンス島の領有権を争っており、この争いはウイスキー戦争と呼ばれていた。


    何でそう呼ばれるようになったかというと、ある時カナダ軍が島に上陸し、カナダ国旗を掲げると「カナダの島にようこそ」とメッセージを添えてカナディアン・ウイスキーを置いて帰った。

    これに対してデンマークは対抗してデンマーク国旗を掲げて「デンマークのの島へようこそ」というメッセージとシュナップスのボトルを置いて応戦した。

    これ以降、両国の関係者が入れ替わりに上陸しては、相手国への置き土産として酒類を残していくことが慣例となったためウイスキー戦争と呼ばれるようになった。


    そして時は流れ2022年6月14日。ハンス島は両国が「領有権を分割する」と発表。ウイスキー戦争は終結した。


    ウイスキー戦争 - Wikipediaja.wikipedia.org
  • 3二次元好きの匿名さん23/12/05(火) 11:24:37

    スターリンはウィーンに居た時トロヤノフスキーという人の家に泊まってたんだが、後にトロヤノフスキーを駐米大使にした

  • 4二次元好きの匿名さん23/12/05(火) 11:43:42

    第二次世界大戦中に日本は連合国兵士に対して士気低下を目的にしたプロパガンダのラジオを流していた
    戦場で聞こえるはずのない女性の声でアメリカ兵の士気は上がり女性アナウンサーを東京ローズと呼ぶぐらいファンになった
    日本降伏後にアメリカ兵は東京ローズを探し求め、1人の女性が出てきて会うことになる、アメリカ兵たちは実際に会うと想像していた東京ローズと違いがっかりした

  • 5二次元好きの匿名さん23/12/05(火) 11:46:36

    部下が、主君に不満があって家に籠ってたら
    それに怒った主君が家まで来て門塗りかため
    こっちも出るもんかと部下も内から塗りかため
    主君がこっちが悪かったから出てきてくれと言ったが部下は聞く耳を持たず
    主君が部下の家に放火して引きずり出そうとしたがそれでも出てこず
    息子によって燃える家から引きずり出されて主君と対面し
    お互いに意固地になったと謝った

    呉の孫権と張昭である

  • 6二次元好きの匿名さん23/12/05(火) 11:49:25

    >>4

    ASMRを聞くときに中の人を考えてはいけない、という警句であるな…

  • 7二次元好きの匿名さん23/12/05(火) 11:53:57

    >>1

    信長なら宣教師が連れてきて紹介した黒人奴隷を見て、こんな肌が黒い人間がいるわけないと疑った

    きっと炭で黒くなっているのだと洗って炭を落とそうとしても落ちなかったみたいな

  • 8二次元好きの匿名さん23/12/05(火) 12:04:31

    天武天皇の皇后は本当に天武天皇が好きだったらしく、一緒の墓に埋葬されている(当時は親子とか兄弟が基本で夫婦はほとんど一緒にならない)
    大海人皇子が吉野に行く際一緒に行き、内乱を起こせばついていって体を壊し、崩御したのちにかなりの頻度で吉野まで行幸している

    その皇后とは次に高御座にのぼられた持統天皇である
    そこまで好きだったとは天武天皇の博打好きだけは嫌だったらしく、博打禁止の法令を出している

  • 9二次元好きの匿名さん23/12/05(火) 12:08:16

    フランス王シャルル6世が神聖ローマ皇帝ヴェンツェルに教会大分裂解決を話し合おうと申し込む

    シャルル6世が会談の場で見たのは酔っ払っているヴェンツェル、シャルル6世は呆れながら後日にまた会談を開いたりして酔いが覚めるのを待ち続けた、そしてシャルル6世は精神発作が起きて発狂
    発狂するシャルル6世と酔っ払ってるヴェンツェルで会談は失敗に終わった

  • 10二次元好きの匿名さん23/12/05(火) 12:17:09

    武田信玄の時代の武田家に上野(現群馬県)に代々領地を持つ武田家の外様家臣に小幡信貞という男がいた。
    この男は武田家の中でも屈指の馬上巧者としても知られる剛勇の将である。

    この男は元々武田家と敵対していた長野氏(上野西部を治めていた有力国衆)の娘を妻としていたので、
    信玄は長野家を滅ぼした後信貞に「その女と離縁して改めて武田家譜代の誰かしらの家から正室を娶ってくれ」と要請した。
    すると信貞は「これが長野家が滅ぶ前ならお受けしたことでしょう。私は主君、上杉憲政を疎み、その上、越後の輝虎には憎まれ、彼らに一族内の紛争を利用され討たれる寸前となった所を、武田家に救っていただきました。信玄公の御恩にはどれほどのことをしても返せるものはございません。しかし妻は既に実家も滅び、もはや頼るべきところもない身です。そうである以上、たとえ御成敗を仰せ付けられようとも、離別する事はできません」と言い切った。
    信玄はこの言葉に感じ入り「次の戦の先手を任せるぞ」といったうえでこの二人を離縁させず、むしろ甥である武田信豊(信玄の弟で武田軍の副将だった武田信繁の息子)を信貞の婿にしたという。

    明日も知らず親兄弟が争うことも夫婦が別れることも珍しくなかったこの時代に妻に対する意地を通した一人の男の物語。

  • 11二次元好きの匿名さん23/12/05(火) 12:41:48

    駆け出しの頃のフェニア・ステイラー・バーナム「心からあなたを尊敬しています、どうやったらこんな素晴らしい興行を出来ますか?」
    ヨハン・ネポムク・メルツェル「いいかい?大事なのはとにもかくにも宣伝だ、宣伝で興行の成績が決まると言っても過言じゃない。幸い、今の時代には新聞という便利なものがある、これを利用することだ、興行師にとってペンとタイプより優れた味方はいない。頑張りたまえ、君はきっと将来大物になるぞ」
    バーナムが成功した理由は新聞広告が巧みだったからと言われている。バーナムはメルツェルを生涯に渡って尊敬し、大衆興行の父という賛辞を送った

  • 12二次元好きの匿名さん23/12/05(火) 12:46:35

    戦国時代前期の大大名、大内義興のエピソード

    前将軍の義稙を伴って上洛を果たした際にその功績を讃えて堺の半分が褒賞として与えられた
    けど彼は「寺社の本領なら返還されるべき」とこれを断り、代わりに山城守護に任じられたがこの地においても寺社の本領を安堵してあげてる
    これは当時としてはかなり珍しく殆どの大名が横領を行っていた中では異例の措置だった

    その後大内氏の本拠、周防に寺社領を持つ東大寺が何をとち狂ったかこの地域の返還を要求
    東大寺は畿内の寺社に協力を要請するも「ここまで寛大な処置をしてくれた大内家に歯向かうのはばつが悪い」と誰も協力しなかったそう

    結局東大寺も意地を張り続けて渋々義興は折れたそうだが、当時彼と親交があった内大臣三条西実隆の日記でも東大寺に対して「迷惑」と一蹴してる事からも義興の人望や政策の特異性が伺える

  • 13二次元好きの匿名さん23/12/05(火) 12:53:19

    秀吉との関係に悩んでいたねねへの信長の手紙

    『いやお前ほんとすげえ良い女であのサルにはもったいないレベル、妻は妻らしくどーんと構えておけば良いのよ、何かあったらなんでも相談しなね』

    『あとサルにこの手紙見せておけよ』

  • 14二次元好きの匿名さん23/12/05(火) 13:34:10

    普通なら債権者の方が債務者に対し強いのだが借金し過ぎる事でコイツ破滅したら俺たちもヤバい状態に持って行ったカエサル

  • 15二次元好きの匿名さん23/12/05(火) 13:38:24

    大内義隆のエピソード
    当時男色関係だった相手に馬で五時間もかけて会いに行った
    …が、深く眠っていたから和歌を残し帰還した

  • 16二次元好きの匿名さん23/12/05(火) 13:38:45

    >>13

    猿じゃなくてハゲ鼠なんだよなあ

  • 17二次元好きの匿名さん23/12/05(火) 13:41:14

    仲良い兄弟(元春・隆景)に「ちこちこなつなつ」という謎の擬音を発する隆元兄さん

  • 18二次元好きの匿名さん23/12/05(火) 13:45:53

    喜劇王として有名なチャップリンですが、実は大の親日派で小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の「怪談」を通して興味を持ったそうです。
    秘書に日本人がいたこともあって日本に関する知識はかなりあり、芸術は歌舞伎や人形浄瑠璃や浮世絵、食事は海老の天ぷらを好んだようです。
    しかし当時の軍国主義の一派は日本に退廃文化をもたらす可能性を危険視し、暗殺計画を企てました。世にいう五・一五事件ですね。
    まあ、実際のチャップリンの人柄は映画からは想像も付かないくらいの礼儀正しい人で、日本での礼儀作法も一通りのことはできたそう。

    上野の美術館へ…まづ国画展覧会の入口で先生靴を脱がうとする「純日本画の展覧会だから土足ではないだらう」とは、天金で座敷へ上がった時のお行儀をそのまま、映画ではルンペンだが、本物では教養ある紳士(当時の新聞の抜粋)

    さて、話は暗殺計画に戻り事件当日の5月15日。犬養首相との会見にチャップリンは現れませんでした。
    これには諸説あり、同伴していた兄のシドニーが鞄を検査されたことに不快感を抱き、気分屋のチャップリンは会見の延期を申し出て相撲を見に行ったとか、急に天ぷらが食べたくなってキャンセルしたとか、熱病に掛かり休んでいたとか。どちらにしろ当時の首相の会見をキャンセルするなんて豪胆な人でもあったんですね。
    事件があっても気にすることなく日本観光を楽しみ、日本の文化や景色に深く感嘆しました。
    何より彼が気に入ったのは海老の天ぷらで、一度に30尾も平らげたそうです。新聞では「天ぷら男」とあだ名され、最後まで私たちを楽しませる喜劇王でありました。

  • 19二次元好きの匿名さん23/12/05(火) 13:48:22

    このレスは削除されています

  • 20二次元好きの匿名さん23/12/05(火) 13:52:11

    南米の国ボリビア
    かつてイギリスの公使を侮辱しイギリスの怒りを買ったがボリビアには海が無かったので懲罰ができなかった
    仕方ないから地図のボリビアの位置に✖️を描いた英国女王

  • 21二次元好きの匿名さん23/12/05(火) 13:52:52

    伊達政宗は正室の愛姫の初産に際して子供の名前を用意していたが、男子が生まれるものと思っていたので、予想に反して女子が生まれた為、用意していた名前を文字はそのままに読み方だけいろはとして五郎八姫と名付けた。
    なお愛姫は愛姫で従兄弟の子を男猿(おざる)と名付けていたりする(後に改名)

  • 22二次元好きの匿名さん23/12/05(火) 13:53:53

    マリアーノ・メルガレホの全て

  • 23二次元好きの匿名さん23/12/05(火) 13:56:14

    >>22

    wiki見た感じ全然笑えないんだけど…

  • 24二次元好きの匿名さん23/12/05(火) 14:02:36

    下位春吉「ムッソリーニが白虎隊に感激して記念碑を送りたいと言っていた(嘘)」
    あまりにも話が広まりすぎたため、外務省がムッソリーニに打診して本当に記念碑を送ってもらった

  • 25二次元好きの匿名さん23/12/05(火) 15:00:26

    スレ画の信長だがわりとお茶目エピ多いからどれ紹介しようか迷うがとりあえず
    宣教師とかから贈り物は気に入ったものや自分で直せるものしか受け取らなかった信長
    必ず甘いものは受け取ってたとか
    そんな信長は人質の子供が挨拶に来たときにお付きの名人久太郎に饅頭を出してやれと言った
    すると久太郎は饅頭を一つ渡した
    それを見た信長は「ケチケチすんな!」ともちきれないくらい子供にどっさり饅頭を持たせて帰らせたとか
    あと懐中時計貰ったときにはじめは喜ぶ信長であったがしょんぼりしながら時計を宣教師に返した
    その理由が壊れたら修理出来ないからだとか
    想像すると可愛い

  • 26二次元好きの匿名さん23/12/05(火) 15:01:02

    第一次世界大戦で飛行機が使われ始めてた
    しかし当初は武装が無いのと騎士道精神が残っていた影響で空中で敵と出会ってもお互いに敬礼して終わり、という

  • 27二次元好きの匿名さん23/12/05(火) 15:30:26

    昔々、南方熊楠さんという学者さんがおりました…え、お知りでない?
    朝ドラのらんまんで少し話題になった方ですが、一部の界隈では昔から深く尊敬されてきた方でもあるのです。柳田國男と並ぶ民俗学者であり、優れた生物学者でもあります。
    彼を語る上で欠かせないのが、その類稀な記憶力。当時の百科事典にあたる『和漢三才図会』105冊を9歳の頃に完全に暗記、アメリカ、イギリスへと遊学し10数ヶ国語をマスターした天才でもあります。
    様々な言語の文献を調べては論文を書き、4500種類の粘菌の標本を作り上げたまさに知の巨人であり、人間の知性の極地とも言われる人物。

    学もあって写真のように美丈夫なんだからさぞや女の人にモテたんだろうなぁ……と思ったら、なんと40歳まで童貞だったらしい。まあ、女嫌いや男色なんて珍しい話でもない…けど本人は大の女好きだったそうな……えぇ?

    実はこの方、実は超が付くほどの変人で、調べたらそっちの逸話の方が多いくらい問題児だった。

    ・多汗症でいつも薄着か褌一丁で野山を散策、かと思えば書き物を始めると書き終わるまで何時間も机に齧り付いていた。

    ・大酒飲みでシラフの時でも自由にゲロを吐くことができた。

    ・癇癪持ちで喧嘩早く、遊学先でも喧嘩が絶えなかった。

    ・女の人の気を引くためにカナブンを捕まえて食べた。

    ・蟻にアソコを噛まれて2倍腫れたので蟻を研究し始める。

    ・やっと出来た妻に愛想を尽かされて出ていかれそうになると大声で夜の営みについて語り出すのですぐに妻が赤面しながら戻ってきた。

    ・最終学歴は中卒で実質無職の趣味で研究をしているのが経済的な実状だった為、弟や親類からの仕送りで生活していた。

    と、色々な面白いエピソードがある人物なので是非調べてみて下さい。オススメは水木しげる先生の漫画『南方熊楠の生涯』です。

  • 28二次元好きの匿名さん23/12/05(火) 15:33:58

    >>14

    国でよくあるやつやん(ギリシャを見る)

    わーくには自国債だから関係ないけどなッ

  • 29二次元好きの匿名さん23/12/05(火) 15:44:07

    3本の矢で知られる毛利元就の息子兄弟は普通に仲が微妙だったけど、孫の輝元は叔父の小早川隆景に養育され、そこでの折檻はクソだから教育するときせんようにと息子に伝えたりしてる
    わりと野心家だったりおもろい人

  • 30二次元好きの匿名さん23/12/05(火) 15:56:52

    >>8

    ちなみに天武天皇は臣下を集めて博打の大会を開いたこともある

    あと他の趣味として“なぞなぞ”も好きだったらしい

  • 31二次元好きの匿名さん23/12/05(火) 15:59:10

    >>12

    当時の寺社のアレっぷりを考えると大内の寛大な処置で大内を逆に何でも言うこと聞くヘタレとでも勘違いしたんだろうなあ

  • 32二次元好きの匿名さん23/12/05(火) 16:04:28

    >>20

    ボリビア以外にも地図に適当にピン刺ししてカナダの首都を決めたりとやたら地図エピソードに縁のあるヴィクトリア女王

  • 33二次元好きの匿名さん23/12/05(火) 16:09:03

    南総里見八犬伝で有名な滝沢馬琴(曲亭馬琴)さん
    水滸伝の登場人物の性別を逆転させた「傾城水滸伝」というパロディ作品も書いている
    女体化作品は昔からあったのだ

  • 34二次元好きの匿名さん23/12/05(火) 16:14:28

    このレスは削除されています

  • 35二次元好きの匿名さん23/12/05(火) 16:16:08

    江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜はきな粉が大好物 取り寄せた顕微鏡で色んな物を調べるのにハマっていた慶喜は「きな粉を顕微鏡で見たらどんな感じなんだろう」と覗いてみたところ保存状態悪かったのか虫が滅茶苦茶わいていた それ以来きな粉が気持ち悪くて食べられなくなったらしい

  • 36二次元好きの匿名さん23/12/05(火) 16:24:28

    聖徳太子が一番愛した妃は元々宮中のキッチンで働いてた女中さんだった
    その女中さんが山菜をとっているところを見かけて一目惚れしたそう
    ちなみに昔の貴人らしく聖徳太子には何人も妃が居たが一緒の墓に入ったのはその元女中さんらしい
    かわいいね

  • 37二次元好きの匿名さん23/12/05(火) 16:30:54

    少弐家臣の神代勝利と竜造寺家臣の小河信安の話でも

    ある日信安は勝利暗殺の為に指揮官なのに自ら居城に忍び込むが途中で女中に見つかってしまう。変な奴がいます!と報告を受けた宴会中の勝利は「そんなことをするのは信安しかいないだろう。一緒に酒飲みたいからここに呼べ」と言い現れた信安と酒を飲み交わしたという。

    その後指揮官同士で一騎打ちをして勝利が勝ったり江戸時代になって小河氏から養子が来たりとこの二家の間には面白いエピソードが多い

  • 38二次元好きの匿名さん23/12/05(火) 16:31:53

    >>35

    カメラ大好き肉ムシャムシャ親内親王おじ

    よしながふみ大奥での扱いが酷すぎると俺のなかで話題

  • 39二次元好きの匿名さん23/12/05(火) 16:34:20

    出雲の雄・尼子経久は軍略・謀略に長け恐ろしい男という評判だったがこの男は味方には気前がよく慕われていた。
    しかしあまりにも気前がよく「褒められたものを何でも相手に贈ってしまう」という悪癖があり経久に近しい者たちはその癖を把握していたので彼の前では経久の私物を褒めぬよう暗黙の了解があった。
    ある時1人の家臣が経久の自宅を訪問し、手入れのされた庭に生えていた立派な松の木を見て流石にこれは贈れないだろうと思い経久に向かって称賛の言葉を送った。
    すると経久は破顔した笑顔を見せて手伝いの者を呼び松の木を掘り起こさせて贈ろうとした。
    褒めた家臣は驚いて慌てて遠慮を願ったという。

  • 40二次元好きの匿名さん23/12/05(火) 16:38:25

    >>36

    膳大郎女なら豪族・膳氏の娘だから女中って身分ではないのでは…?

    膳氏は代々宮廷の食を司ってきた一族だから、彼女も調理関係の職についてた可能性はあるだろうけど

  • 41二次元好きの匿名さん23/12/05(火) 16:47:39

    江戸幕府 三代将軍 徳川家光 筆 『鳳凰図』

  • 42二次元好きの匿名さん23/12/05(火) 16:50:35

    >>41

    可愛い…

  • 43二次元好きの匿名さん23/12/05(火) 17:23:22

    戦国時代武田と今川と北条は三国同盟を結んだ
    その結果信玄の嫡男義信の元には今川の姫が
    今川義元の嫡男氏真の元には北条の姫が
    北条氏康の嫡男氏政のもとには武田の姫が輿入れした
    ところが武田が同盟破って今川に攻め込んだ結果北条と武田の同盟も破却になった
    息子に離婚するよう要請する氏康
    氏政は嫌がるも当主の命に逆らえず嫁と離婚
    武田の姫は実家に戻った一年後に死んでしまった
    それから今川が滅び氏真は嫁の実家である北条家に夫婦揃ってお世話になっている中氏政に当主交代
    氏政は氏真の首武田に出して武田と同盟復帰目論むも察知した妹の早川殿が怒ってお付きの人30人くらい連れて夫と出奔
    さて氏政が何故武田と同盟復帰したかったかの話
    彼が同盟復帰後真っ先に求めたのは「嫁の遺骨を返してくれ」だったという
    三国同盟カップルで離婚になっていないのは氏真&早川殿カップルだけであるがこの3組全部夫婦仲良かったらしい点が切ないけどほっこりするね

  • 44二次元好きの匿名さん23/12/05(火) 17:28:08

    ヒトラーは母親の治療をしていたユダヤ人医者をアンシュルス後に高貴なユダヤ人と言って保護しアメリカに亡命させた

  • 45二次元好きの匿名さん23/12/05(火) 17:39:38

    「汝、姦淫するなかれ」を「汝、姦淫すべし」と誤植して姦淫聖書と呼ばれた聖書がある

  • 46二次元好きの匿名さん23/12/05(火) 18:20:46

    信長は26歳の時津島のお祭りで部下には弁慶などなどのコスプレをさせて本人は天女の扮装をして女舞を披露したそうな
    ちなみに大好評だったとか
    ついでに後日談
    このお祭りの主要メンバーの老人達を後日信長は招いて一人一人に酌をして「お前はここが良かったな」と声をかけていたそうな
    信長優しい…ってほっこりするエピソード
    ちなみに信長はお祭り好きのイベント好きなのであの時代に提灯で城下町から安土城まで一斉に火を灯させてライトアップ!企画とか安土城見学ツアー(尚料金は信長自ら城の裏口で徴収します)とかもやってるし相撲大会も2回開催してる

  • 47二次元好きの匿名さん23/12/05(火) 20:29:39

    隠居した御嵯峨院のもとにまだ幼い娘である悦子内親王から文が届けられた
    院へ行く人に「お父様に届けてほしい」といって渡したものだった
    文には「ふたつ文字、牛の角文字、直な文字、歪文字とぞ君は覚ゆる」とあった
    言葉遊びになっておりふたつ文字=こ、牛の角文字=い、直な文字=し、歪文字=く
    幼い皇女が父親に大好き!と伝える文だったのであった
    ~徒然草六十二段~

  • 48二次元好きの匿名さん23/12/05(火) 20:42:03

    寛永5年(1628)3月12日、大御所徳川秀忠は伊達政宗の屋敷に御成になった。

    秀忠はその日の朝早くに政宗邸に到着。御数寄屋へと迎えられた。
    御相伴衆は曲直瀬道三法印、立花飛騨守(宗茂)、丹羽五郎左衛門(長重)であった。

    この時、政宗は自身で御膳を秀忠に差し上げようとしたが、そこに秀忠の近習である内藤外記が、土器に箸を持って、政宗を追いかけてきて言った。

    「御膳の鬼(毒見)をしてから差し上げてください。」

    この言葉に、政宗は御膳を数寄屋の入り口に置くと、内藤に向かって激怒して叫んだ。

    「外記はいらぬことを申される!この政宗程の者が御成をして頂き、自身で御膳を差し上げる上は、鬼をする所ではないぞ!
    御膳に毒を入れるなどと考えていたのは、もはや10年も前のことだ!
    いや!10年前であっても、日本中の神にかけて!毒などで殺し奉ろうとは夢々思っておらぬ!
    一度は攻め寄せてやろうとは考えていた。」

    そう怒鳴っている所に立花宗茂が出てきて

    「いやいや一段とお似合いのご挨拶です。上様(秀忠)も感じ入っておられましたよ。
    それにしても御膳が来るのが遅くなっています。さあ、早く」

    そう言ったため、政宗は毒見をさせること無く秀忠に御膳を差し上げた。
    このとき秀忠は

    「さてさて、頼もしきご挨拶かな」

    と、直々に政宗に礼を言い、これには政宗も感動し、その場に居た諸人も、
    さてもさてもと感じ入った。

    数寄屋での饗しが終わると御書院に出て能などを見物され、暮に及んで秀忠は還御された。

  • 49二次元好きの匿名さん23/12/05(火) 22:28:57

    司馬炎「お前の孔明の講釈面白かったぞ。孔明みたいな宰相が朕にも居てくれたらなあ」
    樊建(旧蜀臣)「無実の鄧艾を謀反人扱いしてるようなお前が諸葛丞相得たって意味ねーよ( ゚д゚) 、ペッ」
    炎「…その通りだ、鄧艾を許す勅令を出す」

    炎「痛えっ!お前な、后とは言え皇帝の指を傷つける奴があるか。これだから武官の娘は」
    胡夫人(胡奮の娘)「何よ、アタシのパパはあなたのお爺さんと一緒に孔明や公孫淵と戦ったのよ!その言い方はないんじゃない!?」
    炎「…そうだな、すまなかった」

    炎「孫晧、お前は眼を抉ったり顔の皮を剥いだりしたらしいな。そんなことをするから負けたんだぞ」
    孫晧「(賈充の顔を見ながら)高貴郷公(曹髦)は失敗した。俺は成功した。それだけだ」
    炎「…つまらないことを言ったな。飲み直そう」


    親父(司馬昭)の寛大アピールは多分に演技入ってるけど炎の良い奴っぷりは素のような気がする

  • 50二次元好きの匿名さん23/12/05(火) 22:57:05

    >>49

    司馬炎「ワシは漢の皇帝だと誰に似ておると思う?」

    劉毅「桓帝や霊帝(※どっちも暗君と言われてた)でしょ」

    司馬炎「……ちょっと厳しすぎん?」

    劉毅「いえあの二人は売官で稼いだ金を国庫に入れてたけど陛下は自分のポッケに入れてるから暗君以下ですね」

    司馬炎「アハハハッ! その二人はこんな言葉を聞いたこともないだろうな! お前のような奴が臣下にいてくれるからワシの方が勝ってるぞ!」



    絶妙に情けなさと器の大きい所が入り混じってるのが司馬炎のエピソードの面白い所だと思う

  • 51二次元好きの匿名さん23/12/05(火) 23:14:41

    陸軍省へチャーチルが送った手紙「全ての国民がたとえ鎚矛や槍のような物しか無くとも武器を持つべきである」

    陸軍省「首相に言われた通り槍作りました」
    チャーチル「は?」
    議会「は?」
    ホームガード「は?」

  • 52二次元好きの匿名さん23/12/05(火) 23:19:01

    初平2年2月
    董卓は孫堅迎撃の軍を派遣しました
    兵力は歩兵と騎兵を合わせて五千
    大督護(総大将)は陳郡太守胡軫、騎督(騎兵指揮官)は中郎将呂布
    その他、大勢の将校(中郎将と校尉)・都督(指揮官)が参加しています
    せっかちな胡軫は勝った気になったのか、「要するに青綬1人斬るだけのことじゃん」と放言しました
    青綬とは二千石の官が帯びる印綬
    要するに「孫堅1人をぶち殺せば終わりだろ」と言ったのです
    これを聞いた呂布以下の諸将は「こんな奴負けちまえ」と思いました
    軍が孫堅の拠点に近づいた頃は既に日が暮れて、兵士や馬は疲れ切っていました
    休息を取って夜明けに攻撃を仕掛ける予定でしたが、呂布が「孫堅軍は城を捨てて逃げました!さあ!追撃しましょう!」と虚報を流しました
    胡軫はまんまと騙されて軍を進めました
    ところが孫堅は守りを固めていて容易に手出しできません
    軍は飢えと渇きと疲労でボロボロ
    しかも到着したのが夜間だったので陣地を築くこともできません
    皆が武装を解いてぐでっとしています
    そこに呂布が「敵が出撃してきた!」との虚報を流します
    大いに慌てた兵士たちは何もかも放り出して一目散に逃走
    十余里ほど逃げたところで敵がいないことに気づき、ちょうど夜も明けたので城を攻めようとしました
    しかし、孫堅の守りは堅く、疲れ切った軍では勝てません
    胡軫が諦めて撤退すると、孫堅は城から打って出ます
    こんな状態でまともに戦えずはずもなく、胡軫軍は大敗を喫しました
    まさしく呂布の計略通りでした

  • 53二次元好きの匿名さん23/12/05(火) 23:22:59

    本多正信、家康の近習を叱る

    徳川家康は割と短気であり、時に癇癪を起こして近習を怒鳴りつけることもあった。
    こんな時正信は現場に訪れると

    「殿、如何なさいました?何故お怒りなのです」

    家康は訳を怒りのまま話し出すのだが、これを聞いた正信

    「殿の仰る通りですな!お主は何をしているのだ!!」

    と家康以上の剣幕で怒り始める。あまりの剣幕に家康も冷静になり黙ったところを見計ると

    「いいか、お叱りではなくご教訓と心得るのだ。殿はお主を一人前に育てようと思っておられるからこそ、お叱りになるのだ。
    お主の父はあの戦で功があった。それにあの城攻めではこうであった。
    お主も父に負けぬように頑張るのだぞ。
    一度、散々に叱られたからって落ち込むでないぞ。
    殿はお前を叱って喉がかわいておられるようだ。お主が茶を奉るのだ。
    さ、これからは元気を出して奉公せい。落ち込んではならぬぞ。殿もそのように思っておられる」

    と言って聞かせるのである。
    正信は最初こそ叱っているのだが、途中から教訓と励ましに変わっていくので、家康の怒りは和らぐし、近習も気を落とさなかった。そのため、正信の生きているうちは側近で閉門や解任になった者はいなかったという。

  • 54二次元好きの匿名さん23/12/05(火) 23:37:48

    信長はおもしろエピソード多いよね
    当時、牛乳飲むと牛になるって話があったので本当かどうかを確かめる為に牛乳を飲んだ事があるそうだ

  • 55二次元好きの匿名さん23/12/05(火) 23:43:46

    加藤嘉明って武将、清正と比べたら地味だけど実はかなりの名将かつ逸話かことごとくぐう聖すぎて大好きだから布教がてら1つ書くね

    あるとき、家臣の1人が主君・嘉明へ直々に面会し他家への出奔を願い出てきた。

    当時の転職は主君からの妨害工作はもちろん、他家に有能な家臣を取られるくらいならとその場で殺されてもおかしくないほど重大な行為であり、ましてや一介の家来がアポもなしに殿に目通りして物申すなど言語道断でもあった。

    しかし嘉明は押しかけてきた家臣に怒りもせず理由をつぶさに聞いた上で
    「やむを得ないのはよく分かった。だが私の元を離れてもお前は死ぬまで加藤家の一員だからな!何かあればいつでも手紙よこせよ!」と激励して快く送り出し、その器量に家臣は感涙して座を外した。

    (つづく)

  • 56二次元好きの匿名さん23/12/05(火) 23:57:51

    >>55の続き


    それから年月が過ぎ、時は戦国最後の合戦である大坂の陣。現地で戦っていた嘉明の陣に1人の僧体の男が訪ねてきた。


    「あの時あなたの元を離れた者です!加藤さまの一大事と聞き及び、あの時のご恩を返しに馳せ参じました!」


    叫び声が聞こえるや喜色満面で出迎えた嘉明に誘われ、僧は陣の奥に案内された。


    元主君に続き幕をめくって奥に入った僧が目にしたのは、床中に足の踏み場もないほど積み上げられた金銀・米俵や乾物の山であった。呆然とする僧に嘉明いわく


    「お前はあのとき加藤家を去ったつもりなのだろうが、私はお前ほどの家来を手放す気にはどうしてもなれなかった。ここに積んであるのは、あれから今日までお前が当家に仕えていたら受け取っていたであろう全棒給だ。これをお前に与える代わりに、今一度だけ加藤家に力を貸してはくれないだろうか?」


    地に座して平伏する嘉明の姿に咽び泣いた僧は、獅子奮迅の活躍の末に戦死したとも、死にものぐるいで戦い抜いたのち再仕官の要請を謝辞して帰農したとも伝わる

  • 57二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 00:10:31

    >>18

    最晩年に番組の企画で押しかけてきた欽ちゃんと会ったエピソードすき

  • 58二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 00:11:45

    >>36>>40

    奈良県桜井市阿部の七つ井戸関連で伝わってる話か

    ちなみに阿部は安倍晴明とか阿部氏発祥の地で太子が幼い頃住んでた。阿部と膳は親戚で、膳夫という地名も近くにある。

  • 59二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 00:11:48

    朝鮮出兵の時、立花宗茂と黒田長政が弓と鉄砲の優劣について論じた際、弓不要を唱える長政公に対して宗茂公は反対し、各々が銃と弓による勝負した結果、宗茂公が見事に勝利して長政公の銃を貰いその返礼として賭けていた弓を送ったという

    現在、福岡県柳川の立花家史料館にて展示されている墨縄がその銃だそうだ

  • 60二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 00:23:24

    真田信之と石田三成は親しい友人だったようで西軍東軍で分かれた後も普通なら大勢が決したとはいえ敵将との手紙を所有していたら何されるか分からぬから処分するところを後生大事に保管してたって話

  • 61二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 00:53:37

    >>58おまけ 桜井の由来について

    太子より更に前の時代。当時食事係してた膳氏が帝に杯を渡した時、桜の花びらが入っていた。それでこの膳さんは若桜部の名前を貰い、その場所に若桜神社ができた。この神社の井戸が桜の井と呼ばれて桜井の由来になった

    ちなみにこの場所も阿部に近い

  • 62二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 01:03:37

    安土城の建築奉行を任された丹羽長秀は最初に仮の御殿を作るように命じた。
    そして約一月後に様子を見にきた来た信長をその御殿に案内したという長秀が信長の性格をよく理解していることがわかるお話。
    まあ信長が御殿気に入ってそのまま住むようになったことは長秀も予想外だったらしく困惑したらしいけど

  • 63二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 08:44:06

    劉備の使者として諸葛亮が呉を訪れた際、孫権は諸葛瑾に弟も呉に仕えるよう説得できないか尋ねた
    すると諸葛瑾は「私が主君を裏切らないように、弟も劉備を裏切らないでしょう」と答え、孫権を大いに喜ばせた

  • 64二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 08:55:16

    ドイツはソ連にスパイを潜り込ませる為にソ連捕虜をスパイとして解放してソ連に送ることにした
    ほとんどのソ連捕虜が解放されて真っ先に行ったのはNKVD、自分はスパイではないと説明しそのままソ連に帰って失敗した

  • 65二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 11:31:21

    ドイツ軍上層部「兵士の士気上げるためにフランスの占領地から東部戦線に高級ワイン送ろ」
    もちろんワインは凍った

  • 66二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 11:44:57

    >>64

    そのスパイもどき達がその後どうなるか想像しただけでゾッとするエピソードでもあるな

  • 67二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 12:02:38

    大河ドラマにも登場して言及されてた2人だから歴史上の人物って事で

    満洲映画協会の姉妹組織である「満州演芸協会」からのオファーにより現地を慰問してドサ回りする事になった伝説の噺家・古今亭志ん生と三遊亭圓生の2人。

    だが当時の2人は、後の名声が嘘のように批評家からも酷評されるほど芸に華がなく下手くそだったと言われ、

    終戦のいざこざで帰国も不可能になった2人は独断で満州に留まり、来るあてもない帰国船を待ちながら辻講談(ストリートライブみたいな物)や即席の2人会をあちこちで開きつつ生死スレスレの生活を2年ほど送った。

    帰国後の2人は戦前とは打って変わって技芸に磨きがかかったと絶賛されるようになり、

    圓生は後に「満州での苦労が今の自分を作った」「自分の芸は道場の剣術だが志ん生は野天の真剣。型の綺麗さでは彼に勝つ見込みがあるが、いざと言う時の面白さでは敵わない」などと振り返っている

    ちなみに志ん生は、最初に帰国船が出たとき圓生に無断で乗り込み彼を置いていったらしく
    「殺してやろうと思ったが、寄席で謝ったからやめちゃった」との事。

    仲良いんだか悪いんだか分からないけど、なんかこう辛酸を舐めあった戦友だからこその付かず離れずな関係がいいなと思って書き込んだ。

  • 68二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 13:09:40

    >>67

    落語家のエピソード面白いのたくさんあるよね

    志ん生師匠、関東大震災に遭ったとき「どうせ死ぬんだから」と揺れがおさまらないうちに酒屋へと駆け込んで酒を浴びるほど飲み、ベロンベロンに酔っ払って寝込んで気づいたら生き延びてた話好き


    夫の無茶に黙って耐えてた奥さんも、この時ばかりは張り手食らわせたとか

  • 69二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 13:14:02

    ワシの頃は真田十勇士が人気じゃったんじゃよ
    なので家康嫌い

  • 70二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 13:19:47

    >>69

    別に歴史のエピソードでも何でもなくない?

  • 71二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 13:22:08

    >>69

    架空のキャラ定期

  • 72二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 13:22:48

    >>70

    えっ?そうか?

  • 73二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 13:25:55

    スレの趣旨に沿ってるかは分からんが、真田丸そのものを組み立てたのは主に長宗我部軍の兵士たち。軍議を重ねた結果、真田信繁が指揮を執ることになったってのはあまり知られていない

    なのでもしかしたら長宗我部丸の戦いになってたかも

  • 74二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 13:27:03

    >>67

    >>68

    大河ドラマのいだてんでも大概無茶苦茶だったけど、ほぼ史実通りか下手すりゃナーフされてたらしいね…

  • 75二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 13:31:23

    >>74

    そもそも橘家圓喬が師匠ってのも志ん生が勝手にそう言ってただけらしいし

  • 76二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 13:42:56

    >>69

    江戸時代に「難波戦記」「真田三代記」など真田幸村(信繁)を主題にした軍記物が人気になる→講談で猿飛佐助・霧隠才蔵などの創作キャラが付け足されていく→明治大正時代に大衆文学の立川文庫で「真田十勇士」と表現され人口に膾炙するって流れらしいね


    つか初代の権現様に歯向かった奴を主人公にした話が人気でも黙認した(流石に公には禁止だったようだが)徳川幕府って割とユルいな…

  • 77二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 13:48:22

    陸軍が独自に開発した「まるゆ」こと三式潜航輸送艇
    試験に呼ばれた海軍から「あれは潜航というより沈没じゃねーか」と騒がれたり
    日本郵船の船から敵と思われて体当たり食らったり
    白昼堂々日の丸掲げて洋上航行してたので敵潜水艦に発見されたけど「何かの罠か?」と疑われて監視されるだけに留まったり
    まあなんやかんやで40隻ほどが造られた。

    その中のある1艇が訓練を終えて帰還していたところ、呉を出港した大和と出会う
    艇長さんが「登舷礼やりたかったんだよなぁ」とウキウキでやった所、大和の方は100人前後の乗員がラッパ演奏付きで返して感動の名シーン・・・と思ったら直後の航海波でずぶ濡れになってしまいましたとさ。
    それはそれとしてすっかり海軍贔屓になった艇長さん、上官のお偉いさんの前でうっかり海軍式敬礼をしてしまい大目玉を食らうわ左遷されるわ踏んだり蹴ったり。栄転する同僚が広島駅で夜行列車を降りていくのを横目に左遷先の久留米へ行ったのだが、その日こそ8月6日・・・。
    人生万事塞翁が馬ならぬ塞翁がまるゆなお話でしたとさ

  • 78二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 13:49:14

    >>76

    主君への忠誠心の大切さを刷り込み謀反防止&ガス抜きを全部奪うと民衆がすぐ暴徒と化してたから政略的に黙認してた面が大きいらしい


    あと兄貴が幕府のお気に入りのインテリアになってたのも大きいかもな

  • 79二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 14:29:42

    >>56

    かっけぇ

    普通に花の慶次とかのお涙ちょうだい話で出てきそうな逸話だな

  • 80二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 14:32:57

    前田利家はロリコン呼ばわりされるけど11歳で孕ませた妻を当時としてはおばちゃんもいいところの32歳まで延々と11人孕ませ続けてるからロリコン関係なしに滅茶苦茶奥さん好きだったんだろうなと思う
    いやでも11歳で孕ませるのはやりすぎだな・・・

  • 81二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 14:34:45

    >>27

    柳田國男に「お前、マジの天才なんだから論文くらい真面目に書いてくれ…」と嘆かれた男

    論文なのに突然猥談始めたり、隣人の愚痴を書き連ねたりの乱文・散文ぶりが凄く、その様式は「曼荼羅」と呼ばれたとか

  • 82二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 14:34:57

    >>80

    幼くして婚姻だけ結ぶのはよく会った話だけど色々マナーがあって相手が妊娠に耐え切れるまでは手を出さないって不文律がキチンとあったらしい。その上でやっちまった又左さんやっぱ傾奇者

  • 83二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 14:35:07

    明智光秀の娘玉ちゃんことガラシャ夫人と戦国が誇るヤンデレ嫁ガチ勢細川忠興の結婚取り持ったのは信長なのだがその時信長は「まるで雛人形みたいな夫婦だな」って言ったんだとか
    忠興はその時信長の言葉を終生忘れず信長没後も菩提寺立てて国替えのたびに信長のお寺もお引越しさせて信長の命日は信長の寺の方一日拝んでたとか
    嫁も大好きだけど信長公大好きっぷりも可愛いね

  • 84二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 14:41:51

    >>83

    言われたら確かに!って合点いったんだけど忠興の「忠」は信忠の忠らしいから三斎の織田ラブは筋金入り

  • 85二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 14:43:10

    >>56

    加藤嘉明だと皿の話も好き

    あるとき嘉明お気に入りの十枚1セットの皿の内の一枚を割ってしまった家臣がいた

    嘉明はそれを咎めず許したばかりか「残った皿を見る度に家臣が気に病んでしまうだろう」と考えて残りの皿も割ってしまった


    一方、伊達政宗は大事にしていた茶碗を眺めてる時にうっかり落としかけて咄嗟にキャッチし、ホッとしたのも束の間、思い切り投げ捨てて割ってしまった

    その理由は「茶碗の分際で俺様に一喜一憂させやがって!ムカついたから割ってやったぜ!!」

    なんだコイツ

  • 86二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 14:43:31

    >>83

    妹の嫁ぎ先族滅させた時妹に顔切りつけられてるから多分血筋から愛が激しいタイプやと思う

    まぁ父親は光秀損切りする世渡りマンだけど

  • 87二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 14:47:17

    第二次世界大戦のポーランド軍に所属した羆ヴォイテクの話とかほっこりする
    兵士達とレスリングしてたとか弾薬とかの運搬で活躍してたとかタバコが好物だったとか
    終戦後はポーランド軍の解体に伴いイギリスのエディンバラ動物園の預かりになって22歳まで生きたらしい
    動物園には戦友の兵士達も遊びに行ってたりもしたらしいよ

  • 88二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 14:47:55

    その世渡りマンである細川幽斎、古今伝授が成された文化人でありながら「暴走する牛の角を掴んで止めた」「魚を包丁で切ったらまな板も割れた」とかの「暴」の逸話も多い
    極めつけはボヤ騒ぎがあった時、幽斎がなにか扇ぐものを!と指示すると家臣が何を考えたか将棋盤を持ってきた
    幽斎はかまわず将棋盤をガシッと掴むとそれを上下に扇いで延焼を防いだという
    花山薫かな?

  • 89二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 14:52:42

    吉田松陰(幕末の革命家みたいな人)「旅行しようぜ」
    松陰の友達「いいけどお前パスポートは?」
    吉田松陰「かまへんかまへん」

    松陰の所属組織の偉い人「パスポートなしで旅行とか重罪だぞバカか」
    吉田松陰「ごめんちょ」
    偉い人「今回だけだゾ❤」

  • 90二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 14:54:13

    >>85

    感性とか人心の掴み方が現代人にも通じるから余計に親しみやすいのかも。


    清正が自分や家臣の武勇伝を嬉々としながら語ってみせたのに対して「俺の命令のせいで新米を1人死なせてなあ。まだ17だったのに」としみじみ漏らした嘉明とか、同じ加藤の清正との対比エピソードも味があっておもろい

  • 91二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 14:57:52

    勝海舟の押しかけ弟子になった坂本龍馬だが、彼は最初攘夷思想から世界に明るい勝を殺してやろうと思って面会を申し込んだ
    しかし、話を聞くうちに日本の将来を見据えて語る勝の視野の広さに感服して弟子入りすることになった

    あまりに有名な逸話だけど、龍馬の家族宛ての手紙を読むと、その頃の彼はすっかり攘夷思想が醒めていて、本当に勝を殺そうとしていたのか疑問が残る
    ただ、この逸話の初出は勝が昔語りをした談話集『氷川清話』っていうのが非常に厄介
    勝は思い出話のように語る中にはホラ話も含まれるので注意が必要なのだ

    龍馬が護衛につけさせた岡田以蔵が曲者をすぐさま斬り捨てたのを見た勝が「君、あまり人を殺してはいかんよ」と言ったら「でもワシが殺さにゃ死体になってたのは先生の方じゃきに」と返された逸話も、初出が勝の談話なのでホラの可能性が非常に高い

  • 92二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 15:00:01

    >>89

    「黒船に乗って斬首されてみた!」「無断で越藩してみたら死にかけた!」的な迷惑系youtuberみたいなサブタイが異様に似合うエキセントリックさ

  • 93二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 15:00:36

    秀吉の嫁の手紙「信長様、旦那が浮気してて寂しいです」

    信長の返信「君みたいな嫁がいるのに浮気とかダメやね。この手紙を旦那にも見せてやりなさい。あとプレゼントしたいけど何が良いか決められなかったから今度直接教えてね。あっ最初の方文字大きくしすぎてキツいあっあっ」

  • 94二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 15:03:00

    このレスは削除されています

  • 95二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 15:03:40

    >>93

    佐久間信盛あての折檻状(キツイお叱りの手紙)だいすき

  • 96二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 15:07:03

    >>83

    忠興はクソ真面目というか愛の形が一途すぎると思う

    千利休から学んだ茶道も利休流の形をそのまま遺すために流派を確立させるし


    あと『へうげもの』で描かれた利休が切腹の時に柱を肘に当ててしまった逸話も忠興の茶の席で語った話を記した書に由来してたりする

    忠興曰く「その後、宗匠は見事に腹を召された上に腸をズルズルと引き出して、それを天井に下がってる自在鈎にぶら下げたところで介錯された」とか

    お前、信仰心強すぎて絶対話を盛ってるだろ

  • 97二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 15:09:30

    >>95

    お前立場もあるんだからもっとちゃんとやらんとアカンぞしっかり功を上げて挽回しろよ(超要約)

    挽回すれば良かったのにな~んで逃げちゃったんすかね…

  • 98二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 15:15:39

    >>95

    お前、基本的なことが出来てないやんけー!!

    俺は困ったら相談しろっつったよな!?報連相も出来ねェ有様だから10年間もダラダラ戦ってたんとちゃうか?あぁ!?

    秀吉も光秀も恒興も勝家も、その間ちゃ~んと仕事やってるのに、古参のオメーは何一つ役立ってないよなぁ!?

    あとお前金をケチりすぎなんだよ!!家臣団追放して中抜きしてるとか何やってんの?

    お前本当口ばっかりだよなあ!

    そういや朝倉攻めの時!俺が猿とか金柑も集めて説教してた時、お前だけ「でも我らほどの忠臣は他におりますまい」って意味不明なこと抜かしてたよなぁ!?

    ムカつくわー。思い出しただけでムカつくわー。あの時と全然変わってないやんけ

    あとお前の息子もバカ!バーカ!

    もうお前ら討ち死にするか、頭丸めて高野山にでも引っ込んでろ!


    後半、思いだしギレしたせいで字が小さくなってるのも笑う

    よく信長の魔王エピソードの始まりとして描かれるけど、実際はキレの内容が割と妥当だし、人間味ありすぎな文面で面白いんだよなあ

  • 99二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 15:17:25

    >>97

    羽柴にも明智にも数え切れないくらい感状やっとる権六だって歳なのに頑張ってるお前も歳なのは分かるけど出来ないならできないって相談するとかさあ何カ国も与力あつめて4年も包囲して何も進展ないってどういうことやる気ないんちゃうんかあとお前の息子みんなから嫌われてるぞしかも俺が味方にしたかった水野信元の家来ども皆殺しにしとるし佐久間おまえのボンクラぶりは救いようがないわ腹切るか高野山に籠るか討ち死にするくらい手柄たてるか選べや後なあ


    (後半になるにつれて文字ちっさ)

  • 100二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 15:22:15

    赤壁の戦いで活躍した黄蓋
    ところが戦いの最中、矢を受けて長江にどぼん
    呉兵に救い出されるものの暗くて誰かわからず、なんと厠に放置されてしまう
    「義公〜助けて〜😭」と力を振り絞って戦友の韓当に助けを求め、めちゃくちゃ憐れまれながら手当てを受けた

  • 101二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 15:23:30

    >>92

    同僚「おい港に変な船来てるぞ!見に行こうぜ!」

    松陰「いや密航しようぜ」

    同僚「は?」

    松陰「さすがに密航は無理だろうしちゃんと乗せてもらうように頼むか」

    同僚「は?」

    松陰「乗せて」

    船員「は?」

    松陰「は?」(斬首)

    ニュースを見た特に関係ない高杉晋作「ええなんだコイツ…」

  • 102二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 15:26:47

    >>13

    >>16

    ねね(女)相手だから全部ひらがなで署名が

    「のぶ」

    なのかわいくて好き

  • 103二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 15:30:21

    >>41

    家光のフクロウとか「味のある画風」みたいな触れ込みで展示されるけど

    ぶっちゃけ下手なんだよな…かわいい

  • 104二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 15:31:07

    >>78

    そのなあなあも許さずに校則ガッチガチに押し付けるリアル風紀委員長ムーブやらかして失脚したのが水野忠邦

  • 105二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 15:34:26

    信長のお手紙シリーズなら滝川一益宛のやつも好き
    滝川さんは織田四天王の一人として攻めるも滝川退くも滝川と謳われた人だけどいい加減年なので引退して京で茶会して暮らしたかったな〜土地なんかより茶器が欲しかったなあ〜ここど田舎だし京が恋しいよ〜と嘆いていた
    そんな滝川さんに届いたお手紙
    「お前の気持ちはよくわかる。だけど私のためにあと3年…いやあと5年頑張ってくれ!頼むよ〜その土地任せられるのお前くらいしかいないんだよ。今度お前が欲しがってた茶器あげるから。な?」
    みたいなお手紙
    最初は3年と言ったくせに2年もすかさず年数増やしてるの草

  • 106二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 15:36:13

    >>105

    俗説みたいに恐怖とカリスマ性で使い倒すんじゃなくて肩組んでウェーイ!ってはしゃいでる体育会系がそのまま大人になった感じの可愛さだよなあ

  • 107二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 15:37:43

    秀吉の鷹を誤って逃しちゃった鷹匠が斬首覚悟で謝ったら
    「日本中がワシの庭じゃ。日本のどこかに居ればええ」
    て許されたエピソード

    学術的な信憑性はないんだろうけど
    優しさ・ひょうきんさと『天下統一した今、日本は自分のもの』っていうほんのりとした傲慢さ
    秀吉のキャラクターが詰まってて好き

  • 108二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 15:38:34

    >>105

    息子の武田征伐の副将にしたりととにかく大事な仕事を任せられる相手として甘えまくってるよね

    微笑ましい

  • 109二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 15:40:12

    一休さんのまっすぐな松の逸話が好きだな
    ある時、一休さんが歪んだ松の木に対して「この松をまっすぐに見れたものに報酬を渡す」と書いた立て札を立てた
    人々はどうにかしてその松の木をまっすぐに見ようとしたが見れなかった
    そこに蓮如上人がやってきて何をしてるのか尋ねたところ、立て札の内容を教えられ「また一休のヤツか」と呆れたあと「報酬を貰いに行くから私と一緒に来なさい」と人々を連れて一休さんのところにいき、昼寝していた彼に「おいあの”歪んだ松”の報酬をもらいにきたぞ」と詰め寄る
    すると、一休さんは「あんた立て札見てないだろ? 裏面にただし本願寺の蓮如は除くと書いてたはずだぞ」といい、笑い合う二人を見て人々が戸惑ってると、蓮如上人が「歪んだ松をあれこれいってまっすぐだというのは歪んだ見方である。あの松は歪んだ松なんだから歪んだ松として見る事こそがまっすぐな見方である」と説明し人々は納得したという

  • 110二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 15:42:24

    >>108

    基本的にどんな相手にも社交的で甘々なんだよな信長。苛烈な行いにもキチンと理由とか道理がある


    比叡山も当時の僧侶はテロリストなみの武装勢力&武田シンパで勝頼を守ろうと動かなかった


    一向一揆を殲滅したのも以前に弟何人か殺された報復

  • 111二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 15:45:38

    イギリスのシリー諸島とオランダは335年もの間戦争していた。
    なお、その間1発の銃弾が飛ぶ事もなければ1人の死者も出なかった。

    なんでかというと元々はイギリスの国王軍と議会軍の内戦であり、オランダは議会軍と同盟を結んでいた。
    んで海軍から宣戦布告はしたんだけど戦わないまま戦闘は終了、他国の一部への宣戦布告であったため戦争終結はされないままだった。

    因みに日露戦争もモンテネグロが講和会議に呼ばれなかったので2006年まで続いてた

  • 112二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 15:47:29

    >>105

    そんな寂しいこと言うなよ(´・ω・`)みたいな雰囲気の筆致なんだよな可愛い

  • 113二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 15:54:29

    日本に金印をくれたことで有名な光武帝、劉秀。兄・劉縯が今の皇帝倒して俺たちが国を良くするんだ!と名乗りを挙げた戦いについていくが馬を持っていなかったので牛に乗ってついていった。
    その後色々あって自分が皇帝となって政務に励んでいたが、
    ・部下と会議中に美女が書かれた屏風絵を盗み見してキレられる
    ・暗殺者が出回っていて危険だから夜に出歩かないように注意されるが無視して遊びまわる
    ・結果キレた部下(妻説も)に締め出され野宿するハメになる
    ・地方の役人から皇帝はケチと愚痴られる
    ・親父ギャグを言いすぎて奥さんにウザがられる
    ・なぜか↑の情報が記録に残っている
    という華々しい生涯を送ったのだった

  • 114二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 15:59:20

    明智光秀の嫁さんが美人だって噂を聞いたので信長は顔を確かめようと近づいたら吃驚してビンタされた
    まさかのビンタした相手が信長
    信長はそのまま笑って去っていったとさ

    あとお手紙シリーズの明智光秀宛の「お前さー部下を選り好みしてないで一芸に長けたやつとかも雇いなさいよ〜出ないと部下に反感抱かれちゃうぞ☆」みたいなお手紙とか京で公方様守って奮戦してるミッチー救援するため一騎駆で岐阜から2日で駆けつけて鉄砲で撃たれて倒れちゃったりとか金ヶ崎の退き口後に長政くんに「今なら許してあげるから帰ってきて」コール手紙でしてたりとか公方様足利義昭と決裂後も「帰ってきて」コールやっぱりしてたりとかあざといなこいつ…既にあげてる人いるけど署名がひらがなで「のふ」なの可愛い

  • 115二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 17:11:19

    男が高い馬の絵を買ったので高僧にありがたい文言を書いてもらうことにした
    一休「この絵を見たらこの言葉しか出なかった」
    蓮如「心の赴くままに書をしたためた、大事にしなさい」
    文言
    一休「馬だな」
    蓮如「そうだな」

    男は怒って二人に抗議し二人は新たに文言を書いた
    新たな文言
    一休「これ馬じゃなかったらしいぞ」
    蓮如「やっぱ鹿だよな、最初からそう思ってた」

  • 116二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 17:43:13

    上皇陛下は昭和帝と親子二代揃って王族や皇族ではスウェーデンの発明王くらいしかとってない科学者の賞取ってるくらい優秀な海洋学者なのだがその腕を見込んで上皇陛下が皇太子だった時代に泰国の王族が相談を持ちかけた
    「ある民族が食糧難なんだけどなんかいい解決策ある?」
    「それならこれを食べると良いよ。ブルーギル〜!増えやすいし美味しいよ」と魚の稚魚を50ほど贈った
    その結果食糧難問題は見事解決
    泰の華僑は上皇陛下に感謝を込めてこのとき陛下から贈られた魚を陛下の本名「明仁」から一文字取って「仁魚」と名付けて今でも泰ではよく食べられているそうな

  • 117二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 17:52:29

    >>103

    将軍にしか許されない贅沢な余白の使い方好き

  • 118二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 18:16:22

    このレスは削除されています

  • 119二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 18:25:39

    あるとき、劉邦は泗水という村の役人に取り立てられた
    長城の工事のために農民を連れて行くことになったが、過酷な労働に耐えかねて農民たちは次々に脱走
    しかし劉邦はそれを咎めることなく、むしろ残った農民たちに「お前たちも逃げていいよ。俺も逃げるから😁」と言い、人望を集めたとか

  • 120二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 18:48:24

    戦国大名の毛利元就
    幼い頃、当主である父親が死んで次期当主になる兄が京都に出向しているのをいい事に重臣に自分の城を奪われる
    ホームレスとなった毛利元就は橋の下の小屋で暮らす事になり、民からは「乞食若様w」と馬鹿にされる生活を送る

    それを見かねた毛利元就の父親(故人)の二十代の後妻が元就を拾ってくれて育てる。当時の価値観からすれば後妻が血の繋がらない義理の息子を扶養する義務はないし、夫が死ぬと実家に帰るか再婚する
    後妻はお出掛けする際にもいつも元就を一緒に連れて行き、特に説法(僧侶のありがたいトークイベント)があると聞けば毎回元就を伴って参加していたので元就も熱心な仏教徒になった

    有名な3本の矢の手紙にも名前が出てくるほど元就は生涯この継母を尊敬していた

  • 121二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 19:00:08

    >>116

    ブルーギルじゃなくてティラピアじゃなかったかな…?

    国民食として定着して後々は隣国の食糧危機に支援物資として贈れるまでに養殖に成功したんだよね

  • 122二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 19:00:48

    >>2

    喧嘩の仕方が一周回って仲良しだろこれ

  • 123二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 19:08:09

    重巡洋艦愛宕がシンガポールに入港し、現地で食材を調達(持ち込んだ大量の煙草と交換)したところ
    手に入ったのはよく熟れた大量のトロピカルフルーツ
    このまま積み込んで出航すればすぐ痛んでしまうし、かと言って多彩な果物を乗組員に均等に分配するのも現実的でない

    という事で積み荷の痛み掛けてた砂糖をふんだんに使ってシロップを作り、量も具材も豪勢な特製フルーツポンチを作り振舞われることに
    ちなみに氷に関してもどこからともなく集めてきたらしい

  • 124二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 19:11:18

    大坂の陣後、真田信繁(幸村)の娘が伊達家臣の片倉に嫁いだのは有名だが、縁組を作るにあたっては赤の他人という体裁を整えるためひとまず滝川一積(一益の孫)の養女として預かった上で片倉に嫁がせた。

    しかしそれから年月が経ったころ、豊臣方の遺児を匿った事が時の将軍・家光に露見してしまい、一積は江戸城への出仕を禁じられたうえ蟄居させられてしまった。大坂の陣を戦った生き字引を無下に断罪する訳にも行かず、幕閣は申開きの席を開いて一積を呼び事の次第を問い詰めた。

    しかしいくら問い質しても
    「信繁さんの娘だったと謹慎してから知ったっす」

    「もう次男の嫁にやっちゃってて行方も分からないんすよね」などとしらを切るばかり。業を煮やした幕閣が何故知らばくれるのか問うと、居住まいを正して一積がいわく、

    「我が祖父は信濃にて敗走のおり昌幸さんに助けられた大恩がございます。今度は滝川が報いる番。もし不都合があれば、この場で所領返上のうえ一族郎党腹を召してお詫びする覚悟です」

    この言葉を伝え聞いた家光は「そのような義士を飼い殺しておくとは何事か。即刻謹慎を解かせよ」と命じ、一積の息子や孫の代には祖父以上の禄を食む旗本となった。

  • 125二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 19:15:58

    >>117

    なお綱吉さんも味のある文字を書く模様

  • 126二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 19:31:10

    >>115

    切れ者の悪ふざけ可愛E

  • 127二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 19:38:03

    このレスは削除されています

  • 128二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 19:40:51

    ラーマ5世と皇太子時代のニコライ2世の話
    皇太子として外遊をしていたニコライ2世は予定にないシャム王国から招待され
    ラーマ5世はニコライ2世を別荘で自ら持て成し仲良くなった

    ラーマ5世は次の国への出発準備をしているニコライ2世に対しこう言った
    ラーマ5世「例え国同士が離れていたとしても、この数日で我らはまるで一つの大地のように近しくなれた。その証として、貴殿が遥か彼方にある祖国に思い出の品を持ち帰ることを望むなら、喜んで何でも用意してみせよう」
    ニコライ2世「貴国の玉仏は非常に美しい。是非あれを我が祖国に持ち帰りたい」
    ラーマ5世「よかろう」
    ニコライ2世「貴方のその誠実さと友情に深く感動いたしました。貴方が露西亜から何かを望むなら私は喜んでそれを差し出します」
    ラーマ5世「では、貴国の玉仏を頂こう」

  • 129二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 19:53:16

    曹操の有名な逸話

    官渡で袁紹と戦った時に圧倒的劣勢の中なんとか勝利したがその際袁紹の陣から手紙がたくさん出てきた
    曹操は勝てないと思った武将たちが袁紹に内通を約束した手紙だった
    これを聞いた曹操は「私でも今回は負けると思ったのだ。部下がそう思っても仕方ない」と言って手紙を見ずに焼き捨てさせた

    光武帝にも似たような逸話があるのである種のテンプレなのかもしれない

  • 130二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 20:00:52

    >>121

    ブルーギルは別のネタだっけ?

    やべえ素で書き間違えた訂正サンキュー


    ちなみにお父上の昭和帝とか食べ物関係のお可愛らしい逸話が多くてほっこりするよ

    研究兼ねてルーチンワークで山にピクニックに行ったときにお付きの人には彼ら用のご飯もあるのに好物のいちごサンドをみんなで分けようして三十等分して全員にわけて隣の香淳皇后にニコニコしながら「美味しいね」とか

    昭和天皇にフグが献上されて侍従が「(毒があるから)陛下は食べちゃ駄目です!」とか言いながら目の前でバクバク食べられて「フグ食べたかったなあ…」ションボリとか

    あと中々男の子が生まれなかったのでお付きの人たちに側室とるよう迫られるも「朕は長(※香淳皇后)が良い」って決して首を縦に振らなかったとか愛妻家エピもある

  • 131二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 20:28:20

    新皇居を見た米大使「新しいのですね」
    昭和天皇「前のはあなたたちが燃やしたからね」

  • 132二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 23:25:59

    北九州の産んだ雷神、立花道雪の一節をば
    とある家臣が道雪の侍女と懇ろになった際、「若いんだしそれくらいいいだろ。色恋に溺れたくらいで斬る様な奴は人の上に立てないよ。そもそも国の法律を犯したわけでもあるまいし」と一笑に付した。
    またある時は「武士に弱い奴なんかいない。もしそんなのがいるならそれは当人ではなく主人の問題だ。その証拠にウチは下士に至るまで武功持ちだからもし他家で武功のない奴がいたらウチに来い、すぐに武功持ちにしてやる」といった。
    またまたある時は武功のない者を励まして酒を飲みかわして武具を与えたり、そのものが活躍すると「ほら見ろ!今までは運がなかっただけだ」と周囲に見える形で称賛して見せた。
    そんな道雪さん、雷に打たれて足が不自由になった後も輿に乗って戦場に出続けたある日、敵に囲まれて大ピンチ。飛び出た言葉が「俺を敵の中に担ぎ込め、命が惜しいならお前らは逃げろ」
    当然というかなんというか、逃げる部下はおらずそのまま奮戦、遂には敵を追い返して見せたそうな

  • 133二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 23:26:24

    第二次世界大戦でデンマークはすぐに降伏したが、クリスチャン10世は国民を慰めるため毎日馬に乗ってコペンハーゲンの街を出歩くようになった
    それを続けていくうちに自転車が後ろについてくるようになる、その自転車はコペンハーゲン市民だった。クリスチャン10世は落馬して街に出ることは出来なくなったけど、ドイツ降伏後に今度は車で街を走ることになり沿道に沢山の人が集まった

  • 134二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 23:26:53

    加藤清正といえば小野鎮幸とのエピソードが面白い
    ある時、清正公が「自分は幼少の頃から戦働きばかりしていたせいで読書とは無縁だった」と愚痴ったところ、小野鎮幸は「自分は60になるというのに”いろは”すら満足に書けない。朝鮮出兵の時は返書が書けず困ってたところに内田元叙が来てくれたおかげでなんとかできた。帰国したのち妻に教わり今になってようやくにじり書けるようになったところです」と返答し、それを聞いた清正公は自分に気を使ってるのだろうとその時は思ったが、後日、内田元叙と会いこの話の真偽を確かめたら本当だったので「小野鎮幸は小さな嘘さえつかない。大きな嘘は尚更であろう」として厚遇したという

  • 135二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 23:35:38

    他にも加藤清正と小野鎮幸が将棋を打っていると近くで部下達が喧嘩をし始めた
    形勢不利だったので清正公はこれ幸いと将棋を中断しようとしたところ「主君たるものがこの程度で動じてはなりません。もしこっちにくるようなら不詳ながらこの老人が取り押さえますので、殿は落ち着いてここにいてください」といって戦略的撤退を阻止したという

  • 136二次元好きの匿名さん23/12/06(水) 23:38:43

    加藤清正は乗ってる馬の大きさとか朝鮮の虎を滅ぼしたとか普段から虚言吐いてた

  • 137二次元好きの匿名さん23/12/07(木) 01:19:45

    徳川家臣の山口直友は晩年の幕府が開かれた年に家康へ言った
    「実は自分DTなんですよ。任務を果たすに際し、女性は遠ざけてまいりましたが還暦でそろそろ妻を娶りたいんです
    条件は12から18までの年齢かつ初婚で」
    なんやかんやで娶れたし子宝にも恵まれた
    家康亡き後、妻に先立たれた山口直友は二代将軍秀忠に後妻を迎えたいと頼んだ
    「さすがに自分も年を取ったので12歳から19歳までの娘でオナシャス」
    なんやかんやで奥さんを迎えられたとさ

  • 138二次元好きの匿名さん23/12/07(木) 01:25:25

    近代の人の話ですが一つ。
    時は2003年10月、タイのバンコクでアジア太平洋経済協力会議が開催。その晩餐会の事前注文では各国が自国の料理を注文する中で、時の日本国首相小泉純一郎は『美味しいトムヤムクンを下さい。あまり辛くしないでね』と言った。
    美食で有名な日本人の注文に身構えていた料理人はわざわざ自国タイの料理を注文してくれたことに感動し最高のトムヤムクンを作ったらしい。
    「どうせ知っている料理を頼んだだけだろう」と他からやじを飛ばされたが、「その国にいったらその国のものを食べる」という小泉氏の精神にタイの人々は感銘を受けたという。
    そして、そのレストランでは今も小泉氏の写真がかざられているそうだ。

  • 139二次元好きの匿名さん23/12/07(木) 07:53:18

    戦国時代版ロミオとジュリエットみたいな話

    織田信長と武田信玄は同盟を組んでいた時期があり当時の同盟=結婚がワンセットである
    その関係で武田信玄の娘松姫当時6歳と信長の嫡男織田奇妙丸(信忠)当時11歳の婚約話が持ち上がるも松姫が幼すぎて嫁ぐことが出来ず「武田家で奇妙丸殿の正室として養育します」という話で纏まった
    そこから婚約者2人の文と贈り物のやりとりが始まる
    互いに手紙がきたらいそいそと返事を返していたという
    そして松姫13歳になった年…いよいよお輿入れかと思われた矢先に信長包囲網が勃発し武田信玄は敵に回った為に必然的に婚約も破談となった
    武田信玄の娘である松姫には次々別の婚約話が舞い込んできたらしいが全て蹴っていたという
    それから時が経ち松姫は21歳になった
    彼女はお寺で甥や姪の養育をしながら暮らしていたそんな中その年信忠(※長篠の戦いの後織田家の家督継承済み)から彼女の元に使者がやってきたことが寺の記録に残っている
    その使者から伝えられた内容というのが「毛利を滅ぼしたら迎えに行く」だったそうで松姫はそれを信じて信忠のいる京都二条城に向かっていたという
    だが2人が会うことはなかった
    信忠が松姫に迎えに行くと使者を送った年の6月2日本能寺の変勃発
    6月3日織田信忠は生涯を終えた……結局この2人は一度も会えなかったのだ
    その後松姫は出家して「信松尼」と名乗り夫になる筈だった信忠と父信玄の菩提を弔いながらお寺で生涯を終えたそうな
    因みに余談ではあるが信忠は家督を継承済みで織田の頭領になっていたにも関わらず正室は不在で在り側室との間に子供がいてこれが清洲会議に出てくる三法師で秀吉が連れてくるまでみんな三法師の事を忘れていたのは母親の身分が低いからというのもある
    また原因は不明とされているが本能寺の前年に信忠は父信長と大げんかをしたと言われており本能寺の変の時も信長が真っ先に疑ったのは信忠だったとか
    喧嘩の原因は不明であるがこの喧嘩の翌年に「毛利を滅ぼしたら迎えに行く」と松姫に使者を送っていることや正室が不在だった事などを考えたら松姫を正室に迎えたいのを信長に反対されたとかが喧嘩の原因なのでは…?と邪推してしまう話
    信忠と松姫は一度も会ったことない筈なんだがどう考えてもこいつら両想いやんけって意味では悲しいけどほっこりもするね

  • 140二次元好きの匿名さん23/12/07(木) 12:32:01

    ブラウ作戦により南下してきたドイツ軍の山岳部隊がエルブルス山を登山して旗を置いた
    ヒトラー「ブラウ作戦の目的は登山じゃねえよ!」

  • 141二次元好きの匿名さん23/12/07(木) 22:39:27

    ナポレオン「クィントゥス・ファビウス・マクシムスの子孫だというのは本当か?」
    当時のマッシモ家当主「はて、我が一族は古すぎるために系図は1200年しか遡れないのでな」

  • 142二次元好きの匿名さん23/12/07(木) 22:57:34

    呉の凌統はあるとき山賊討伐を命じられた
    しかし上官の酒宴での振る舞いを諫めたところ逆ギレされ、最初のうちは耐えていたが死んだ父親のことまで侮辱され、ついに斬ってしまった
    数日後上官は亡くなり、凌統は死んで罪を償おうと山賊に突撃するが、普通に強くて撃破してしまう
    仕方ないので自分に縄を掛けて孫権のもとへ出頭したが、功績があるので普通に縄を解かれて許された

  • 143二次元好きの匿名さん23/12/08(金) 00:25:33

    1859年、あるところにアメリカ合衆国皇帝を自称する男がいました。以前は裕福な生活を送っていましたが、米の投機に失敗して破産し、正気を失った彼は

    「そうだ!私はこの合衆国の皇帝だ!」

    と現実逃避の末に意味不明な結論にたどり着いたのです。
    当たり前ですが当初は誰も彼の言葉に耳を傾けませんでした。しかし彼のことを面白がった新聞社が彼のことを記事にすると話題になり、彼を見るために遠方から人が訪れるほどアメリカで注目されるようになったのです。以来、彼は新聞社を通して様々な勅令を出しました。

    ・アメリカの政治体制の腐敗を指摘しアメリカ議会の解散を命令。
    ・それが無視されると議会を反逆者と呼び、陸軍に制圧を命令…これも当然無視。
    ・町が暗いと犯罪率が上がるので街灯を明るくせよと命令。
    ・天然痘予防に貢献した医師を市は表彰せよと命令。
    ・宗教間の暴力による紛争を禁止し、話し合いで解決せよと命令。
    ・リンカーンが奴隷解放を唱える二年も前に奴隷を解放せよと命令。
    ・クリスマスには市内の街路樹を装飾せよと命令。クリスマスシーズンでよく見られるイルミネーションやツリーの装飾の始まりです。
    ・サンフランシスコとオークランドを繋ぐ橋を建設せよと命令。却下されるが60年後にサンフランシスコ・オークランド・ベイブリッジが建設。
    ・海底トンネルを開通せよ命令。これも却下されるが、1972年に海底トンネルを走るBARTが開通。

    いくつか無理難題な勅令もありましたが、大半は的を得たものや先進的な内容でもありました。彼なりに国の行く末を考えていたようですね。
    彼は無一文の為、人々から税金だと言って徴集しましたが一人あたり5セントとわずかの金額でした。支払いを嫌がった相手には無理に取り立てず笑顔で握手を交わしました。
    自らを皇帝と自称する大言壮語な人物でありながら性格は温厚で平和的で、清貧な暮らしぶりに人々から敬意を表され愛されるようになります。
    1880年、彼はこの世を去りました。本来なら貧困墓地に埋葬されるはずでしたが、サンフランシスコ市民が彼の為に多額の寄付金を募り盛大な葬儀が行われました。身分や人種に関係なく3万人の人々が彼との別れを惜しみました。
    そして彼の墓石には

    『ノートン一世、合衆国皇帝、メキシコの庇護者』

    と刻まれ、アメリカ合衆国唯一の皇帝として認められたのです。

  • 144二次元好きの匿名さん23/12/08(金) 00:56:12

    >>143

    当時の当局が精神疾患者として連行しようとしたら近隣住民の反対運動で却下されたりと人民を愛し人民に愛された皇帝陛下だったそうですね

  • 145二次元好きの匿名さん23/12/08(金) 01:54:49

    WWⅡ中、イギリス軍の捕虜になったとあるイタリア人
    「あ~、あの収容所から見える山に登って自分とこの国旗を掲げてぇなあ」
    そう思った彼は他の捕虜2人を仲間に引き入れ、さらに数か月かけて各種装備や物資を整え準備を行った
    そうして「しばらくしたらちゃんと戻ってきますから」という置き手紙を残し3人は脱走
    困難な道のりではあったものの登頂に成功、国旗も掲げてくる
    そして、彼らは下山後逃げずにちゃんと収容所に戻ったそうな(もちろん罰は受けたものの軽いものだった)

  • 146二次元好きの匿名さん23/12/08(金) 02:23:19

    『利家公御代之覚書』から有名なのをひとつ。
    天正某年。信長の新たな居城が安土山に完成し、祝いとして家臣たちが招かれた。鶴の汁のほか、珍しい料理をたくさん揃え、引き出物まで用意した信長は、家老の柴田勝家に「みんなよく働いてくれた。おかげで畿内を静謐にでき、とても嬉しく思う」と述べ、家臣一人一人に言葉をかけ、年来の働きを労った。7〜80人ほどの家臣の末座には、前田利家もいた。
    信長は利家に引き出物を手渡す時、「若いころ、お前は我がそばに寝かせ、秘蔵したものであったな」と冗談を言い、その髭を引っ張った(ヒゲクイ♡)。
    これを見ていた信長の近習衆は「利家殿のご冥加に我らもあやかりたいものです」と羨ましがり、舞い上がった利家は鶴の汁をついつい食べ過ぎてしまった。おかげでそのあと腹痛になり、「鶴の汁」が苦手になってしまった。

  • 147二次元好きの匿名さん23/12/08(金) 02:44:03

    >>132

    しかし同時に戦陣を張っている最中に年越しを迎えた際、無断で軍を離れて故郷に帰った者がいると聞いた道雪は「本人と親家族を殺せ」と命じた

    本人はともかく親家族までは必要無いのではと言われても「戦さ場から逃げ帰った我が子を追い返さないのであれば同罪だ」と命を撤回することは無かった

  • 148二次元好きの匿名さん23/12/08(金) 08:11:15

    >>145

    そのまま逃亡してもアフリカのケニアから枢軸国領に入るの不可能だからね

  • 149二次元好きの匿名さん23/12/08(金) 09:26:30
  • 150二次元好きの匿名さん23/12/08(金) 11:16:42

    吾妻ひでお 酒飲み

    竹本泉 酒飲めない

    ZUN 酒飲み

  • 151二次元好きの匿名さん23/12/08(金) 12:09:46

    武田信玄は芋虫が大嫌い
    ある日「お屋形様、芋虫なんて怖がってどうするんですか、ほれほれ!」
    と部下の馬場美濃守信春に芋虫を突き出された!
    信玄は逃げられない!!
    信玄はなにくそ!芋虫を掴んだ
    「よ、その調子」とはやし立てる鬼濃守
    顔色が悪くなっていく信玄は手まで真っ青だったとか

    それで別の部下に言われるわけだ
    馬場さん生意気すぎちゃう?あの態度ええの?
    それに対し信玄は「馬場美濃守は年上だからしょうがないね」とか言ってたという

  • 152二次元好きの匿名さん23/12/08(金) 12:17:55

    ドイツ軍将校「モスクワ陥落しそうだから勲章持ってくるか!」
    前線に勲章を送る→押し返されて大量の勲章を置き去りにしソ連が鹵獲

  • 153二次元好きの匿名さん23/12/08(金) 12:25:29

    フランス第二帝政を批判しフランスから追放、英領ガーンジー島で亡命生活を送っていたビクトル・ユゴー。彼は『レ・ミゼラブル』を執筆して出版しますが、当時彼は旅に出ていてたので出版社に売れ行きを尋ねる手紙を書くことにしました。しかし紆余曲折の末に「?」(レ・ミゼラブル売れてる?の意)とだけ書いたものを送りました。出版社からは「!」(売れとるで!の意)という返事が送られてきました。これは世界でいちばん短い手紙として知られています

  • 154二次元好きの匿名さん23/12/08(金) 12:36:10

    ミュンヘン一揆の時
    逃げようとしてルドルフ・ヘスは妻に助けを求めたら妻は自転車でやってきて、しょうがないから交互にヘスと妻が自転車に乗って逃げた

  • 155二次元好きの匿名さん23/12/08(金) 12:38:15

    >>95

    お前全然だめじゃん、7か国の与力集めて5年間かけて結局お前、なんも出来なかったじゃん

    秀吉や光秀あんなに手柄建ててるのにここずっと手柄立ててないよな?

    できないのはしょうがないよ、でも出来ないなら俺に相談するなりなんなり出来るだろ?

    それなのに何もしないで包囲してただけじゃん

    しかも与力を酷使して自分の直臣なんか全く増えてないだろ?

    あ、そうだ、水野信元の領地お前にやったらそこの連中みんな追放したろ?あいつらすげー強くて

    見込みあったんだぞ

    岡山某って水野の組頭なんか妹が遊女にまでなって露頭に迷ってたのを勝三(鬼武蔵)に

    召し抱えられたらもう兜首3つで俺は感状書いたくらいだ

    あ、感状といえばお前、俺からこの17年間で一度も感状貰ってないだろ?真面目にやってたんか?

    本当に光秀や秀吉見ろよ、俺は感状何枚書いたかわからんくらい書いてるぞ、お前どうなってるんだよ?

    お前は確かにもう隠居考える時期かもしれんけどお前よりも年取ってる権六なんかすげー頑張ってるぞ

    そういえばお前の跡取りの信栄な、本当に評判悪いぞ、あいつに跡継がすのか?俺の直臣でもある与力に

    横柄な態度とるとかおかしいだろ

    権六なんか跡取りの話もせずに権六頑張ってるぞ。いや、たまには負けるけどな。

    加賀でそういえば最近も負けたな、権六でも権六は頑張ってるぞ、勝ち負けじゃないんだよ、勝ち負けじゃ、

    やる気なんだよやる気、お前はやる気が感じられないし

    とにかく今のままじゃ話にならん

    信盛よ、こうなったら大手柄立てるか、切腹して詫びるか、改易されてどっかに逃げるか、3つに1つだぞ、よく考えろや


    これほんとすき

  • 156二次元好きの匿名さん23/12/08(金) 12:40:31

    毛利元就「あー大内滅ぼしてキリもいいし隠居してぇ」
    隆元「自分みたいな無能には無理っす。オトンが隠居するなら俺も隠居するぞ?(輝元まだ未成年)」

    元就「もう70にもなったし隠居してぇ…」
    輝元「俺の親父は死ぬまで面倒みたじゃんかわいい孫を見捨てちゃダメダメ」
    元就「」

    こうして元就は生涯現役の74歳まで生きて最後の戦を城から指揮してから体調崩して亡くなったとな

  • 157二次元好きの匿名さん23/12/08(金) 12:40:48

    >>147

    道雪はアスリートとか教育者系の超ストイックな優しさと厳格さって感じだな。スポーツか戦かって違いだけで

  • 158二次元好きの匿名さん23/12/08(金) 12:47:47

    >>156

    病を押してとか介助を受けながらじゃなくて甲冑着て普通に出陣してるんだよな確か…それも死ぬ2ヶ月か3ヶ月前まで

  • 159二次元好きの匿名さん23/12/08(金) 12:54:47

    ほっこりエピソードとは違うけど曹操が自分の墓を質素にして西門豹の祠の近くに作るよう命じた話好き

  • 160二次元好きの匿名さん23/12/08(金) 13:00:21

    >>159

    西門豹といえば生贄を主導してた奴らを順番に池に落としたエピソード好き

  • 161二次元好きの匿名さん23/12/08(金) 13:15:37

    昭和天皇の逸話

    ある日草をじっと見ている昭和天皇を見てお付きの人が言った
    「陛下、それただの雑草です。陛下の見るようなものじゃないです」
    それに対し昭和天皇はこう答えた
    「この世に雑草なんて草はありません!ちゃんと名前で呼びなさい!!」
    天皇など殿上人は基本一般人の事を「民草」と呼ぶこと考えたら色々と考えさせられる逸話

    あと戦後昭和天皇は日本全国を行幸されたわけであるがGHQがそれを許可したのは「実際の天皇が中年の小男なのみたら国民も石投げるだろ」みたいな考えがあったかららしいのだが実際には国民に歓迎の嵐だった
    だが陛下の顔を知らない国民も当然たくさんいるわけで…行幸先で陛下の到来を心待ちにしているおばちゃんが陛下の顔を知らないまま「陛下来るんだって」っとある中年男性の肩をばしばし叩いて「いつ来るのかね」とニコニコしてたわけだがそれにその場はざわついた
    そのおばちゃんが知らずにバシバシ肩を叩いた男……彼が昭和天皇です

    また昭和天皇はお風呂が嫌いだったそうな
    そして昔あった迷信なのだが高僧や高貴な人物が使った残り湯にはご利益があるとされていた
    そこで昭和天皇が泊まった宿の主人が陛下に湯を勧めた
    が上記の通り昭和天皇はお風呂が嫌いだったので侍従に「お前が入れ」した
    その後何も知らない宿の主人は陛下の残り湯だーと思ってうきうきいそいそとお風呂に浸かった
    残念!侍従の残り湯でした!

    幼少期の昭和天皇の教育係は乃木将軍であり彼は幼い昭和天皇にある日こう言ったのだそうな
    「殿下、接ぎを当てるのは恥ではありません!」
    それを聞いて乃木将軍を尊敬していた昭和天皇はそうなんだと思い服が破れても接ぎをあてさせて「これでいいんだ」と言っていたとか
    また当時皇太子だった幼い上皇陛下の誕生日プレゼントについても中古のカメラを用意して「これでいいんだ」と言っていたとか…ものを大事にする陛下の話

  • 162二次元好きの匿名さん23/12/08(金) 13:17:16

    毛利と合戦に及ぶ際、秀吉は可愛がっている亀井茲矩という武将に「アイツらを滅ぼしたら出雲半国をお前にやる」と約束していた。

    しかし本能寺の変のゴタゴタで毛利とは講和になってしまい、出雲半国の話も立ち消えに。悪く思った秀吉は後継者争いがひと段落つくと亀井を居城に招き、約束を反故にした詫びに別の国を所望するよう申し付けた。

    「約束破ってすまンゴ・・・代わりに何処でも好きな国に領地をやるゾ!遠慮なくセイ!」

    「領地は要らんから誰も任命された試しがない派手な役職くれや猿」

    「役職かあ。朝廷に掛け合ったるから何なりと言えやボケ」

    「琉球守!」

    「それはおろもい!やっぱお前はユニークやなあ!(超意訳)」

    かねてより異国、こと東アジアに関心が高かった亀井は史上唯一となる琉球守に任官。お祝いに「羽柴筑前 琉球守殿」というサインまで懐の扇に頂きウッキウキの彼だったが、

    朝鮮出兵の際、船上で敵方の李舜臣から猛攻を浴びた時にその扇を海に落としてしまい、その悔しがりようは並大抵では無かったという。

    ただの言い伝えかと思いきや、当の李舜臣が戦利品として献上した品物の記録の中に全く同じサインが書かれた扇が見つかったと記載されているロマンあるエピ

  • 163二次元好きの匿名さん23/12/08(金) 13:25:41

    >>161

    >GHQがそれを許可したのは「実際の天皇が中年の小男なのみたら国民も石投げるだろ」みたいな考えがあったかららしいのだが実際には国民に歓迎の嵐だった


    1941年ぐらいから政府が昭和天皇の神格化を進めるまで、昭和天皇はアイドル的な人気で写真とかいっぱい撮られてたからな

  • 164二次元好きの匿名さん23/12/08(金) 13:41:14

    >>163

    実際お可愛らしい逸話が昭和天皇わりと多いからアイドル路線悪くないなと思ってしまった

    逆ににこにこ笑顔からお可愛らしいイメージのある上皇陛下はわりと格好いい逸話が多いあたりイメージとちょっと逆なとこある親子

    陛下に出される食事は食べれるものだけルールがあったらしいんだけどうっかり若い料理人が柏餅包んだ葉っぱとるの忘れて出した時は「おいしくない…」って声と共に葉脈だけ残されて綺麗に食べられた皿が帰ってきただとか

    昭和天皇は皮付きのねっちょりしたふかし芋が好きだったらしく若い料理人が「皮取り忘れてる!」と思って皮はがして出したら「おいしくない…」って声が聞こえてきたとかふりかけご飯がお好きだったとか

    平和を祈る場所である伊勢神宮で戦勝祈願なんてしたのが悪かったんじゃないかってずっと悩んでたとか

    国民が苦労している時に自分だけ良い思いするわけにはいかないと30分もあれば干した服がびしょびしょになるような劣悪な地下で半年ぐらい暮らしてたとか

    国民が碌に食べるものなくて困っているときに自分だけいいもの食うわけにはいかないから他の人に出しているのと同じ奴出しなさいと自分に出された白パンを黒パンに変えさせたとか

    なんかもう好きだなあ

  • 165二次元好きの匿名さん23/12/08(金) 13:46:43

    >>164

    「えーTVは色々観てはいますが、放送会社の競争が甚だ激しいので、どういう番組を観ているかについては答えられません(ニコニコ)」←これ大好き

  • 166二次元好きの匿名さん23/12/08(金) 14:32:53

    天皇は神だ神じゃない論争の時「朕は生物学的に人間なんだけど…」とか戦前から言ってた昭和天皇好き
    あと個人の逸話ではないが「アメリカ人:お前のとこの天皇神とか名乗ってるんだってな!でもお前のとこの天皇だって猿から進化したんだぜ!!」「日本人捕虜:いや、そりゃそうでしょ」「???」とお互いになったとかいう話とかも好きなんだがこれ神=ゴッドって誤訳した弊害なんすよね基本的に
    神道的な意味では今でも天皇は現人神なのは変わってないので通称人間宣言も実際に昭和天皇が伝えたかった文脈と違うところピックアップされているから全文読むと結構イメージが変わったりする

    あと上皇陛下のほっこりする逸話なんだけど
    昔あった迷信で異性の格好して育てたら強い子供に育つというのがあり大正天皇も昭和天皇も上皇陛下も幼少期に女の子のお召し物をつけたことがありワンピース姿の写真も実在する
    そんな上皇陛下は小学校に入学するときに髪を無理矢理ばっさり切られたらしく泣いて「今度から勝手に切らないでね」と訴えたんだとか
    不敬かもしれないがうっかり萌えました

  • 167二次元好きの匿名さん23/12/08(金) 15:22:46

    昭和天皇の話題が続いているので関連した話を一つ。
    皆さんご存知、小泉八雲ことラフカディオ・ハーンは英訳された古事記を通して日本文化に興味を持ち、40歳の頃に日本に移り住みました。
    代表作『怪談』を始め、日本文化の素晴らしさを海外に説いたことで有名ですね。
    その著書に魅了された読者の一人、Bonner Fellersは小泉家を訪問してハーンの長男一雄氏と交友関係を結ぶほどのハーンマニアでした。
    そして戦争が始まり、彼はマッカーサーの秘書官となって皮肉にも対日心理作戦の指揮をとります。
    終戦後、彼は昭和天皇の戦争責任を調査するなかで河井道という女性に会いました。
    敬虔なクリスチャンであり女子教育の教育者である彼女からあること言われ、Fellersは驚愕することになります。

    「陛下を処刑するなら、私がいの一番に死にます」

    その言葉が当時の日本人の姿の体現でした。
    日本人は他人の為に、子供の為に、樹木の為に、約束の為に、祖霊の為に、身代わりとなることができる人種だったのです。
    ハーンの著書を通してそのことを知っていたFellersはその事を知っていました。
    Fellersと河井道の助言を通してマッカーサーも日本人への理解を深め、後の占領政策に大きな影響を与えたと言われています。
    そしてFellersは戦後の混乱の中でハーンの遺族を探し出し、親友の長男一雄氏と涙の再会を果たしました。
    Fellersの人間性に心を打たれた一雄氏は、『父小泉八雲』の中で、

    「日本はアメリカに戦争で負けた。科学で負けた。が今、人情でも氏に負けた」

    と述懐しています。

  • 168二次元好きの匿名さん23/12/08(金) 15:30:55

    ジャンヌ・ダルクの部隊の1人、ラ・イルは生まれの身分が低く、粗暴な性格ということもあって祈祷する習慣がなかった。
    しかし、「祈りなさい」とクソ真面目聖女なジャンヌが口酸っぱく言うのででしゃあなしに毎朝神に祈るようになる。

    彼女の死後もジャンヌへの思いか、やり続けて習慣になってしまったのかはわからないけれど、毎朝の祈祷を生涯続けたと言う。

  • 169二次元好きの匿名さん23/12/08(金) 15:31:52

    >>167

    いい話だとは思うけど、当時の日本人の体現と言われると主語デカくね?って気はするな

    当時も天皇制に懐疑的な日本人はいただろうし、逆に外国人でも自分の信じるものや守るもののために身代わりとなれる人はいただろうし

    天皇を自分の身より尊ぶのは戦前の洗脳に近い教育の影響もあるんじゃないかって気もするし

  • 170二次元好きの匿名さん23/12/08(金) 15:42:54

    >>27

    実はこの人も昭和天皇とのエピソードがあるんだよね。

    昭和天皇にご進講の際に動物標本をプレゼントするんだけど熊楠は見やすいからといってキャラメルの大箱に入れて標本を献上。

    普通は高級な桐の箱とかが当たり前で、関係者はそれを見て固まってたそう。

    後に昭和天皇は渋沢敬三に「南方には面白いことがあったよ。長門に来た折、珍しい田辺付近産の動植物の標本を献上されたがね。普通献上というと桐の箱か何かに入れて来るのだが、南方はキャラメルのボール箱に入れて来てね。それでいいじゃないか」と笑っていたらしい。

  • 171二次元好きの匿名さん23/12/08(金) 15:51:41

    >>162

    琉球守の次は台州守を名乗ったり西洋式の船を独力で組み立てようとしたり好奇心が旺盛な人

  • 172二次元好きの匿名さん23/12/08(金) 16:28:35

    >>33

    この説明だと誤解を与えそうだな…

    曲亭馬琴の書いた「傾城水滸伝」は厳密には単なる「水滸伝の人物女体化作品」ではない

    「水滸伝をベースに日本を舞台に賢妻烈女たちを配した作品」が正しい


    草案は水滸伝で物語も水滸伝を踏襲しているが「後鳥羽院時代に北条氏によって討たれた鎌倉の源頼家の息女三世姫が立ち上がる」という内容

    そもそも傾城とは崩したら幽鬼が飛び去ったという日本の熊野那智山の傾城塚のことだ




    これは馬琴の作風からよく分かる

    と言うのも代表作「南総里見八犬伝」も馬琴は房総を訪れた事はなく、安房志料を参考にしましたとハッキリ告げていて挿絵にもある

    作中の人物は架空だし、なんなら物語で出て来る中国でこれこれこう言うことがあったと歴史を語るがこれも創作の歴史

    こういった創作史を交えるのが定番であり、近代小説化に当たって批判もされたが時代の転換期としても意義はあった


    そうした馬琴(本名が滝沢、ペンネームが曲亭だが明治に混ざって滝沢馬琴)は、中国の教えから加えた仁義八行を作って「因果応報」と「勧善懲悪」な物語だったりするが

    本人は八犬伝で伝えたいことは百年後に人々が分かるかなあ〜と言っていて亡くなっている

    これは日本が世界大戦となり、やがて終戦となる時期である

    まあこの人、今で言う同人誌即売会とかメイド喫茶みたいなこともしているんだけどね

  • 173二次元好きの匿名さん23/12/08(金) 17:01:30

    焼酎は戦国時代の鹿児島ですでに飲まれていた
    神社に書かれていた大工の落書きで判明したのだがその内容は
    「せっかく仕事してやったのにケチな神主で一度も焼酎を奢ってくれずガッカリした」

  • 174二次元好きの匿名さん23/12/08(金) 18:29:48

    >>173

    ただし当時の焼酎は、日本酒を作った廃材とか酒に出来ない余り物の穀物から作った味だの質に頓着しないワイルドな人たちが好む酒だったみたい。


    真田幸村(信繁)も手紙で知り合いに大きい瓶いっぱいに要求するほど焼酎を愛好してたらしくて、


    当時のものを現代に再現した人ら曰く、今の甲類に植物が焼け焦げた様な匂いとエグ味を足した味らしい

  • 175二次元好きの匿名さん23/12/08(金) 18:44:45

    >>168

    ちなみにラ・イルは古い言葉で憤怒

    本名はエティエンヌ・ド・ヴィニョルでラ・イルはあだ名だが、この人とにかく短気なために代名詞となり

    今のフランス語でもラ・イルで通るし、怒りん坊のこともそう呼ぶ慣用句になっている


    ジャンヌ・ダルクの戦友と言えば真っ先に上がる人物でもある

    同僚は多くデュノアと共にイングランド相手に戦いオルレアン包囲戦の折にジャンヌ・ダルクと出会ったのがキッカケ

    だが他人に八つ当たり、神を呪うなど粗暴でまた略奪の激しさからリッシュモン元帥(この人も大分面白い傑物)は眉を顰めている



    そんな彼だがジャンヌに諭され告解をする様になったのもだが

    なりよりもイングランドに捕まった彼女を助けようとした人で有名

    ただ仲間から身代金を集めて廻っていたりするも火刑に間に合わず捕まっている

    その後自分は捕虜から解放され(この時代の戦争は貴族や王様の捕虜待遇は厚く殺さず身代金で解放するし、中には捕虜期間に旅行している人もいた)

    ザントライユと共にリッシュモン元帥に仕えて戦った




    実は馴染みなさそうでトランプのハートのジャックのモデルなので見たことがある人は多い

    まあこのスートの解釈はフランスであって、普及しているアメリカにはなく、

    またパリ版とルーアン版(折下イングランド占領下でジャンヌが火刑された場所)で異なるのだが

  • 176二次元好きの匿名さん23/12/08(金) 19:39:11

    朝鮮戦争でのアメリカ軍、弾の暗号名で「トッツィーロール」ってお菓子の名前を使ってた
    ある時支援を要請したら受け手が勘違いして弾じゃなくてお菓子の方が届いた
    ちなみに好評だったらしい

  • 177二次元好きの匿名さん23/12/08(金) 23:14:57

    エドワード・ローという海賊の話
    ある時部下が捕虜を斬りつけるために刃を振り回して、近くにいたローの下唇を斬ってしまい、船医が下唇を縫っていたがローはこの出来事で不機嫌になり医者にこう言った「もっと上手くやれねぇのか!」船医はそれに対し「文句があるなら自分でやりな」と言って殴り、殴られて下唇が取れそうになってローは自分で縫ったが不恰好な下唇で部下たちは笑いを堪えるしかなかった

    彼に傷を負わせたのはこの部下と船医の二人だけと言われている

  • 178二次元好きの匿名さん23/12/08(金) 23:23:06

    織田信長には側室が10人くらい子供が20人以上いたのだがそのうち側室のお鍋の方とお鍋の方が産んだ息子とのエピソード
    ある日息子はお鍋の方に相談をした
    「お父ちゃんに勉強見て欲しいんだけど、忙しいだろうし怖いどうしよう」
    それを聞いたお鍋の方は言った
    「お父さんに言ってご覧なさい。喜びますよ」
    そう母に言われた息子は勇気を出して信長に言った
    「お父ちゃん、勉強見て」と
    それを聞いた信長は快諾し実際に後日時間を作ってニコニコ上機嫌で息子の勉強を見てあげたという信長の頼られるのが好きな所と親馬鹿属性の伝わるエピソード
    信長は自分が兄や弟に謀反起こされた為か息子に同じ目会わせたくないと考えたのか嫡男である信忠以外は他家に養子に出しまくってはいるけど他家に出した息子達同士の交流とかは咎めず養子に出しても普通に我が子扱いは変わらんのよな
    あと娘も基本的に大事にしてくれそうな相手にしか嫁がせないしあの時代にしてはかなり親馬鹿な方だと思う

  • 179二次元好きの匿名さん23/12/08(金) 23:41:45

    孫権「俺が酒を三杯飲んだ後の命令は聞かなくていいよ」

  • 180二次元好きの匿名さん23/12/09(土) 02:55:16

    昭和初期に行われた帝国海軍料理コンペでは軽巡洋艦川内のイワシの揚げ肉団子が栄養価に優れ
    食材を無駄無く使えていると評価が非常に高かった
    ちなみに優勝は戦艦伊勢のあさりシチュー素麺(クラムチャウダーをつけ汁にした素麺)で
    最下位(評価無し)は軽巡洋艦阿武隈の玉子焼き
    曰く、只でさえ割れやすく大量に積み込む事が困難な食材メインに使った料理とか味以前に論外だった模様

  • 181二次元好きの匿名さん23/12/09(土) 10:03:55

    第二次世界大戦の北アフリカ戦線では前線を見に来たドイツ軍のロンメルが迷子になりかけ、イギリス軍も前線を見に来た司令官が迷子になってドイツ軍陣地に行き捕虜になった

  • 182二次元好きの匿名さん23/12/09(土) 15:33:07

    「我に七難八苦を与え給え!」で戦前の教科書でお馴染み山中鹿之介幸盛さん
    ある日敵につかまった時にいた腹が痛いから便所に行かせてくれと所望した
    扉の前で鹿之助が出てくるのを待つ見張りたち
    「あいつ遅えな…」
    といつまで経っても出てこないのでしびれを切らし突撃すると誰もいないではないか
    そう山中鹿之介はぼっとん便所から脱出したのだ

  • 183二次元好きの匿名さん23/12/09(土) 17:36:19

    とある食い物にメロメロだった日本史の歴々

    前田利家「畳1畳の鮭の皮くれたら城と交換する」「鮭の皮なら1里(14km)食える」

    伊達政宗「皮だけの鮭があったら良いのに」

    豊臣秀吉「鮭皮の揚げた煎餅めっちゃすき」

    徳川光圀「厚さ3cm以上の鮭の皮持ってきてくれたら褒美に一国やる」

  • 184二次元好きの匿名さん23/12/09(土) 22:43:52

    東晋の成漢首都攻略で東晋軍は撤退しようとしたが、鐘を鳴らした人が間違って前進の合図を鳴らして東晋軍が前進、疲弊してた成漢は崩壊して勝った

  • 185二次元好きの匿名さん23/12/09(土) 23:37:15

    天然痘にかかり婚約破棄を求めてきた婚約者に高橋紹運は「元より容姿に惚れたのではなく、優しさなどの内面に惚れて婚約を決めたのだから容姿がどう変わろうとも問題ではない」といってそのまま結婚して二人の子供を作った。
    その子供が立花宗茂と立花直次

  • 186二次元好きの匿名さん23/12/09(土) 23:40:18

    心温まるというには血生臭いネタではあるけど
    細川忠興×お玉ちゃん夫婦ネタ
    ある日庭師が忠興の嫁であるお玉ちゃんにぼうっと見惚れていた
    それを見た忠興は怒って「何俺の嫁見てんだァ!!」と庭師をズバッと斬り殺した
    目の前で庭師が死んだのに顔色1つ変えずモグモグ食事を続ける玉ちゃん
    それを見て忠興は言った
    「お前は蛇みたいな女だな。血も涙もないんか?」
    それに対して玉ちゃんも言った
    「私が蛇なら貴方は鬼ですね。鬼の妻には蛇が相応しいでしょう」
    なんていうか…割れ鍋に綴じ蓋みたいな夫婦

  • 187二次元好きの匿名さん23/12/10(日) 10:07:35

    最上義光は長年にわたって「よしみつ」と呼ばれていたが、妹の義姫(伊達政宗の母)宛の手紙にひらがなで「よしあき」と書かれていて正しい読み方が判明した

  • 188二次元好きの匿名さん23/12/10(日) 13:19:07

    >>183

    最上義光「鮭めっちゃ美味しいから上様にも鮭贈ろ♪」

  • 189二次元好きの匿名さん23/12/10(日) 14:27:04

    黒人侍弥助さんの話
    ある日宣教師が黒人奴隷を連れて信長の元にやってきた
    初めて黒人を見た信長は吃驚
    「墨でも塗ってるんじゃないか?」
    と疑った信長は部下に命令してタワシでゴシゴシ洗わせるも益々肌は黒光りするばかり
    それを見た信長は本当に黒い肌なんだと納得してその黒人奴隷を気に入り弥助と名前をつけて召し抱えた
    この弥助本能寺の変の時も一緒にいたそうだが光秀は「黒人なんて獣と同じだから捨て置け」されたので助かったがその後弥助がどうなったのか…船で祖国に戻った説など色々あるが記録にない
    黒人サムライ弥助さんのハリウッド企画はどうなったんだろうね?

  • 190二次元好きの匿名さん23/12/10(日) 23:30:59

    マルグレーテとエーリク7世はスウェーデン王アルブレクトを退位させ、エーリク7世がスウェーデン王になってカルマル同盟が出来た
    エーリク7世は最終的に貴族たちによって退位させられたが、奇しくもエーリク7世が退位させたアルブレクトのようにゴットランド島で海賊になった

  • 191二次元好きの匿名さん23/12/10(日) 23:54:39

    >>186

    割れ蓋云々ではなく夫の言動に呆れてるというかキレてるというか

  • 192二次元好きの匿名さん23/12/11(月) 00:12:44

    >>186

    こういう逸話とかガラシャが意地でも改宗しなかったりとか残された書状とかから実は夫婦仲は割と早く冷えていたのでは?と唱える専門家も多いらしい

  • 193二次元好きの匿名さん23/12/11(月) 03:06:45

    マハトマガンジーは優れた宗教家であり指導者でしたが、実はものすごい……性欲の持ち主だったそうです。
    13歳の頃に結婚しますが思春期真っ盛り。持ち前の性欲もあってそれはもう猿のように四六時中盛っていたとか。
    しかし、16歳の時に父親の看病中に盛っていたら父が死んでしまい、流石に反省。
    36歳で禁欲生活を始めますが、欲望という物は押されたゴム毬の様な物……その後、四人の子宝に恵まれました。

  • 194二次元好きの匿名さん23/12/11(月) 07:41:44

    今川義元の息子氏真くんの話

    義元亡き後跡を継いだ氏真君の代で国が滅んだのと某武田ヨイショ資料でけちょんけちょんに言われている為バカ殿イメージが強いし実際問題として戦国大名に全く向いてなかったメンタルの持ち主である氏真くんであるが…彼は塚原卜伝の弟子で一の太刀を授けられた剣の腕は免許皆伝で古今和歌集の20人しかいない伝承者の1人で蹴鞠の腕当世一……つまり日本一の蹴鞠ストという個人スペック部門に限っては文武両道のハイスペック貴公子である

    その為信長の前でも蹴鞠を披露し秀吉の前でも蹴鞠を披露し家康の前でも蹴鞠を披露し戦国時代の荒波を嫁と二人三脚で泳ぎ切り76まで生きている一芸(※三芸くらいあるけど)は身を助けるを体現したような人物である

    そんな彼は武田信玄の実の甥っ子でもありそれが同盟破って攻め込んでくるものだから「信長はお父ちゃんのほうから攻め込んでいったからしゃあないけど、武田てめーだけは絶対許さんからな!」と主張しており実際武田への嫌がらせは全力で長篠の戦いにも参加している

    尚その際「氏真:俺頑張ったんで旧領下さい!」「信長:お前さーそういう台詞はもっと手柄立ててからいいなさいよ」とか信長に怒られたり微笑ましい一幕も

    そんな氏真くんは晩年駿府に引っ越して引退していた家康の元に「家康くーん!遊びにきたよ~!!」をやり過ぎた結果家康に「氏真マジうざい…」と思われ…結果立派なお屋敷を家康君は氏真君にプレゼントしましたとさ

    そんな氏真君の孫は徳川の旗本になっているためなんだかんだ今川家は幕末まで続いている


    >>192

    しかし玉ちゃんは人質にされかけた時に「夫の荷物になるわけにはいかない」と胸をつかせて死んでいるのです

  • 195二次元好きの匿名さん23/12/11(月) 07:43:58

    >>193

    そこまでエピソード盛って4人とかおかしくない?

    しかも当時は古今東西問わず大量の兄弟姉妹がいたのに

  • 196二次元好きの匿名さん23/12/11(月) 07:44:36

    氏真って実際に一度は城を与えられて対武田戦の一角を担おうとしたりはしてるんだよね
    まぁ戦績が奮わなかったからこそのその後の扱いなわけで…それでも旧今川系の武士はその集いから徳川に仕える事ができたりと無駄ではなかった模様

  • 197二次元好きの匿名さん23/12/11(月) 08:11:46

    >>196

    氏真くんは戦国大名としての素質・才能以外はなんでもあるけど戦国大名としての資質や才能だけは全くないからな…(致命的)

    信長より先に楽市楽座やってたり「敵に塩を送る」の由来元である武田への塩止め主導してたり政治面は別に無能というわけでもないのが余計に哀愁ある


    ついでに語るが敵に塩を送るの故事

    武田信玄のいる甲斐の国(山梨県)には海がないため塩は輸入に頼っており塩と水がないと人は死ぬ

    その為武田に対してオコオコな氏真くんは嫁の実家の北条さんと手を組んで「武田に塩止めしようぜ!!」と甲斐に塩売らなーい作戦へと出る

    このまま塩が手に入らないと甲斐の国ピーンチ信玄どうなっちゃうの~?な苦境に陥った信玄であるがそこで思わぬ助けが舞い込む

    そう空気の読めない上杉謙信だ

    上杉謙信は「信玄坊主はどうでもいいけど塩ないと民が困るやんけー」と塩を「いつも通りの値段で販売しなさーい。儲け時だからって高くするのはダメダメよ~」といつも通りの値段で甲斐の国に売ったのだ

    御陰で旧知を脱出した信玄

    実際は別に塩止めに参加しなくていつも通りの価格で塩を売っただけで送ってはいないのだが武田信玄から見てみればライバル(敵)に塩を送られたようなものだったため「敵に塩を送る」ということわざが出来ましたとさ

  • 198二次元好きの匿名さん23/12/11(月) 11:49:22

    >>167

    ちなみに八雲来日のきっかけとなった古事記英訳の人はバジル・ホール・チェンバレンといい東大の言語学の教授。和歌文学に対して高い評価をしているわけではないが、和歌も自作できるほどに日本文化への造詣が深い


    八雲が来日した時真っ先にチェンバレンを訪ねて英語の教職を斡旋してもらった。八雲は島根に行くことになり、地域の朱印とかを集めて貰ってる。八雲は隻眼でもう片方の目も悪かったがチェンバレンも目を患っていて、眼病平癒の御守を送られ、この御守は博物館に残ってる


    ただ後年、残念ながら気難しい八雲に絶交された

  • 199二次元好きの匿名さん23/12/11(月) 11:59:06

    >>198

    ちなみに「日本人やべえぞ。上流階級から下っ端まで識字率が高すぎ」

    「3つの異なる言語(かな、カナ、漢字)を使いこなす世界で最も困難な言語を使いこなす民族」というたまに目にする有名な日本語評を残したのもチェンバレン


    他にも当時は非公式のプロパガンダソングに過ぎなかった君が代を彼が英訳した事で日本の正式な国歌として世界に定着したりだとか何気に凄い人

  • 200二次元好きの匿名さん23/12/11(月) 11:59:22

    >>195

    まあ性欲が強くても子宝に恵まれない人は割といるでしょ。

    性欲が強かったことは自伝でも認めてるし、それなのに指導者として、また宗教者として禁欲主義になったこともガンジーが評価される理由なんじゃないかな。

    ……まあ、晩年までブラフマチャリヤの実験と言って裸の若い女性たちと同衾していたのは専門家の間では疑問視されてるし、衰えぬ性欲ゆえの行動だったのかもね。

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