【SS】タキオン「今まで有難う、トレーナー。」

  • 1投稿主22/01/07(金) 00:40:42
  • 2投稿主22/01/07(金) 00:41:32

    それは人生で三度目の衝撃だった。


    国内最大のレースとも言われる『有マ記念』。


    そこで繰り広げられた『摩天楼の幻影』と『超光速の粒子』の対決は、人々を熱狂させた。


    その日の彼女たちの走りを、
    彼女たちが見せてくれた可能性を、


    私は決して忘れない。

  • 3投稿主22/01/07(金) 00:43:31

    目が眩むほどの強い日差し。
    光り輝く白い砂浜。
    青空を映した美しい海。

    ジャパンCに向け、俺とマンハッタンカフェは夏合宿で日々特訓に励んでいた。

    「よし!一旦休憩しよう。」
    「え、でも…。」

    練習にのめり込んでいたからか、カフェは不満げな表情を浮かべた。

    「あのなぁ、カフェ。真夏の太陽の下で特訓してるんだぞ?熱中症や脱水症状になったりでもしたら大変だ。こまめな水分補給と休憩は絶対だからな!」

    彼女のトレーニングを見ているだけの俺ですら、汗だくでキツいのだ。走ったり何だりしているカフェの方がずっと大変だろう。

    俺の思いが届いたのか、カフェも渋々だが納得してくれたようだ。

    「…はい。」

    素直に言うことは聞いてくれたが、何処か上の空なカフェが気になって問いかける。

    「どうかしたか?」
    「えっ。」
    「…ひょっとして、『レッカーマウル』のことが気になってるのか?」

  • 4投稿主22/01/07(金) 00:44:01

    それは有マ記念の際にテイエムオペラオーが口にした言葉だ。ここに来る道中で、それがドイツの魔女の名であることをたまたま知ったわけだが…

    「それもありますけど、私は…」
    「?」
    「タキオンさんが気になります。宝塚記念以来、あまりお話しできていないので…。」

    その言葉を聞いて、妖しげな瞳のウマ娘が脳裏に浮かぶ。確かに宝塚記念以来、彼女は練習にも顔を出さなくなってしまった。今回の合宿には一応参加しているようだが、きっとバスの中での発言がカフェの心に引っかかっているのだろう。


    『この夏、私は君たちと…一切の関わりを断つ。』

    『私にも少々やることがね。ほぼほぼ無意味だが、それでも…どうしても…。』

    『ともかく、私はいないと思って2人でよろしくやってくれたまえ。』


    実のことを言うと、何故タキオンがそのようなことを言ったのか俺には心当たりがあった。だが、それを言うのは野暮というものだ。

    「タキオンなら大丈夫だよ。絶対に。」

    根拠は無い。だが、確信があった。

    「そうですね。私も頑張らないと。」

    俺の力強い返答に、カフェも頷く。


    俺たちの3年目の夏が始まった。

  • 5投稿主22/01/07(金) 00:45:25

    蝉の鳴き声がやかましい。
    肌にべったりとくっ付いた服が気持ち悪い。

    「…来るんじゃなかった。」
    「まあまあ、そう言わずに。私たちにとっては初めての合宿じゃないか!今まで通り適切な指導を頼むよ、トレーナー君。」
    「はいはい。」

    海に山、広大な自然に囲まれたこの土地には、トレセン学園が保有する合宿施設がある。昨年の夏合宿前に私はトレセンを去ったので、ここに来るのは初めてだ。

    「…それにしても、この合宿に君も参加できて良かったねえ。最悪、あそこの陸上施設にお世話になるつもりだったが。」
    「これ以上私の財布を脅かさないでね⁉︎あのコースの修理代、結構したの忘れたの⁈」
    「安心したまえ、もしもの時は折半しよう。」
    「そういう問題じゃないんだわ。」

    タキオンの洒落にならない冗談に怯えつつ、今回の夏合宿に参加できたことに感謝する。彼女の言う通り、私がこの合宿に参加できるかどうかは微妙なところだったからだ。

    そう、私はトレセン学園に戻った訳ではない。あくまで外部のトレーナーとしてこの合宿に参加している。陸上クラブの監督や他の同僚に頭を下げ、しばらく休職させてもらうことにしたのだ。

    期限は12月末まで。彼女の有マ記念を見届けたら、私は元の職場に戻る。

  • 6投稿主22/01/07(金) 00:45:55

    今回参加できたのは、秋川理事長とたづなさんの口添えあってのことだ。本当にこの2人には感謝してもしきれない。

    「時間は有限。そして私たちには約1年のブランクがある。貴方の脚には十分配慮するけれど、厳しくいくから覚悟してね。」
    「ああ、分かっているよ。彼女と、カフェと戦うには、更なる限界を越えなければならないからね。」

    タキオンの返答を受け、私も覚悟を決める。彼女が宣言した有マ記念での復活。その為には、まずこの夏で皐月賞までの勘と身体を取り戻さなければならない。そこから有マまでに他のウマ娘たちに、カフェさんに打ち勝つレベルまでに仕上げられるかは、正直賭けだ。

    それでも…

    『誰も辿り着き得なかった『果て』を、今度こそ私が見せてやる。』

    こんなことを言われたら、賭けだろうが何だろうが関係ない。

    今度こそ、貴方の願いに応えてみせる。


    こうして私たちの夏が始まった。

  • 7投稿主22/01/07(金) 00:46:25

    「次、砂浜ダッシュ10本!」

    ピッ!とホイッスルを鳴らすと同時に、タキオンが砂浜の上を駆ける。

    砂浜というのは天然のトレーニング場だ。砂がクッションとなって脚の負担を軽減し、芝以上に足腰を鍛えられる。脚に若干の不安が残るタキオンにはうってつけだった。

    それにしても…。私はタキオンを見遣る。
    彼女の成長スピードは著しい。もう夏合宿も中盤に差し掛かっているが、終盤には皐月賞の彼女が見られそうだ。勿論、彼女が練習熱心だというのはあるが、思ったよりも彼女の体力が低下していなかったことも大きい。

    「(この子、レースから去った後も走ってたな…。)」

    流石にレースの時のような全力は出していないだろうが、ある程度走り込んでいなければあのスタミナは維持出来ない筈だ。そういうことを言わないのが彼女らしい。

  • 8投稿主22/01/07(金) 00:47:01

    まあ、気付いていても言わないのが大人の優しさというものである。私もあの頃より心に余裕があるので、素直じゃないタキオンを微笑ましく思うのだった。

    「何だい、トレーナー君。気持ち悪い笑みを浮かべて。何か変な物でも食べたんじゃ…」
    「誰が気持ち悪いだ小娘。」

    前言撤回。社会の厳しさを教えてやるのも大人の優しさである。その日のトレーニングを少し追加してやった。


    「…君、大人気ないな。」
    「何のこと?」
    「…。」

    ジト目で見つめてくるタキオンを躱しつつ、その日のトレーニングは終了した。もう外は真っ暗で、星が煌めいている。

    「流石田舎。星がよく見える。」
    「此処は光が少ないからね。暗ければ暗いほど、光はより一層輝いて見えるものさ。」

    暫く2人で星を見上げる。周りが静かなのもあって、波の音が鮮明に聞こえた。

  • 9投稿主22/01/07(金) 00:47:38

    「…本当に、トレセンに戻る気は無いのかい?」

    それは波の音にかき消されそうになるほどの小さな声だった。

    「確かに私たちは遠回りしてしまったが、今こうして新たな可能性を共に探している。プランBのことはもう良いんだ。君が責任を感じる必要はない。」

    「何で、戻ってきてくれないんだ。」

    その声は震えていた。

    「…あの日、もう一度走ろうと思った時、共に居て欲しいと思ったのは君だった。…君だけだったんだよ。」

    外が暗く、タキオンの表情は分からない。ただ、隣にいる彼女が幼い子供のように感じた。

    「ねぇ、タキオン。」

    私は彼女をあやすように話しかける。

    「私ね、最近とある夢を見るようになったの。」

  • 10投稿主22/01/07(金) 00:48:12

    「その夢の世界で、貴方は皐月賞を取った後も快進撃を続けてね。三冠ウマ娘になってた。」

    「貴方は相変わらずトレーナーに対して実験と称して怪しげな薬を飲ませたり、散々振り回してるの。」

    何処か似ているようで異なる、もしもの世界。ただ、決定的に異なるのは…

    「ただ、その世界のトレーナーは…私じゃなかった。」

    最初は、まるで自分を責めるような夢に苛ついていた。だが、ずっと同じ夢を繰り返し見るうちに思ったのだ。

    「嬉しくなったの。私じゃなくても、貴方を『果て』に連れて行こうとする人が居るんだって。」

    その世界のトレーナーは、性別もどんな顔をしているのかも分からなかった。だが、その人物がタキオンのことを誰よりも考えている、そのことだけは伝わってきたのだ。

    「きっと、この世界にも居るんだよ。まだ出会っていないだけで。私以上に速さに飢えた人間が、貴方を更に上へと引き上げられる人間が、貴方に会える日を待っている。」

    「少なくとも、私では駄目なの。有マが終わっても貴方のウマ娘としての人生はこれからも続いていく。私では貴方の可能性をこれ以上引き出せない。… 本当に、ごめんね。」

  • 11投稿主22/01/07(金) 00:48:51

    私だって、本当は彼女と共に居たい。
    速さの『果て』を共に追求していきたい。

    だが…その理想を叶えるほどの力量が、私には無かった。

    「…有マまでに、貴方の新しいトレーナーを見つける。私以上の、貴方の可能性を引き出せる才能あるトレーナーを。それまでは、貴方のトレーナーとしての義務を果たすから。」

    そう言って、私は彼女の肩をそっとこちらに寄せる。

    波の音に紛れて小さな嗚咽が聞こえた気がした。

  • 12投稿主22/01/07(金) 00:49:15

    「終わった…。」

    覆水盆に返らず。そんな言葉があるが、それでも今日の出来事を無かったことにしたい。残り半年で養成所を卒業し、俺は新人トレーナーとして華々しいデビューを飾る筈だった。

    トレーナー養成所ではトレーナーとして指導をする前に、実際に現役トレーナーに付いて実務経験を積む期間がある。実力あるトレーナーに教われば、それだけ伝手もできるし出世街道まっしぐらだ。その為、そういったトレーナーに教わろうとする場合、大抵選考になる。養成所での成績が参照されるので、この日の為に俺は死ぬ気で努力してきたのだ。そして、実際にその権利を手にしたのだが…

  • 13投稿主22/01/07(金) 00:49:56

    『本日からよろしくお願いします!』
    『ああ、よろしく。君の噂は聞いているよ。将来有望な金の卵だそうじゃないか。期待しているよ。』
    『はい、有難うございます!…あ、トレーナー。頭に糸屑が付いてます。取り…』

    パサッ。

    糸屑を取ると同時に音を立てて地面に広がった何か。
    目の前には朝日に照らされて輝くもう一つの太陽があった。

    『…。』
    『…。』


    「何ッでカツラつけてたんだよ、あのクソオヤジーッ!」

    善意の行動から生まれた悲劇。出会って1分も経たずに契約を解消された俺は、行く宛てもなくトレセン学園内を彷徨っていた。

  • 14投稿主22/01/07(金) 00:50:32

    気が付けば、旧校舎の方まで来てしまっていたらしい。此処はあまり人が来ないので、1人になるにはうってつけだ。これから人生設計の立て直しをしなければならないので丁度良い、そう思った時だった。

    突如として一陣の風が吹いた。

    「は?」

    それが目の前を走り去ったウマ娘によるものだと理解するのに時間を要した。ウマ娘のスピードはよく知っている。実際にレースをこの目で見たこともある。だが、俺が知っているウマ娘の速さを、彼女は超えていた。

    「ちょ、待って!」

    あれ程のスピード、相当な実力者だ。
    此処最近のレースは全部記憶しているが、あのウマ娘はどのレースにも居なかった。

    彼女は誰だ?

    気付けば俺は彼女を追いかけていた。…と言ってもウマ娘のスピードについていけるはずもなく、あっという間に見失ってしまった。

    だが…諦めたくない。
    たった一瞬、すれ違っただけのウマ娘にどうしてここまで魅せられてしまったのか。自分でも分からないほどに、その時の自分は狂っていたと思う。

    「ねぇ、君。」
    「…きっとデータベースを見れば彼女が誰だか分かる気がする。」
    「ねぇってば。」
    「いや、そもそも俺その権限ないじゃないか。じゃあどうす」
    「人の話くらい聞きなさい!」
    「わああああああっ⁉︎」

    いつの間にか、目の前に何処か妖しげな雰囲気を持った女性が居た。

  • 15投稿主22/01/07(金) 00:51:05

    「私の担当を付け回そうとした不審者って君?」
    「ふふふ不審者⁉︎」

    突然の不審者呼ばわりに驚いたが、問題はそこではない。

    「え、あのウマ娘の担当者の方ですか⁉︎」
    「…だったら何。」
    「彼女、一体何者なんですか?あれ程の実力があるのにどうしてレースに出ていないんですか!」
    「…。」
    「教えてください!彼女の名前は!」

    矢継ぎ早に質問を続ける。若干引かれている気がするが関係ない。今この機会を逃せば、一生彼女に会えない気がした。

    「おやおやトレーナー君、まだそこの不審者と話しているのかい?」
    「タキオン、危ないからあっち行ってなさい!」

    ふと声のする方を見れば、先程の栗毛のウマ娘が居た。…改めて顔をまじまじと見る。あれ、何処かで見たことがあるような。というか…

    「タキオン?…ってあ!アグネスタキオン⁈」

  • 16投稿主22/01/07(金) 00:51:35

    何故俺はこれほどのウマ娘を忘れていたのだろう。弥生賞、皐月賞を制した後、突然事実上の引退をしたウマ娘。あの皐月賞の走りは特に印象に残っている。彼女の走りが見られないと知った時はとても残念に思ったのだ。その後はマンハッタンカフェのアドバイザーに就任したという噂を聞いていたが…。

    「ひょっとして、復帰されるんですか!いつから⁈やっぱりマンハッタンカフェとの対決ですか!」
    「「…。」」

    再び彼女の走りが見られる!

    その事実に1人でテンションが上がってしまっていて、俺は彼女たちの目が妖しく光ったことに気付いていなかった。

    「…やっと見つけた。」
    「フゥン、彼か。まあ良いだろう。とりあえず、モルモット2号としての働きに期待したいところだね。」
    「安心なさい。立派なモルモットになれるようにきちんと調教するから。」
    「フハハ!実に頼もしい発言だねぇ!」

    当然こんな会話も耳には入らなかった。

    「ねぇ、君。養成所の子だよね?」

    先程と打って変わって爽やかな笑顔を浮かべて俺に話しかけるトレーナー。

    今思うと、この時点で彼女たちの罠にハマってしまっていたのだろう。

    「…身体は丈夫かな?」


    その日、俺はモルモット2号になった。

  • 17投稿主22/01/07(金) 00:53:00

    「…え、お前それでモルモットになっちゃったの?」
    「あい〜。ほんっと〜にバカだったなあって、思ってるんれすよ〜。」

    久々に開かれた定期飲み会。以前と違うのは、彼女と2人きりではなかったということだろうか。突然もう1人連れてくると言われた時は心臓が止まるかと思ったが、目の前で酔い潰れている後輩を見て安心した。…いや、何で安心してるんだ俺。

    「あーあー、すっかり出来あがっちゃったねぇ。」
    「お前がガンガン飲ませたからだろ。」
    「何のことかな?」

    隣の席ですっとぼけた彼女を見ながら、俺はお冷を口にした。いつの間にか後輩は寝息を立て始めている。

  • 18投稿主22/01/07(金) 00:53:37

    「そういえば、この前は有難う。」
    「ん?ああ。良いよ、それくらい。お袋さんと妹さん喜んでたな。」
    「うん。」

    この前、というのは夏合宿が終わった頃に彼女の実家について行ったことだろう。タキオンとのこともあり、家族と向き合おうと決めた彼女だったが、何年も帰っていないということで事情を知っている俺が同行することになったのだ。決して他意はない。…本当に。

    「父とはこの前電話で話した。」
    「そっか、良かったな。」

    その時は親父さんは出かけてて不在だった。正直どう話せば良いか分からなかったので内心ほっとしていたのだ。俺は再びお冷やを口にする。

    「今度は俺が居る時に君を連れてこいって。」
    「ブーッ⁉︎」
    「ちょ、大丈夫⁉︎」

    いや、全然大丈夫じゃない。何だか誤解されてる気がする。いや、誤解されて良いけど。…って何考えてるんだ俺は⁉︎

    「顔真っ赤じゃない!ごめん、飲ませ過ぎた?」
    「…いや、大丈夫。そういうんじゃないから、うん。」
    「?…そ、そう。」
    「「…。」」

    気まずい時間が流れる。

    「たきお〜ん、くるな…やめろぉ…。」

    こんな状況で後輩は気持ち良さそうに寝ていて腹が立つ。…寝言は気にしないでおこう。

    だが彼女は彼に目を向けた後、当初の目的を思い出したように呟いた。

  • 19投稿主22/01/07(金) 00:54:11

    「…この子、そのうちタキオンのトレーナーになるだろうから、先輩として相談に乗ってあげてほしい。」
    「…そういうことか。」

    彼を酔い潰したのは、話を聞かせたくなかったからだろう。

    夏合宿を終えてから、光り輝く不審者がいるという噂話が聞こえてきた。隣の彼女もよく発光していたが、それは1年前の話。噂の不審者は男だという話だったので、タキオンの新トレーナーではないかと思っていたのだ。

    「今はまだ養成所所属だから正式なトレーナーではないけれど、タキオンのお眼鏡にかなった子だよ。良いものを持ってる。」
    「…やっぱりお前は戻ってこないんだな。」
    「うん、戻る気はないよ。陸上コーチの方が性に合ってるみたいだし。」

    そう言って酒を一口飲んだ彼女の目には、何処か悔しさが浮かんでいた。

  • 20投稿主22/01/07(金) 00:54:42

    「そういえば、次のジャパンC、当然出るんでしょ?」
    「ん?ああ。」

    しんみりした雰囲気を変えようとしたのか、彼女から次のレースの話題が出る。

    「絶対勝ってよね。そうじゃないと、決まらないから。」
    「は?決まらないってな」
    「おねがいだからのませらいれくれーっ!」

    彼女の意味深な発言の真意を尋ねようとしたが、悪夢に魘された後輩の叫びに遮られた。…果たして夢の中で飲まされそうになったのは酒なのかタキオンの実験薬なのか。

    謎を残したまま、その日の飲み会はお開きとなる。彼女の真意を知ることとなるのは、それから2ヶ月後、ジャパンCでのことだった。

  • 21投稿主22/01/07(金) 00:55:10

    「私アグネスタキオンは来るべき『有マ記念』で、レース活動を再開する!」

    その発表は、無期限休止の時と同じく唐突だった。彼女の復活宣言に、当然会場は湧き上がる。

    どよめく記者たちからの質問の嵐の中で、タキオンはこちらを見て不敵な笑みを浮かべた。

    「『有マ記念』で、私は…そこにいるマンハッタンカフェとグランプリ覇者の座を競う!私の力、全てを賭けてね。発表は以上だ。」

    名指しされたカフェに視線が集まる。顔を見ずとも分かる。今、カフェは震えていた。だがそれは恐怖からではない。かつての友と再び、それも誰もが注目する大舞台で戦うことができる、その事実に歓喜しているのだ。

    その後多くは語らずタキオンは去り、会場は嵐が過ぎ去ったかのように静かになった。

  • 22投稿主22/01/07(金) 00:55:38

    「ジャパンC、勝ったのお前なのにな。」
    「…タキオンさんに話題を持っていかれてしまいましたね。…トレーナーさん?」
    「…勝ってくれなきゃ決まらない、ね。」

    きっと彼女はカフェが勝つと確信した上であの会見の場を用意したのだろう。全く、トレーナーも担当ウマ娘も良い性格をしている。

    「タキオンさんには悪いですけど、勝つのは私たちです。」

    カフェは真っ直ぐな目でこちらを見つめていた。

    「ああ、当然だ!俺たちの強さを見せてやろう。」


    『有マ記念』。昨日の友が、今日の宿敵として立ちはだかる。

  • 23投稿主22/01/07(金) 00:56:05

    「うわぁ…。見てくださいよ先輩!早速記事になってますよ⁉︎」

    昨日ジャパンCでのタキオン復活宣言で、世間は沸いていた。後輩君が持ってきてくれた新聞にも大きくタキオンの見出しが出ている。

    「ああ、そりゃそうだろうね。」
    「先輩軽くないですか?」
    「だって想定内だもの。それに、皐月賞後の無期限休止の時の方がもっと凄かったよ。ね、タキオン。」
    「フハハ!確かにそうだねぇ!」
    「…それ言っちゃいます?」

    一応彼には私とタキオンの話は一通りしているので、皐月賞後の1年はあまり触れてはいけないものと認識しているらしい。私たちの返答に苦笑いを浮かべている後輩君は、今では私たち3人の中の良心だった。

    「ふむ、それはともかくとして随分と目立っているねえ。」
    「そうだろ、タキオン。この写真見ろ、滅茶苦茶格好良いぞ!」
    「いや、写真ではなく君の頭だ。ふむ、燃えるような赤で目がチカチカするね。」
    「…おまっ、また飲み物に何か仕込んだな⁈」

    後輩君は漸く自分の頭が真っ赤に発光していたことに気が付いたらしい。初めて会った時といい、彼は少々…いやかなり危なっかしいところがある。まあ、タキオンがいるから大丈夫だとは思うが今後が心配だ。

    「ほら休憩時間終了!次のトレーニングいくよ。」
    「え、ちょっと!俺このままですか⁉︎」
    「その程度で動じてたらタキオンのトレーナーなんてやれないよ!分かったらとっととデータ取る!」
    「ひぃぃぃっ!」

    後輩君を急かしつつ、私たちはトレーニングを再開した。

  • 24投稿主22/01/07(金) 00:56:35

    有馬記念はその距離2500メートル、長距離のレースだ。スタミナは勿論の事、高低差5.3メートルの坂越えはタフさ無しでは厳しい。また、6回あるコーナーを如何に上手く回るかが重要となる。年を締め括るレースとして相応しい高難易度のレースと言えるだろう。

    タキオンのスピードだけでは到底勝ちきれないのだ。その為に、夏合宿は只管体力の増強と足腰の強化に費やした。今から行うのはコーナーのトレーニングだ。タキオンが得意とする脚質は先行なので最終コーナー付近から勝負を仕掛ける。コーナーでスパートをかけ始めるので、その際に大きく外に逸れがちになってしまうのだ。好位置を維持する為にも、コーナーを曲がる練習は必須だった。

    「タキオン、歩幅が大きくなってる!」
    「くっ!」

    全力で走っていればその分遠心力が強くなる。それに抗うには相当な負荷が掛かるだろう。

    「(それでも…)」

    今回の最大の敵であるマンハッタンカフェが得意とするのは差し。もしコーナーで逸れてしまえば、すかさずその隙間に差してくるだろう。最終直線の坂を考慮すると仕掛けるのはその前になることは間違いなかった。

    有マ記念まであと残り僅か。
    私はトレーナーとしての責任を果たす。

  • 25投稿主22/01/07(金) 00:57:21

    「メリークリスマス!モルモット君!」

    …何だか久しぶりにその名で呼ばれた気がする。私は突如現れてプレゼントを寄越してきた妖しげなサンタに困惑した。

    夜中、それも24時。日付が変わって有マ記念当日だ。こうやって自室に侵入されるのにも慣れてしまった自分が怖い。…私は同性だからまだ良いけれど、そのうち後輩君の所にも行ってしまわないか心配だ。後で釘を刺しておこう。

    「早く帰って寝なさい。サンタさんからプレゼント貰えなくなるよ。」
    「私は子供か⁉︎」
    「私からすれば子供だし。大体、プレゼントって…私をクリスマスのイルミネーションにでもするつもり?」
    「君は私を何だと思っているんだい…。」
    「タキオン。」
    「…。」

    色々文句は言ってやりたいが、折角プレゼントをくれたのに無碍にするのは良くないだろう。ちょっとだけ落ち込んでいるタキオンに声を掛ける。

    「まあでも、わざわざ来てくれてプレゼントまで…有難う。」

    そう言って包みを開けると小さなドリンクが入っていた。

    「やっぱりヤバいやつじゃん!」
    「栄養ドリンクだ!」

    話を聞けば、社会人の私を労ってのプレゼント…らしい。正直タキオンがくれた飲み物でまともなものはほぼない。大抵ろくな目に合わなかった。

  • 26投稿主22/01/07(金) 00:59:28

    「絶対罠でしょ…。」
    「…飲んでくれないのか。いや、今までの行いを考えれば君がそうしたくなる気持ちも分かるが。良いんだ、無理はしないでくれ。…頑張って作ったんだが。」
    「(タ、タキオンが悲しそうな顔を…!)」

    …よくよく考えれば、今更発光したからと言って何だというのだ。今まで散々奇異の目に晒されてきたではないか。

    「…いただきます!」
    「!」

    意を決して小瓶を空にする。だが、特に身体に異変が起きた気配はない。むしろ…

    「疲れが取れた気がする。」
    「…君に今日くらいは感謝を伝えたかったんだ。いや、今日だからこそ。」

    タキオンは嘘をついていなかった。彼女はこちらをじっと見つめる。

    「今日で私たちの契約は解消だろう?思えばこういう風にトレーニング以外で何かしたことがなかったからね。サプライズというやつさ。」

  • 27投稿主22/01/07(金) 00:59:59

    「…有難う、トレーナー。私の我儘に付き合ってくれて。私の脚の為、将来の為に尽力してくれて有難う。」

    「本当はもう1つプレゼントがあるんだが…それは今渡せないんだ。だから今日のレースを最後まで見届けてほしい。」

    「君に、私の…アグネスタキオンの速さの『果て』を見せてやる。」

    そう言って彼女は帰っていった。

    「…あの子、随分と格好良くなっちゃって。」

    すっかり眠気が覚めてしまった私は、クローゼットにしまっていた包みを取り出す。

    「私のプレゼントじゃ釣り合わないなぁ。」

    有マ記念後に渡そうと思っていたクリスマスプレゼントだが、先を越されてしまった。

    「感謝したいのはこっちの方なのに。」

    だが、それを言うのは今じゃない。


    彼女が勝利した、その時だ。

  • 28投稿主22/01/07(金) 01:00:38

    (うおおおおおおおおおおっ!)

    あり得なかったはずの決戦。
    マンハッタンカフェVSアグネスタキオン。

    シニア級の『有マ記念』で、同世代の最強対決が実現した。

    お互いに思うことがあるのだろう。カフェとタキオンはそれぞれに自分の思いを語っている。

    「夢みたいだな。」

    俺は思わず呟いた。

    「現実だよ。こうしてあの子たちはこの舞台に立っている。」

    笑いながら、隣にいる彼女が言った。

  • 29投稿主22/01/07(金) 01:04:22

    「本当に有難う。君とカフェさんには感謝してもしきれない。今タキオンがこうして走れるのも、私がここであの子を見届けられるのも、君とカフェさんが居てくれたからだよ。」
    「別に礼を言われることじゃない。俺はタキオンを利用してただけだからな。」

    実際タキオンには相当助けられていた。彼女が居なければ、カフェがここまで大成することはなかっただろう。隣の彼女にだって、俺がトレーニングで困っていた時には何度もお世話になった。

    「…そっか。でも、それでもお礼が言いたかったの。本当にあの子も私も幸せ者だね。こんなに良い友人に恵まれて。」
    「…褒めても勝ちは譲ってやらないからな。」
    「あら?勝ちを譲るって勝つことが前提みたいじゃない。」
    「当たり前だ。」

    タキオンは自身の状態を完璧だと言ったが、それはこちらも同じだ。有マ記念のタイトルを得る為にここにいる。

    「頑張れ、カフェ。」

    様々な人物の思惑が交差し、有マ記念は幕を開けた。

  • 30投稿主22/01/07(金) 01:04:50

    戦いを告げるファンファーレが鳴り響く。

    『年末の中山で争われる夢のグランプリ・有馬記念!貴方の夢、私の夢は叶うのか!』

    『3番人気にはこの娘です、オグリキャップ。』

    『この評価には少し不満か?2番人気はこの娘、アグネスタキオン。』

    『スタンドに押しかけたファンの期待を一身に背負ってニ冠ウマ娘マンハッタンカフェ、一番人気です。満を持して連覇に挑みます。』

    実況が人気ウマ娘を読み上げていく。

  • 31投稿主22/01/07(金) 01:05:24

    「うぅ、2番人気か…。」
    「いくら話題性があったといえど、タキオンは長期休養明け…というのが世間の認識ですからね。その間に実績を上げているマンハッタンカフェに人気がいくのも分かります。」

    私と後輩君は最前列でタキオンを見守っていた。当然だが、カフェのトレーナーである彼とは別の場所にいる。
    今回、タキオンは2枠だ。外枠で無かっただけマシだが、芝の内側は荒れていることが多い為油断できない。

    「大丈夫。それでも勝つのはあの子だもの。」
    「そうですね。」

    『ゲートイン完了、出走の準備が整いました。』

    その一言で会場が静まり返る。
    脈拍が速くなり、一気に体温が上がる。

    …来る。

    『スタート!』

    ゲートが開き、一斉にウマ娘たちが駆け出した。

  • 32投稿主22/01/07(金) 01:05:52

    『各ウマ娘、綺麗なスタートを切りました!』

    「「よしっ!」」

    『みんな集中してましたね。好レースが期待できそうです。』

    『先行争いはリボンミンネ、アグネスタキオン、エアグルーヴ。』

    『さあハナに立ったのはリボンミンネ!このままリードすることができるのか?』

    『第4コーナーを進んで直線へ向かう!』

    黄色の勝負服に身を包んだリボンミンネが先頭に躍り出た。その後をタキオンとエアグルーヴ、そして他の先行ウマ娘が追う形だ。

    「…君の予想通りだね。」
    「ええ。これなら作戦通りいけます!」

    私は3人で計画を立てていた時のことを思い出した。

  • 33投稿主22/01/07(金) 01:06:25

    「「逃げる⁉︎」」
    「はい。」

    如何にして有マのレースを攻略するか、頭を悩ませていた私たちに彼は告げたのだ。

    「逃げる…というより逃げる形になってしまうと思うんです。」

    そう言って彼がタブレットで見せてくれたのは、有マで走るウマ娘たちのデータである。出場したレースは勿論、それぞれの特徴を事細かに記載したそれは、一朝一夕で作られたものではなかった。

    「(こんな優秀な後輩を切ってしまう羽目になるなんて、あの人もついていないな。)」

    あの人…カツラで本当の自分を隠すベテラントレーナーに思いを馳せる。自分もあの人の元で学ばせてもらったことがあるので分かるが、あの人は自分が認めた人材しか面倒を見ない。養成所は成績基準で選ぶなどと言っているが、あれは嘘だ。というか、以前本人が認めていたから間違いない。
    まあ、理由はどうあれこちらは優秀なモルモッ…トレーナーを確保できたのだから万々歳だ。

    有難う、ベテラントレーナー。
    有難う、カツラ。

  • 34投稿主22/01/07(金) 01:06:56

    それはともかくとして、私は彼のデータに一通り目を通すと、彼が言わんとすることが分かった。

    「逃げのウマ娘が1人。」
    「そうなんですよ。彼女の仕上がり具合にもよりますが、恐らくタキオンが途中で先頭になる。」

    彼女の出走歴を見ても有マ記念に出てくるだけあって優秀なのは間違いないが、他の有力なウマ娘たちには劣る。他のレースの記録を見てもそう感じた。

    「つまり自分のペースで走っていると他のウマ娘を抜いてしまうということかい?」

    タキオンが言いたかったことを代弁してくれた。しかし…

    「長距離で逃げ…か。ペース配分には気を使わなくてはいけないね。」

    タキオンが懸念するのも分かる。脚質の中でも、逃げは単純明快だ。初めから最後まで先頭を走り切る、それだけ。自分でレースの流れを作れるし、他のウマ娘との潰し合いを避けられる点は他の脚質にはないメリットだろう。だが、それ故に他のウマ娘のペースを掴めず、自滅しやすい。まして長距離であればそのリスクも高くなる。

  • 35投稿主22/01/07(金) 01:07:21

    「ええ、ですから逃げる、と言っても最初から飛ばして先頭にならなくて良いです。ただ、最後の坂を考えると最終コーナー前までには先頭になっていた方が良いかと。今回のレースは差しの脚質のウマ娘が多いです。彼女たちが最終直線で一気に差を縮めてくることを考えると、ある程度離れてなければ囲まれてしまいます。」

    本来タキオンが得意とするのは先行や差し。いきなり慣れない作戦で行けと言われても難しいだろう。だからあくまで最初は先行集団の2、3番目を確保する。

    「成程。そういうことならば良いだろう。カフェの姿を見ることなく終わるのが残念だが。それに…」
    「?」

    タキオンはこちらに向かってニヤリと笑った。

    「とあるウマ娘の走りが頭から離れなくてね。私も試したくなった。」

  • 36投稿主22/01/07(金) 01:07:58

    『リボンミンネ、快調に飛ばしていきます。』

    『先頭はリボンミンネ、単身で飛ばしていきます!』

    『先頭から大きく離されて、2番手はアグネスタキオン!』

    「思ったより飛ばすなぁ、あの子。」
    「ですがあれではすぐに減速してしまうでしょうね…。タキオンの奴、流石にあれに追いつこうとはしないと思いますけど。」
    「大丈夫。あの子は賢いよ。抜くとしてもちゃんとタイミングは見計らうから。」

    『そのあとスーパークリーク、その外並んでテルパンダー、トウカイテイオー5番手…』

    タキオンにくっつくように先行集団は続いていく。

    『1周目の直線、スタンドの大歓声に迎えられながらウマ娘たちが走り抜ける!』

    「タキオーン、頑張れーっ!」

    後輩君が隣で大きな声援を送る。
    …改めて、彼がタキオンのトレーナーになってくれて良かったと思った。

  • 37投稿主22/01/07(金) 01:08:26

    「(くっ…!)」

    遠くからモルモット2号の声援が聞こえた気がした。無意識に力が入る。

    最初の直線、ここでは大きな上り坂がある。一周目はまだ良いが、ここはゴール直前にもう1度通らなければならない。

    「(…感覚は掴めた。今はまだ慌てるな。)」

    本当の勝負は最後の直線になる。私は少し息を入れる。

    絶対に勝つ。

  • 38投稿主22/01/07(金) 01:09:05

    『リボンミンネ、まだリードをキープしています。続きました、アグネスタキオン。2バ身、3バ身開いてテルパンダー。その後ろにスーパークリーク…』

    「だいぶ差が出てきましたね。タキオン、少し掛かってるんじゃ…。」
    「…。」

    『1コーナーから2コーナーへ向かう!』

    『順位を振り返っていきます。先頭リボンミンネ。レースは淀みなく進んでいます。続いてアグネスタキオン。3番手にはエアグルーヴ…』

    「いや、大丈夫。タキオンは冷静だよ。そうじゃないと…最後にあの子たちに食われる。」
    「…たち?」

    『2コーナー回って向こう正面。現在先頭はアグネスタキオン。ここで順位が入れ替わった!』

    「よっしゃぁぁ!」

    後半に差し掛かったところでタキオンが前に出た。そのままどんどん後ろのウマ娘を引き離していく。だが…

    『残り1000メートルを通過!』

    それを彼女が、彼女たちが許すはずがない。

  • 39投稿主22/01/07(金) 01:09:49

    「!…来たか。」
    「あっ!」

    それは嵐の前の静けさだったのかもしれない。ずっと後方にいたはずの彼女は、外から音もなく迫っていた。

    「…まるで狩人だね。」
    「ヒィ!俺には獲物を狩ろうと狙いを定める獣に見えます…。タキオーン!逃げろー!」

    『まもなく第4コーナーカーブ!』

    『ここからスパート!一気にレースが動きます!』

    実況の言葉に合わせるかのように、青鹿毛の少女が目の前の栗毛の少女を食らわんと駆け出した。

    「来たか…!」
    「ギャアアアアア!」

    私たちは1人逃げるタキオンを見守ることしかできない。

    「頑張れ、頑張れタキオン…!」

  • 40投稿主22/01/07(金) 01:10:20

    「ハッ…ハッ…ハッ…!」

    遂に直線に入ろうかという時、本能が叫んだ。『逃げろ』と。

    「…ッ!」

    背後から迫ってきているのだ。

    「(全く、逃げっていうのは難しい。だが…。)」

    目の前に誰もいない芝を、ただ只管に駆けて行く。これが実に愉快なことか。

    そして…

    「ハァァァァァァァァッ!」

    その状況が覆されようという状況が実に不愉快なことか。

    トレーナーがVRで逃げまくっていたのを思い出して少し笑いそうになる。きっと彼女もこんな気持ちで走っていたのだろう。

    「(まあ、このまま君の姿を見ずにレースを終えるのではつまらない。君だってそうだろう?カフェ!)」

  • 41投稿主22/01/07(金) 01:10:55

    「ハァァァァァァァァッ!」

    予想していた以上に距離を離されている。ここから坂だ。今攻めればこちらが負けてしまう。

    「(やってくれましたね…!)」

    だが、漸く『お友達』に追いつこうというのに私以上に彼女の方が近くに居る。

    「(まだ…まだ足りないッ!)」

    先を行く『お友達』は、タキオンさんすら超えて進んでいる。

    「(私じゃタキオンさんに、『お友達』に届かな…)」
    「カフェーッ!『お友達』は近いぞー!追い抜けーッ!」

    一瞬でも諦めそうになった私を引き留めてくれたのは、トレーナーさんだった。

    きっと周りの人は何のことだかさっぱりだろう。『お友達』とはタキオンさんのことだと思っているかもしれない。

  • 42投稿主22/01/07(金) 01:11:27

    …そうだ。

    誰にも信じてもらえなかった。
    薄気味悪がられた。
    …それでも良かった。私には『お友達』が居たから。

    だけどあの人は、トレーナーさんは信じてくれた。一緒に『お友達』を追い抜く為に協力してくれた。私のことを一生懸命考えてくれた。

    「…あの子を追い抜くのは…私だッ!」

    『マンハッタンカフェ、このタイミングで仕掛けたーっ⁉︎』

    坂だから何だ?タブーなんて関係ない。あの子に追いつく為には、トレーナーさんに応える為には、私が勝つ為には、

    「…今しかないんだッ!」

  • 43投稿主22/01/07(金) 01:13:11

    坂を登り切ったところで観衆が大きく湧いた。タブーとも言われる坂での賭けに、カフェさんが勝ったのだ。二人の差は僅かにタキオンがリードしているくらいか。

    「せ、先輩!」

    後輩君が縋るようにこちらを見る。

    「やられた…ッ!」

    それまでにあった距離というアドバンテージを失い、一気に絶望の淵に立たされた。坂を越えてなお余力を残しているカフェさんは驚異だ。思わずタキオンを見遣る。

    「…?タキオン…⁉︎」
    「へ?先輩?…あ。」

    彼女の表情を見て、その心配は杞憂だったと知る。

    何故なら…

  • 44投稿主22/01/07(金) 01:14:14

    「ハハハハハッ!」

    「(まだだ!私が目指す速さはそんなものじゃない!)」

    彼女は笑っていた。こんな絶望的な状況だというのに、彼女はただ己の『果て』を求めて走っていた。

    そうだ。彼女は言っていたじゃないか。

    『君に、私の…アグネスタキオンの速さの『果て』を見せてやる。』

    「プッ、アハハハハハッ!」
    「せ、先輩まで!2人とも頭おかしくなったんですか⁉︎」
    「馬鹿。」
    「痛え!」

    突然暴言を吐いた後輩君に鉄槌を下しつつ、彼女を見遣る。

    「よく見ときなさい。あの子が、君がこれから担当するウマ娘、アグネスタキオンだよ。」
    「は?いや、そんなこと分かっ…どんどん速くなってる⁈」

    得意の末脚…とでも言うのだろうか?脚はきっととうに限界を迎えている。それでもなお加速するのは彼女の執念か。

  • 45投稿主22/01/07(金) 01:14:43

    「(もっと…もっと…ッ!私が目指す『果て』は更に先にあるッ!)」

    タキオンも、そして共に駆けるカフェさんも、競い合っているようで別の何かと競っていた。誰だ、マンハッタンカフェVSアグネスタキオンだなんて言ったのは。彼女たちはお互いをライバルとは思っていないというのに。

    ふと隣の後輩君を見れば、タキオンに魅せられた彼の目は狂気に染まっている。

    …やっぱり私の目に狂いはなかった。
    きっと彼なら、タキオンをより上へと導ける。

    ならば私はトレーナーとして最後の仕事を果たそう。

    私は大きく息を吸い込み、そして叫んだ。


    「行けーっ!アグネスタキオン‼︎お前の速さの『果て』を見せてやれーッ!」



    その日のレースは、多くの観衆の心に刻まれた。

    『ゴォォォォル!』

    ほぼ同着。だが、どちらが先だったのか分からない。

    『どっちだ?一体どっちが…!』

    会場中が固唾を飲んで見守る。その時間はきっと1分にも満たない。だが、それは何十年待たされたかのような気分だった。

    『で、出ました!夢のグランプリを制したのは…』

  • 46投稿主22/01/07(金) 01:15:32

    『マンハッタンカフェ!年末最後の大一番を制し、栄光のセンターの座を手に入れた!』

    『2着は、アグネスタキオン。3着、スペシャルウィーク!』

    「…そんな。」

    後輩君が膝から崩れ落ちた。

    「…。」

    今出来る完璧な状態に仕上げ、彼女は全力で走った。

    だが…届かなかった。
    私は呆然と、レース場で佇むタキオンを眺めていた。

  • 47投稿主22/01/07(金) 01:16:13

    『マンハッタンカフェ、マンハッタンカフェだー!ゴールしてもなお、地平線の彼方を見つめる瞳!一体彼女はどこへ向かうのか⁉︎そして、どこまで強くなるのか⁉︎』

    「…。」
    「ハァ、ハァ…。君も、逃げられたな。」
    「…。」
    「気に入らないね。追い縋る私など、目に入らないような立ち振る舞い…。しかしまあ、お互い様か。同方向に進めば差は埋まらない。遠いね…。だからこそ、目指しがいがある。」

    タキオンは空を見上げた。雲一つない晴れ空。彼女の胸中とは正反対の清々しさだ。

  • 48投稿主22/01/07(金) 01:16:37

    「タキオンさん…。」
    「実験は一時終了だ。ここからは、もうプランAもBもない。全てが合わさり…新しい計画が始まる。『プランC』がね。」
    「プラン…C。」

    タキオンは不敵に笑うと、続けた。

    「そう、螺旋のように絡み合い、影響を与え合いながら、更に加速していく。」

    「お付き合い願うよ、カフェ。この…壮大な計画にね。」

    いつものカフェなら、きっと即答で断るだろう。だが、その日の彼女は違った。

    「…ええ。考えて…おきます。」

    その時のタキオンの喜びようは、筆舌し難いものだった。

  • 49投稿主22/01/07(金) 01:17:18

    「…すまない。」

    夕日に染まった帰り道、漸く口を開いた彼女の一言は謝罪だった。

    「やっと口開いたと思えば、それかぁ。」
    「それって何だい。…君に見栄切ったのにこの様だ。」

    後輩君には先に帰ってもらった。というか、勝手に気を利かせて先に帰った。

    「それ言ったら、私も貴方を完璧な状態に仕上げる!とか言ってたんだけど。」
    「…君は完璧に仕上げてくれたよ。2号君のデータだってとてもよく纏められていた。それなのに…。」
    「あのねぇ、タキオン。」

    私はタキオンに向き合う。

    「貴方が勝つ為の確率を1%でも上げるのが私たちトレーナーの仕事なの。」
    「上げてもらっても結果が出せなければ…。」
    「そう、出せなければトレーナーの責任。」
    「違っ…」
    「トレーナーは担当ウマ娘の才能を見込んで、貴方たちと契約を結ぶ。その時点で貴方たちの責任を負うの。」

    これだけは伝えなくてはいけないと思った。これから彼女を支えることになる、彼の為にも。

  • 50投稿主22/01/07(金) 01:17:52

    「そして私は、貴方の才能に惚れた。それも、嫉妬しちゃうくらいにね。それであの様だったんだから、タキオンはもっと私のこと責めて良いんだよ。」
    「〜ッ!何でッ、そんなこと言うんだ。」

    夏合宿では見られなかった彼女の泣き顔。…こんなマッドサイエンティストでも一応高校生、年相応の子供だった。

    「…今日のレース、本当に感動したよ。こんな衝撃を受けたのは3度目だ。」
    「…後の2回は、何だったんだい?」

    嗚咽が混じりながらも聞いてくる辺り、やっぱり好奇心が強い。私は笑いながら答えた。

    「1度目は、私の母が現役だった頃のレース。…私が速さに取り憑かれたやつね。そして2度目は…貴方とシンボリルドルフさんの併走。」
    「…あれが?」

    きっと何かのレースだと思っていたのだろう。まさか自分と生徒会長の模擬レースが挙げられるとは思っていなかったらしい。情けないくらいに間抜けな顔で私を見つめてきた。

  • 51投稿主22/01/07(金) 01:18:34

    「当然でしょ!あれ見てから、私はモルモットになっても良いって思ったんだから!」

    それ程までに衝撃だったのだ。

    「…君、どれだけ私に影響を受けてるんだい。」

    呆れているのか、彼女が漸く笑顔を見せてくれた。

    「…どうせなら、君には私の勝利を見届けてから辞めて欲しかった。」
    「…そうだねぇ。貴方が『果て』に到達するところは見たかったかも。」
    「…本当にすま」
    「でも貴方は可能性を見せてくれた。」
    「!」
    「あの時の貴方見て思ったの。貴方はもっと速くなる。まだ満足していないんでしょう?」
    「!…当然だッ!」
    「そうそう、その意気。後輩君ならきっと、その道を示してくれる。カフェさんだって届かなかった『果て』に行ける。」
    「…。」

    気付けば寮の前に着いていた。もう、お別れの時間なのだ。

  • 52投稿主22/01/07(金) 01:19:08

    「これからも、貴方のやりたいように進みなさい。あ、後輩君以外を被験体にするのは駄目だからね?貴方の活躍はこれからも見届けるし、もし何かあれば連絡してちょうだい。あと、これはクリスマスプレゼントね。」

    そう言って小包みを渡す。中身はビーカー。よく実験をする彼女にはちょうど良いだろう。

    「…トレーナー君。」
    「タキオン、本当に今まで有難う。大好」

    最後まで言い切らないうちに、タキオンが抱きついてきた。やっぱり子供だな、と笑ってしまう。いつの間にか私の目が潤んでいる気がしたが、きっと気のせいだ。


    後に伝説となった有マ記念。
    その日、私はトレーナーを辞めた。

  • 53投稿主22/01/07(金) 01:19:39

    「うへぇぇぇぇぇ⁉︎」

    桜が今にも咲こうとしている季節。突如として担当している少年の叫び声?がトレーニング場に響き渡る。

    「先生先生先生先生ッ!」
    「ドードー、落ち着け。」

    予想以上に慌てっぷりに思わず笑ってしまう。

    「あの子に頼まれてね。『返事が遅れてすまない。』だって。」

    先程私は彼に1枚の封筒を差し出した。訝しげに受け取った彼だったが、その送り主の名を見て、冒頭の奇声に繋がる。

    「ああああアグネスタキオンからの手紙だなんて!よ、読んで良い⁉︎」
    「どうぞ。」

    別にわざわざ許可を取る必要もないのだが、とりあえず許可を出した。

    目をキラキラと輝かせて読み終えた彼は、とても興奮した様子で話しかけてきた。

    「先生、あのさ!おれ、前にタキオンに聞いたんだ!ウマ娘みたいに走るにはどうしたらいいですか?って!」
    「うんうん。それで、タキオンは何だって?」

    かつて自分が抱いた夢を、この少年は持っている。それに対し、彼女は一体何と答えたのか。

  • 54投稿主22/01/07(金) 01:20:15

    「あのね…」

    「『研究あるのみ!』だって!おれ、研究者になろうかな!」

    いや、走るのはどうした…というのは野暮だろうか。返答をもらえただけで嬉しいのか、彼はそこら中を駆け回っている。

    「『研究あるのみ』か。」

    実に彼女らしい答えだ。きっとこれからも彼女は『果て』へ辿り着くための研究を続けるのだろう。

    いつか彼女なら超光速を超えた更なる速さを見せてくれるかもしれない。

    「貴方の『果て』、いつか見せてね。」

    一瞬狂気に染まった瞳は、再び生き生きとした光ある瞳へと戻る。


    超光速の先へ。
    道は違えど、今日も私たちは『果て』を求めて突き進む。

  • 55投稿主22/01/07(金) 01:22:34

    以上です。最後までご覧いただき、本当にありがとうございました。

    上でも書きましたが、pixivにも投稿済みなのでお時間ありましたら探してみてください(ヒントとしては一応シリーズもので、各回の一場面が表紙とリンクしています。)。

  • 56二次元好きの匿名さん22/01/07(金) 07:07:28

    保守

  • 57二次元好きの匿名さん22/01/07(金) 11:05:52

    保守

  • 58二次元好きの匿名さん22/01/07(金) 12:08:01

    保守

  • 59投稿主22/01/07(金) 12:42:57

    因みに後輩君はその後立派にモルモットやってます。彼がトレーナー君と呼ばれるのはいつ頃になるかは、彼次第でしょう。

  • 60二次元好きの匿名さん22/01/07(金) 13:58:07

    保守

  • 61投稿主22/01/07(金) 20:54:38
  • 62二次元好きの匿名さん22/01/07(金) 23:22:31

    そんなに保守したら落ちちゃうだろ!

  • 63投稿主22/01/07(金) 23:25:35

    >>62

    保守しすぎると落ちるんですか⁉︎

    初めて知りました…。

    教えてくださり有難うございます。

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