【SS】カフェが合宿先で怪奇事件に巻き込まれる話【ウマ娘×ミステリ】

  • 11◆qNGcRE3Q5g22/04/21(木) 21:40:04

    ※あまりに長いので、連載という形で3夜に分割投稿することにしました。
    ※固有名詞ありのオリジナル登場人物が出てきます。ミステリなので、不要なときに代名詞で叙述トリックを疑わせたくない。というのが主な理由です。ご容赦ください。

  • 21◆qNGcRE3Q5g22/04/21(木) 21:40:24

    1 / 20

     高く昇った太陽がコンクリート製の階段に濃い影を落としている。
     遠いセミの声が風に乗り、規則正しく並んだ客席の間を通り抜けてさざ波のように絶えず響いていた。

     その風の通り道になっている四角い出入り口に影が2つ、ターフを走るウマ娘たちを見下ろしている。

     青鹿毛のウマ娘、マンハッタンカフェはにじみ出た汗で頬に髪が張り付くのを疎ましそうに持ち上げながら、視線をターフから隣に立つ男性に移した。

     3年間のトゥインクル・シリーズを共に戦い抜いた彼は、カフェの勧めもあってこの春、新しい戦いに身を投じた。
     専属契約の解除、並びに新しい担当ウマ娘との挑戦の日々だ。

     少し寂しい想いがあるのは否定できない。専属のトレーナーを失ったことを心もとなくも思う。
     しかし、優秀なトレーナーである彼をいつまでも独り占めにするわけにはいかない。もっと、たくさんのウマ娘のために、その少し頼りない細腕を辣腕として振るわなくてはならない人だ。

     そうして、この春から新しい担当ウマ娘――シバームソーダという名前だ。――を中心に、専属トレーナーのいないデビュー前のウマ娘たちが数名、彼のもとに集っている。

     チームの担当。私のときには無かった図式。
     キャパシティの限界を超えるのは予想できたが、彼が私を頼ってきたのは予想より遅かった。

     ほうと息をついて、肺の空気を入れ替える。空になった肺の裏側で心臓が次の言葉に弾みをつけるかのようにひとつ大きく跳ねた。

     「……わかり、ました……チーム:チョコレートコスモスの合宿、アドバイザーとして参加します」

     視界の端に実体のない“お友だち”が、何故かうんうんと頷きながら拍手をしているのが映った。

  • 31◆qNGcRE3Q5g22/04/21(木) 21:40:39

    2 / 20

     トレーナーが専属を外れた影響で増えた面倒のひとつに、書類の作成がある。
     合宿に参加するために外泊許可証、経路の報告と交通費の見積もり、今回はアドバイザーとして参加のためスタッフとしての登録証、行く先々では領収書も発行してもらう必要もある。

     旧理科準備室に置かれたローテーブルにそれらの書類を広げたカフェは、早くも「こちらで済ませておくよ」と言うトレーナーさんに「これも独り立ちですから」と見栄を張った自分を後悔し始めていた。

     「カフェ、ご覧!今年もまた海外トレセンでシャーガー先輩が発見されているよ!トレセンから支払われる懸賞金は300万ドル!これを資金に独立トロフィーを立ち上げて復帰を目指すそうだ!!」

     「……今日ってエイプリルフールでしたっけ?」

     なんで懸賞金を本人が復帰の資金に使う事になっているんだろう?
     書類の上に広げられたくしゃくしゃの英字新聞を脇に退ける。

     暗めの栗毛のウマ娘、アグネスタキオンは元々カフェが使わせてもらっていたこの空き教室に転がり込んできた、もうひとりの部屋主だ。謎の薬品で蛍光色に輝く彼女のスペースには様々な実験器具が持ち込まれ、盛んに何らかの研究開発が行われている。(正確には、殺菌のための紫外線ライトに反応して光っていると以前彼女が言っていた)

  • 41◆qNGcRE3Q5g22/04/21(木) 21:41:46

    3 / 20

     「……タキオンさんは……いえ、なんでもありません」
     専属契約の解除は考えないのか、と聞こうとして、やめた。
     彼女の生活能力は壊滅的といって過分でなく、その面倒の半分は彼女のトレーナーさんが見ている。もし彼が離れることになれば、その“半分”がもう半分を見ている私に降り掛かって来かねない。

     「北海道か……」

     「……勝手に見ないでください」
     いつの間にかタキオンの左手にあった合宿プログラムの紙をつまみ上げるようにして取り返す。モノクロ印刷のコピー紙には顔の描かれた北海道のフリー素材イラストが笑っていた。

     「よく予算がついたねえ。実績の無い新造チームはどこも資金難だと聞いていたが」

     「ええ、トレーナーさんも……格安の合宿先を探して、今回の場所になったそうです……しばらく留守にしますが、くれぐれも私のグッズには……」

     「何を言っているんだい?」
     タキオンが素っ頓狂な調子で言うので、カフェは思わず次の言葉を飲み込んでしまった。
     旧理科準備室の遮光カーテンの隙間から焼け付くような光の粒子が顔をのぞかせている。

     「何って……」

     「聞いていないようだね。私も行くよ」

     「……どこに?」
     事態が飲み込めず出た言葉に、タキオンがわずかに口角を上げてコピー紙を指差す。

     「モルモット君は私の面倒を見ながらでも0.5人前の仕事くらいはこなせる人材だ。1.0人ではしんどくても1.5人なら……そこにカフェも加われば2.0から2.1人前くらいかな……それなら十全だ。ということなんだろうね」

     自分を頭数に入れていないところは流石というべきなのだろうか。
     思わず漏れたため息が、フリー素材の笑う北海道を揺らした。

  • 51◆qNGcRE3Q5g22/04/21(木) 21:42:20

    4 / 20

     レンタカーの費用すら節約した新鋭チーム「チョコレートコスモス」は、合宿所が手配してくれたバン1台に収まりきらない荷物と荷物番を空港に残し、手荷物とジャージ、お菓子だけを持って出発した。
     荷物と荷物番とはつまり、タキオンとトレーナー陣である。もちろん人数分のキャリーケース、旅行かばんも一緒だ。彼らは同じバンの片道2時間の往復の後、つまりは私たちの4時間後に到着する手はずになっていた。

     「初日は掃除と草刈りですのね……」
     鹿毛のウマ娘、シバームソーダがスマホで共有された合宿プログラムを片手に、心配げに窓越しの空を見上げる。ライトグレーの空は季節に似つかわしくないほど寒々しく感じた。
     天気予報アプリを立ち上げてみると、幸先の悪い表示が飛び込んでくる。

     うっ、と息をつまらせたのが聞こえたのか、ソーダが「どうしました?」とこちらを覗き込んでくるので、スマホを傾けて予報が見えるようにした。

     昨夜の時点では逸れる見込みだった温帯低気圧がきまぐれに進路を変え、こちらに向かっている。
     「これって……」
     「……合宿が草刈りだけで終わってはいけませんから……私たちだけでできる運動はしてみましょうか……」

     「むぅー」と唸る横顔を見ているうちに、ふと、シバームソーダに初めて会った日の事を思い出した。
     何かと雨に縁のある子だ。

  • 61◆qNGcRE3Q5g22/04/21(木) 21:42:36

    5 / 20

     その日も雨が降っていた。
     「物が物だから」と、怪奇事件扱いで持ち込まれた失せ物探しの相談を断りきれなかった私は、現場であるウマ地蔵さまに手を合わせていた。肩に預けたビニール傘からは春の雨が大粒の雫となって滑り落ちていく。

     「どうでしょう?」

     「……ウマ地蔵さまの前掛けが消えたのは……罰当たりだとは思いますが……」正直、怪奇事件というには他に考えられる原因が多すぎる。

     「……とりあえず様子を見てみましょう」と言いかけたとき、ポケットの中でスマートフォンが震えた。トゥインクル・シリーズを走っていたころの名残で、1人だけ他と区別できるように設定を変えたままになっている、トレーナーさんからの着信を知らせるリズムだった。

  • 71◆qNGcRE3Q5g22/04/21(木) 21:42:54

    6 / 20

     レース場入り口の案内には4週連続で開催中の「適性検査・選抜レース」の出走者名簿やプログラムが掲示されている。

     たくさんのウマ娘やトレーナーが見守る中、少し長めにゲートで待たされた6人のウマ娘たちが一斉に駆け出す。
     重くなった土を蹴り、泥を跳ねながらトラック半周の短い距離を全力で駆け抜ける。

     自らトゥインクル・シリーズで目にし、体験してきた戦いと比べればお世辞にもレベルの高い走りではない。それでも必死に走る表情が、慣れない実戦形式への緊張が、観衆の声援が、彼女らの走りに迫力を与えていた。

     先頭のウマ娘がゴール板を通過したとき、ぽんと肩に手が置かれた気がして振り返ると、ビニール傘で歪んだ向こうにトレーナーさんが手を振っていた。

  • 81◆qNGcRE3Q5g22/04/21(木) 21:43:12

    7 / 20

     「……決まったんですね……おめでとうございます」
     肩を落として歩くウマ娘たちの背中が遠のくのを待ってから、お祝いの言葉を口にした。

     トレーナーさんが案内した先は地下バ道と呼ばれるバ場までの四角い通用道で、彼の隣では先程のレースで勝利した鹿毛のウマ娘がタオルをかぶって顔を綻ばせている。手には赤いお守りと、契約書類の入ったクリアファイルが強く握られて歪んでいた。

     専属契約を解消し、新しい担当ウマ娘を探していた彼が、日の落ちたグラウンドを走る彼女に声を掛けたのは1ヶ月前のことだったそうだ。
     その日から今日の選抜レースを目指し、練習メニューの提案だけでなく、フォームの見直し、勝つための心持ちなど、すぐにでも武器になる指導を施してきた。まずは結果を示すという約束だったらしい。

     今日、彼女はその指導に応えて見せ、専属契約となったのである。
     そんな彼女が、時々熱のこもった視線を彼に投げかけているのも無理からぬことだった。

     「はじめまして!」
     いつの間にか、彼女の視線がこちらを捉えている。まるで、今日の勝利が、前担当バである、私が上げてきたいくつの重賞勝利よりも素晴らしいのだとでも言いたげな、自信に満ちた表情だ。
     「わたくしが、この度彼と専属契約を結びました、シバームソーダです」

     「……マンハッタンカフェです」

     「必ずや、貴女にも追いつき、そして霞むほどの勝利を上げて見せますわ!」

     この宣言をさせるために呼ばれたのだろうか、とトレーナーさんに目線を送ると、彼は少し困ったふうに頬を掻いた。
     どうも何か他に理由があるらしい。

  • 91◆qNGcRE3Q5g22/04/21(木) 21:43:24

    8 / 20

     「それでは、身体が冷えてしまいますので」と去っていくソーダの背中が十分に離れるのを待ってから、問いただすことにした。だいたい、先に話しておいてくれても良さそうなことだ。

     彼は普段より静かで低い声の調子で詫びてから、去っていく担当バの背中を指した。

     ちょうど、地下バ道を抜けて左手に折れて行くところだった。
     その先には待機室や更衣室、シャワールームなんかが並んでいるはずだ。

     ややあって、消えていく彼女の尻尾を追って地を這う影に妙な立体感があることに気づいた。

     風船のように重さを感じさせず、音もなく追従しているそれは、紛れもなくウマ娘の姿かたちをしていた。20メートルは離れているというのに、その毛並みが、力の無い表情が、ありありと見て取れた。

     糸の切れたマリオネットのように手足をぐにゃりと曲げて横たわったそれが、ただ影のようにその姿勢のままスライドしてソーダの後を追っていく。

     四角い地下バ道には風もなく、ひさしに溜まった雨がバタバタと落ちる音だけが響いていた。

  • 101◆qNGcRE3Q5g22/04/21(木) 21:43:38

    9 / 20

     物心ついたころから、私には彼らが見えた。
     幼児にとっては自分の見えるものこそが世界のすべてだったので、周囲の人達にはそれが見えないと理解するまで随分と時間がかかった気がする。その間に彼らの呼び名は説明のための便宜上「お友だち」となり、今でも友好的な存在に対しては同じ呼称を使い続けている。

     だが、今回は
     「……お友だちには、なれなそうです」

     トレーナーさんはため息をついた。
     彼には私と過ごす間についた、ある種の耐性はあるものの、はっきりとした知覚として認識できているわけではない。それでも、私を呼んだのは持ち前の勘の良さによるものだろうし、傍から見れば「新しい担当ウマ娘と」と取られるであろう今の発言の意図も正しく伝わったようである。

     「……だいじょうぶ……なんとか、してみます……」

  • 111◆qNGcRE3Q5g22/04/21(木) 21:43:50

    10 / 20

    ─────────


     雨が水たまりの上を叩き、街灯の光を細かく砕いて反射させていた。並木の背後は一段と暗く、木々の隙間から霧のように夜暗を吐き出している。
     傘を打つ雨音が耳の中を満たし、肌寒さが勝利の高揚感をすっかり奪い去ってしまったようだった。

     シバームソーダは身震いしながら寮への道を急いでいた。
     日の長くなった春だというのに、分厚い雲がいつもより早く冷たい夜を連れてきている。

     塀沿いの角を曲がった時、不意に視界の端を何かが掠めた。

     足を止め、視線で追うが、ただただ灰色に濡れた風景が広がるのみである。

     そういえば、こんなに誰も居ない学園を見たのも初めてのような気がする。
     かぶりを振って不安を煽るような考えを払うと、傘を握る手に力を入れ直した。

     それから数歩しか進んでいないというのに、今度は街灯の下、ベンチの脇に誰かが立っている事に気づいた。
     雨だというのに傘もささず……いや、あれは雨合羽か。脅かさないで欲しい。

     真っ黒な雨合羽のフードをすっぽりかぶったその姿は、まるで影がそのまま立ち上がったようだ。しかし、そうではないと示すように袖から白い手が覗いている。

     バタバタと雨粒が傘を打つ。

     足早に通り過ぎてしまおうとした時、違和感を覚えた。
     雨合羽を着ているのならば、私の傘がそうであるように、雨を受けて音を立てているはずである。
     しかし、その姿を見留めるまでその存在に気づかなかった。音がしていない。

  • 12二次元好きの匿名さん22/04/21(木) 21:43:51

    久しぶり

  • 131◆qNGcRE3Q5g22/04/21(木) 21:44:05

    11 / 20

     ぞくりと冷たいものが背筋を走った。
     気づかなければよかった。

     踵を返して来た道を戻りたかったが、もし、背を向けたことで背後から追いかけられたら……と思うと、なかなか決心がつかない。

     不条理なことに、そうしてためらっている間にも自分の足は前へと動いて、もうまもなく街灯の前へ差し掛かるというところに来ていた。

     視線を合わせてはいけない。
     真っ直ぐに前だけを向いて、次の角まで。

     自分を励ましながら、その言葉だけで頭の中を埋め尽くすように努めながら、歩みをすすめる。
     街灯の下だというのに、妙に暗く感じた。

     何も起こらない。

     バタバタと雨粒が傘を打つ。

     安堵でため息が漏れる。
     この角を曲がったら走って離れようかと考え――唖然として足を止めた。

     曲がり角の先では、街灯がベンチを照らしていた。
     そのわきに、黒い雨合羽を着た人影がある。

     さきほど行き過ぎたはずの光景が、再び眼前に待ち受けていたのである。

  • 14二次元好きの匿名さん22/04/21(木) 21:44:19

    かなりの力作だな…

  • 151◆qNGcRE3Q5g22/04/21(木) 21:44:20

    12 / 20

     足を早めて街灯の前を通過する。

     気のせいに違いない。
     校舎をぐるりと回り込むこのルートは、2回連続で左に曲がる。考え事をしていたばっかりに数え間違いをしたのだろう。

     きっと、この角を曲がれば――

     「うそ……」

     わけが分からなくて目眩がした。
     三度、同じ光景。同じ場所。

     雨合羽の影がこちらを見ている気がして、慌てて視線を地面へと逃した。雨が跳ねて街灯の光を反射している。

     とにかく見ないようにしながらもう一度、その前を通り過ぎる。

     また同じ光景

     もう一度

     もう一度


     だんだん早足は駆け足に変わり、気がつくとほとんど呼吸も忘れて全力疾走していた。

     いつの間にか取り落としていた傘が前方から現れるのも無視して、雨合羽を視界に入れないようにしながら走る。走る。

  • 161◆qNGcRE3Q5g22/04/21(木) 21:44:31

    13 / 20

     誰かが叫ぶ声が聞こえる。
     妙にくぐもっていて聞き取れなかったし、聞きたくもなかった。

     突然腕を捕まれた。反射的に振り払おうとするが、呼吸を忘れていたせいか力が入らない。
     ぐいと身体が引かれ、バランスを崩して全力疾走の勢いのまま倒れ込んだ。

     瞬間、巨大な影が唸りを上げながら鼻先を通過する。
     その正体が、クラクションを鳴らしながら行き過ぎた大型トラックだと気づいたときには、辺りは人の気配に包まれていた。

     いくつかの顔が心配げにこちらを除き込んでいる。
     地面を伝って車の走行音が代わる代わる近づいては遠のいていき、足のほうからは商店の明るいテーマソングが聞こえていた。

     「……すみません……怪我は、ありませんか?」

     掴んでいた手を優しく持ち替えながら、青鹿毛のウマ娘が身体を起こす。

     「……カフェさん?」

     「……ええ、私です」

     まだ頭がフラフラする。どこかぶつけたのかも知れないが、衆目の面前で地面に横たわっている状況が恥ずかしくなってきて、カフェにすがりつくように立ち上がった。「急に走り出して危ねえじゃねーか!」とヤジが飛ぶのが聞こえた。

  • 171◆qNGcRE3Q5g22/04/21(木) 21:46:31

    14 / 20

    ─────────


     商店街の入り口近くに、彼女の傘は落ちていた。
     もうほとんど雨は上がっていたのであまり汚れてはいなかったが、一度持ち主にかなぐり捨てられたせいか、ひどくくたびれて見える。

     「あの……わたくし、わけがわからなくて」

     ソーダは擦り傷だらけで、制服のリボンもどこかに失せてしまっていたが、ひどい怪我はしていない。車の往来の中に飛び出しそうになった事を考えると無事といって差し障りないだろう。

     傘を丁寧に畳んで持ち主の手に返しながら、どこから話すべきか、どこまで話すべきかと考えた。

     「……アナタが見たものは……この世ならざるものです」

     半ば予想出来ていたのだろう。一瞬大きく見開かれた目はすぐにため息とともに萎み、記憶の中を反復するようにゆっくりと閉じられた。
     やがて最初に彼女の口をついて出た言葉は「何故」だった。

     「何故、わたくしは……あんな恐ろしい思いをしなくてはならなかったのでしょう?」

     理不尽な恐怖体験を怒りと憤りで上書きし始めた様子で、このような体験をした人にはよくある反応である。一種の防衛反応なのだろう。

     「……今日のレース……うまく結果が出せなかった子は……すごく悲しそうでした」

     私自身、適性試験はともかくデビュー戦では敗北、その後も上手く結果が残せず苦戦した覚えがある。
     「失意、挫折、不安と不満……嫉妬ややっかみ……そういった感情は、時にああいったものを呼んでしまいます……お守りを見せていただけますか?」

     ソーダは首を傾げたが、それ以上の反応は見せずに赤いお守りを取り出した。

  • 181◆qNGcRE3Q5g22/04/21(木) 21:47:04

    15 / 20

     お世辞にも上手とは言えない、ほつれ気味の手縫い。表面には布用マーカーで「必勝」の書き文字がある。親しい人物からの贈り物であることは容易に想像できた。

     それだけに、少し躊躇われる。

     「何をしますの?!」
     悲鳴にも似た抗議の声が私の手を止めてしまわないうちに、一思いに縫い目を引きちぎる。赤いお守りは、中に詰められていた少量の綿だけを吐き出して一枚の布切れへと変わった。

     「……なんだか分かりますか?」

     「綿です。髪の毛だとか、呪詛ではないではないですか?!」それらを拾い上げるソーダの瞳には涙が揺れていた。

     「……いえ……こちらです」
     手の中に残ったお守りの包みを、彼女にもよく見えるように広げる。
     垂れ落ちる寸前の水滴のような、上部に水平の辺を持つ、間延びした円形。水平な部分からは左右に伸びた紐が付いている。

     それは、小さな前掛けだった。

     「……校内のウマ地蔵さまから……先週、盗まれたものです」

     「そ、それ……ナル……ルームメイトが、くれたんです」
     絶句していたソーダがやっとそれだけを絞り出す。

     「……悪気があったとは限りません……御利益があると信じていた可能性もあります……」

     それにしたって、今日は部屋には戻りたくないだろう。
     寮長のヒシアマゾンさんなら、詳しい情報は聞かずに泊まりを許してくれるだろうか?

     商店街アーケードを抜ける風に揺られて、路地裏の水溜りが静かに灯りを反射させていた。

  • 191◆qNGcRE3Q5g22/04/21(木) 21:47:20

    16 / 20

    ─────────


     この世ならざらぬ者はいつも救いを求めている。
     ウマ地蔵さまの元に救いを求めた彼らの一部が、前掛けといっしょにソーダに渡り、肥大化してさらに悪いものを呼んだ。
     それが、私が説明してあげられることの全てだ。

     その後の顛末は詳しく聞かなかった。
     ただ、ソーダのルームメイトが自主退学を選び、今は彼女の1人部屋になっているという事実だけが冷たく残されている。

     トレーナーさんはやっぱり少し困ったように頬をかいてからお礼を言っていた。


     そして、時計は進み

  • 201◆qNGcRE3Q5g22/04/21(木) 21:47:39

    17 / 20

     窓の外を深緑の景色が通り過ぎていく。
     石ころの多いアスファルトの上を転がるタイヤは、ときどきジャリジャリと音を立てながら右へ左へとうねる山道を進んでいた。

     「……ちょっといいですか」

     全員がピタリと雑談をやめ、顔をこちらに向ける。こういったところは日々の指導の賜物なのだろう。
     少し誇らしく感じながら、一人一人の顔を見返した。

     ガラムシグネチャン、デンデラ、モノアーク、エスエスナナツボシ、レッドスランバー、シバームソーダ、そしてメジロパーマー。

     ちらりとルームミラー越しに目の合った運転手さんも合わせて9人が車内に詰め込まれていた。

     「どったの?」

     「……天気が崩れそうです……予定にはありませんが、走れるうちに走りませんか?」

     「りょー」
     「うん、走ろ走ろ!」

     賛同が得られたことに安心して、ため息をつく。今この場においては、チームの責任者は私なのだ。
     トレーナーさんに予定変更の一報を入れようとしたところで、不意に車中が暗くなった。
     手に手に開いていたスマホの画面の光が白く浮かんでいる。

     「この隧道の先はもう電波がつながらないよ。少し引き返すか?」

     運転手さんに「いえ、事後報告しますので」と応え、スマホをポケットにしまった。電波が届くうちに天気を確認できたのは幸運だったと言えるだろう。

  • 211◆qNGcRE3Q5g22/04/21(木) 21:47:53

    18 / 20

     短いトンネルの先はアスファルトの凹凸も増えたようで、ウマ娘たちの耳の立った頭部が小刻みに揺られ始めた。

     「北海道は初めてかい?」

     「あたしは何度か」

     「シグネチャンは行動力の化身だもんね。こないだ日帰りで台湾行ってたよね?」

     「ここいらに観光スポットはないが……あそこにあるのが地蔵堂だ」

     運転手さんが指すほうを見ると、確かに小さなお堂のようなものが建っている。床面積は2畳より一回り小さいくらいだろうか。周囲は木々が打ち払われていて、少しは管理がされているようだった。

     「ちょっと不気味……」
     「はい!」助手席に座っていたスランバーが代表するように手を挙げて質問する。「なんでこんなところにあるんですか!?」

     「開拓時代の名残らしい。なんでも、熊害で全滅した村があるとかで」

     後方に消えていくお堂を振り返る。由来を聞いてからだと一層不気味な姿に見えた。
     スランバーも「うえ〜」と声を上げる。

     地蔵堂の傍らに立っている「この世ならざらぬもの」に気づいたのは私だけのようだった。

  • 221◆qNGcRE3Q5g22/04/21(木) 21:48:10

    19 / 20

     山道に揺られてお尻が痛くなり始めた頃、ようやくバンは速度を緩めた。
     山の合間に唐突に現れた盆地に、民家が集まっている。

     電線が蔦を垂らしながら張り巡らされ、石垣の上に立てられた家々の傍らでは錆びついたLPガスのタンクが打ち捨てられていた。
     道はところどころ森の蚕食を受けており、アスファルトは雑草に突き破られて緑が広がっている場所もある。

     そういった道を避けて進んでいくと、2階建ての木造校舎が見えてきた。
     やや手狭なグラウンドの手前でバンが停まり、スライドドアを勢いよく開けてウマ娘たちが駆け出す。

     私も大きくひとつ背伸びをすると、運転手さんにお礼を言ってからチーム:チョコレートコスモスのメンバーたちを追いかけた。

     「隅っこの藪は蛇が出るからなー!」

     「北海道に蛇居るの!?寒いのに?!」

     空気はやや湿気ているが、今はまだ、爽やかな空が広がっている。
     グラウンドを見下ろす校舎は左右に広く、窓には☓の形でテープが貼られていた。その校舎の裏手はすっかり緑に侵食されているようで、2階建ての校舎のすぐ後背に木々の頭が見え隠れしている。

     「何故、グラウンドは無事なのでしょう?準備してくださってたのかしら?」

     「……それもあるでしょうが……こういったところには塩が撒かれている、と聞いたことがあります」
     グラウンドの隅には最近になって持ち込まれたと見られる、木でできたコンテナサイズの倉庫らしき建物があった。中を探せば食塩の袋が見つかるかも知れない。

     「中の案内は中の者に聞いてくれ」と言い残して車に戻っていく運転手さんに全員で手を振って、校舎へと向かう。
     最初に車を飛び出したパーマーたちはすでにひとしきりはしゃいで息が上がっていた。

  • 231◆qNGcRE3Q5g22/04/21(木) 21:48:27

    20 / 20

     古い校舎の下駄箱脇には受付と書かれた窓口があったが、現在は板で塞がれており、少々手狭な記入台と、ピンクの公衆電話、印刷会社のロゴ入りの再生紙メモパッドだけが残されている。その上にちょこんと真新しい半球形のベルが置かれていた。
     シグネちゃんが代表して上部の突起を叩くと、心地の良い高音が静まり返った校舎に響く。
     ほどなくして「はーい!」という返事と共に足音が近づいてくるのが聞こえた。

     「ようこそおいでで!」

     「あ……」
     右隣でソーダが息を呑むのが聞こえた。

     現れたのはメイドさんだった。可愛らしいゴシックロリィタのエプロンドレスに身を包み、フリルの着いたカチューシャの脇からは長いウマ耳が伸びている。歳は私より少し下、チームの面々と同じくらいだろうか。
     廃校にウマ娘のメイドさん。詰め込みすぎだが、かえって小説や漫画のキャラクターのようで、妙な既視感も覚える。

     パーマーたち“唖然としなかった組”が、かわいいかわいいと連呼しながら一緒に自撮りに収まろうとスマホを手に取り囲んでいく。
     メイドさんはもみくちゃにされながらも「施設の案内をしますね、靴のままどうぞ」と職務を全うしようとしていた。

  • 241◆qNGcRE3Q5g22/04/21(木) 21:50:14

    第一夜の掲載分は以上です。
    ご覧の通り、長いですがよろしければお付き合いください。

  • 251◆qNGcRE3Q5g22/04/21(木) 21:53:40

    保守も兼ねた登場人物紹介

    シバームソーダ(鹿毛)
    中等部。
    カフェのトレーナーさんが新しく契約したウマ娘。基本的にはカフェと似た脚質。

  • 26二次元好きの匿名さん22/04/21(木) 21:59:46

    お疲れ様
    明日も期待してる

  • 27二次元好きの匿名さん22/04/21(木) 22:01:50

    なるほど?これは頭のハッキリした時間に読まなきゃな

  • 28◆qNGcRE3Q5g22/04/22(金) 00:32:36

    感想レスありがとうございます!
    一部まだ本文見直し中だったりしますが、引き続きお付き合のほどよろしくお願いします。

    登場人物紹介②

    ガラムシグネチャン(葦毛)
    行動力の化身で、チーム内ではお姉さんなこともあり頼れる存在。

    脳内絵師に「ちょっと大人びたカレンチャンみたいなイメージで」と発注したらこれがお出しされた。もうちょい変えろ

  • 29二次元好きの匿名さん22/04/22(金) 01:39:18

    文章なのに常に薄暗い雰囲気が漂ってるのが良い…
    なんでもない場所が雨の日にちょっと怖く感じる感覚に似てる

  • 30二次元好きの匿名さん22/04/22(金) 01:53:32

    文章だけでなく絵も描けるの凄いな…
    明日も楽しみにしてます!

  • 31二次元好きの匿名さん22/04/22(金) 10:58:17

    どうなるんだ…

  • 32二次元好きの匿名さん22/04/22(金) 11:49:39

    登場人物紹介③

    レッドスランバー(栗毛)
    線画なので判らないが頭頂部が星型に焦げ茶色でそれ以外は赤い独特の毛色(メンコ勢)
    勝負服ではバンギャみたいになるらしい。

    素直な性格で、質問するときには手を挙げる癖がある。

  • 33二次元好きの匿名さん22/04/22(金) 16:27:56

    あげ

  • 341◆qNGcRE3Q5g22/04/22(金) 21:39:44

    1 / 43

     「そこの扉から校舎の裏手に出られますが、マムシが出ますので立入禁止です。管理人室には管理人の津浦――先程お会いしていますね。送迎の車を運転していた者です――が、保健室は私が居室としています。怪我の際は私に遠慮せず、保健室を使ってください。他に清掃員の門前というおじいさんが居ます。私たちと違い夜には帰宅しますが……この先は更衣室とシャワー室。改築して入れたので綺麗ですが、虫が出ますので衣服は高いところに置くことをお勧めします……2階に参りましょう」

     「そういえば電気ってどうしてるんですか?」
     踊り場に無造作に置かれたダンボール箱には、これまた無造作に鎌が突っ込まれている。それらを横目に避けながら、先頭付近にいたスランバーが手を挙げて質問した。
     廃村に入ってから電線は見かけたものの、使われているふうではなかったからだろう。

     「裏手にディーゼル発電機がございまして……稼働中はちょっとうるさいですが、ご容赦くださいね……こちらが、皆様に使っていただく教室です」

     そこは本当に教室で、黒板と教壇がそのままになっていた。床には畳が敷かれているが、正確には置いただけといった感じで、ところどころズレて隙間ができてしまっているし、部屋の隅の方は20cmも床板が露出していた。

     それでも、「ここがあなた達の部屋だ」と言われれば順応できるもので、チーム:チョコレートコスモスのウマ娘たちは靴を脱いで畳に上がると、自分の居場所を定めて手荷物を下ろした。
     メイドさんに案内のお礼を言ってから、一息つくのもそこそこにトレーニングの準備を始める。

  • 351◆qNGcRE3Q5g22/04/22(金) 21:39:57

    2 / 43

     グラウンドに出た頃には、湿り気を帯びた風が絶えず灰色の雲を押し流していて、木々はざわざわとせわしなく鳴いていた。真夏だというのに、皆長袖のジャージを選んでストレッチを始めている。
     グラウンドをぐるぐると回ることも考えたが、メイドさんが廃村の中の使える道を教えてくれたのでそちらを走ることにした。

     「雰囲気あるよねぇ」
     「あたし廃村をナマで見るのって初めて」

     最初のうちはキョロキョロと見慣れない風景を楽しみながら走っていたが、やがて全員が走ることに集中し始め、ついには時々掛け声を出す程度となった。

     廃村の中央を抜けた後、大きく右に逸れて貯水池と緑に包まれた田んぼ(らしき荒れ地)の間を抜ける。大きく弧を描いたあぜ道の轍の上を行くと、右手に校舎が見えた。
     離れて見ると、1mくらいの盛土の上に建っていることがわかった。裏手には倒木に飲まれたスロープがある。校舎脇に停まっているのはフォークリフトだろうか。

     蛇が出るという話を思い出して、足下に視線を落としたが、このあぜ道の雑草はあらかじめ打ち払われているようだった。
     ゆくゆくは、廃村と自然の境界線にするつもりのラインなのだろうか。

  • 361◆qNGcRE3Q5g22/04/22(金) 21:40:16

    3 / 43

     出発前に、この合宿地についてトレーナーさんに教えてもらっていた。
     かろうじて使用可能な建物を土地ごと買い上げ、合宿地、キャンプ場としての利用を見込んでいる。その前段階としての草刈りや掃除といった重労働を一部負担することでタダ同然の価格で施設を利用可能、ということらしい。

     学園中のトレーナーの元に届けられていたという3色刷りのチラシには若干胡散臭さを感じたが、当のトレーナーさんはスケジュール調整やトレーニング内容の計画で忙しそうなので、黙って助けてあげることにした。
     元とはいえ、教え子の私にお財布事情のことは言いたくないのだろう。という心情も容易に想像できた。

     用水路をまたぐコンクリートの橋を渡り、学校の側面を抜ける。スロープは近くで見ると藪に覆われていた。

     「見て、トレーナーさんたち、着いたみたい!」

     5周ほど同じ道を巡り、ペース配分にも慣れてきたころ、シグネちゃんが校舎のほうを指差した。
     見れば、玄関前にバンが横付けしている。後部ドアが開いて、メイドさんがせっせと荷物を運び出しているのが見えた。

     「手伝ったほうがいいのではありません?」

     「……それは、スタッフの仕事です」
     そして、今はトレーニングを続けさせるのもスタッフである私の仕事だろう。
     「……続けましょう。あと15周です」

     「多くない?!」

  • 371◆qNGcRE3Q5g22/04/22(金) 21:40:30

    4 / 43

     風がいっそう強くなり、ぽつぽつと雨粒が落ち始めたころ、チーム:チョコレートコスモスはグラウンドに戻ってきた。
     すでに陽は山々の奥へと没し、灯りの無い廃村は建物の輪郭がかろうじてわかる程度である。

     整理体操の中、誰からともなく暗い雲が流れていく空を見上げて「晴れてたら星がキレイだろうね」と言いあった。

  • 381◆qNGcRE3Q5g22/04/22(金) 21:40:44

    5 / 43

     下駄箱にはLEDランタンが1つ置かれているのみで、その光がかろうじて廊下にまで漏れ伝わっているが、その先の階段はというと真っ暗だった。
     壁のスイッチを操作しても反応がなく、勝手にランタンを持って行っていいものかと相談しているところにメイドさんがやってきた。

     「申し訳ありませんが、シャワーの湯沸器も電気式なので……これから少し煩くなると思います」

     「まだ動かしてなかったんですね」

     「いーよ、風の音だってすごいし、暗いよりマシだもん」
     パーマーの言う通り、強くなり始めた風が古い木造校舎に入り込んでびゅうびゅうと音を立てていたし、校舎裏からは風に木の枝が折り取られる音も聞こえてくる。


     教室の中央に後発便で到着した全員分の荷物がまとめて置いてあり、それぞれに自分の鞄を探して部屋の隅へと移動させていくと、いくつかのキャンプ用品と3つの鞄が残った。
     見覚えがある。ひとつはタキオンの、残る2つは彼女のトレーナーさんと、私の元トレーナーさんのものだ。

     「……あの、タキオンさんと、トレーナーさんたちはどちらに?」

     「会っていませんか?練習を見に行かれたと思ったんですが……」

     沈黙が訪れ、ウマ娘たちはそれぞれに顔を見合わせた。
     風に絶え間なく揺れる窓の向こうは、ただただひたすらに闇である。

  • 391◆qNGcRE3Q5g22/04/22(金) 21:41:01

    6 / 43

     校内は節電のためか、蛍光灯が点かなかったり取り外されたりしていた。
     特に2階の私達が使っていない側、階段を挟んだ西側半分は真っ暗だ。

     懐中電灯とランタン、少し数が足りなかったので、スマホのライトがそこに並ぶ。
     不安げに声を落としたままシャワーと食事を済ませたチーム:チョコレートコスモスの面々は、それぞれ灯りを手に闇を見つめながら階段前に集まっていた。

     そこに小走りでメイドさんが加わる。

     「……では、1階から行きましょう」
     「離れないでね」

     階段を降りて管理人室の前に差し掛かると、津浦と1人の男が話し込んでいるのが目に入った。
     ほとんど白髪になった頭と、おそろいの色のグレーの作業着を着た中老の男性で、背は低いが体格はガッチリしている。しわがれた声は低く、立場では上のはずの管理人である津浦のほうが萎縮しているようだ。昼間に名前を聞いた、清掃員の門前という男だろう。

     「こんばんは〜」
     通りがかりに口々に挨拶をして、玄関へ向かう。門前は返事を返さず、どこかムッとした表情でこちらを睨んでいた。

  • 401◆qNGcRE3Q5g22/04/22(金) 21:41:12

    7 / 43

     横ざまに吹き付ける雨が、懐中電灯の光跡をくっきりと映し出していた。
     楕円の光に切り取られた景色の先には、水たまりがちになったグラウンドの他に何も見えない。

     防水のためフリーザーバッグに入れたスマートフォンの画面を確認した。いざとなれば探しに出ようと準備したものだ。
     まだ19時台だという表示に少し驚く。山の端が太陽を連れ去ったのはもう随分前のように思えた。

     「……タキオンさんたちは……到着後、グラウンドへ出て行ったんですよね……?」

     「えっと……それが、すみません!」
     メイドさんが頭を下げながら、吹き荒れる風の音に負けないよう声を張る。「出ていくところは見ていないんです。荷物の搬入中に姿が見えなくなったのでてっきり……」

     「……とりあえず校内を探して……居ないのなら、どこかの民家に避難しているのかもしれません……」
     実際、廃校のどこかに隠れているというよりはそちらのほうが有り得そうに思えた。

  • 411◆qNGcRE3Q5g22/04/22(金) 21:41:23

    8 / 43

     玄関には下駄箱が設置されているが、館内は土足のため靴の有無でトレーナーさんたちの在否を確認することはできない。
     それでも一応、全ての下駄箱の中を手分けして確認することにした。

     「……空っぽですわね」
     私と同じ列の反対端から調べ始め、肩が接する距離になった頃、ソーダがため息まじりにつぶやいた。
     見渡すと、他の列でも同様の結果であったらしい。

     「よお、どうだい……まぶしっ!」
     突然の男性の声に、全員分のライトが一斉に浴びせかけられる。

     「津浦さん!お疲れさまです。門前さんは?」

     「お帰りになられたよ。俺も手伝おうか」

     「あの……」レッドスランバーが手を挙げる。
     「帰ったって、他にも出入り口が?」

     「ああ、廊下の突き当りに非常口が……冬は雪に埋まるせいか傷みが激しいんだが……行ってみようか」

     「ここを調べてて思ったんですが、全員でいっせいに動くと手狭です」

     メイドさんの言う通り、下駄箱を調べるのにも背中や肩をぶつけながらだった。

     「……二手に、分かれましょう……メイドさんと、管理人さんにそれぞれ案内してもらいながら……」

     「あー、じゃあ、カフェさんはエモと2階を見てきてくれるか?見てもらいたい部屋があるんだ」

  • 421◆qNGcRE3Q5g22/04/22(金) 21:41:40

    9 / 43

     グーとパーでチーム分けした結果、1階は管理人と共にソーダ、ナナツボシ、モノアーク、シグネチャンが残り、メイドさんと私、パーマー、スランバー、デンデラが2階の担当となった。

     「そういえばメイドさん、エモーショナルハートって名前だったんだね」

     「あ、はい」

     「知り合いで他にメイドさんって居ないから、なんか『メイドさん』で納得しちゃってたよ。ごめんね」

     「いえ……あ、こちらです」

     階段を上がって左手、西側の廊下の突き当り。
     立て掛けられていた折りたたみ机を脇に避けると、その奥から扉が現れた。

     「うわ、ナニコレ……」

     パーマーが息を呑む。
     その扉は表面にびっしりと名刺くらいの大きさの半紙が貼り付けられ、微細な風に反応してカサカサと揺れていた。ドアノブには御札らしきものが巻き付けられている。

  • 431◆qNGcRE3Q5g22/04/22(金) 21:41:50

    10 / 43

     「カフェさんは……霊感があると聞いております……」

     「ええ……ですが……」
     この扉の奥からは何も感じない。

     それを伝えると、パーマーたちはいくらか安堵した様子を見せたが、メイドさんだけは緊張した面持ちのまま、ゆっくりと扉に手を掛けた。

     音もなく扉が開いて、風が扉の半紙をさかんに揺する。

     現れたのは、真っ暗な空間だった。

     懐中電灯の光が闇の中を進み、ほんの2、3m先にあった壁を照らし出す。

     「ひっ……?!」

     御札だ。
     大量の御札が、狭い室内の壁だけでなく、床や天井までも埋め尽くしている。

  • 441◆qNGcRE3Q5g22/04/22(金) 21:42:03

    11 / 43

     異様な光景に誰も口を開けないで居るうちに、メイドさんが再び扉を締めた。

     「気味が悪いので入らないようにしています。今は無人であることの確認と……カフェさんに見ていただきたかったので開きましたが、みなさんはくれぐれも近づかないでくださいね」

     「うん、そーする」

     「……何の部屋なんでしょうか……?」

     背後でデンデラが「もう離れようよぉ」と力なく言うのを無視して、扉に一歩近づく。やはりおかしな気配は無い。しかし、正体のわからない妙な違和感が残っていた。

     「えっと……実はよくわかってないんです。ですが、近くに地蔵堂があるので、その関係かと……」

     メイドさんが窓の外の暗闇に目を遣った。土地勘がないので、地蔵堂がそっちにあるのかどうかも判らないが、皆、なんとなく外を見ていた。
     ごおと一際強い風が校舎を揺すった。

  • 451◆qNGcRE3Q5g22/04/22(金) 21:42:22

    12 / 43

     「そっち居た?」
     「んーん、全然。あ、保健室にお邪魔したよ。人体模型がエプロンつけてかつら被ってたの、何?」
     「そ、そのままだと不気味でしたので」
     「私どもだけで調べましたわ。津浦さんは殿方ですので……逆に津浦さんのお部屋は彼におまかせしましたけども」
     「お気遣いどうも」

     3人は校舎のどこにもいなかった。
     わかってはいたことだが、確認してしまった。確定させてしまったという事実が胃に重たい。

     「管理人さんが消防に電話してくれるって」
     「電波届くの?!」
     「ううん、ほら、公衆電話。あったでしょ?赤いボタン押すとタダで緊急連絡できるらしいよ、あれ」

     とにかく、居ないのであれば本人らに期待するしか無い。
     「……今日はゆっくり休みましょう……大丈夫。トレーナーさんは私が知る中で……最も頼りになる人ですし……タキオンさんも……その次くらいには頼りに……ケースによりますが、頼りになる人です」

     LEDの無機質な白色灯の中で、8人のウマ娘たちは互いに励まし合うように頷いた。

  • 461◆qNGcRE3Q5g22/04/22(金) 21:43:38

    13 / 43

     翌朝は風はあるものの、比較的晴れやかな空に迎えられた。
     グラウンドはぬかるみ、風に折り取られた枝葉が散らばっているものの、足早に吹き抜ける風は冷たく、爽やかである。

     睡眠を十分とったからか、昨夜の心配事もいくらか薄れていた。辺りが真っ暗だったから実感がなかったが、早い時間に床についていたし、疲れもあってか皆ぐっすりと眠ったらしかった。
     普通に練習と昨日中止にした草刈りの予定をこなし始めたのは、午後にはトレーナーさんたちも姿を表すだろうという希望的観測があったことも大きい。

  • 471◆qNGcRE3Q5g22/04/22(金) 21:43:50

    14 / 43

     しかし、時間が経つにつれて次第にそんな気分も萎んでいった。
     周回ごとに少しコースを変えて廃村を見て回るが、人の気配はない。

     太陽はすぐに天頂に登りつめ、それを隠すように重たい雲が空を埋め尽くし始めていた。

     「……この後は、草刈りをしましょう」

     コンビニ弁当の並ぶ会話の少ない食卓に、自分の声はよく通った。

     草刈りや掃除は、ここをタダ同然の費用で使わせてもらうための交換条件のようなものだ。トレーナーさんが戻ったときに手つかずだと、がっかりさせてしまうかも知れない。
     不安のせいで味のしない昼食は早々にお茶で流し込むことにした。

  • 481◆qNGcRE3Q5g22/04/22(金) 21:44:00

    15 / 43

     鬱蒼とした背の高い雑草と、強風でひっくり返されたむせ返るほどの緑の匂い。
     管理人さんと相談して、ランニングコースであるあぜ道から取り掛かることにした。蛇には注意。

     「そういえば、昔のトレーナーさんってどうでした?」
     「あー、気になる。今でもベテランって感じしないけど、カフェさんのときは完全に新人だったんだよね?」

     自然と手が止まり、脳裏に彼と出会った頃の事が思い起こされた。
     お友だちの存在を交えずに説明するのは少し難しい。

     「……そう、ですね……放っておけない人でした……」
     「あ、やっぱり危なっかしいとか、頼りない感じ?」

     「……いえ」首を横に振る。
     「信頼できる人です……危なっかしいのは否定しませんが……」

     パーマーとシグネちゃんが顔を見合わせてにやりと笑ったのが目に入った。ソーダはどこか不機嫌そうに眉を吊り上げている。

     「それって――」

     「シグネチャンさーん!」
     不意に聞こえてきた声に振り返ると、あぜ道をメイド服姿のウマ娘が手を振りながら走ってくる。

     「はいはーい?」

     「お電話です。宿舎まで戻ってくれますか?」

  • 491◆qNGcRE3Q5g22/04/22(金) 21:44:11

    16 / 43

     ポツポツと雨が降り始めたので、今日の草刈りは終了にした。
     緑に飲まれかけた風景は、印象としてあんまり変わり映えしないが、積まれた雑草の量だけみればかなりの範囲を刈り取ったはずである。

     「シグネちゃん、戻ってこないね」

     電話の報を受けたシグネチャンは、最初はメイドさんと談笑しながら廃校への道を歩いていたものの、途中でメイドさんの肩をポンと叩くと独り走って行ってしまった。
     戻ってきたメイドさんが「買い出しのリクエストを伺い忘れてました」と言うので、皆口々にお菓子やアイスの注文を伝えた。

     それから、もう30分は経つ。

     空と同じ、鈍色に染まり始めた胸中を抱えながら、雨に濡れるのを嫌うように背中を丸めて廃校への帰路についた。


     こうして、シグネチャンは私たちの前から消えた。

  • 501◆qNGcRE3Q5g22/04/22(金) 21:46:46

    ◇箸休めポイント◇

    登場人物紹介④
    デンデラ(栗毛)
    いろいろでっかいおっとり系。ちょっと怖がり。

    「ンデラん」という1文字も短くなってないあだ名を持つ。

  • 511◆qNGcRE3Q5g22/04/22(金) 21:48:31

    17 / 43

     わざわざ買い出ししてきてもらったコンビニスイーツは、全然味がしなかった。

     トレーナーさんたちならまだ、信頼できる大人だし、タキオンに振り回されているだけだとか、連絡がつかないうちになんらかの急用に見舞われた可能性もある。
     しかし、シグネチャンは元気と利発さくらいしか特筆事項のない、ただの学生だ。

     メイドさんが消防に連絡してくれたが、それで不安が和らぐことはなく、味覚だけでなく、他の感覚もどこか遠くに押しのけられてしまったようだった。
     時々、漠然とした恐怖が襲いかかってきては心臓のリズムを乱していく。

     それだけではない事は、今の所私だけが知るところだった。
     なおも悪いことだったが、言い知れぬ気配が廃校を覆っている。

     ――今朝の時点では何事も無かったのに。

     まとわりつくように重く、息苦しい不快感。
     ――この世ならざる者の気配だ。それも、あまり好ましくない類の

     「……このままでは、いけません」

     「どったの?」

     「……少し、見てきます」

  • 521◆qNGcRE3Q5g22/04/22(金) 21:48:53

    18 / 43

     パーマーが「私も行くよ」と立ち上がり、私たちは連れ立って廊下へと出た。
     廊下の東側は電灯がともっているはずなのに、妙に暗く感じた。

     「いやあ、実は独りでトイレ行くの怖くてさ……」

     シグネチャンの失踪について、誰もうまく説明ができなかった。
     シグネチャンの後を追うように廃校に戻ったメイドさんが目にしたのは、すでに受話器の置かれた公衆電話だったそうだ。

     部屋に戻ったのかと思い、そのまま管理人さんに買い出しメモを渡し、以降は掃除をしていた。その掃除の間には誰とも会っていない……

     「やー、おまちどー」

     「……御札の部屋の方を……見てみます」

     「うえっ?!」
     パーマーが露骨に嫌そうな顔をする。無理もない。元々気味が悪い上に
     ――今は更に悪い気配がある。
     彼女がそれを感じられないとしても、そういった感覚の外で忌避感を覚える、というのも珍しくはない。

     「あっち暗いよ?」

     「……懐中電灯は持ってきました……私独りでも、かまいませんが……」
     
     それでも彼女はぱしぱしと頬を叩くと、うんとうなづいて2歩後ろを歩き始めた。

  • 531◆qNGcRE3Q5g22/04/22(金) 21:49:05

    19 / 43

     丸く切り取られた闇の中に、扉を塞いでいる机が照らし出された。
     近づくと、カサカサと半紙の揺れる音がした。

     「……机を……退かします」

     「おっけ」

     懐中電灯をパーマーに手渡し、折り畳み式の机に手をかけた。

     ――虫の群れに手を突っ込んだような不快感。
     反射的に手を引く。何もついていない。

     「トゲでも刺さった?」

     パーマーに「大丈夫」と伝え、再び机に手をかける。
     総毛立つのを感じながら少しだけ持ち上げ、右へ

     「……っ?!」

     背中を照らしてくれていた、パーマーの懐中電灯の光が大きく揺れた。合わせて自分の影も左右へ動く。

     足元の暗がりの中。扉の前。
     古びた灰色の石くれがある。丸く磨かれ、柔和な笑みを掘り込まれたそれは、本来あるべき胴体を失って、頭部だけで横たわっていた。

     お地蔵さまの頭だ。

     見た瞬間から、隧道を抜けた先で見た地蔵堂に祀られていたものだという確信があった。あの場所で感じたのと同じ、しかし何倍も濃く煮詰まった不快感がそう告げていた。

  • 541◆qNGcRE3Q5g22/04/22(金) 21:49:18

    20 / 43

     お地蔵さまの頭のことは翌日を待って打ち明けることにした。
     シグネチャンの事だけでも多くのチームメンバーたちにとって十分過ぎるほどショッキングなことだ。これ以上心労を増やすのは得策ではないように思えた。

     そんなわけで、翌朝の食卓に並んだ顔は皆一様に寝不足で、疲れたものだった。

     昨日までは食事に空き教室と学校机を利用していたが、誰からともなく寝泊まりしている空間を離れたくないと言い出し、自然な流れで畳の上にあぐら座を組んでいた。

     「そういえば、せっかくの北海道なのにコンビニご飯ばっかり食べてるね、私達……」

     ナナツボシがため息まじりに言う。
     買い出しのときにリクエストを聞かれたコンビニのおにぎりは、開封されて大皿に盛り付けられてはいたものの、メイドさんがそれぞれに配膳してくれたのは紙皿の上だったし、味も食べ慣れたものだった。
     味噌汁に浮かぶ具の少なさも、いかにもインスタント食品らしい。

     「じゃあさ、トレーナーさんとシグネちゃんが見つかったら何か食べに行こうよ!お腹空かせてる……だろうし……」

     言いかけてから、失言だと気づいたらしく、スランバーの声も尻切れトンボになる。
     窓の外は夜明け前に似た薄明かりで、雨が風の形を可視化させるように一団となって吹き荒れている。寒々しい青鈍色の空。その下でチームメイトがひもじい思いをしているというのは、あんまり考えたくはない。


     そのうえ、私にはまだ地蔵の首の件を伝えるという仕事が残っていた。

  • 551◆qNGcRE3Q5g22/04/22(金) 21:49:36

    21 / 43

     「――それって」

     話し終えた頃には皆顔面蒼白で、言葉を失ってしまっていた。

     「……かなり、まずい事態です」

     ごおと風が窓を揺らし、シャワーノズルを振ったように雨が吹き付ける。
     電波が無いので天気予報は確認できないが、事前に危惧していた通り強烈な低気圧に見舞われているらしかった。

     「それじゃあ、シグネちゃんも、トレーナーさんたちも……神隠しに遭ったってこと?」

     「……わかりません」

     「私、神隠しに遭ったコがしばらくしてお堂から無事発見された事件知ってる」

     「あ、それ私も見た。ニュースになってたよね」

     「地蔵堂、行ってみます?」

  • 561◆qNGcRE3Q5g22/04/22(金) 21:49:52

    22 / 43

     居ても立っても居られないのだろう。若いウマ娘たちは鼻息荒く雨の中の行軍の算段に取り掛かった。確かに、ウマ娘の足なら決して無理な距離ではない。しかし、それは天気が良ければの話だ。

     「津浦さんに……運転を頼むのなら……お地蔵さまの首も返しておきたいですし……」

     「決まりだね!」

     「ごめんなさい、わたくしは……」

     見れば、ソーダは蒼白を通り越して土気色の顔をしている。耳を絞り、焦点の定まらない目を泳がせている。
     明らかに尋常ではない。

     「ソーダちゃん?!」

     異常を察したスランバーが肩を支える。
     ソーダの顔を覗き込んでから、泣きそうな瞳を投げかけてきた。

     「カフェさん……!」

     「保健室……!お借りします!」

     「はい!」
     給仕のため控えていたメイドさんが弾けるように立ち上がり、ドアを開け放ちながら駆けていく。

  • 571◆qNGcRE3Q5g22/04/22(金) 21:50:02

    23 / 43

     「ねえ……ソーダて、呪いにかかった〜とか、祟られた〜とかじゃ、ないよね?」
     パーマーは普段から勤めて軽薄な言動を取ることがあるが、今回はどこか「冗談であって欲しい」という意図が見て取れた。

     「……呪いや祟りにも、いくつか種類があります……そのうち、今回の場合は……空気に飲まれることで実体化するタイプ……」

     「え?ごめん、つまり?」

     「……心の持ちようという事です……ただの体調不良も、私達が、ソーダさん自身が……霊障だと思えば、霊障ということになってしまいます……」

     「そっか、そうだよね……気圧も下がってるしー、的な?」

     こくりと頷くと、パーマーはいくらか安心した面持ちになった。
     保健室は手狭で全員は入れず、今は私とパーマーが廊下で待っている。管理人室前を通ったときに騒ぎを聞きつけて様子を見に来た管理人の津浦さんも一緒だ。

     屋根から勢いよく流れ落ちる雨水が、簀垂れのように向こう側の景色を遮っている。かろうじて影を捉えられる雑木林は絶えずゆれ、時々みしみし、ベキベキと枝葉を風に剥ぎ取られて悲鳴を上げていた。

     「あ、そういえば管理人さん。運転をお願いしたいんだけど」
     「……地蔵堂まで……お願いできますか?」

     「運転?構わないが……」

  • 581◆qNGcRE3Q5g22/04/22(金) 21:50:18

    24 / 43

     そのとき、一際大きな破壊音が響いたかと思うと、続いてどすんと鈍い振動が足下を走った。事態が飲み込めないうちに、廊下の電灯がフッと消える。
     保健室からは驚いた声が上がっていた。

     「発電機か?!」

     管理人さんが慌てて窓を開ける。強風と共に舞い込んだ雨の粒子が私達の場所まで届いて服を細かく濡らした。 

     「大丈夫ですか?」

     「本体は無事なようだが……今ので外付けの燃料タンクが外れたみたいだ。それに浸水しかかってる。移動させるしかないな。すまんが、少し出発は遅れるぞ」

     「手伝おっか?」
     パーマーが袖まくりする。重たいものを運ぶならウマ娘である自分たちの出番、と考えたのだろうが、見ると発電機は想像よりも大きかった。

     「……フォークリフトを使う。スペースも視界も狭いから手伝い無用……絶対に近寄らないでくれよ」

     「りょ。頑張ってね!」

  • 591◆qNGcRE3Q5g22/04/22(金) 21:50:30

    25 / 43

     まっすぐな応援が照れくさかったのか、無言で玄関へ向かっていった管理人さんの背を見送ってから、事情を話すために保健室の扉を開け、中に入った。
     ここに踏み入るのは、先程、ソーダを運び込んだ時を除けば初めてだ。

     天井灯は停電の影響で消えてしまっているが、LEDランタンが目隠し用のカーテンの途中に吊り下げられ、ピンク色を反射させている。
     ベッドは古いがしっかりしており、今はソーダの他に二人、モナとスランバーが腰掛けていた。

     「……停電は……発電機のタンクが外れたことが、原因だそうです」

     「フォークリフトで動かすってさ。口ぶりからして直りそうだったよ。ね?」

     同意を求めてきたので、首肯で返したが、あの場面でポジティブな発言があった記憶がない。

     「……地蔵堂までの運転も……お願いしましたが……」

     「わたくしのことは、あまり気になさらないで……」
     ソーダの言葉は隣に居たモナの「そうはいかない」という言葉に遮られた。

     「私、残る。地蔵堂怖いし。win-win」
     「じゃあ、私も……怖いので」

     「怖いから」が理由なら、今はこの場所のほうが恐ろしい気配があるのだが……
     お友だちが立っている宙空に目配せすると、残ると言い出したモナとデンデラには黙っておくことにした。

     雨音に紛れて、エンジン音が聞こえた。
     一瞬、ディーゼル発電機が息を吹き返したかと期待したが、どうやらフォークリフトのエンジンが始動しただけのようだった。

  • 601◆qNGcRE3Q5g22/04/22(金) 21:50:41

    26 / 43

     車窓に映る山並みは、厚い雨のヴェールをかぶって灰色をしていた。道路反対側にある間近の山肌を見れば、川か滝かといった具合に水が流れ出ている。
     それがアスファルトを横切る場所を慎重に越え、つづら折りを抜けて、車はようやく件の地蔵堂にたどり着いた。

     「そういえば、も少し行けば電波拾えるんだよね?」

     「あー、実はな……昨日の時点で結構ギリギリだったんだ、倒木とか、増水」

     「ええー?!ヤバないそれ?陸の孤島?!」

     ナナツボシが「それだったら先に避難すべきだったのでは?」と抗議するが、チームメイトが消えた直後だったのだ。実際には誰も離れたがらなかっただろう。

     「それに、そんなんだからこそ、トレーナーさんたちもお堂に居るかもよ?」

     薄い雨合羽の隙間からは容赦なく雨水が侵入して首筋を冷やした。
     お堂までの斜面に設置された木材で土を留めただけの階段は、降り続く雨で段々の滝のようになっていて、通気性重視のトレーニングシューズでは数歩でぐしょぐしょになってしまう。

     それでもなんとか、踏み場を考えたり、手を取り合ったりしながら、全員がその扉の前に立つ事ができた。

     屋根の高さは2mもなく、入り口はもっと低い。屈まなければ頭をぶつけてしまいそうだ。

     消えたのは、トレーナーさんたちを含めて4人。全員が中に居るとは考えにくかったが、それでも一縷の望みをかけて、戸に手をかける。
     背後にいたパーマーが小声で「お願い!なんか全員居て!」と口に出すのが聞こえた。

  • 611◆qNGcRE3Q5g22/04/22(金) 21:50:56

    27 / 43

     地蔵堂の中は板張りの床、正面は長椅子を思わせる祭壇がある。
     その祭壇の上に、無残に砕かれ、首を失った地蔵が鎮座していた。

     予想できた光景のはずだった。
     なにせ、廃校で首だけが見つかって、返すために持ってきてさえいたのだ。胴体だけが残されていても不思議ではない。

     それでも、消えた友人が、トレーナーさんが、見つかるかも知れないという淡い期待と、それを抑え込もうとする冷静さが、この凄惨な光景が現れる可能性を低く見誤らせていた。

     皆一様に絶句し、それはお堂の中に首を返して「戻りましょう」と声をかけるまで続いた。



     そうしている間に、また1人が消えた。

  • 621◆qNGcRE3Q5g22/04/22(金) 21:55:13

    ◇箸休めポイント◇

    登場人物紹介⑤
    エスエスナナツボシ(葦毛)

    手元の資料には「冷え性」とだけ書かれている。それでいいのか……

  • 631◆qNGcRE3Q5g22/04/22(金) 21:56:06

    28 / 43

     ほんの少しの間の出来事だった。
     モナがトイレに、メイドさんが倉庫に行き、保健室にはデンデラとソーダが残された。

     ソーダが教室に残したスマホを取ってくるよう、デンデラにお願いしたので、少し心配しながらも保健室を後にした。

     戻ると、ベッドの上はもぬけの殻だったという。


     「それだけじゃないんだよ?!」
     デンデラはほとんど泣きつくようにしてパーマーの胴に手を回し、顔をうずめていた。

     「探したの。トイレとか、教室……エモちゃんがもしかしたらって」

     暗い廊下の先にある扉。
     メイドさんがそのドアノブに力を込めた時、強風が3人を襲った。

     ――無かった。

     扉の向こうにはあるはずの「御札の部屋」がこつ然と姿を消し、荒れ狂う嵐の光景だけが広がっていた。

     ドアを閉めて一瞬の間があり、3人は顔を見合わせてから保健室に逃げ帰り、抱き合いながら私達が地蔵堂から戻るのを待っていたのだという。

     「発電機の修理を先にしとくべきだったか……」
     それで事態がどう変わるわけでもないが、津浦は脱ぎかけていた雨合羽のボタンを留め直した。
     「とりあえず直す。灯りがついてから探してみよう」

     しばらく外からはフォークリフトの音だけが聞こえていたが、それが止まると、程なくして発電機のディーゼル音が加わった。

  • 641◆qNGcRE3Q5g22/04/22(金) 21:56:16

    29 / 43

     「カフェさん、ちょっと……ちょっとしたことなんですけど」
     狭い保健室で、互いの息がかかりそうな距離にいるというのにスランバーが手を挙げる。

     「……なんでしょう?」

     「あの、なんていうか、校庭に戻った時……あれっ?って思いませんでした?」
     よほど言語化に難儀したらしく「あれっ?」の部分で首をかしげる仕草を交えたものの、情報量として何も増えていない。

     地蔵堂から廃校に戻った時、玄関の前まで車で乗り付けたので、校庭の方はよく見ていない。
     そう伝えると、スランバーは残念そうに手を下ろして胸の前に組んだ。聞こえるか聞こえないかくらいの大きさで「なんだろう?」とつぶやいている。

     天井の蛍光灯がピンッと小さな金属音を立てた。
     部屋が明るくなり、表情もいくらか弛緩する。

     「……探しに、行きましょう」

     どさり。

     発電機の稼働音と風雨の雑音の中で、不思議なくらいはっきりと、その音が聞こえた。
     7人のウマ娘たちの耳がいっせいに廊下に向けられ、緩みかけていた緊張が一気に張り詰める。

     「……カフェさん」

     「……様子を……見てきます」

  • 651◆qNGcRE3Q5g22/04/22(金) 21:56:27

    30 / 43

     扉を開ける。ちょうど頭上の蛍光灯が、切れかかってぱちぱちと瞬いていた。
     無機質で、薄暮のように距離感を無くしそうな明かりの下。窓側の壁により掛かるようにして座り込む影がある。

     生気のない肌、顔に落ちる長い前髪。

     「ソーダちゃん?!」

     様子をうかがっていたスランバーが駆け寄る。
     私も慌てて後に続いた。

     間違いない。シバームソーダだ。
     手は力なくだらりと垂れ下がり、右足は壁と身体の間で窮屈そうに畳まれていたが、胸は呼吸で上下しているし、スランバーの呼びかけにも応えようとしていた。

     「とにかく、保健室に運びましょう……!」

  • 661◆qNGcRE3Q5g22/04/22(金) 21:56:41

    31 / 43

     「良かった……どこに居たの?」

     デンデラがソーダを絞め落としてしまわないように引き剥がしながら、パーマーが尋ねる。
     正午を迎えた保健室の隅では、電子レンジが唸りを上げながら冷凍食品の行列を捌いていた。

     「……それが」
     目に見えてソーダが震え始めるので、半ば剥がれかけていたデンデラが再びきつく抱きつく。今度はパーマーも止めなかった。

     校舎は時折強風で大きく揺れ、そのたびに蛍光灯が力なく明滅する。
     発電機の燃料は3日分の貯蔵があるとのことで、しばらくフル稼働していてもらうことにした。移設され、距離が近くなったことで騒音も増している。

     「それが……わたくし、目が覚めたら……例の、御札の部屋に居まして……」

     電子レンジのタイマーが響く。芦毛のかつらを被った人体模型にはエプロンがかけられていたが、電子レンジ調理では出番がないようだ。

     ソーダを介抱する間、彼女が消えていた間に起きたことを話して聞かせていた。それだけに、自分の言っていることが辻褄の合わないことだとわかっているのだろう。

     「……部屋を出てからの記憶がありません。とにかく出ないと、と考えて……ドアを開けて……気づいたら、スランさんが話しかけてくれていて、ここに運んでもらって……」

     「カフェ……」
     パーマーがこちらを振り向く。

     「……ええ、行ってみましょう」

     「私も」とメイドさんもランタンを手に立ち上がった。

  • 671◆qNGcRE3Q5g22/04/22(金) 21:56:52

    32 / 43

     御札の部屋までの廊下は蛍光灯が外されているので、相変わらず暗い。
     デンデラたちが扉を開けた時に剥がれたのであろう半紙が数枚、水気を吸って地面にはりついていた。

     扉を塞いでいた机は、地蔵の首が現れた時から脇に除けられたままになっている。
     首は返したというのに、嫌な雰囲気は校舎全体に拡散していて、どちらから向けられているのか判然としなかった。

     「……開けます」

     「うん、気をつけて。エモも下がった方いいよ」

     ひゅうひゅうという音と共に、かすかな風が、前髪を揺らした。
     パーマーの手に構えられた懐中電灯の光が、御札がびっしりと貼られた部屋の壁を映し出す。

     御札の部屋は、そこにあった。

  • 681◆qNGcRE3Q5g22/04/22(金) 21:57:02

    33 / 43

     「うそ……だって、確かに……!」

     「……調べてみましょう」

     「やめてください!」
     メイドさんが、ほとんど半狂乱になりながら、腰にしがみついた。腕には万力が込められていて、ちょっとやそっとでは振りほどけそうにないほどだ。

     「……部屋は、一度消えてるんです!カフェさんが調べに入って、部屋ごと消えでもしたら……!」

     「あー、それはちょっと怖いね……怖い」
     パーマーが肩を抱いて背中を丸める。

     私はというと、スランバーの言葉を反芻していた。
     『あの、なんていうか、校庭に戻った時……あれっ?って思いませんでした?』
     今まさに、彼女と同じ気分を味わっているに違い無かった。

     「なんでしょうか……」

     小さな小さなつぶやきは、嵐の音にかき消された。

  • 691◆qNGcRE3Q5g22/04/22(金) 21:57:13

    34 / 43

     その日の午後は、ほとんど嵐が早く過ぎ去ることを祈りながら過ごしていたような気がする。
     ソーダの看病をすると主張したモナとデンデラを保健室に残し、教室で座学を行ったはずなのだが、全員がうわの空で、いまいち記憶に残っていなかった。

     夕食に昼と似通った冷凍食品を咀嚼し、シャワーを順番に浴びて眠りについた。


     朝起きると、保健室からデンデラが消えていた。

  • 701◆qNGcRE3Q5g22/04/22(金) 21:57:34

    35 / 43

     残されたウマ娘たちは憔悴しきっていた。
     朝ごはんのコンビニ弁当を言葉もなく租借し、皆で一塊になって教室の隅でスマートフォン画面上に映る「圏外」の文字を見つめた。

     廃校を覆う「この世ならざるもの」の気に当てられている面もある。

     「ンデラん……昨日、私が神隠しにあったら探さないで逃げてって言ってた……虫の知らせ?」

     モナがその会話をしたのは、消灯後のことだったそうだ。
     眠りに落ちる寸前のことで、彼女がどんな顔をしてその言葉を残したのかは定かでない。

     朝には彼女の使っていた毛布だけが、まるでそこで寝ていたウマ娘など最初から居なかったかのように、綺麗に畳まれてソファに置かれていたそうだ。

     トレーナーさん、タキオン、タキオンのトレーナーさん
     シグネちゃん、ンデラん……ソーダ
     6人が消えて、1人が戻ってきた。

  • 711◆qNGcRE3Q5g22/04/22(金) 21:57:44

    36 / 43

     「待っていれば皆戻ってくるのかもしれない」という考えは、自分に「なにもしない」事を容認することになる。そうなってしまえば、私はこの廃校の教室の古い畳の上から動けなくなってしまうだろう。

     両の頬を叩いて立ち上がる。
     何対かの虚ろな視線がその動きを追ってきた。

     「すこし……離れた場所の窓でも開いて、空気の入れ替えをしましょう」

     「はは、そだね……」
     パーマーも背筋を伸ばしながら立ち上がる。左腕に絡みついていたナナツボシの腕が寂しそうに宙を掻いていた。

     「じゃあ……うそ、シグネちゃん?!」

     全員が弾かれたようにパーマ―の視線を追う。すりガラスの向こうに、かすかに芦毛が揺れるのが見えた。
     トトト、と軽快な足音が遠のいていく。

     「待って……!」

     畳の前で脱いでいた靴も履かず、パーマ―が追いかけていく。私もその後に続いた。
     足音は階段を降りていくところだった。

     踊り場までの6段を一足に飛び降りながら、パーマーが後を追う。

     「シグ……うわ?!」

     ドタドタと木の床を打つ鈍い音が響いた。

  • 721◆qNGcRE3Q5g22/04/22(金) 21:57:54

    37 / 43

     ようやく私が現場に駆けつけたときには、パーマーがお尻をさすりながら起き上がるところだった。手の埃をジャージの太ももで拭ってから、一緒に倒れていたメイドさんに手を貸す。

     「ごめんエモ……シグネチャンが来なかった?」

     「あ痛たた……シグネチャンですか?ごめんなさい。見てません」

     そのとき、管理人室の扉が半分だけ開いて、隙間から管理人さんがニュッと顔を出した。
     二人が倒れているのが正に管理人室の扉の前だったので、さらなる衝突は避けられた形だ。

     「大丈夫か?」

     「ええ……津浦さんも、見てないですよね?」

     事情を説明したが、やはり目撃されていなかった。管理人室の扉には窓も無いので当然といえば当然である。

     階段の上から様子をうかがっていたウマ娘たちにも状況は伝わり、落胆が広がった。


     6人が消えて1人が戻ってきた。
     もう1人が戻ってきて……煙のようにまた消えてしまった。

  • 73二次元好きの匿名さん22/04/22(金) 22:00:10

    なんだこの力作!?

  • 741◆qNGcRE3Q5g22/04/22(金) 22:00:15

    ◇箸休めポイント◇

    登場人物紹介⑥
    モノアーク(黒鹿毛)
    チームのマスコット。通称「モナ」

    この子だけデザインが勝負服ありきで決まったので勝負服。

  • 751◆qNGcRE3Q5g22/04/22(金) 22:00:45

    38 / 43

    ─────────

     降り続いた雨が、木造の校舎に染み入り、空気をじっとりとした不快なものに変えていた。
     古びて黒ずんだ床板は蛍光灯の明かりを吸い込んで、実際以上に暗い印象を与えている。

     日没はまだ先だというのに、窓の外は薄暮のように暗く、その中を木々のシルエットが黒く揺れていた。

     シバームソーダが教室の扉を開けると、それぞれに居場所を見つけて蹲っていたチーム:チョコレートコスモスのウマ娘たちは、いくらか顔を明るくして出迎えてくれた。

     「もういいの?」という問いかけに笑顔で答える。実際、昨日までの不調が嘘のように体調は良かった。

     本来なら、座学でも開いておくべき時間なのに、誰も積極的に動こうとしていない。
     宙空を睨むカフェの顔もだいぶ憔悴して見えた。

  • 761◆qNGcRE3Q5g22/04/22(金) 22:00:57

    39 / 43

     ――無数の話し声がした。

     目より先に両耳を廊下に向けたカフェが、焦点を合わせると同時に驚愕の表情を浮かべるのがはっきりと分かった。
     脳が発する危険信号は筋肉まで伝わっていないらしく、反射的にその視線を追って背後へと振り返る。

     すりガラスの向こう、ぼやけた景色にいくつもの影が映っていた。
     背中を丸め、うつむき気味に歩く人影が、教室の窓の端から端まで列をなして進んでいく。

     雨の音が聞こえなくなり、代わりに年齢も性別も入り混じったいくつものボソボソという話し声が響いていた。

     「……どうしたの?」
     モナが首をかしげる。

     ――見えてないんだ。

     全身の毛が逆立つのを感じた。
     返事を返すどころか、身じろぎ一つ取ることができない。

  • 771◆qNGcRE3Q5g22/04/22(金) 22:01:07

    40 / 43

     「デンデラさん?!」
     出し抜けに廊下から聞こえてきた言葉が均衡を破った。

     カフェだけでなく、パーマ―も即座に懐中電灯を引っ掴んで廊下に出る。
     「どこですか?!」

     「御札の部屋のほうに……!」

     そうだ。
     御札の部屋。

     行列が向かっていたのはまさに、御札の部屋がある方向だった。

     「待っ……!」
     出遅れたウマ娘たちが廊下に顔を出したときには、カフェは信じられない速度で廊下の端までたどり着いていて、僅かな灯りの中、半紙の貼られた扉に手をかけていた。

     すごく嫌な予感がした。

  • 781◆qNGcRE3Q5g22/04/22(金) 22:01:17

    41 / 43

     ごお、と音を立てて、突風が吹く。
     乱れる髪の向こうで、カフェが御札の部屋に踏み込むのが見えた。

     誰も触れていないのに、唐突に扉が閉まった。

     瞬間、校舎が壊れたかと思うほどの轟音が響き渡り、頭上の蛍光灯が消えた。

     ――静寂。

     暗闇の中、廊下の端に居るパーマーが「カフェ?」とつぶやくように呼びかけるのが聞こえたのだから、本当に静かだったんだと思う。

     一つ減った懐中電灯の灯りの中で重たそうに再び開かれたドアの先では、夜の闇が広がっていた。


     こうして、7人目が御札の部屋とともに消えた。

  • 791◆qNGcRE3Q5g22/04/22(金) 22:01:28

    42 / 43

     誰かが悲鳴を上げたのが聞こえた。
     恐慌の波が足元から打ち寄せ、目からは涙が溢れる。

     扉の向こうの闇に身を乗り出そうとしたパーマーの腕をナルが掴み、必要以上に大きな声で「逃げましょう!」と叫んだ。
     「今の音!屋根が崩れるかも知れません……外も危険ですから、地下室へ!!」

     とにかく、ここを離れたかった。
     我先に靴を履き、階下へと走る。

     「こっちだ!」
     階段の下で津浦が叫ぶ。
     彼の指差す先では、地下倉庫への階段の前に置かれたランタンが道しるべのように光っている。

     「力を貸してください!」
     最後尾を走っていた私の腕を、メイド服姿のウマ娘が掴んだ。

     「……発電機の異常かも知れません!こっちへ!」

  • 801◆qNGcRE3Q5g22/04/22(金) 22:01:42

    43 / 43

    ─────────


     しんと静まり返った地下室。
     時々、しゃくりあげる声が反響している。

     最後尾に居たはずのシバームソーダが地下室に現れることは無かった。

  • 811◆qNGcRE3Q5g22/04/22(金) 22:04:31

    今夜の掲載分は以上です。

    ……なんというか、お疲れ様でした。
    作者自身もレス用に分割してて「n/m」の表示が心折りにいってるように見えました。

    明日はいよいよ解決編です。もう少しだけお付き合いいただけると嬉しいです!

  • 82二次元好きの匿名さん22/04/22(金) 22:07:08

    新しい作品ダァ…

  • 83二次元好きの匿名さん22/04/22(金) 22:45:05

    ほんとごめん
    ネタバレになるなら言わなくていいし、一応確認だけしておきたいんだけど、この事件のトリックに霊的な霊的な力は働いてないって認識でいい?
    廃村に霊がいるのは確かだけど、人が消えてるのは全て物理的なトリックによる物であるというか

  • 84◆qNGcRE3Q5g22/04/22(金) 23:00:01

    >>83

    はい。その認識で合っています。

  • 85二次元好きの匿名さん22/04/22(金) 23:33:53

    >>84

    あざーす(ガシッ)


    とりあえず何となく犯人は分かったし、何をしたかもある程度予想は付いた

    ただなぁ…大トリの部屋が消えるトリックが分かんないんだよな…

    動機はもう知りようがないから置いておくとしても、イマイチ確証が持てないというか

  • 86◆qNGcRE3Q5g22/04/23(土) 09:35:22

    登場人物紹介⑧
    エモーショナルハート(赤い鹿毛)
    廃校で給仕するウマ耳尻尾のメイドさん。

  • 87二次元好きの匿名さん22/04/23(土) 14:10:11

    保守

  • 88◆qNGcRE3Q5g22/04/23(土) 21:22:14

    集合絵

  • 89◆qNGcRE3Q5g22/04/23(土) 22:00:19

    解決編

  • 90◆qNGcRE3Q5g22/04/23(土) 22:00:31

    1 / 20
    ─────────


     ――真っ暗だ。
     雨の音も遠く、自分の少し乱れた息遣いばかりが耳障りだった。

     懐中電灯を持っていたはずだが、衝撃で壊れるか電池が外れるかしてしまったらしい。
     手探りで床を探すと、指先が雨にぬかるんだ地面に触れた。

     ああ……私が今、這いつくばっているのは床ではない。
     壁なのだ。

     御札の部屋は窓が無い行き止まりだった。唯一の開口部は入り口だ。
     それが今、足下にある。暗いわけだ。

     いつの間にかお腹の下に何か硬いものがある。
     「……まんまと、釣られましたね」

     それは、磨かれた石。あの時、地蔵堂へ返したはずの首だった。
     お地蔵さまに助けを求めるこの世ならざる者が集まり、事件のもっと大切な根本を覆い隠してしまっていたのだ。

     「おおい、中に誰か居るかい?」

     気が抜けて大の字に寝転んだ時、暗闇の外側から聞き慣れた声がした。

  • 91◆qNGcRE3Q5g22/04/23(土) 22:00:46

    2 / 20

     「アッハッハ!泥だらけだねえ!」

     「……お互い様です」

     「うん……目立った怪我もないようだし、意識もはっきりしているね」

     ジャージの上から羽織った泥だらけのジャケット、その裾から暗い栗毛の尻尾が雫を左右に散らしながら揺れている。
     私の指先の確認と言って手を取ったが、彼女の指先のほうがよっぽど汚れて傷だらけに見えた。

     「ああ、これかい?ちょっと沢を登る機会があってね」

     どう考えても笑って済ませる体験ではないが、タキオンは白い歯をこぼしてみせた。

     「何があったか、話してくれるかい?」
     それはこっちの台詞だ。と言おうとしたのを察したのか、「ああ、私達は別の廃村に『ここだよ』と置き去りにされたから、ここまでのハイキングを強いられただけだ」とこれまた笑えない一言を付け加える。

     タキオンのトレーナーさんが乗るフォークリフトのヘッドライトが、校庭に3つの長い影を落としていた。
     私と、タキオンと、

     「……旅先で言うのも……変ですけど……おかえりなさい。トレーナーさん」

  • 92◆qNGcRE3Q5g22/04/23(土) 22:01:00

    3 / 20

    ─────────


     いつしかヘッドライトの先は人工物の無い世界へと変わっていた。代わり映えしない鬱蒼とした木々が繰り返し後方へと流れ去っていく。タイヤは時折大きく跳ね、土を踏むジリジリという音は山道がいよいよ舗装もままならなくなった事を伝えていた。

     発電機の復旧のため、屋外に出た私の背を追いかけてきたのは、「チームのコたちが地下室に入った途端に消えた」という信じがたい話だった。ナルはそのまま有無を言わせない剣幕で腕を掴み、バンの後部座席に私を押し込んだ。


     ――誰もいなくなった。


     信じられない一方で、自身もいくつも尋常でない体験をしていた。
     廊下に現れた影と話し声、御札の部屋で目覚めて、その間部屋ごと消えていたという事実。

     「……御札の部屋」
     記憶の隅に何か引っかかっている。独りごとが耳に入ったらしく、ナルの瞳が覗き込む。

     「あ……」
     そうだ、あの時もこの距離にナルの瞳があった。

  • 93◆qNGcRE3Q5g22/04/23(土) 22:01:12

    4 / 20

     「大丈夫?」

     一瞬、言葉に詰まる。
     その時ドン!と鈍い音がして身体がつんのめった。

     運転席で津浦が悪態をつく。

     「どうしました?」

     「鹿かなんかだ」

     雨はいつの間にか小降りになっていて、風も周囲の木々に遮られているのか感じられない。廃校での恐慌が嘘のように凪いでいた。

     運転席のドアを開けて津浦が車の周囲、今来た道を懐中電灯で照らして回る。
     カーナビの画面には何の目標物もない、道路だけが続く地図が映し出されていた。

     「どうでした?」

     「……まあ、動物だからな。思いの外遠くまで跳ね飛ばされたり、怪我を押してでも逃げたりなんてのはよくある話だ」

     ナルは小さく「そう、ですね」と応えただけで、それ以上聞き出そうとはしなかった。なんとなく、不穏な空気を感じていた。

  • 94◆qNGcRE3Q5g22/04/23(土) 22:01:24

    5 / 20

     ゆっくりと車が走り出してからも、ルームミラーにはチラチラと後方を確認する津浦が映っていた。
     その目が恐怖に見開かれたかと思うと、ブレーキペダルが踏み込まれ、再びシートに激突しそうになる。

     「誰だテ……メ……?」

     「なになに?どうしたの?」

     二人がこちらを見る。バンの座席は3列。私の後ろにもまだ座席はある。
     しかし、二人に倣って振り返った先には誰も何も居なかった。

     「……何でもない。見間違いだ」

     なぜ見間違いだと言い切れるのだろう。私達は今まさに、怪異から逃げ出して、嵐の最中、夜の山道を走っているのではないか。

     何かを轢いたと思いきや、何も居なかった。
     ルームミラーに映ったのであろう存在。

     もっと取り乱して然るべきではないだろうか?
     舌打ち一つで済ませるには少し状況が切迫しすぎているように感じる。それとも何か……

     先程、ナルの瞳を見ていて、思い出したことがある。
     私が“消えた”一件についてだ。

  • 95◆qNGcRE3Q5g22/04/23(土) 22:01:34

    6 / 20

     「――詳しく話したいから……そうね。管理人室まで独りで来てくれる?」

     私は、タイミングを見計らって独りになると、管理人室に向かった。足はふらついていたし、頭痛もひどかった。

     ノックしても返事はなく、鍵もかかっていなかったので、トイレに行ったモナが戻って来ていないかだけ確認してからドアを開けた。

     中は真っ暗。生活臭もしたけど誰もいないのはすぐにわかった。
     電灯のスイッチも分からず、すり足で少しだけ進んでから座り込んだ。

     緊張したせいか、ひどく疲れていた。
     意識を手放してしまうほどに……

  • 96◆qNGcRE3Q5g22/04/23(土) 22:01:47

    7 / 20

     またもやブレーキが踏まれ、思考は中断された。

     「ねえ、今の、何……?」
     「わかんねえよ!」
     「だって、あんなに伸びないよ……!」
     「黙ってろ!」

     それ以上会話は続かなかった。
     雨が弱くなった代わりに、霧が出始めていた。


     薄靄の向こうに、ヘッドライトが一組。
     津浦がフーッと深い溜息をつく。

     「乗換だ、お嬢さん」

     「なんですの?」

     前の二人が車を降りたので、その後に続く。
     ヘッドライトの脇に、誰かが立っているのがかろうじて見えた。

  • 97◆qNGcRE3Q5g22/04/23(土) 22:01:59

    8 / 20

     「遅かったな」

     しわがれた低い声。聞き覚えがある。清掃員の門前という男だ。
     そういえば、一度見たきりでその後姿を見ていない。清掃員という割には掃除はいつもナルがやっていた。

     「すみません。ちょっとトラブルがありまして……」

     「どういうこと?」

     「後だ」

     「ナル?説明して下さい」

     俯いて、返事をしてくれない。
     あの時、最後に学園で見た彼女の姿と重なって見えた。

  • 98◆qNGcRE3Q5g22/04/23(土) 22:02:10

    9 / 20

     力で抗うことはできる。しかし、逃げ出せばナルをここに置いていくことになる。それは嫌だ。何故そう思うのか、うまく説明することはできない。
     促されるままに、門前の誘導に従って車に向かう。何という名前かは分からないが、丸っこくて可愛らしい外国車だった。

     一見すると丁寧で、その実、抵抗を許さないエスコートの仕草でドアが開かれる。

     「え……?」

     誰か乗っている。
     門前は一瞬怪訝そうな顔をして私の視線の先を追い、同じように驚きの色を見せた。

     背中が見える。私たちから何かを庇うように丸められた背中だ。うなじには長い髪の毛が冷や汗で張り付いていた。

     「おい、そこで何してる」

     返事は無い。
     ふと、彼女の着ている衣服が妙に古めかしいことに気づいた。

     「おい!」

     門前が引っ張り出そうと手を伸ばした瞬間、ドンッ!という音と共にサスペンションが大きく沈んだ。
     薄い屋根を大きく凹ませたのは落石でも倒木でもなかった。

     何もない。
     何か見えない力によって凹んでしまった。

     「門前さん……」

  • 99◆qNGcRE3Q5g22/04/23(土) 22:02:23

    10 / 20

     「なんだよ」
     いつの間にか、車内の影も消えている。
     「乗れ」

     絶対に嫌だ。
     思わず左足が後ろに進み、それを見た門前が舌打ちをする。

     伸ばした手が私の腕をつかもうとした瞬間、辺りが一段暗くなった。
     背中側から照らしていたバンのヘッドライトが消えている。

     エンジンはかかったままだった。

     「なんなんだよ!?」

     空気が冷たい。
     夜なのだから当然だが、それだけでは納得できないくらいに寒かった。

  • 100◆qNGcRE3Q5g22/04/23(土) 22:02:41

    11 / 20

     「逃げよう!ソーダ、大丈夫だから!」

     駆け寄ってきたナルに手を取られ、もつれるようにして後部座席に倒れ込む。

     「門前さん!」

     きちんとシートに収まる前にドアが閉められ、車が急発進した。
     リアウインドウから、テールライトに赤く照らされた津浦とナルが遠ざかっていくのが見えた。

     後部座席には私の他に誰も居なかった。

     「停めてください!」

     しかし、このとき急ブレーキが踏まれたのは、私の訴えのためではなかった。
     ヘッドライトに、黒い影が映し出されている。


     顔にかかる長い髪に、明後日の方向に跳ねた流星。
     ドロドロに汚れた学校指定のジャージ。

     「……カフェさん?!」

     「……ええ、私です」

     なんて登場をする人なんだ。
     ドアにはチャイルドロックがかかっていたが、万力を込めてこじ開けると、転がり落ちるように車を降りた。

  • 101◆qNGcRE3Q5g22/04/23(土) 22:02:51

    12 / 20

    ─────────

     駆け寄ってきたソーダは「這々の体」という言葉が真っ先に思い浮かぶほどの有様だったが、見たところ怪我はしていないようだ。
     何から質問していいかわからない様子で、逡巡の後ようやく「えーっと?」と促すような言葉を口にする。

     「……追いつけた理由は、走ったからです……と、言われても納得できないようですね……」

     「ふうん、中々どうして、間に合うものだね」
     置き去りにされた2人を連れてタキオンが歩いてくる。

    「彼らに目をつけられると……体感時間がおかしくなりますから。……たぶん、ソーダさんが思っているよりも時間はありました」
     ソーダを乗せた車が廃校を後にして約1時間。
     1時間あって10kmと離れられていなかったのだから、よっぽどと言える。
     「……足止めにあったようですね」

     「さて、モルモッ……ト君が追いつくまでに、ハッキリさせておきたい事があるんだ」
     「言い直すのを諦めないでください……」

     タキオンは涼しい顔で誤魔化すと、メイドさんの方に向き直った。

     「エモーショナルハート君、キミは元トレセン生。そして、元シバームソーダ君のルームメイトだね?」

     ソーダの失踪は、元ルームメイトによる説得によって成された。
     謎なのは出現のほうである。

  • 102◆qNGcRE3Q5g22/04/23(土) 22:03:02

    13 / 20

     「……管理人室、見させてもらいました」
     管理人室を懐中電灯の光が照らし出したとき、その謎は氷解した。
     「……驚きました……内装が“御札の部屋”と、同じでしたから」
     最初にタキオンが消えたと思われた際の捜索では、大胆にも津浦本人が確認することで回避している。布団の一つもなく、御札が印刷された悪趣味な壁紙が貼られた部屋でよく寝泊りしたものだ。

     「保健室からはジヒドロピリジン系の拮抗薬が見つかった。降圧剤だよ」
     これに関してはタキオンの知識に頼りっきりになるが、彼女によると、過度な摂取は失神発作や軽度の記憶障害を引き起こすらしい。
     実際に引き起こされた症状のうち、どこまで計算の内だったのかはわからない。

     「……おそらく、何故、この合宿所に居るのか……等の説明をする、と、持ち掛けられたのではないでしょうか……ソーダさんは、自分の脚で管理人室に向かい、気を失ってしまった……目覚めて見れば、内装は御札の部屋なわけですから……脱出の後、すぐに廊下で気を失ってしまった貴女には区別がつきません」

     ソーダは聞きながら、必死で記憶を探っているようだった。

     「しかし、この事件には無駄なところがあるね」
     そう、ソーダが消えて、また現れる姿を見せたかったのなら、一度部屋ごと消える意味がない。むしろ、無人の御札の部屋を確認させた方が効果的ですらある。「部屋ごと消えた」よりも「無人の筈の場所に居た」という証言のほうがより不可解だからだ。

     「……計画に入ってなかったんです。部屋の消失は……おそらく、私の時だけの予定だったのではないですか?」
     「それで先に気づけたら良かったんだけどねえ」

  • 103◆qNGcRE3Q5g22/04/23(土) 22:03:15

    14 / 20

     他にも早めに気づくチャンスはあった。
     例えば、スランバーが言っていた違和感の正体。
     例えば、御札の部屋への扉。貼り付けられた半紙はいつも風に揺れていた。御札の部屋には窓が無いのに、である。

     「……どういうことですの?」
     ソーダが首をかしげる。

     「……最初に廃校のグラウンドに着いたとき、木製の倉庫のようなものがありました……ですが、鎌などの……倉庫に収められていてしかるべき物は踊り場に乱雑に置かれている有様でした……倉庫では無かったんです……あれこそが“御札の部屋”だったんです」

     今でこそ夏なので感じられないが、ここは豪雪地帯である。
     2階の高さにドアだけがあるのは決して不自然な事ではない。

     「フォークリフトで持ち上げていたんです……壁とは隙間ができるので、それが風の通り道となっていましたし……発電機の移動のためフォークリフトを動かした際には“御札の部屋”は消えました……そして、踏み込めばバランスを崩しかねません」
     御札の部屋に誰かが踏み入ったのは私が消えたときの一度だけだ。それまでは全て、メイドさんが制止していた。

     「バランスが崩れてフォークリフトごと転倒。風が一気に流れてドアは閉まり、再び開けたときには虚空が広がっている……といったところだ。いやあ、カフェが無事で良かったよ」
     厳密には何カ所かの打撲を負っていたので無事とはいえないが、タキオンがフォークリフトを起こし、そのフォークリフトで部屋を持ち上げてもらったときには自力で這い出る事ができた。

  • 104◆qNGcRE3Q5g22/04/23(土) 22:03:27

    15 / 20

     「じゃあ、シグネチャンたちは……?」

     「簡単な事だよ。誰も電話している所を見ていない。誰も誰から、どんな用事だったか、知らないんだ」
     しかし、何も言わず帰るシグネチャンではない。伝言も残していただろうし、公衆電話の横にあったメモパッドからは筆圧で転写された書置きが見つかった。

     「おそらくだが学園かご家族を装って呼び出したんじゃないかな?管理人はその直後に、買い出しに行ってる。ついでに街まで送ると言って誰にも見られないように連れていく。置手紙は捨てる。伝言は伝えない。当然警察や消防への通報も嘘。それだけのことだ」

     何でもない早退を、私たちの見方が失踪事件にしてしまっていた。というわけだ。

     シグネチャンは日帰りで国際線に乗るくらいの行動派だ。そのことを行きの車の中でも話していた。
     このトリックの完遂に最も適していると判断されるのも無理はない。

     「デンデラ君も似たような手口だろうねえ……偶々だったのかもしれない。夜中に捜索にでも出ると言って、街に置いてきたんだろう?」
     隧道を抜ける道が通行できなくなりそうだというのは、津浦の話でしかなく、誰も確認していない。実際には通行可能であったのだ。デンデラが居なくなった翌朝にコンビニ弁当が出ていたのは、このとき購入したからなのだろう。
     タキオンはため息とともに「どうせなら私たちも廃村でなく街に置いて行って欲しかったよ」と付け加えた。

     「さて、本題だ。犯行の動機をお聞かせ願えるかな?」

  • 105◆qNGcRE3Q5g22/04/23(土) 22:03:37

    16 / 20

     もっとも、現在の状態……私たちが駆けつける前までの状態が目的であったのなら、概ね予想は着く。
     「……誘拐よ」

     「エモ!」

     「トレセン学園はお嬢様学校だから……本当、誰でもよかったし、しばらく様子を見て懸賞金がかけられるようなら、身代金の要求はせず、発見者を装って表沙汰にしないまま済ませるつもりでもあったんだ」

     「それを主張してたのはお前だけだがな」
     門前が吐き捨てるように言う。
     「こんなまどろっこしい事しないで、とっとと“鹿毛のお嬢様”1人攫えば良かったんだ。後ろ盾になってやった俺の身にもなりやがれ」

     「ああ、そういえばそう話したんだったね。釣れたターゲットの名簿にあるメジロ家御令嬢は鹿毛だって」
     メイドさんが面白そうに笑う。門前はその意味を測りかねているようだった。

     「どうして……」
     思わず口をついて出た言葉に、鋭い目を向けられ、ソーダがたじろぐのがわかった。

     「ウチはね、貧乏なの!私が走って勝つのが……唯一の希望だった……!!」
     しかし、彼女は自身の起こした事件を切っ掛けに自主退学している。

  • 106◆qNGcRE3Q5g22/04/23(土) 22:03:48

    17 / 20

     「じゃあなんで……」

     「なんで辞めたのか、なんて訊かないでよ?」
     冷たい口調だった。目は涙で濡れていた。

     「そこまでだ」
     振り返ると、門前が逆光の中、拳銃の握られた右手を突き出していた。
     銃口は私より少し右、ソーダのほうを向いている。

     「……まだ素性が割れてないうちに失礼させてもらう。お前らも来い」

     「……カフェ、インナーバレルが見えない。BB弾を射出する遊戯銃じゃないみたいだ」
     タキオンは早々に両手を挙げている。表情がいつも通りなのは彼女なりの抵抗なんだろうか。
     私も大人しく従うことにした。

     「じゃあね、ソーダ……」

     「待って!あいつ、素性が割れてないうちに、って言った!それが貴女を連れていくということは……」

     「もう、大差ないもの」

     外国車のドアが閉まり、テールランプが闇に消えて行く。


    ─────────

  • 107◆qNGcRE3Q5g22/04/23(土) 22:04:00

    エピローグ

  • 108◆qNGcRE3Q5g22/04/23(土) 22:04:21

    18 / 20

     「……今回の事件には、もう一つ……おそらく、本来計画に入っていないところがあったのだと思います」

     運河沿いのカフェテラスは平日だというのに街並みを楽しむ観光客でごった返していて、私の声はすぐに溶けていくようだった。それでも、チーム:チョコレートコスモスのみんなは目をそらさず、頷いたりして先を促してくれている。

     「……それは、お地蔵様の首を利用すること」

     「犯人たちは最初から我々を恐慌状態にして、誘拐を“神隠し”による失踪に説得力を持たせようとしていたんだね?」

     「ええ……」
     だけど、私が霊的な感じはないと断じてしまった。
     「……エモーショナルハートさんは、以前の事件で、私が……少なくとも、お地蔵様に関わることなら……オカルトと結び付けてくれるだろう、と進言したのでしょう」

     「それでお地蔵様をね……」
     シグネチャンが切り分けたパンケーキをモナにあーんしながら肘をつく。
     彼女は連絡が間違いだと知ると、すぐに北海道までとんぼ返りを果たした。空港で困り果てているデンデラを拾ったというのだから、本当に信じられないフットワークの軽さだ。

     「……そうして、本当に悪いものが廃校に居着くようになりました……彼らは計画を続けることができた……」
     しかし、それが逃亡をも妨げた。
     私はソーダが連れ去られる前に追いつくことができた。

     「犯人たちはどうなったかな……?」

  • 109◆qNGcRE3Q5g22/04/23(土) 22:04:35

    19 / 20

     山の夜闇に消えて行った車の行く末は判っていない。警察にも連絡しているが、今のところ見つかっていないようだ。

     ……あのとき、ボンネット上に乗っていたものについては、誰にも言っていない。

     ただ、誰もがこのまま見つからないのだろうと感じていた。

     「あー、お終いお終い!せっかく気分転換に来たんだからさ!パーッと遊ぼ?ヘリオスにもお土産約束しちゃってるし!」

     「そうだね!トレーナーさんも奢ってくれるって言うし!!」

     「大丈夫なんですか?」という視線が私とソーダから同時に注がれ、トレーナーさんは頭を掻いた。本人の言によれば「監督不届きの埋め合わせ」だそうだ。

     「やれやれ、そういうことなら……」
     タキオンがこちらに滑らせてきた紅茶とレモンパイの伝票を押し返す。
     「……せめて私たちは遠慮しましょう……監督される立場では……ありませんから」

  • 110◆qNGcRE3Q5g22/04/23(土) 22:04:47

    20 / 20

     おやつを平らげたパーマーたちが「ごちそーさま!」と元気よく立ち上がり、夕方の集合場所を復唱してから駆けていく。夜にはみんなで夜景を見に高台へ登る約束なのだ。

     ソーダはまた熱い視線をトレーナーさんに送っている。まあ、元ルームメイトの事でいつまでも塞ぎこんでいるよりはマシなんだろう。そのうち、悲しさがこみ上げてくる日もあるだろうけれど、そんな時はトレーナーさんが……

     そこまで考えて、気づいたらトレーナーさんの右腕にしがみついていた。
     トレーナーさんとソーダの驚いた顔と、タキオンの面白がるような笑顔がこちらに向けられている。
     視界の端では何故か“お友だち”が腕を組んでうんうんと頷いていた。


     午後の運河はキラキラと太陽の光を反射している。そよ風が街路樹の葉を揺らしながらカフェテラスを駆けて行った。


    ――part.7「幾許さま」おわり

  • 111◆qNGcRE3Q5g22/04/23(土) 22:06:50

    ここまで読んでいただき、ありがとうございました!

  • 112二次元好きの匿名さん22/04/23(土) 22:53:08

    読み応えがあってすごかった!ラストかわいい
    素敵な作品をありがとうございます!

  • 113二次元好きの匿名さん22/04/23(土) 23:46:53

    お疲れ様でした〜
    最後に一つ聞きたいんだけど、パーマーがすりガラス越しに見た走っていくシグネちゃんはカツラを被ったエモって事でいいのかな?

  • 114二次元好きの匿名さん22/04/23(土) 23:54:48

    感想レスありがとうございます!

    「この長さ掲示板で読んでくれる人居るのか?」と不安になってたので嬉しいです。


    >>113

    そうです!そこの推理入れるの忘れてました、すみません!

    保健室の人体模型にかぶせてたものを使って走って逃げる→管理人室にカツラを投げ込んで引き返し、パーマーと鉢合わせる

    という流れでした。

  • 115二次元好きの匿名さん22/04/24(日) 10:28:44

    このレスは削除されています

  • 116二次元好きの匿名さん22/04/24(日) 10:29:13

    これまでの「カフェとタキオンが怪奇事件の相談を受ける話」シリーズ

    【SS】カフェとタキオンが怪奇事件の相談を受ける話|あにまん掲示板※長いですが、書き溜めてあるので一気に投下します。bbs.animanch.com
    【SS】カフェとタキオンが怪奇事件の相談を受けて最終的にタキオンが泣く話|あにまん掲示板※すごい長いですが、書き溜めはしてあります。よろしければお付き合いください。bbs.animanch.com
    【SS】カフェが怪奇事件の相談を受ける話|あにまん掲示板少し長いですが、よろしければお付き合いください。https://bbs.animanch.com/img/148443/865bbs.animanch.com
    【SS】カフェとタキオンが怪奇事件の相談を受けて温泉に入る話【ウマ娘×ミステリ】|あにまん掲示板※ 事件編 / 解決編 に分けて時間差投稿します。※ 9,000字 / 6000字 くらいありますがよろしければお付き合い下さい。https://bbs.animanch.com/img/243226…bbs.animanch.com
    【SS】カフェとタキオンが怪奇事件の相談を受けた裏で頑張る話【ウマ娘×ミステリ】|あにまん掲示板※事件編 / 解決編 に分けて時間差投稿します。※今回から行間を空けるようにした結果、これまでより分割数が多いですがご容赦ください。bbs.animanch.com
    【SS】タキオンが怪奇事件の相談を受ける話【ウマ娘×ミステリ】|あにまん掲示板※やや長めですが、よろしければお付き合いください。※オリウマ、オリヒトが出てきます。ミステリなので、不要なときに代名詞で叙述トリックを疑わせたくない。というのが主な理由です。ご容赦ください。https…bbs.animanch.com
    【SS】カフェがタキオンの起こした怪奇事件と対決する話【ウマ娘×ミステリ】|あにまん掲示板※やや長めですが、よろしければお付き合いください。※固有名詞ありのオリウマが出てきます。ミステリなので、不要なときに代名詞で叙述トリックを疑わせたくない。というのが主な理由です。ご容赦ください。※正直…bbs.animanch.com
  • 117二次元好きの匿名さん22/04/24(日) 20:49:39

    まだ落ちないで

  • 118◆TKf87jKyeUw622/04/24(日) 22:47:52
  • 119二次元好きの匿名さん22/04/24(日) 23:08:21

    おおよそ辺境の掲示板で読める二次創作のスケールじゃないんよ
    トリックは全然わかんなかったけどめっちゃドキドキして楽しめたわ
    乙!

  • 120二次元好きの匿名さん22/04/25(月) 09:45:24

    >>119

    感想レスありがとうございます!

    私自身もミステリ読んでて途中でトリック判ったことないです。私と同じような読み方してる方にも楽しんでいただけて何よりです。



    今気づいたけど最後part.7って書いてるけどpart.8だ今回……

  • 121二次元好きの匿名さん22/04/25(月) 21:04:45

    今更見つけちゃった...この作品からでもいいのかな...

  • 122二次元好きの匿名さん22/04/25(月) 21:11:56

    >>121

    !! シュババババ(作者が走り寄る音)

    ハイッ(高音)こちらのSS、今partからカフェ周りの環境が変わったこともあり、世界観の説明がなされていますから、実質「新part.1」と言ってもいい作品でして!バ鹿みたいに長いこと以外は入門用としても非常にオススメとなっております!バ鹿みたいに長いですが!

  • 123二次元好きの匿名さん22/04/26(火) 08:27:17

    >>122

    見ます!

オススメ

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